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【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)  作者: 銀髪卿
第八章 目覚めを叫ぶ英雄戦歌
246/274

一つの結末

 寄る辺無き大海の上空に生み出された終末世界の残滓、《終末挽歌(ラメント)》グレイギゼリアが支配する領域の中でなお、崩壊したコロッセオは未だその形を保っていた。


 〈王冠〉クラインの瞳によって生み出された擬似魂魄、『幻剣騎士団』の怒涛の猛攻はグレイギゼリアをその場に押し留め、クラインとの拮抗を演出する。


 半透明の剣と、荒削りなガラス片のような剣。クラインとグレイギゼリア、両者共に預かり知らぬ話だが互いに接近戦を苦手と自称する者同士が鍔迫り合いを演じ激しい火花を散らした。


「クライン、息が上がってきたんじゃないか?」

「ああ、そうだね……!」


 涼しい顔を維持するグレイギゼリアに対して、クラインは観魂眼の常時開放と緩めることができない攻め気で相当の消耗を強いられていた。


 一瞬でも気を抜けばその先に待っているのは死であり、そもそもいつ神秘が途切れるかの見当もついていない。

 よって、クラインに残された勝ち筋は不死身のようなグレイギゼリアの力の絡繰を、なるべく少ない試行回数で突破するというあまりにも儚く細い道だった。


「まったく……一歩も動けてない君が羨ましいよ、()()()!」

「その名前はもう捨てた」


 グレイギゼリアの左手が動く。

 クラインの斬撃を右手の剣で受け止めながら、左手はさながら指揮者(タクト)のように。

 ガラスのような世界の破片を統制し、真上に掲げた左手の中に光を乱反射する大太刀を編み上げた。


「器用なものだね……」

「美しいだろ?」

「寒気がするよ!」


 一切の容赦なく首元を狙って振り下ろされる大太刀。しかしクラインの対応は()()だった。


「なるほど、合理的だ」


 グレイギゼリアが称賛を口にする。

 刃が首に触れる直前、不自然な挙動で大太刀が静止した。


「器用か。そっくりお返しするよクライン」


 『幻剣騎士団』が放ったワイヤー状の拘束具で全身を雁字搦めに絡め取られたグレイギゼリアが少しばかり面倒だと目を細めた。


「わかっていたことだが、恐怖を感じない集団は些か厄介だ」


 自分自身へと、グレイギゼリアはクラインを巻き込むように世界の破片を殺到させる。回避を余儀なくされたクラインが舌を打つ前方で、甲高い衝突音が幾重にも鳴り響いて土煙が舞い上がった。


「今日は予定外の出費が嵩む」


 土煙を振り払い、拘束を破壊したグレイギゼリアが何食わぬ顔で現れる。


「一体、君は何回殺せば死ぬのかな?」

「それは僕にもわからない。ただ言えるのは——」


 クラインの恨み節に、グレイギゼリアは闇色の瞳に果てしない空虚を覗かせる。


()()()蒐集してきた(蓄えてきた)()()()()()()()、君の望む未来は得られない」

「どれだけ食い物にしてきたんだろうね、君は……!」


 嫌悪はあれど驚きはない。一瞬の判断が死に直結する戦い、クラインは即座に半透明の槍を胸へと突き込んだ。


 最早グレイギゼリアの凶行に憤ることすらない。クラインは目の前の男が、『幻窮世界』はおろかこの星そのものと相容れない存在だと知っている。


 宙を漂う世界の破片を数多の矢で相殺し、グレイギゼリア本人には絶え間なく攻撃を浴びせ、幾度となくその心臓を穿ち続ける。


「本当っ、どうなっているんだろうね……!」


 それでも、グレイギゼリアの生命は欠片も揺らがない。


 クラインの観魂眼は目の前のグレイギゼリアの内側に確かに彼の魂の輝きを見ている。だが、それに届かない。

 いかに心臓を穿っても、脳漿を弾けさせても、骨肉を抉り体の内側を明かしても。どうしても、グレイギゼリアの深奥に……魂にまで届かない。


「焦りで、連携が雑になっている」

「っ!?」


 ほんの僅か、コンマ1秒にも満たない連携のズレをグレイギゼリアは逃がさない。

 右手が剣を手放し指を鳴らす。すると、剣は無数の破片へと分解されグレイギゼリアの意のままに縦横無尽に空を駆けた。


「君には避けられない」


 世界の破片同士が激しくぶつかり、乱反射したそれらは不規則な軌道を経てクラインの全身を獰猛に切り刻んだ。


「があああああああああ!?」


 全身から夥しい鮮血が溢れ、クラインは悲鳴に喘いで思わず膝をついた。


「破片の、反射を……!」

「君には読めなかっただろ? アルトのような並外れた直感でもない限り回避は不可能だ」


 グレイギゼリアは、クラインを通してかつて……一番最初に自分に立ち塞がった男を幻視した。


「ああ、彼は見えても体が付いてこなかっただろうけど」

「悪趣味、だね……!」


 クラインは立ちあがろうと力を振り絞り、しかし、膝に力が入らない。

 グレイギゼリアの前でこうべを垂れるように、両手をコロッセオの大地に押し付けて踏ん張んのが精一杯だった。


「——すぐに、殺さないなんて」

「反射の軌道は僕にもわからないんだ」


 クラインは顔を上げ、オーロラ色の瞳でグレイギゼリアを睨みつける。


「だけど、これは外さない」


 ズグ、と。

 新雪を踏んだような鈍い音がした。


「〜〜〜〜〜かはっ」


 あまりにもあっけなく、クラインの体を大太刀が貫いた。


 背中から突き刺されたそれは寸分狂わずクラインの心臓を貫通した。

 刃を伝って流れ出る血潮がコロッセオの大地を赫赫と染め上げる。


「さようなら、古き友よ」


 『幻剣騎士団』が音もなく淡い光となって分解され、コロッセオが崩れてゆく。

 それは、クラインという一人の人間の死を意味する。


 クラインは、自らの魂を拡張し、その魂の外殻をもって『形無き継承戦線(ノーネーム・クラウン)』を生成した。

 その際、彼女は形を維持するための“核”に自らの“心臓”を選んだ。そして、その核たる心臓はたった今グレイギゼリアによって破壊された。

 これにより引力を失った魂はまもなく崩れる——訪れるのは、必然の死だ。


「あっ……、う…………は、あ」


 クラインは両目をあらん限りに見開き痙攣させ、ずるずると膝を滑らせながら崩れ落ちてゆく。

 その過程で刀に骨肉が引っかかり、抉られ、傷口が広がっては出血が増えてゆく。


 冷たくなってゆく指先、思うように声が出ない。

 貫かれた胸だけは焼けるように熱くて、まるでその一点に全身の熱が奪われていくように錯覚する。


「……うん。ちゃんと神秘は潰えたようだ」


 抵抗すら許されなかった。

 世界の破片の集合で生み出された大太刀は、心臓を貫くと同時に擬似的な世界同士の接触を達成した。結果、クラインの魂という神秘は白日の下に晒され、その力の一切を失墜させられた。


「できる事なら君の力は蒐集したかったが……どうやら相性が悪いようだ」


 右手で《終末挽歌(ラメント)》を開き、しかし反応がないことに少し残念そうな反応をしてからグレイギゼリアは本を閉じた。


 ぱちゃ、と小さな水音と共にクラインの体がひび割れたコロッセオの大地に沈んだ。


「あっけないな、人の最後というのは。……何度見ても」


 一人、旧友が死んだ。その事実にグレイギゼリアがなんらかの感慨を抱くことはない。

 彼は、彼が見定めた目的のためになすべき事をした……ただそれだけなのだから。


「〈贋作〉の置き土産を処理すれば、無限の欠片は目前だ」


 キラキラとこぼれ落ちる世界と、クラインの魂の破片たち。

 世界が闇色の魄導に侵されてなお幻想的という他ない、輝く粉雪のような散り際だった。


「『心理掌握——』」


 そうなる、はずだった。



◆◆◆



 誰かが笑える場所を作りたかった。

 誰かを守りたかった。

 誰かの世話を焼いてみたかった。

 真に賢くありたかった。

 無邪気にはしゃいでみたかった。

 誰かの帰る場所になりたかった。

 世界を呪ってみたかった。

 何者かになりたかった。

 誰かの願いを共有してみたかった。

 正しくありたいと思った。

 たった一つに、命を捧げてみたかった。


 全て、全てできなかった人生だった。

 長いこと生きて、それだけの物語未満。中途半端で斜に構えて、世界をわかった風を装って。

 心の専門家なんて、生まれ持ったちょっと変わった目に頼り切って気取っていた。

 そんな取り繕ったような生き方をしてきた。


 それでも、その想いに嘘はない。だから、同じような願いを抱く誰かを探し、そして集めた。

 秘纏十二使徒、私の理想の英雄たち。私の理想を押し付けただけの身勝手な始まり。


 ——それでも、彼らは応えてくれた。きっと私の浅ましい感情すら理解した上で、彼らは自分の願いのために最後まで戦い抜いた。


 私だけが、できていない。


 でも、でもね?

 そんなどうしようもない私でもね、シンシア。


 最後くらい、胸を張って生きたいと思うんだよ。

 私は身勝手でわがままだ。君が憧れてくれるような殊勝な存在じゃあないんだ。


 ——たとえ、そうなのだとしても。

 私はあの日、君の歌を聴いたその時から。


 私は君に憧れた。

 そして、君から向けられる羨望の眼差しに見合う、相応しい人間になりたいと思っていた。


 シンシア……私たちの〈歌姫〉。


 私はね、ずっとずっと、君の理想でありたいと思っていたんだよ。


◆◆◆



「おいで、『愚者の歩んだ物語(ネームド・クライン)』」

「な…………」


 驚愕に目を見開くグレイギゼリアの眼前。

 クラインが、覚束ない足取りで立ち上がる。

 大太刀を胸に生やしたまま、血濡れの体を引きずって、それでも、立っていた。


「シンシアは、殺させないよ……!」

「君は、なぜ——!?」


 柄にもなく声を荒げるグレイギゼリア。その動揺は必然だ。

 なにせ目の前の光景はあまりにも馬鹿げていて、不可解で、摂理に反していた。


 それは、この戦いから二千年という時を経た遥かな未来で一人の〈勇者〉が一人の英雄に抱いた疑問と同じ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()


「もう、死んでいるようなものさ」


 崩れゆくコロッセオ。足場はクラインの両足を支えるもの以外になかった。


「拡散する魂をかき集めた。私の人生の全てを道導に、私の“理想”を核に……ほんの少しだけ、猶予を貰ったのさ」


 それは『形無き継承戦線(ノーネーム・クラウン)』とは真逆の発想。観魂眼の観測で自己を拡張する『心殿』とは対を成すように。

 クラインは今、自らの理想のみを遂行するために、本来拡散し消えるはずだった砕けた魂の破片を()()したのだ。


「グレイギゼリア……」


 胸を貫く大太刀が砕け散る。

 魂の霊的圧縮により、必然、魂への干渉を行っていた大太刀はその圧縮による被害を被った。結果、刀身は半ばから砕き割られたことで世界の破片へと姿を変える。


 枷を失ったクラインが一歩、目の前へと踏み込んだ。

 死人のように朧げな前進。しかし、踏み込んだ右足は力強くコロッセオの残滓を踏みつけた。


 ザッ、と足が土を掴む音がした。


「私はね、悟ったフリして死ぬのは御免なんだよ」


 最後くらい醜くても足掻いてみせる、そんな宣言だった。


 クラインが弱々しく右腕が振り上げた。

 握った拳から血が滲み、しかし、振り下ろされる速度はあまりにも遅かった。


「無駄な抵抗だ、クライン」

「っ……!」


 一時は驚いたグレイギゼリアであっても、その攻撃にも満たない拳を避けるのは容易かった。

 脱力によって自由落下で振り下ろされる拳は男の鼻先を掠め、遠心力に負けたクラインの体はふらりと前へ。


 刹那、闇色の瞳とオーロラ色の瞳が交錯した。

 何も見透かさない空虚な奈落と、生気を感じさせない燻んだ眼差し。


「なぜ、自ら苦しむ? 君も、アルトも……なぜ君たちは、自らを——」


 不意に、不恰好にバランスを崩したクラインの体に隠れた左腕が跳ね上がる。

 その軌道はグレイギゼリアからは見えず、しかし対策するほどの脅威はない……()()()()()


 血に濡れた左腕が描く軌跡、狙った先はグレイギゼリアの胸ではなく……右手が持つ本、《終末挽歌(ラメント)》だった。


「言っただろう? 足掻くって」


 爪の先が、僅かに本の表紙に引っかかり……ガリ、と音を立てて引っ掻いた。


「——ごふっ」


 瞬間、()()()()()()()()口から血塊を吐き出した。


「ああ……見つけたよ」

「…………? これは?」


 クラインの右肩を濡らしたそれが自分の血だと男が理解したのは、もう一度。

 クラインが倒れ込むように《終末挽歌(ラメント)》へと右拳を叩きつけた時だった。


「がぁああああっ!!?」


 拳が表紙を打つと同時に、グレイギゼリアの全身がひび割れて血潮が溢れた。


「なにを、した……!?」


 遅すぎる危機を察したグレイギゼリアはバックステップで距離を取り……膝の力が入らずガラス状の空中床を転げ回った。


「僕、の……体、に……!」


 《終末挽歌(ラメント)》を抱えながら立ち上がるグレイギゼリア。その姿は今日最も弱々しく、最も追い詰められていた。


「——良かった。みんなの力は、ちゃんと君に届いていたんだね」


 コロッセオが消滅する。

 世界を維持する力を失い、いよいよ自らの延命にのみ力を注がねばならなくなったクラインは、ヤウラスの置き土産である〈浮世の風〉によって空中に留まった。


 移動手段をハーヴィーの〈駒鳥の空〉に切り替えたのは、この置き土産に気づかせないためだった。

 消えるか消えないかギリギリの賭け。それは神秘の残滓を『形無き継承戦線(ノーネーム・クラウン)』でグレイギゼリアから隔離したことで、辛うじて失墜を遅らせたクラインの執念が呼び寄せた勝ち筋。


「私たちはずっと……いや、正確にはルーナの一撃が君を焼いてから。私たちは、()()()()()()()()()()()()()を……そんな虚像を狙っていた」

「…………っ!」


 不死身の絡繰が破られた、その事実にグレイギゼリアの表情が強張った。


「早急すぎた。君は私たちの神秘を奪いたかったのに……ルーナに焼かれたあの瞬間から、君はなるべく、早く私たち全員を殺すことに目的を変えた」


 追撃が遠い。

 〈浮世の風〉にゆっくりと運んでもらいながら、クラインはグレイギゼリアの動揺が少しでも長く続くように言葉を尽くして揺さぶりをかける。


「焦りだよ、グレイギゼリア。アカリの一太刀は確かに君を傷つけた。エイミーの炎は確実に君の魂に手傷を負わせた」


 危機を抱いたのだ。


「ハーヴィーの重圧も、ティルティの牙も、プリシラの願いも……みんなの覚悟は確かに君を追い詰めていた!」


 全員の神秘が十分に潰えるのを待っていれば、いずれ、自分の魂に攻撃が届くかもしれないと。


「だから、君はわざとらしく()()()()()に攻撃を集めた!本命であるその本から、私たちの意識を遠ざけるために!」


 気づいたきっかけは破片の乱反射だった。

 軌道を読めない不規則な挙動。しかし不規則というのはあくまでクラインの視点での話だ。

 反射という性質に沿った変化ならば、そこには必ず規則性がある。


「グレイギゼリア。君の魂は、《終末挽歌(ラメント)()()()()と化していたんだから——!」


 クラインのつま先が、ガラス状の空中床に触れた。


「ありがとう、ヤウラス」


 瞬間、疾走。


 儚い現世、髪を揺らす風は穏やかに、優しく。

 風は、過去から未来へと吹いてゆく。見守り、見届けるのが〈浮世の風〉ならば。

 最後に背中を押したその瞬間、〈浮世〉ヤウラスは確かに役目を果たしたのだ。


「今ここで君を討つ!」


 圧縮した魂がその引力で圧壊する前に勝負を決めんとクラインが拳を握って前傾に走る。


「来るか、クライン……!」


 血反吐をこぼしながらも、クラインは一直線に《終末挽歌(ラメント)》を見据える。


 ただ引っ掻いただけ、ただ拳をぶつけただけ。

 たかがその程度で傷つくほど人間の……特にグレイギゼリアの魂は脆くない。

 ただし、相手がクラインであるのなら。“観魂眼”の所有者であるなら話は別だ。



 いつかの未来で、修行と銘打って一人の巫女がとある青年の魂に触れる。

 表面を撫でる程度であろうと、少し加減を間違えただけで激痛に顔を歪めるほどの観魂眼の干渉を、明確な殺意を経て用いたならば……その破壊力は想像を絶するものとなる。



「君が最後の障害になるのか……!


 口元を血で濡らし、グレイギゼリアは肩で大きく息をする。全身を苛む痛みは、一体何百、何千年ぶりのことだろうか。

 急速に迫り来る死の足音、自分を殺しうる眼を持つ女の接近に片膝をついて拳を構えた。


「おおおおおおおおおおっ!」


 裂帛の気合いと共に《終末挽歌(ラメント)》目掛けて拳が振り抜かれる。

 輝くオーロラ色の瞳は、今度こそ正しくグレイギゼリアの魂を捉えた。

 ならば、迷うことなどなにもないとばかりに、クラインは全身全霊を振り絞って一冊の本に狙いを定める。


「ちいっ……!」


 対するグレイギゼリアは回避を選択。

 右手に携る《終末挽歌(ラメント)》をなるべくクラインから引き離すように露骨に距離を取った。


「まだ、痺れが……!」


 魂を直接叩かれた反動。グレイギゼリアは自身の肉体が思うように動かないことに歯噛みする。

 まるで全身がバラバラの命令にしたがっているような気持ち悪さだった。


「それでも僕は——!」


 それでも彼の世界は健在だ。闇色に包まれ、砕けた世界の破片が揺蕩う空間は未だ彼の統御を受け付けていた。

 グレイギゼリアは一直線にひた走るクラインの前方に破片を集中させ壁を生み出す。


「そうすることは見えていたよ!」


 しかし、止まらない。

 壁の生成を予期していたかのように、クラインは絶妙なタイミングでもう一段、加速する。


「ぐっ……ああああああああああああ!」

「馬鹿な!?」


 悲鳴を上げる全身に鞭打ち、自分でも不可能だと思っていた更なる加速。

 だがクラインは知っている。教わっている。彼女が憧れ、信じた英雄たちはそんな不可能を塗り潰して可能性を繋いできたのだと。


 ならば越えねばならない。奇跡を繋がなくてはならない。


 ——シンシアにとっての英雄になりたいだなんて、とうの昔に諦めたはずの願望が今も燃え盛っているのだから……!!


 壁の完成より、僅かに速く。左足首より下を完成した壁に千切られながらも、クラインは断絶の壁を突破する!


「グレイギゼリア————!!」


 大敵へと肉薄する。

 一歩、踏み出すのは潰れた左足。軸足にして拳を握った。明滅する視界の奥に、見据えるのは一冊の本——《終末挽歌(ラメント)》ただ一つ!



 右手が貫手を構えた刹那、クラインの脳裏にかつての諦観が蘇る。


 ——なにも成し遂げられなかった。

 ——ただ守られるだけだった。

 ——覚悟を決めることができなかった。

 ——そんな、取るに足りない人生だった。


 だから、それがどうした。

 そう、魂の深奥が熱を呼び覚ました。


 終わっていない。まだ終わっていない!

 搾りかすのような僅かな時間でも、まだ“クライン”の人生は終わっていない!


 ——ならば、それならば!

 全ての後悔は、諦観は、絶望は……自分を貶める何もかもは、死んだ後でも早すぎる……!!


「私の世界を……守る!!」

「僕の世界は壊させない!」


 クラインの貫手に対して、グレイギゼリアは世界の破片を結集させた直剣で挑む。

 《終末挽歌(ラメント)》を、己の本体を守るように右半身を引き、剣を持つ左腕を大きく前に出した。


 クラインが一度でも魂を捉えれば、その瞳から逃げる術はない。

 両手を自由にしようと空中に手放すのは論外。また、同様の目的で再び体内に戻すのも悪手だ。

 何かの間違いでクラインの指先ひとつでも肉体に触れれば、その時点で彼女の攻撃はグレイギゼリアの魂を抉るだろう。


 ゆえに、片手を使えないリスクを背負っても“魂”は《終末挽歌(ラメント)》として肉体と分離させておく他なかった。


「クライン——!」

「あああああああああああああっ!!」


 クラインは喉を振り絞った気勢と共に、超前傾姿勢へ。

 振り抜かれた剣を掻い潜りグレイギゼリアの懐に潜り込む!


 《終末挽歌(ラメント)》は目前、しかし、彼女の背後で闇色の光を乱反射する剣が逆手に持たれた。


「君の負けだ、クライン!」


 自らの接近戦の弱さを自覚していたグレイギゼリアは、避けられることを承知の上で策を巡らせていた。

 避けられた次こそが本命。あらかじめ持ち替えることを想定していた握りは速やかに刀身をクラインに向けた。


「——いいや、賭けは私の勝ちだよ」


 クラインが凶器的な笑顔を見せるや否や、《終末挽歌(ラメント)》を無視してグレイギゼリアの()()を掴んだ。


「な——」

「体への警戒が疎かだったよ……!」

「ちぃっ!」


 足を引かれたことで剣の軌道が揺れ、胸を穿つはずだった一撃はクラインの左腕を切り飛ばすにとどまった。

 溢れ出る鮮血を意に介さず、失血から飛びそうになる意識を唇を噛み切って耐える。

 身軽になったと笑うクラインは、グレイギゼリアの足の間をすり抜け背後を取った。


「本は取らせない……!」

「だから、疎かだって言ってるよ!!」


 追撃を警戒したグレイギゼリアの判断は正しく、しかし間違い。

 クラインは右の貫手をグレイギゼリアの胸へと全力で突き込んだ。


「がっ……!?」


 胸を貫かれた衝撃に体がよろける。すかさず肘まで捩じ込んだクラインは、腕を捻って血塗れの掌でグレイギゼリアの喉を握りしめた。


「君は、なにを狙って!?」

「信じてるよ、あなたがただでやられた訳がない。その星は、まだ輝いているんだろう!?」


 歯を食いしばり、両足を用いてグレイギゼリアを拘束する!


「『幻窮世界』に未来を、『幻窮世界』に未来を、『幻窮世界』に未来を——!!」

「なにを呟いている!? 今更、なにに縋る!?」

「縋ったんじゃない! ()()()()()宿()()()のさ!」


 五指をグレイギゼリアの喉へと食い込ませ、クラインは天へと向かって声を張り上げた。


「答えてくれ……オフェリアーーーーーーーーーッ!!」



◆◆◆



 オフェリア。

 一番初めにグレイギゼリアの毒牙にかかった使徒。最初の犠牲者である。

 だが、クラインの考えは違う。


 犠牲ではあるのだろう。だが、オフェリアが死んだのならば、彼女はきっと、いや必ず。自分の役目を果たして死んだのだと。


 ——クライン。流れ星って知ってるわよね?


 かつて、オフェリアはこう尋ねた。


 ——どこかの世界では、流れ星が消える前に三回願いを呟くとその願いが叶うって言われてるんだって! とっても素敵でしょう!?



◆◆◆



 クラインの声を聞き届けた一つの神秘が発露する。

 二人が組み合う遥か上空——星の瞬く高さから、流星に匹敵する極大のエネルギーが二人目掛けて降り注いだ。


「なぁっ……………!? 馬鹿な、アレは——!」

「私たちを殺し切る天体の一撃さ!」


 闇色の魄導の向こう側でなお鮮烈に輝く白の巨砲。

 間もなく大地に突き立つ絶滅の一撃。


 クラインの願いに応じて解放された、〈星宿〉オフェリアが遺した最後の攻撃である。


「クライン、君は!」

「今更気づいたのかい!? そう、私の役目は君をここに押さえつけることだ!!」

「最後の最後に、自爆を……!?」


 もがき暴れるグレイギゼリアにに対してクラインは決して逃さないと拘束を強める。


 全方位から降り注ぐ世界の破片は、揉み合い互いに態勢を入れ替える両者の全身を著しく削り取る。

 それでも、クラインは離さない。


「絶対に逃さないよ、グレイギゼリア……!!」

「なにをしているのかわかっているのか!? クライン、アレが降り注げば大氾濫(スタンピード)は壊滅する! 〈贋作〉の置き土産諸共だ!!」


 馬鹿な真似はやめろ、と。

 普段の飄々とした態度も軽薄な笑みも空虚な眼差しも、全てかなぐり捨ててグレイギゼリアは激昂する。


「滅亡惨禍はまだ終わっていない! アレが落ちれば、総数で勝る僕の軍勢が『幻窮世界』に届く! それは君の敗北だろう!?」


「〈贋作〉の奮闘はどうする!?」


 グレイギゼリアはらしくもない、情に訴えかける方策すら取った。


大氾濫(スタンピード)を押し留める役割を買って出たアレの願いを無駄にするのか!?」

「無駄じゃないさ! プリシラがギリギリで止めてくれたからこそこの方法を取れる! あの子が世界への被害をゼロにしていてくれたから、まだ、オフェリアの神秘が残っていたんだから!!」


ガラス状の空中床が崩壊してゆく。

 グレイギゼリアには確信があった。あの一撃だけは不味いと。星とは即ち世界だ。ゆえに、星を落とさんと願った女の最後の一撃は、天に輝く星を落とすに足る威力を有する。

 さらに言えば、オフェリアの力は神秘の失墜が不十分な時に残されたものだ。ともすれば、彼が方針転換を余儀なくされた〈祭日〉エイミーの炎すら上回るだろう。


 剥き出しの《終末挽歌(ラメント)》では、観魂眼を持たない攻撃であろうと耐えられる保証がなかった。


「君は、君の仲間の力で世界を終わらせるつもりか!?」


 しかし、クラインの右腕が胸を貫き喉を抑えている現状、《終末挽歌(ラメント)》を体内に戻すのは自殺行為も甚だしい。それこそ、光の巨砲より確実に敗北の未来が待っている。

 だからこそ、なんとしてでもクラインの凶行を止めねばならない。なのに——!


「いいやグレイギゼリア、『幻窮世界』は終わらない!」


 にも関わらず、クラインは一向に怯まない。


「確かに世界はその形を失うだろう。私たちが生きた場所は踏み潰されてなくなるだろう! だけど! 誰か一人でも生きながらえたのなら! シンシアが、生き延びたなら!! ——『幻窮世界』リプルレーゲンは、彼女の中で繋がっていく!!」

「正気なのかクライン!? たった一人を生かすために殺すのか!? 君の判断で、君の守りたいものを壊すのか!?」

「ああそうだとも! 私は弱く、君に勝てなかった! だけどねグレイギゼリア! それでも私は守りたいんだよ……!」


 身勝手な欲望だ。結局皆を救えないのなら、自分は英雄足り得なかったのだろうと思う。

 それでも、たとえそれがどうしようもなく醜いエゴなのだとしても。


「私は、シンシアを守りたい!」


 あの日、歌を聴いたあの瞬間から。

 クラインという人間は、どうしようもなくシンシアという少女のファンなのだから。


「私は英雄じゃない。私には全てを守ることなんてできなかった!! それでも、この手にあるものくらい……たった一つだけでも守りたいんだよ……!!」


 辛い苦しみを背負わせることになる。

 自惚れでないのなら、大きな悲しみを刻みつけることになる。

 後悔や、怒りも、憎悪だって……多くが彼女を苛むだろう。


「それでも、私はシンシアを信じている! 生きていれば、彼女の中に『幻窮世界』はあるから……! 未来は繋がる……!!」


 逃げ出そうと足掻くグレイギゼリアを、決して逃さないと拘束を強めた。

 魔物の大軍勢は大勢を殺すだろう。想像しただけで心が千々に裂けそうで、それでも決めたのだから、その罪は背負っていく。

 そして魔物であれば、少しばかり“かくれんぼ”が得意な少女は、魔物の目を欺ける()()()()()()


「グレイギゼリア! 君を殺せば、未来に可能性は残るのだから……!!」

()()、君たちは繋ぐのか……!?」

「ああそうさ! あの日できなかったことを! 今日こそ、私たちは可能性を繋ぐ!!」


 ごくわずかな細い糸であっても、希望は、繋がる。


「行け、オフェリア……!」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!?」


 その人生は、流星のように燃え盛る、願いを叶えるための道。祈りは必ず届くと信じた人生。

 彼女の“神名”は〈星宿〉。その力は〈星願宿命〉。


 親友の願いを叶えたいと身命を捧げ、その想いの力になりたいと願った人生の果て。


 〈星宿〉オフェリアは、友であるクラインがきっと願うと信じて——その願いをトリガーに解放される一撃を、死の間際に遺していた。


「貫けええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!」


 ——炸裂する。


 星を穿つ、天から突き立つ流星の一撃が白光に輝いた。


 闇色の魄導との拮抗は一瞬にも満たず、世界の破片諸共に光に呑み込まれた。


 クラインとグレイギゼリア、そして大氾濫(スタンピード)に容赦なく降り注ぐ極大の光線。


 触れたものを問答無用で消し飛ばし、熱線の余波すら大海を焼き払い魔物の一切を蒸発せしめる。


 クラインは末期の言葉を残す間も無くこの世から存在を飛ばされ、グレイギゼリアもまたなす術なく光に晒された。


 悲鳴を上げることすら許されない一撃は、世界を喰らうことのみに狂う魔物にすら本能を呼び起こし足を止めさせ、そして殲滅する。



◆◆◆



 潮騒の音が響いていた。

 激戦の傷跡だけを遺して、そこにいた生命は一つ残らず消え去った。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!? かっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…………う、ぐ…………!?」


 ——ただ一人、《終末挽歌(ラメント)》グレイギゼリアを除いて。


 滅びる世界の波打ち際でただ一人、打ち上げられた男は海水に全身を濡らし、傷口を膿み、それでも辛うじて生きていた。


 ほんの僅かな差だった。

 あとコンマ1秒、クラインの拘束が長ければ。

 あとほんの少し、彼女がグレイギゼリアに与えた傷が深ければ。


 それでも、全ては結果で語られる。

 グレイギゼリアはごく僅かな差で生き延びた。それがこの戦いの結末だった。


「……蒐集、してきたもの。殆どを、犠牲に……して、しまったな」


 簒奪の概念だけは辛うじて残した、というよりは自らに降り注ぐ熱を奪い続けたことで、()()()()()()()で済んだ。


 計画に必要だったものは生存のために殆ど手放してしまった。殆ど『スタートに戻る』ようなものであり、なおかつ魂は著しく損傷した。

 伽藍堂の胸から出現させた《終末挽歌(ラメント)》は黒く焦げ、(ページ)のほとんどは焼け落ちた。


「無限の、欠片は……! 諦め、る、しか……ない」


 計画にも修正が必要だ。

 数十年、数百年単位での膨大な修正が。


 活動再開にもしばらくの時間を要するだろう。万全を期すために、長期間の療養が急務だった。



 遠く、遠雷のように響く地鳴りの音。

 大氾濫(スタンピード)の後続が追いつく音だった。


 死人のようにぐったりとしたザマで、それでもグレイギゼリアは笑った。


「でも……僕の勝ちだよ、クライン。『幻窮世界』は、今日、滅びる」




◆◆◆




 ——それが、《英雄叙事(オラトリオ)》に記録されていた彼らの戦いの全てだった。


“これで記録は終わりやがりました、継承者”

「…………ああ」


 俺は小さく、ふう、と息を吐く。

 どうしてこの記録があるのか、時折流れた不可解な記録は誰のものなのか。わからないことはたくさんあった。


 それでも、今はただ一度。

 俺は目を閉じ、命をかけて未来を守ろうと戦った十二人の英雄たちの安寧を祈った。


「イルル。お前は、俺にしか伝えることができないって言ったよな」

“はい。確かに私はそう言いやがりました”

「俺にできるのは、彼女を守ることだけだ。彼女が涙を止めるまで、守り続けることだけだ」


 だって。


「だって、『幻窮世界』はここにあるんだから」

“…………”

「行こう、希望を繋ぎに。今度は、俺の番だ」

滅亡惨禍、これにて終結です。

物語は繋いだ未来へと戻ります。

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