目覚めを叫ぶ英雄戦歌⑥
地上、地下、そして残響。
『幻窮異界』リプルレーゲンで、短期間で連鎖的に発生した戦闘はいずれも激化の一途を辿る。
地上にて『覇天世界』エイレーンの全軍と相対するは、『極星世界』ポラリスが第五星〈鬼神〉カルラと『弱小世界』リステルの小規模連合。
地下にて怒るは【救世の徒】〈天穹〉紅蓮。これに対して、『悠久世界』エヴァーグリーンに身を置く〈片天秤〉ジゼルが足止めに回る。
残響の地で矛を交えるは、【救世の徒】〈盟主〉ジークリオンと、《英雄叙事》継承者、〈黎明記〉エトラヴァルト。
三者三様の戦模様は、『幻窮世界』リプルレーゲンただ一人の生存者、異界主シンシアを中心に加速してゆく。
◆◆◆
「エトさん……」
シンシアの視線の先、二つの線が天地を疾る。
天空を翔ける彩と、地上を駆ける銀。
幾重にも重なる軌跡の交点。瞬きの間に七度、光が弾ける。その度に世界を縦に裂くような雷のごとき衝撃が迸った。
「フハハハハハハハ! 俺様の爪を受けて! まだ立つか、エトラヴァルト!」
翼のひと薙ぎだけで常軌を逸した加速を実現する。
竜の翼が生来有する大気への干渉力。ジークリオンは種の中でも群を抜いた干渉力をもって、出鱈目な速度で頭上から全力疾走のエトを軽々追い越した。
「これは受けられるか!?」
慣性を無視した180度の急旋回。
エトを正面に捉えたジークリオンは、さらなる加速をもって真正面から宝石のような竜爪を叩き込む。
「ふッ——!」
対するエトは円環の防御をもって迎え撃つ。
極大重量の誓剣の切先で爪の先端を弾く離れ業で、当たれば必殺のジークリオンの連撃をことごとく跳ね返した。
「その技量! その覚悟! その胆力! やはり貴殿は素晴らしい!!」
「このっ、ペラペラと……!」
防がれた事実にジークリオンは怯むどころか喜びから高らかに笑い、逆に、竜人の底知れぬ力量にエトラヴァルトの表情が険しくなった。
異界の腑に生み出されたかつての『幻窮世界』……異界主となったシンシアの記憶を元にした景色は、両者の激突で瞬く間に崩れ去ってゆく。
エトラヴァルトとジークリオン。
互いに〈異界侵蝕〉という指標こそ持たない者同士。しかし両者の実力が、かの領域に踏み込んでいることは最早疑いようもなかった。
唸りを上げる竜尾と鎖。火花を散らす竜爪と誓剣。
軌跡の中で交錯を繰り返す、一撃が必殺になり得る極限の戦闘。
「その幼さで! こと防御において抜きん出るその技量! やはり貴殿は!」
「さっきから、随分と馴れ馴れしいな……!」
決して悪意ではない、むしろ好感に近いジークリオンの声音に、エトは形容しがたい心地悪さを味わった。
竜の瞳、縦長の瞳孔の中に、まるでエトが知らないエト自身がいるような薄気味悪さがあった。
「許せエトラヴァルト! 予想通り……いや! 予想以上の手応えに俺様は興奮している!!」
宝石の髪が風に靡く。
ジークリオンは衝動のままに、エトラヴァルトへ真っ向からの殴り合いを仕掛けた。
「心臓が! 体を巡る血液が! 全身の細胞という細胞が! 俺様の本能が貴殿との戦いに歓喜しているぞ!」
「そうかよ……っ!」
制空権と速さという利を捨てる愚策。昂る感情に任せた、エトラヴァルトが最も得意とする剣の間合いに踏み込む。
「……ッ!?」
驚愕の吐息はエトのものだった。
誓剣から伝わるジークリオンの拳の重さ、鋭さは衰えるどころかむしろ激しさを増すばかり。
「なんでもありかよ……っ!」
制空権と速さという圧倒的な利を捨ててなお自分と同等……或いは上回るジークリオンの能力に、エトは無意識に奥歯を噛み締めた。
「フハハハ! この俺様が! 拳が届く距離まで詰められない! よくぞ磨き上げたエトラヴァルト! 貴殿への期待はやはり正しかった!」
「だから……っ、なんで知ってるような口利きやがる!?」
「浅からぬ因果というやつだ!」
“因果”、確かにそう口にしたジークリオンにエトが意味を問うより早く、斬撃圏からジークリオンが数歩、後退した。
「いつまでも貴殿と戦い抜きたいものだが……俺様にも使命がある」
泰然と立つ竜人に対して、僅かな攻防で著しく消耗したエトは肩で息を繰り返す。
その視線は自分の後方へと。膝をつき呆然と行く末を眺めるシンシアに向けられた。
「シンシアから、無限の欠片を奪う気か?」
「そうだ」
最早隠す意味もなく、そもそも隠す気のないジークリオンが強く頷いた。
「これは貴殿にも譲れぬ俺様の使命だ。ゆえにここからは——総力戦を仕掛けさせてもらうぞ」
ジークリオンの宣言と同時に彼の右隣に降り立ったハーフエルフ……〈冰禍〉エステラの姿に、エトの表情が一層険しさを増す。
「エステラ……当然、来るよな」
「蹂躙は望むものではないが……友の言葉以上に俺様が優先するものなどないのもまた事実」
ジークリオンはさらに、左手の指を一度だけ鳴らした。
すると、男の左側の空間が揺らぐ。
「来い、オズマ」
「——ここに」
揺らぎの中から、まるで滲み出るようにソレは現れた。
全身をボロ切れのような布で覆う猫背で痩身な体躯。俯く顔はフードに隠れ、そも、髑髏の面を被るせいで表情が伺えない。
骨格から辛うじて大人の男性と判別できるソレは、右手に身の丈ほどもある大鎌を構えた。
「〈死神〉オズマ、盟主の言葉を受け馳せ参じた」
「三人目……っ!」
忌名を名乗る三人目の怪物。
今しがた現れたオズマはふらふらと頼りない体幹で揺れるが、鎌を握る手は、エトの目には明らかに熟達した気配を悟らせる。
そして状況から判断するに、オズマは間違いなく【救世の徒】の陣営に属していた。
「シーナのやつ、報告漏れがあるじゃねえか」
苦し紛れに場違いな軽口を叩いてみても、早鐘を打つ心臓は決して楽にはならなかった。
「エトラヴァルトよ、許せとは言わん」
極彩色の爪を研ぎ、〈盟主〉ジークリオンは笑顔を消し、使命に徹する。
冷徹な竜の眼光が敵対者を射抜き、荒涼とした大地を踏み抜いた。
「貴殿を、蹂躙する」
須臾の間、光と見紛う速度で肉薄したジークリオンの拳がエトの胸部を粉砕し。
一瞬の後、大鎌と氷花弁の嵐が叩き込まれた。
◆◆◆
諦めたはずだった。
とっくの昔に、全てを投げ出して……自分の殻に閉じこもったのに。
使徒として、守るべき人たちに背を向けた。
敬愛する人たちが命をかけて守ろうとした世界を貶めて、挙げ句の果てに、楽になろうとした。
わからない。
わからないのだ。
期待に応えたい。まだ、死ぬわけにはいかない。
そう思っても、そう思うことができても。応え方がわからない。歩き方を思い出せない。
どうすれば償えるのか、私にはちっともわからない。
——なのに。
なのにどうして……私にすら信じられないのに。
どうしてあなたは戦うの?
どうしてあなたが、私の“約束”を信じてくれるの?
あなたは関係ないのに、どうしてボロボロになってまで……私を、守ろうとしてくれるの?
◆◆◆
空に咲き誇る二十八の大輪の氷花。
それはエステラ・クルフロストの爆撃圏。大地に降り注ぐ氷の花弁からは何人も逃げおおせる術はない。
絶死の豪雨の中、響き渡る剣戟に限りなく。
銀気迸る不壊の誓剣と、黒に澱む死を呼ぶ大鎌が絶え間なく激突を繰り返す。
騎士装束の銀髪の剣士と、全身に纏うボロ切れのような布を翻らせる幽鬼。
〈黎明記〉エトラヴァルトと〈死神〉オズマの激烈な白兵戦は、その余波で死の雨をかき消す勢いだった。
「なるほど、英雄と名乗るだけはある」
「そりゃ、どうも……!」
痩身の男の賛辞に投げやりな感謝を口にするエトは、打ち合う度に口の端から血の泡を吹きこぼした。
「死の匂い漂うその身でよくやるものよ」
ジークリオンに圧壊された肺は不規則な呼吸を繰り返す。
左腕は付け根をエステラの花弁に抉られ、鎖の補助がなければ動かすこともままならず、オズマの大鎌に切り裂かれた背中の深傷は悲鳴のように激痛を訴える。
「かひゅ……ふづっ、はっ……!」
「その忍耐、称賛に能う」
不規則な呼吸で意識を保つエトに、オズマは敵ながらその執念に敬意を抱いた。
黒い澱みを空間に残す大鎌の猛攻。描く軌跡は、奇しくもエトラヴァルトの円環と酷似していた。
しかし、在り方は真逆。
エトが描く円環が自らの世界を守るための結界ならば、オズマのそれは自らで他者の領域を、命を脅かす侵食の拡大だ。
防御と攻撃。対極の円環がしのぎを削る。
交わる銀と黒。鳴り響く重金属の調べ。両者の武技はほぼ互角。
——それだけならば、エトラヴァルトはギリギリ踏みとどまれていただろう。
しかし、これは宣言通りの蹂躙である。
エトが足を止めた刹那、音を遥か置き去りにしたジークリオンの竜爪がエトの脇腹にめり込んだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!?」
脇腹から全身に広がる、踏ん張ることすら許されない出鱈目な衝撃。
肉体が爆散したと錯覚するほどの威力に声にならない絶叫を喉からこぼし、エトは水切り石のように大地を転がった。
同胞の全てを葬ったと豪語するジークリオン。彼の言葉は決して虚勢ではない。
ジークリオン・エルツ・ヴァールハイトは、自らの故郷である『竜谷世界』サナクタルス諸共に、全ての竜を根絶したのだから。
「……仕留め損なった」
そんな竜人が、自らの腕を見下ろして眉を顰めた。
確実に葬る一撃だった。
にも関わらず、右手を変化させた竜爪には、爪の先だけ、血が付着していなかった。
「魄導を集中させたのか。あの一瞬で、致命傷になる爪の先の接触点だけに……!」
視線の先、子鹿のように足を震えさせながらも立ち上がったエトに、ジークリオンは無意識に口角を上げ、エステラとオズマは容赦なく追撃を仕掛ける。
「『望郷を守護せし白亜の若葉』——!」
エトは視界を遮るように白亜の城壁を生成。エステラたちは目隠しにも動じず、即座の判断で破壊を実行。——その奥に、エトの姿は既にない。
「——っ! オズマ!」
「既に!」
エステラの指示より早く、骸骨の奥に覗くオズマの双眸が昏く窪んだ。
〈死神〉オズマ——“死の概念保有体”。
男の瞳はあらゆる命の終わりを観測する。
生命の寿命をつまびらかに暴き出す死神の魔眼が一帯を走破し、姿をくらましたエトラヴァルトを捉えた。
「これは——!?」
観測の結果にオズマがほんの少しだけ驚きを口にする。
捉えたのは、決して遠くない未来に位置する終わり。
〈勇者〉アハトとの死闘を経て魂が砕けたことにより、今もなお緩やかに死へと向かっているエトラヴァルトの息吹を見つけた。
「ジーク! 後ろだ!」
「『輝け——ッ』」
「ッ!?」
無数の数列が世界へ飛び出し、電子情報から帰還したエトラヴァルトが全身にスパークを纏いながらジークリオンの背後を取った。
エトが握る誓剣には、充填を終えた虹色の輝き。
狙いは言うまでもなくジークリオン。
「『アルカンシェル』——!」
エストックの鋒。エトが有する最大の砲撃がゼロ距離で解放された。
〈虹の魔剣〉エルレンシアが編み出した技。中途半端に魔法へと変換した七種の魔力をぶつけ合わせることで破壊を生み出す人為的魔剣。
それをエトの魄導によって更に圧縮させ、爆発的に破壊力を高めた一撃。
「『結晶竜殻』」
ジークリオンは、その一撃をあまつさえ右腕一つで受け止めた。
「なっ……!?」
驚愕にエトが目を見開く。
受け止めたのは、手のひらに収束したステンドグラスのように輝く結晶の鱗。
さしもの竜人とて無傷とはいかなかったのか。魔剣収束の後、焼け焦げた手のひらをチラッと一瞥した。
「少し、応えたな」
だが、それだけ。
振り抜かれた竜の左足がエトの右脇腹を撃砕し吹き飛ばす。逆転の一手に魄導を注ぎ込んだエトは防御が間に合わず、大量の血塊を吐き出しながら家屋の瓦礫に突っ込んだ。
「エトさん……っ!」
偶然か、あるいはエトの執念が成した必然か。
瓦礫の隣には、地べたに座り込むシンシアがいた。
「…………………………………《英雄叙事》」
碑文の名を呼ぶ、弱々しくも力強い声が響く。
瓦礫を突き破り、純白のドレスのような戦衣装に身を包んだ少女、〈白鋼の乙女〉シャロンが【救世の徒】に立ち塞がった。
「《英雄叙事》の特性を利用したんだね、エト」
《英雄叙事》は肉体置換の際、エトラヴァルトから誰かへの置換に限り、あらゆる肉体の損耗を帳消しにする。
男の機転を称賛するエステラだったが、表情は冷静そのもの。
なぜならば、シャロンの肉体では相手にならない。
そして——そも、今のエトに肉体置換を維持するだけの体力は残されていない。
「…………」
バラバラと頁が肉体から漏れ出し、肉体は光と共に満身創痍のエトラヴァルトのものに。
シンシアの前で、力なく膝をついた。
「…………やらせ、ねえよ」
それでも。
満身創痍でも。
エトは両腕を広げ、誓剣を構え、【救世の徒】に立ち塞がる。
「シンシアは、渡さない。『幻窮世界』は、壊させない……っ!」
なぜ、守るのか。
このままいけば確実に死亡する……自分の約束も、望みも果たせなくなる未来への一本道。
それでも瞳を燃やし立ち塞がるエトラヴァルトに、【救世の徒】は“何故”を問わない。
「なんで……っ! エトさん、なんで……!?」
だが、シンシアは問う。
血みどろになりながら、およそ戦いにもならない蹂躙を受けながら、それでも剣を握るエトに問う。
「関係ないのに……っ! あなたが命を賭ける理由なんて、意味なんて……! 私には、ないのに……!!」
縋るように、切り裂かれた背中の傷に触れないようにエトに手を伸ばす。
「もういいんですっ! あなたが傷つく理由は、どこにもないんです……っ! だから……っ!」
涙をこぼすシンシアに、エトは振り返らない。
「…………楽し、かった」
「え——?」
だが、答えることはできる。
「観光、ツアー……楽しかったんだ。アンタの、舞台も……見て、みたかった」
拳を握る。
「アンタが、死んだら……あの景色、もう、見れなくなるだろ」
立ち上がる。
「それは……嫌なんだ」
魂を燃やし、魄導を循環させる。
「それに……約束が、あるんだろ? クラインと……秘纏、十二使徒と……! いつか、並びたいって、頑張ってきたんだろ……!!」
「……っ!? なん、で……それを」
「今なんだよ、シンシア! ここに、『幻窮世界』はあるんだから……! アンタの中に、その景色は、残り続けるんだから……!!」
立ち塞がる。
約束に身命を捧げる騎士が。
これはエゴだ。エトラヴァルトがシンシアに押し付ける純粋な自己満足だ。
重ねたのだ、昔の自分と。
親友を失い、何もかもがどうでも良くなっていた日々と。目的を見失って、生きる屍のようにただ漫然と過ごして——それでも根底には後悔が燻り続けていた時間と。
とてもよく、似ていると感じたのだ。
だからきっと、同じように答えはあるのだと。
忘れたくなるような悲惨に覆われた過去であっても、そこに必ず、忘れられない“何か”があるのだと、エトはただ、信じていた。
「俺は……俺だけは、絶対にアンタを守り抜く……!」
それが約束への遠回りだとしても。
見捨てるなんて選択肢を、他の誰でもない誓剣の騎士だけは選ぶはずがないのだから——!
「やはり貴殿は……英雄なのだな」
「『弱小世界』の、な」
それが、最後に交わす言葉だった。
「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」」
再び、激突する。
迸る銀の魄導を襲うは氷の剣、極彩の竜爪、そして黒の大鎌。
【救世の徒】は最早エトラヴァルトの排除にはこだわらない。異界主シンシアの右目を抉れば、エトの生死を問わず全てが終わる。抵抗の気力がない相手を制圧することは最も容易い行動だ。
——だが、それができない。
「————ッッ!!!!」
蒼銀に輝く瞳を引き裂き、烈火の如くエトラヴァルトが猛る。
全身全霊を、魂の全てを『シンシアの守護』に費やす男が、決してその存在を無視させない。
防ぐ! 防ぐ! 防ぎ続ける!
めくるめく円環の防御が降りかかる氷雨を、大鎌の侵食を、竜爪の破壊を、ことごとくを凌ぎきる。
肉体の損耗への補助、即ち生命維持すらも捨て置いた捨て身の守り。
自らの肉体すら円環に組み込んだ守護で、怪物三人の猛攻をたった一人で弾き返す——!
言葉はない。
一音発する寸刻すら惜しい。そのエネルギーすら燃焼させ、エトは勝ち目のない防衛戦に挑み続ける。
攻撃の余波、大地の破片、殺気の残滓……その全てがシンシアに届かない。
「やく、そく……私、の」
苛烈で暖かな守護に包まれ、シンシアはエトラヴァルトの言葉を反芻する。
間違いばかりで、正解なんて分からなくて。
どうすればいいかなんて、もう答えようがなくて。
それでも、目の前の奮戦に、何も思わないほど心が枯れきってはいなかった。
——均衡が崩れる。
ジークリオンの竜爪を弾かんと誓剣を袈裟に振るったエトラヴァルトの迎撃が空を切る。
それはまるで蜃気楼のように。激戦の中で機を見計らっていたエステラが見せた竜人の幻。
直感が働かないほどに消耗したエトにはそれが見抜けず——幻の先、助走を終えた竜人が両腕の竜爪を叩き込んだ。
「〜〜〜〜〜〜ぁっ!?」
かろうじて滑り込ませた誓剣で受け止めるも、真正面から受けたジークリオンの突進の威力の相殺は、最早不可能だった。
ジークリオンは万全を期すように、自らの肉体をもってエトをその場から諸共に吹き飛ばす。
シンシアを覆う円環の守りの消失。即ち、【救世の徒】の勝利条件の達成。
「〜〜っ、シンシアーーーーーーーーッ!!!」
ジークリオンに押し飛ばされ、血反吐を吐きながら叫ぶエトの声は届かない。
歓喜の声を上げることはなく。
〈死神〉オズマは機械的にシンシアの首に狙いを定め、大鎌を振り抜いた。
——タァン!
そんな、軽やかな音が響いた。
それは、シンシアが右足を振り上げて大鎌の軌道を逸らす音だった。
「「「な——」」」
「……!」
驚愕は三人のもの。
息を呑む安堵は一人のもの。
首を刎ねるはずの一撃は、シンシアの泥水のように淀んだ髪を数本切るに留まった。
「私は、まだ死ねない」
それは、ジークリオンに右目を抉られようとした時にも吐いた言葉と同じ。
しかし、此度はそこに宿る意思が違った。
ただ漠然と突き動かされるような困惑した声音とは違う、確かな生への執着を感じさせる声だった。
「わかったんです」
姿が重なった。
自分を守るエトラヴァルトの背中が。
見届けることができなかったはずなのに、彼らと……秘纏十二使徒と重なった。シンシアの目には、確かに見えた。
「私が生きてる限り、私の胸に、『幻窮世界』はある」
その背中は、そう。世界を守らんとする英雄たちの背中と同じだった。
「クラインたちの想いを、私はまだ、繋ぐことができる……!」
それはたったひとつの、小さな気づき。
シンシアは異界を生み出す時、滅びる最中の『幻窮世界』を巻き込んだ。
ならば。今、シンシアの中には。比喩でもなんでもなく、事実として『幻窮世界』が息づいている。
「私の、使徒の使命は……世界を——」
「その使命は叶わん。決して」
目覚めの刹那、残酷にも最速の竜人が肉薄する。
視認すら困難な、初速から最高速へ到達する理外の加速。
ジークリオンの右手が、シンシアの瞳に触れる。
「『——心理掌握』」
——これが、互いの使命をぶつけ合う戦いならば。
遠い昔の願いであろうと、世界の存続のために身を投げうった十二人の使命が、今日この瞬間に開花するのは、また必然と言えるだろう。
「『使徒の歩んだ物語』」
詠唱に、穢れなき白衣が翻る。
介入した細腕が、ジークリオンの右腕を跳ね上げた。
「馬鹿な……貴殿は!?」
それは、腕を弾かれたジークリオンの驚愕だった。
「……………ぁ、ぁあ!」
それは、シンシアの喉から漏れた嗚咽だった。
「オズマ!」
「承知!」
乱入者に斬りかかろうと大地を蹴るエステラとオズマ。
しかし、銀の円環が遮った。
「行かせねえよ……!」
唯一、欠片も動揺しなかったエトラヴァルトが二人の攻撃に待ったをかける。
「——ありがとう。あの日、君に出会えて良かった」
乱入者は、右手に小物店のマスコット「ゲコ吉」を抱えていた。
その者はあまりにも戦場に似つかわしくない……いや、そもそも日常生活であっても浮きまくることこの上ない、全身ハートまみれの悪趣味な格好をしていた。
「——これの発動条件は、君が“世界”を信じること。君の中にある記憶と世界が共鳴することだった」
擬似魂魄を与えられた人形、その中には十二の魂の欠片が眠っていた。
『弱小世界』という星の片隅で、アルスという少女が死に際に、エトの中へ自らの破片を投げ込んだように。そこに、ずっと眠り続けていた。
破片たちは自立して動くことはなく、トリガーとなるのは生前の彼らと思い出を共有した誰かとの共鳴。
「最後の導線は、エトラヴァルトが届けてくれた」
それは、シンシアの胸元で熱を放つハート型のロケットペンダント。
この土壇場で、それは奇跡のように、必然の積み重ねでたどり着いた。
「帰って、くるなら……言ってくれれば、良かったのに……!」
もう枯れたはずと、何度思っても涙は溢れてきた。
目を擦りたくて、でも、一瞬たりともその姿から目を離したくなくて。
シンシアは、頬を濡らしながら顔を上げた。
「君を驚かせたかったのさ。なにせ、私は心の専門家だからね」
女は優しく、泣きじゃくるシンシアの頭を撫でる。
「そうだろう?」
首を傾げて微笑む憧れに、シンシアは嗚咽を堪えて強く強く頷いた。
「はいっ……、クライン!!」
「うん。よく頑張ったね、シンシア」
二千年の時を超えて、今。
『幻窮世界』リプルレーゲンの守護者、〈王冠〉クラインが帰還した。




