希望を繋げ
時は、エトラヴァルトが記録を閲覧し終えた頃にまで遡る。
“希望を繋ぐって言いやがっても、どうやって繋ぐつもりでいやがるんですか?”
現在位置不明、目的地不明、移動手段不明。
イルルの指摘は尤も。紅蓮の持つ“虚構の概念”によって放り出された現状、エトラヴァルトは殆ど手詰まりのようなものだった。
“気合いと根性だけじゃどうにもならないことを、あなたは〈勇者〉と戦って嫌と言うほど知りやがったはずです”
「わかってる。だからペンダントを渡したんだ」
“ペンダント……?”
イルルが疑問系で呟くペンダントとは、エトがシンシア……“案内人”エルリックに手渡したハート型のロケットのことだ。
「いざって時に目印になるように、アレに俺の魄導を込めておいたんだよ。けど……」
どれだけ集中して探ってもペンダントの反応は見つからず、エトは苦い顔をする。
「見つからない。距離が遠すぎるのかもしれない。そもそも、ここが『幻窮世界』だって保証もない」
別の世界、下手をすれば別の異界の可能性すらあった。
エトは、紅蓮が日帰り感覚で大陸を跨ぐ転移を可能とすることを知っている。
あの一瞬で構築された虚構の門に大陸間を跨ぐような出鱈目な移動をさせられたとは思いたくなかったが、エトは“概念”がそれを可能にしかねない出鱈目さを有していることも、また知っていた。
「イルルの言うとおり手詰まりだ」
“相手が何枚も上手でいやがりましたね。座標がわかっていたら、なにしやがるつもりで?”
「ヘイルの力を使う。『電脳遷移』なら座標さえわかれば転移より速い」
“賢い選択じゃねえですか。それができないって点を除けば”
「一言余計だよちくしょう」
どれだけアイディアがあろうと、後手に回り、しかもなんらかの手段で対策を講じられている以上手詰まりであることには変わりない。
起死回生の一手は、今、エトラヴァルトにはなかった。
「とりあえず周囲を探るか。何もしないよりは見えてくるだろ」
“それには賛成しやがります”
内側でやたらと喧しいイルルを抱えたまま、エトは周囲へ魄導を巡らせながら地形の把握を始める。
「イルル、お前その妙な口調は——」
“小さい頃から舐められたくなくて口調だけ尊大にしやがろうと無理して、ついでに大人には敬語使おうとしやがった結果、なんか週刊になっちまいやがりました”
「な、るほど……?」
それにしたって限度があるだろうと思ったエトだったが口には出さなかった。
ちなみにエトの思考はある程度イルルに筒抜けゆえに、飲み込んだツッコミは全部拾われていたりする。イルルも殊更に蒸し返さないために、二人の間では奇妙な意思疎通が成り立っていた。
成果のない周囲把握の中、エトは焦りを誤魔化すように繰り返しイルルに話を振った。
口調をはじめとした取り留めのない話題から、核心に迫るものまで。
「《英雄叙事》の司書って話だけど、それ、他の継承者とは違うのか?」
“その質問には答えかねやがりますね。今のあなたには言えねえです”
「言ってもらえるようになるには?」
“あなたが《英雄叙事》の全てを知りやがったその時は、自ずと私のことも知るんじゃねえですか?”
イルルの曖昧な回答に、エトは思わず顰めっ面をした。
「最近思うんだが、俺の周りには思わせぶりなやつばかり集まってくるの、なんでなんだ?」
“《英雄叙事》はそれほど重要な立ち位置にいやがるってことじゃねえですか?”
「そう思うなら少しは教えてくれてもいいだろ……俺、未だに《英雄叙事》の出自すら知らねえんだぞ」
ただ、これ以上踏み込んでも答えてもらえないと悟ったエトは、ひとまず納得したふりをした。
「まあいいや。ところで今シャロンたちってどうして——」
——めっちゃびっくりしてるよー!
エトの疑問に答えるように、シャロンの声が響いた。えとの感覚的にはイルルのさらに奥の方から。
——いやー、《英雄叙事》の司書だっけ? そんなのがいるって初耳も初耳だからね。私とかエルレンシアもそうだし、エトが顔見たことある程度の継承者たちもみんな仰天だよー!
「あー、内側で情報の大渋滞が起きてる」
エトの感覚的には、放課後になったばかりの学園を思い出させる混沌である。
——私たちもだいぶ混乱中だけど、とりあえず私が代表で話してる感じだよね。
「なるほどな。あー、全部の情報一度纏めてえ」
整理したいことは山ほどあったが、残念ながら今のエトにそんな暇はなかった。
「——でもまあ、知らないことが増えてもやることは変わらないし、俺らの関係も変わらないか」
——そうだね、私たちの継承者……物語の最前線。
シャロンの言葉に、エトは自分の胸に手を当てる。
「俺はシンシアを守る。守りたい。だから今日も、力を貸してくれ」
返答は、強く脈打つ鼓動だった。
「——ありがとう」
それ以上の言葉はなく、エトは一度大きく息を吐いて、もう一度周囲を探る。立ち止まっている時間など1秒たりともないと、僅かばかりも見逃さないと神経を尖らせる。
自分の心臓の鼓動すら聞こえないほどに、呼吸を忘れるほどに意識が世界へと溶け出してゆく。
広がり、曖昧になる自己と世界の境界。その中で、唐突に。
「——っ、今のは!?」
意識の端が、空間の揺らぎを察知した。
エトは咄嗟に揺らぎを感じた上空へ顔を振り上げる。
「なっ……!?」
エトの視界の先、灰色のそらに突如として幾重にも亀裂が走った。バキバキと音を立ててひび割れる灰色の宙は、自重に耐え切れなくなったように一斉に決壊した。
「——ぅゎゎゎわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわーーーーーーーー!!?」
エトの直上、砕けた空の奥から叫び声を上げる夢紫色の何かが飛来する——エトラヴァルトの脳天目掛けて。
「は?」
“うわっ”
「お兄ちゃん受け止めてーーーーーっ!」
見上げたまま硬直したエトの灰の瞳と、落ちてくる少女のオーロラ色の瞳が交錯し——
「あっぶな!?」
エトは華麗にその場から回避した。
「え」
裏切られた少女は表情を絶望に染め、既に落下を避ける術はなく。勢いのまま。赤土の大地に頭のてっぺんから思いっきり突き刺さった。
ズガーーーーン!! と盛大な衝撃に大地が軽く揺れ、エトの目の前を中心に赤茶色の土煙が吹き上がった。
エトが軽く手を振って土煙を吹き飛ばすと、そこには人類が一人、頭から大地に突き刺さり、それでもスカートの内側は死守する奇妙奇天烈な構えで不時着していた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
なにやら土の内側で喚き立てる気配があったが声は届なかった。しかしジタバタと足を動かす様子からエトは救助要請だと察して両足首を掴んだ。
「よいしょっと」
「ぶはー!」
そのままズボッ、と。地面から音を立てて引き抜かれたそれは、エトにとってとても見覚えがある夢紫の髪を土に汚した、オーロラ色の瞳を持つ少女……〈仇花〉シーナだった。
「お前、なにやってんの?」
見た目こそ15、6歳ほどで初めて見る姿だったが、特徴的な髪と誤魔化しようがないほど輝くオーロラ色の瞳……観魂眼が目の前の根菜もどきをシーナだと証明していた。
エトの冷めた声に、シーナは逆さまに吊られたままでもしっかりと頬を膨らませた。
「受け止めてって言ったじゃん! お兄ちゃんの薄情者ーー!」
「無茶言うな! あんなの誰でも避けるわ!!」
幼女、あるいは少女体の彼女より幾分かわがままな横暴にエトは反射的にツッコミを入れる。
「というかお前、なんで空の中から落っこちてきた!? 夢の世界は!? 壊されたのか!?」
「あ、そう! そのことで——あ! その前におろしてお兄ちゃん!!」
文字通り隕石のように襲来したシーナをひっくり返して地面に下ろすと、エトは手早く彼女の髪や顔についた土埃を払い落とした。
「ありがとう、ママ」
「だから俺はママじゃねえ! で、なにがあった? イノリたちが壊したのか?」
エトが問いかけると、シーナはハッとしたように表情をを険しくした。
「ごめんなさいお兄ちゃん! やらかしたの! 本当はお兄ちゃんがやる事やるまで押し留めておくつもりだったんだけど……! でも私じゃ相性悪くて!」
「……どういうことだ?」
「私の役割は侵入を拒む事だった。だから弱い人はそのまま放置して、強いやつには夢を見せた! けどアイツは……無理やり外から壊しにきた!」
エトの静止を聞かず、オーロラ色の瞳は動揺から明滅し、シーナは自分の無力を悔いるように奥歯を食いしばる。
「待てシーナ! 落ち着け、順を追って——」
「本当にごめんなさい! 邪魔させたくなかったのに……アイツらが来る!!」
——灰色の空に、高らかに喇叭が鳴り響く。
幾重にも折り重なった金楽器の音色は大気を震わせ、鼓膜を圧迫するように響き渡る。
「なんだ……演奏? なんで、こんなとこで……」
エトが困惑する中、灰色の空を切り裂くように一筋の光が差し込んだ。
鳴り響く喇叭は勢いを増し、空を割る光の筋は際限なく増えてゆく。赤土の大地に降り注ぐ光に宿るのは温かみではなく、触れたものを焼き尽くす強烈な灼熱。
それはまるで、世界に対する攻撃のようだった。
「——なんと愚かな土地だろうか」
金楽器の演奏の中、不思議とかき消えない声がエトの耳に届く。
「——ッ!?」
その声が孕んでいた途方もない重圧に、エトは反射的に誓剣を抜き放ちシーナを自分の背に下がらせた。
「認識の惑い、境界の設置による力の保持……“神秘”を、よりによって神の秘め事と名付けるなど、笑止」
雲を破る一際強烈な光がエトラヴァルトの目の前に降り注ぎ、遙か天空より、一つの影が落ちる。
「——この地に神はいない。神の力を騙るその不遜、今日を持ってその身で償え、世界よ」
三対の純白の翼を大きく広げて、後光を受けた金の長髪が燦然と煌めく。
汚れなき白亜のトガにその身を包む一人の天使が、情を宿さぬ翠色の瞳で下界を睥睨した。
「天に座すは、余——〈主天〉エイレーン、ただ一柱である」
その宣言に、刹那、灰の空が焼き払われる。
「は…………?」
エトラヴァルトが唖然と見上げる空。
曇天を取り払った向こう側には、巨大な……あまりにも巨大な大陸が浮かんでいた。
〈主天〉を名乗ったエイレーンの背後に浮かぶ途方もないそれは、一つの世界。
無数の武装した天使を従え、鳴り響く喇叭に導かれるように緩やかな降下を始めた浮遊大陸を見て、シーナが悔しそうに表情を歪めた。
「『覇天世界』エイレーン。この星で唯一、自由自在に空を泳ぐ世界……!!」
◆◆◆
〈主天〉エイレーンが右手を緩慢にあげると、喇叭の演奏が止まり嘘のような静寂が訪れる。
天と地、〈主天〉と俺の視線が交錯した。
「シーナ、アイツは……」
「『覇天世界』の支配者、〈主天〉エイレーン。……そして、“秩序の概念保有体”。アイツが、夢を外から壊したの」
「『覇天世界』の支配者が直々に……?」
俺の探るような視線に気がついたのだろう、〈主天〉の眉がピクリと痙攣した。
「余を見上げる愚行……一度目は許そう。名乗れ」
「——エトラヴァルト」
「ほう。お前が〈勇者〉を退けた、あの」
俺の名前を知っていたのか、〈主天〉は二度ほど頷きを見せた。
「隣の魔物は……」
「私は魔物じゃない!」
夢魔は魔物と同一視され虐殺された過去がある。唯一の生き残りであるシーナはその魔物扱いにひどく憤った。
「なるほど……そうか。——跪け」
刹那、途方もない重圧が俺たちの全身を押し潰す。
「なっ、づぁっ……、かはっ!?」
「きゃあっ!?」
たまらず両膝を突く。全身に魄導を流しても抗いきれない馬鹿げた重さに、喉が奥から苦悶を捻り出した。
「シーナ……こ、れは…………!?」
「〜〜〜〜〜〜っ!!?」
俺より抵抗が弱いのか、シーナは抗えず全身を大地に押し付けられていた。肺を圧迫され声も出せない状況……命の危機だった。
「テメェ……何、しにきた……!?」
「裁きを、与えにきた」
「裁、き……?」
「慈悲でもある」
〈主天〉エイレーンは翼を揺らし、一段高く飛ぶ。
背中に差す光を受け、自らに輝きを与えるように両腕を広げた。
「“神秘”など、愚かしくも神の力を騙った哀れで蒙昧な生命に、余が手ずから裁きを与えるのだ。唯一絶対である余の存在を知り、潰えること。それ即ち至上の慈悲である」
「んな、戯れ事を……!」
瞬間、どうしようもなく怒りが湧き上がった。
同時に、その怒りが烏滸がましいものであるとすぐにわかった。でもその上で、〈主天〉の言葉だけはどうしても見過ごすことはできなかった。
「あの人たちは……愚かでも、哀れでも、ない!」
ただ、記録を覗き見ただけだ。
共に生きたわけじゃない。言葉を交わしたわけでもない。だけど、これだけは断言できる。
彼らは皆、心のままに、信念を貫いて生き続けていたと!!
「彼らはみんな……テメェに憐れまれる必要なんてねえんだよ……! のこのこと、今更やってきて高説垂れてんじゃねえぞエイレーン……!」
怒りに歯を食いしばる俺の双眸に、冷たい視線が突き刺さる。
「おにいちゃ、ダメ……!」
ヒートアップする俺を、横からシーナが苦し紛れに宥めようと手を伸ばす。
「目、つけられたら……! おにいちゃん、の……世界、こわされちゃう…………!!」
「——ッ!」
わかっている。制空権を一方的に奪われ、あらゆる先手を取られる状況から戦争でも始まれば、いくら『海淵世界』と『極星世界』の後ろ盾があったとてリステルでは耐えきれない。
今ここで反抗するのは、リステルを危険に晒すのと同義だ。
「でも……行かなきゃ、シンシアが……!!」
こんなところで油を売っている暇はない。
刻一刻と迫るタイムリミットと俺の使命が相反し、いたずらに時間だけが過ぎてゆく。
「クソッ……!!」
誓剣を握る力だけが強まって、何もしようとしない自分にすら憤る——そんな時だった。
「——なら、しがらみも何もない私ならいいよね!」
瞬間、世界から光が奪われた。
夕暮れ時に部屋の照明を消したような薄暗さが訪れる。
俺の背中を抜き去った影は、透き通る刀身にありったけの光を圧縮していた——大地を焼く灼熱の光を。
「貫け、“白夜”!!」
——轟! と大気を抉る凄まじい音が世界を揺らし、俺とシーナを苛んでいた重圧が嘘のように霧散した。
「……愚かにも神に逆らうか、愚民よ」
右手を突き出した姿勢で静止するエイレーン。声には明らかな苛立ち、そして右手のひらは灼熱でわずかに火傷をしていた。
睥睨する先には、俺とシーナを庇うように一対の透黒の短剣を構える黒髪の少女がいた。
「生憎、神様とか生まれた時からちっとも信じてないから。あ、でもいるならぶった斬って、蹴っ飛ばしたいかも。ってことでいいよね? 自称神さま」
エイレーンに真正面から喧嘩をふっかけた少女は、頼もしい表情で振り返る。
その姿に、俺は思わず笑みをこぼした。
「……待ってたぞ、イノリ」
「——うん。遅くなってごめんね、エトくん!」
俺の相棒は、今までと変わらない快活な笑顔を顔いっぱいに浮かべた。




