形無き継承戦線
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グレイギゼリアによる突然の自傷行為。
自ら喉を切り裂いた男の行動に、四人に衝撃と混乱が訪れる。
だが、依然身を圧殺するようなプレッシャーに包まれる中、気を抜いていい瞬間など僅かばかりもなかった。
「『精神領域拡大——!』」
いの一番に動き出したのはクライン。
グレイギゼリアが世界を上書きした今、一度でも解放すればクラインの神秘はその性質上、使った時点で消滅が確定する。
それでも彼女はこの瞬間、自分の切り札を躊躇なく切った。
「もう遅いよ」
しかし、グレイギゼリアはクラインの判断を遅いと断じた……ハーヴィーの背後から。
「テメ、いつ——!?」
「常に、というのが正しいだろうね」
一閃。
ガラスのような世界の破片をもって、グレイギゼリアはハーヴィーを首を切り飛ばす。
宙を舞う生首。舞い散るのは、血液ではなくガラス片だった。
「これは……」
「そっちは贋作よ!」
「へえ?」
グレイギゼリアが向けた視線の先で、ハーヴィーの〈駒鳥の空〉を用いて空中に離脱したプリシラが思いきり中指を立てた。
ハーヴィーの姿をした人形は意趣返しのようにガラス片を散らしながら砕けていく。
見た目や声に留まらず、肉質や体温、心音までをも再現するプリシラの神秘に、グレイギゼリアは言い訳のしようもなく騙された。
「真贋わかんないとか、美的センス皆無なんじゃないの!?」
「精一杯の虚勢だね、74番」
「虚勢かどうかはお前が死んだ時にわかるわよ!」
空中、足場を捨てた四人が切り札を切ったクラインをグレイギゼリアの正面に置いて取り囲む。
〈浮世〉ヤウラスが最後に残した足場の限界が訪れる前に、5人はすぐさま空中機動戦へ移行した。
「長くは保たねえぞ! 俺が枯れてぶっ倒れるまでに殺しきれ!」
自身の限界を悟った〈駒鳥〉ハーヴィーは、命も魂も燃焼させて神秘の発露に全てを注ぎ込む。
翼持たぬ者たちの空中戦。
ハーヴィーが思い描いた自由な空とはかけ離れた景色であっても、人に翼を授け、その背を押す。
それは〈駒鳥〉が望んだ生き方だった。
「果たしてそう上手く行くかな?」
試すように嗤うグレイギゼリアがわざとらしく下を見る。
「〈災禍〉が生み出した時間を君たちは無駄にした。下を見るといい。大氾濫はもう間もなく『幻窮世界を』飲み込む」
世界の破片が散らばる闇色の海で、グレイギゼリアは胸の前に《終末挽歌》を浮かべ、その瞬間を蒐集しようと目論む。
「なにが言いたいんだよクソ野郎」
ティルティエッタの怒声に、男は「さあ?」と肩をすくめた。
「間に合うと思うかい? 君たちが僕を殺し切るのに、一体あとどれくらいかかるのか……君たちは想像できるかな?」
嘲る意思はない。貶む目的もない。
グレイギゼリアはただ純粋に、ここからの逆転など決して不可能だと言っていた。
「ただでさえ、君たちは神秘を失い弱体化した。万全に近い状態ですら僕の命に届かなかったというのに、ね」
——不可能なのに、どうしてまだ足掻いているのか?
「——そんなの、他人に人生決められるのが我慢できないからに決まってるでしょうが!」
その声は、グレイギゼリアたちの足下、遥か下方から。
進軍を再開した魔物の軍勢の正面から凛と響いた。
「アタシたちの人生を、死に方を! 全て思い通りにできると思い上がってんじゃないわよ!」
声の主は秘纏十二使徒、〈贋作〉プリシラ。
「なぜ、君がそこに?」
グレイギゼリアの表情に疑問が浮かぶ。
自分を取り囲むように広がる四人の中にいるプリシラが、何故か下方の、大氾濫の前に立ち塞がっている。
「……そうか。こっちが贋作か」
騙された、と。
グレイギゼリアは即座に自分の失態を悟る。
「〈駒鳥〉が偽物だった時点で気づくべきだった」
「なら、もう少し気づくべきだったっしょ」
「詰めが甘いぞクソ野郎!」
だが、それすらも見込みが甘いと使徒たちは笑う。
崩壊するプリシラの人形。それに合わせて、ハーヴィーとティルティエッタも同様にガラス片へと分解された。
彼らの本体は当然、大氾濫に立ち塞がるプリシラの両脇に。
「クライン一人を残して——?」
理解の及ばない行動にグレイギゼリアの動きが止まった。闇色の瞳は、空虚の中に渦巻く困惑を隠せなかった。
「死ぬ気かい? クライン、君一人で僕を止めると?」
それは愚策だろうとグレイギゼリアは落胆する。
「悲しいね。かつての友が愚かな選択をする瞬間を見るというのは」
「冗談も大概にしなよ、グレイギゼリア。死ぬ気なんて、私はこれっぽっちもない」
空中に立つその姿は、クライン本人が言うとおり堂々としていた。到底、自殺志願者のそれではない。
「私はね、君を殺す気でここにいるのさ」
「僕を真正面から倒すつもりかい?」
「さっきから、私はずっとそう言っている! ——『心殿顕現』!!」
詠唱の刹那、クラインのオーロラの双眸が激しく渦巻く。
遍く魂を観測する最上級かつ希少な魔眼——観魂眼。クラインは自らの魂を観測し、理解し、そして拡張する。
その瞳は、自らの魂をもって、直接世界を塗り替える——!
「グレイギゼリア、君には永劫わからないことだ」
廻し、認め、塗り替える。
魂の拡張をもって擬似的な世界を生み出す〈王冠の瞳〉。見据えるのは、未来。
「私たちは今日、可能性を繋ぎに来た。それが人の営みだと教えてくれた英雄がいた——そうだろう、アルト!」
「…………そうか」
クラインの口から脈絡なく飛び出した一人の英雄の名前。グレイギゼリアは目の前のクラインを透かしてその奥に虚像を見た。
「やはり、僕の物語には君が立ちはだかるらしいね。——《英雄叙事》」
彼女の神秘は、言うなれば自己の変革。
魔眼と神秘、世界に愛され恵まれた二つの力をもって、〈王冠〉クラインは自己の魂という限られた領域の内側で、限定的な世界の創造に挑む。
「いいや、グレイギゼリア。今、君の前にいるのは《英雄叙事》じゃない。未来に名を残せない脇役で、それでも英雄に憧れた愚かな女だ!」
拡大するクラインの魂は既に一帯へ浸潤している。
グレイギゼリアの魄導と砕けた世界の破片が満たす領域を内側から押し除けるように広がるそれは、〈王冠〉クライン最大にして最後の抵抗である。
「『——形無き継承戦線』」
静かな宣誓と共に、クラインは自らの胸を中心に一つの世界を生み出した。
「これは……」
その憧憬は円形闘技場。
戦士が互いに命をかけて鎬を削り、取り囲む観客の熱狂にさらなる薪をくべる世界。
本来であれば相乗効果のように互いを焚き付ける場所。しかし、クラインの憧憬は壊れていた。
「……随分と寂れているね」
グレイギゼリアが見渡す世界。砕けた破片が舞い散り、周囲を覆うのは自身の魄導。
そして、彼が立つのは寂れたコロッセオの中心だった。
全三階、円筒形の設計を施された“見世物”のための舞台。しかし、そこに観客は一人としていない。
グレイギゼリアと〈王冠〉クラインの戦いを見届ける者はここにはいない。
「クライン、これが君の墓標でいいのかい?」
「——いい加減、その芝居がかった口調をやめなさい」
「…………」
「この世界は外とは切り離されている。君と私以外に関知する者はいないんだよ」
クラインの提案にグレイギゼリアは閉口。
僅かに目を伏せ、そして静かに前髪をかき上げた。
「効率的に感情を掻き立てるには、そっちの方が都合が良かったんだが……」
どす黒く。
憎悪と怨嗟の籠った声が響く。吹き荒れる闇色の魄導が、真実の感情であるかのように、グレイギゼリアが発した声は恐怖を掻き立てる。
「確かに、旧友の前では無駄な演技だった。それで……この世界が君の墓場でいいのか? クライン」
「いいや、ここはグレイギゼリア、君の墓場だ。——シンシアの元へは行かせない」
「………へえ」
クラインの口から出た一人の少女の名前に、グレイギゼリアは今日初めてクラインへ感心の声を漏らした。
「気づいていたのか」
「彼女の右目に“無限の欠片”があることくらいとっくに知っていたさ。そして、君がティアを掌握するために“無限の欠片”を欲していたことも!」
「………ふうん」
クラインの発言は、真実、グレイギゼリアの狙いだった。彼の目的、星の新生こために必要不可欠なピースの一つ。
自分の狙いが悉く看破されたことに、グレイギゼリアは苛立ちではなく興味を抱く。
「…………やはり《英雄叙事》か。不思議なものだ。僕が“無限の欠片”に執着し始めたのはほんの数百年前の話だ。にも関わらず《英雄叙事》は……アルトは三千年前のあの日から既にこのことを予見していた……いや、僕の将来的な行動指針を知っていた?」
奇妙な感覚だ、とグレイギゼリアは首を捻る。
思考に周囲へなんとなく視線を飛ばし——
「なるほど。僕を葬るというのはただの方便ではないのか」
「当たり前だろう……!」
本来なら闘技場の観客席に当たる場所には、半透明の肉体を得た無数の騎士たちが弓を構えていた。
同じ鎧を身にまとい、腰に直剣を下げ。
左腕で弓を持ち、右手でギリギリと音を立てて弦を引く。その数、およそ五万。
目元をくり抜いたフルフェイスの兜の隙間から色素のない瞳でグレイギゼリアに狙いを定める彼らこそ、クラインの“観魂眼”によって彼女の魂の内側に生成された『擬似魂魄』。
この領域内において、ここには存在しない王を護るために身命を捧げる『幻剣騎士団』である。
「名前はない。形もない。あるのはただ、“姫”に捧げる私の忠誠ただ一つ! ここにあるのは、グレイギゼリア。お前を殺しきるための……未来に希望を繋ぐための最前線だ!!」
「——未来は、決して君のものではない。この星の行く末に至るのは僕……《終末挽歌》ただ一人だ」
とうの昔に、二人が交わることは決してないことなど決まっていた。
悲劇の閲覧者と願いの継承者。互いの想いは決して交わらず、ゆえに、激突は必至だった。
「放て——————!!!」
クラインの号令一喝、コロッセオ全周から万の剛弓がグレイギゼリアへと殺到——未来を分かつ、分岐点の戦いが始まった。
◆◆◆
そして、ここにもひとつ。
未来を左右する戦いがある。
「あーあ。結局なんにもなせないままに死ぬのね、アタシ」
「プリシラは十分残したっしょ」
「そうだぜ。あんま自分のこと卑下すんなよ!」
「アンタら二人に言われても嫌味でしかないわよ!!」
脇目も振らず『幻窮世界』リプルレーゲンを目指す魔物の大軍勢、その前に立つのは三人の使徒。
「歴代最高のシェフ(自作レシピ多数)と遊園地のオーナーとか! 当てつけか!? 当てつけよね!? なんでよりによって生き残ったのがアンタらなのよ!?」
〈駒鳥〉ハーヴィー。
〈猟犬〉ティルティエッタ。
〈贋作〉プリシラ。
ハーヴィーは神秘の大部分を消失し、ティルティエッタに至っては既に抜け殻。唯一単独で戦うことができるのはプリシラのみだ。
彼女の能力は性質上、対多数に向いているが度が過ぎれば物量差で押し切られる。
「ねえ……ほんと、なんで生き残っちゃったのよ」
「「…………」」
プリシラの縋るような声に、二人は答えない。
「なんでアタシは……偽物を作るために、本物を犠牲にしなくちゃいけないの?」
物量差を少しでも減らすには、プリシラが神秘で贋作を生み出すまでの時間を稼ぐ誰かが必要だ。
つまるところ、ハーヴィーとティルティエッタは肉壁になるためにここにいる。
唯一、大氾濫と拮抗できる可能性を残しているプリシラに時間を与えるために。
「なんで、偽物のアタシなんかが、最後まで生き残ってんのよ」
「…………時間ないし、一度しか言わないっしょ」
身を震わせるプリシラに、ティルティエッタは背中を向けたまま語る。
「まず一つ、私らは犠牲じゃない。私らは、偽物のための素材じゃない。私たちの、プリシラの言う本物は……ちゃんと繋がっていく」
「そうだぜプリシラ。俺らが死んでも、俺らが生きた証はちゃんと残る。残すやつが、今、頑張ってくれてんだろ?」
「…………」
その少女はきっと、今もなお無力を噛み締めながら戦っているのだろう、と。
それは、プリシラにも理解できた。
「そしてもう一つ。プリシラ、あんたは全然、贋作なんかじゃないっしょ。死ぬ前くらい、少しくらい自分に甘くしてもいいっしょ?」
最後の贅沢なんだから、と。
ティルティエッタは、自然と歩き出す。ハーヴィーもそれに続く。
「雑魚なりに時間稼いでやるっしょ。だから……じゃあね、プリシラ」
「来世ってもんがあるなら、また会おうぜ」
まるで気負わず、二人は、プリシラに託すことが最善であることを一つも疑わずに死ににいく。
◆◆◆
「ほーんと堅物っしょ」
「まあそれがあいつのいいところだからな。ストイックだし」
「そりゃそうだけど……ったく。一番最初にクラインに託して、一番最初に腹括って魔物の群れに立ち塞がって……そんなことできる奴が、贋作なんかなわけないっしょ!」
「なっはっは! 違えねえ! ——アイツは、立派な使徒だよ。俺らの誇りだ」
接敵まで、あと8秒。
ティルティエッタは、静かに指の関節を鳴らした。
五指を曲げ、鉤爪のように引き絞る。
ハーヴィーも最後の力を振り絞って神秘を呼び出した。
「それじゃ……精々暴れるっしょ!!
「どでけえ花火打ち上げて、エイミーたちにも届かせようぜ!」
◆◆◆
稼げる時間なんて、ものの数秒だ。
神秘のない凡人二人、竜と戦えば塵芥。
それでも、時間を稼ぐと言ったのだから。
尊敬する本物たちが、自分を信じると言ってくれたのだから。
「その本物の期待に応えられないで! 石ころみたいに死ぬのは……嫌よ!!」
プリシラは願う。
偽物のまま終わってもいい。もう、自分は何も得られなくていい。
——だから、だからせめて、本物たちの願いくらい叶えなさいよ。
いつも読んでいただきありがとうございます。




