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【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)  作者: 銀髪卿
第八章 目覚めを叫ぶ英雄戦歌
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滅亡惨禍② / 複製体『No.74』

「プリシラ。お前さんこれで良かったんか?」

「良いわけないわよ! 毎分毎秒後悔しっぱなし! あーイラつく!」


 民宿〈浮世〉の中庭。

 本来、枯山水が静けさを彩ることで穏やかな時間が流れるはずの中庭は〈贋作〉プリシラの絶叫で見事に台無しにされていた。

 燻んだ金髪のボブカットに化粧要らずの艶のある肌。強気な眼力とそれを引き立たせる鼻梁と唇の整った形象も、ブチギレてしまってはその怒りの丈を他者に伝えるだけのツールになってしまっていた。


「落ち着きや。そんなに顔を顰めたらせっかくの美人が台無しや」

「うっさい! アルジェは黙ってなさいよ!」

「ひー、おっかないなあ」


 問いかけた〈門番〉アルジェは、頭を抱えて叫ぶプリシラを見てやれやれと首を振った。


「なんで()()()見栄を張ったんや?」

「見栄のつもりじゃなかったのよ! あの時はこう……やるべき! って、なんか正義感出しちゃったの! あーもう何やってんのよちょっと前のアタシ!?」

「まーまー、深呼吸しいや。ヤウラスが茶ぁ汲んでくれたで」

「あ゙ん゙!」


 差し出された湯呑みを乱暴に掴み取って一気飲み。

 想定内だったのか、〈浮世〉ヤウラスは事前に冷ました茶を提供していた。


「もう、今日は一段と荒れてるねえ」


 割烹着を着たヤウラスはおっとりとした雰囲気を醸しながら右手を頬に当てて困ったように首を傾げた。

 普段からキレっぽいプリシラだが、今日はこれまでの比ではない。


 プリシラが荒れている理由は明白だった。

 〈王冠〉クラインによって告げられた、後世では“滅亡惨禍(めつぼうさんか)”と呼ばれる未曾有の大氾濫(スタンピード)の発生。それに伴う、彼女からの事実上の死刑宣告。

 プリシラの怒りは、共に戦って死んでくれという心中の願いに間髪入れずに同意してしまった己の行動の浅慮さに起因する。


「あーもう! ムカムカするぅ……とゆーか! なんでアンタら二人はそんなに落ち着いてんのよ!?」


 プリシラの怒りの矛先は、平然とした態度で自分を宥めようとするアルジェとヤウラスにも向かう。


「死ねって言われたのよ!? なんで平然と受け入れてんのよ!?」

「なんでもなにも、“神名”名乗った時点で覚悟してたからやなあ」

「いずれこんな日が来るかもとは思っていましたからね」

「心構えと現実は全く別でしょうが! おかわり!!」

「はい、どうぞ。……命以上に、守りたいものがあるんですよ」


 叫び散らして喉が渇いたプリシラの要望にきちんと応えたヤウラスは、湯呑みを手渡しながら自分の胸中を語る。


「使徒として、神秘に愛されたものとして生きてきました。人より長く生き、人より多くを見聞きし、人より多く、見送ってきました。そうですね……私はもう、およそ未練というものとは縁遠いのかもしれません」


 浅葱色の瞳が理知的に輝く。

 “神名”を名乗った34歳の頃から変わらぬ容姿、衰えぬ肉体。しかし、心は確かに変容する。


「なればこそ。私は〈浮世〉の名にかけて、この儚き現世を守る為に命を散らすことになんの躊躇いもないんです」


 そうしてヤウラスは淡く微笑む。生への執着が希薄なヤウラスの表情は、より一層プリシラの神経を逆撫でした。


「何よそれ、全っ然意味わかんないわよ! それ、要するに生きるのに疲れたって事じゃないの!? ねえ、アルジェはどうなのよ!?」

「〈門番〉の責務を果たす。それ以外に理由なんか要らへんやろ」

「話になんない! 論外!!」


 話が通じない。理解できない。覚悟だ、使命だ。どいつもこいつも自分以外の為に躍起になって、偽善者め。揃いも揃って自殺志願者なんじゃないか。

 苛立つプリシラの思考は仲間の悪口を躊躇いなく濫造し、そんな思考が浮かぶ自分への嫌悪を加速させる。


「アンタ達なんでそんな簡単に決めれちゃうのよ!? 死んだら、なんにもなんないのよ!? なんにも残んないのよ!?」


 完全な悪循環にプリシラは顔を歪め、大黒柱へ乱暴に背を預けた。


「……アタシは、そんなの絶対に嫌よ」


 ずるずると背を滑らせて尻餅をつき、両手でかき上げた前髪をくしゃりと掴んだ。腕に隠れて表情は見えなかったが、声なき哀哭に歪んでいることは想像に難くなかった。


「アタシは、“贋作”のまま死にたくない……!」



◆◆◆



 ——自身が人造人間(ホムンクルス)だと知ったのは、プリシラが15歳の時だった。

 既に滅び去った世界の育成実験。一人の人間の一生を()()()()()()()()()()()複製体(クローン)を使って再現した時、果たしてそれは同じ成長を辿るのか?


 効率的に優秀な兵士を増産しようと始まり、後に“魔眼の複製”へと発展し凍結される研究の大元。プリシラは裏で『No.74』という個体名を与えられ、アンジーというオリジナルと同じ名前で育てられた。


 金級冒険者クラスの実力を有していた人族のクローン。実験が成功すれば、かの世界は“力の再現性”を獲得できる算段。

 人生の追体験という形ゆえに発生する十年単位の時間というコストすら気にならない合理的な兵士の育成論だと、当時はおおいに期待を寄せられた。


 ——『No.74』と呼んでいた、彼らが実験動物(モルモット)だと侮っていた一人の複製体(クローン)に一つの研究所を破壊されるまでは。



 何気ないきっかけだった。

 彼女の親役を務めていた研究員が情報管理を怠ったのだ。つまるところ人為的ミスだ。

 『No.74』は幸か不幸か、自分がただの複製体である事と、両親は欠片も血の繋がりのない整形した他人であることを知った。


「……そう。全部、“偽物”だったんだ」


 その瞬間、『No.74』は自分の人生全てが誰かの焼き直しであることを知った。自分の()()の内側は空っぽの伽藍洞、意味などなかったと悟った。


「私に価値なんてなかった。贋作だったんだ……っ、ぅぷ……!?」


 気づいたその時、『No.74』はその場にうずくまり盛大に吐き散らした。


「おぇ……っ、っは、はぁっ、はぁっ、ぁ……っぷ……!」


 空っぽの自分から出ていく、僅かばかりの欠片たち。誰かの人生の残滓が心底気持ち悪くて、殺したいほど憎くなって、胃の中身が何もなくなっても“空”を吐いた。


 嘔吐(えず)く度に、無理やり埋め込まれたおぞましい他人の存在を自分の中から消し去れるような気がして。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……………るい」


 吐瀉物に濡れた手でそばにあった机のへりを掴む。生まれてからずっと食事をとってきた机が上げる悲鳴など歯牙にもかけず、そのまま、忌まわしい恵まれた遺伝子の膂力でへりを握り潰した。


「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……ッ!!」


 気がつけば、(うた)っていた


「『薪はなく 狂いの暖炉 贄をここに 』」


 燃えてしまえ。焼け落ちてしまえ。

 この記憶も、触れられた肌も、偽りの名前も、この怒りごと全て。

 ——全て、空っぽの自分ごとなくなってしまえと願った。


「『燃やし尽くせ——落炎(らくえん)の喝采に汝の灰を!』」


 その日、黒い炎が一つの研究所を消し炭にした。




 その日は午後から雨が降っていた。

 『No.74』が引き起こした大火災は自然の循環によって間もなく鎮火したが、凄まじい猛火は雨が降るまでの34分で街に偽装していた中規模研究所を丸ごと焼き払った。


 人も建物も分け隔てなく焼かれた跡の異臭は酷いもので、立ち入る生命は一人を除いていなかった。

 降り積もった灰に雨が染み込み、真っ黒に汚染された大地。誰が見ても街があったとは思えない中心に、『No.74』は一糸纏わぬ姿で灰に埋もれながら黒雲を見上げていた。瞳に雨粒が当たるのも気にせず、じっと。


「——驚いた。まさかこんなところで神秘に愛されている子が見つかるなんて」


 そんな『No.74』の視界に影が差す。


「こんなところで寝ていたら風邪を引くよ?」


 新緑色の髪を無造作に束ねた白衣姿の女、〈王冠〉クラインはハート型のサングラスを持ち上げて『No.74』をじっと観察した。


「ふんふんなるほど……君、被験体だったんだね」


 オーロラ色の瞳は何もかもを見透かしたようで、そもそも反論する気はなかったが、それでも『No.74』は多少の不快感を覚えた。


「研究員がポロッとこぼしちゃったか、資料の整理が甘かったか……あ、反応的に後者だね。なるほど、それでカッとなって壊しちゃったと。それで、今はやる気をなくして死を待つばかり……ってところかな?」


 まるで見てきたかのように知った風な口をきくクラインに苛立ちを募らせる。だが彼女の言葉は真実であり、『No.74』は口を噤む。

 どうせあと少し、あと少しで死ねるのだから。他人が何を言ってもどうでも良いと目を逸らした。


「うーん、勿体無いと思うよ?」


 挑発的な言葉だ、と。少なくとも『No.74』は感じた。

 そんな彼女の思考を知ってか知らずか、クラインはズケズケと空っぽの心の中に土足で踏み込んでいく。


「だってここで死んだら君は本当に空っぽだ。勿体無いよ、本当に。今終わったら、君が初めて君として感じた怒りも、諦観も、私への苛立ちも、全てが何もなくなってしまう。研究者たちは『ああ失敗した』と紙の上にバツ印だけ付けて次の君を作ろうとするだろう。——そう、君が怒った“空っぽの君”が歴史の真実になってしまう。それは、とても勿体無いだろう?」

「……っ」


 挙句、空っぽの中に一つだけ残っていた燻りを握りしめた。

 無意識に歯を食いしばった『No.74』に向かって、クラインは右手を伸ばして笑いかける。


「生きたいならこの手を取るといい。 まだ、偽物では終わりたくないんだろう?」

「………………()()()は」


 かつての代名詞を捨てたその時点で、『No.74』は死んだ。

 そこにいたのは名もなき赤子。

 クラインへ手を伸ばしたのは、今この瞬間に生まれた自分を知らない新たな命だった。


「アタシは、偽物で終わりたくないわ……!」


 水を吸った灰に塗れた手で、泥の中から這い出るようにクラインの手を取って立ち上がった。

 世界への憎悪に満ちた、だがそれでも芯の輝きを失わない少女の眼差しにクラインは満足げに頷いた。


「うん。君は……そうだね。いつまでも名前がないのは不便だね。希望はあるかい?」

「誰とも被らない名前がいいわ。誰かの代わりは、もう嫌よ」

「よし。それじゃあ……そうだね。“プリシラ”にしよう。私が知る限り、誰とも被ってないからね」


 プリシラの人生は、この時から始まった。



◆◆◆



 ——つまるところ、研究者は生命の本質を見誤っていた。

 遺伝子は肉体を構成する上で重要な要素ではあるが、本質は肉体ではなく“魂”にある。魔力も、闘気も。その原型たる魄導(はくどう)も、魂を源泉にしているのだから。

 肉体的な一致は決して同一人物足り得ず、どれだけ外側を似せたところで本質は揃えようがないのだ。



 プリシラは化粧を嫌い、髪を染めた。

 口調も口癖も、趣味も食の好みも変えた。自分という個を侵食するように覆い被さっていた“アンジー”の存在を根本から否定するように。


「……嫌よ。アタシはまだ死ねない。アタシ、まだ何も成し遂げてないじゃない」


 それでも、プリシラの心の空洞は埋まらなかった。

 大黒柱に背を預けて蚊の鳴くような声を絞り出す姿はひどく小さく見えた。


 プリシラは空っぽな自分が嫌いだ。尊大な態度も、悪口も、全ては伽藍洞の自分を覆い隠す虚勢だから。

 使徒としての“神名”に〈贋作〉を選んだのは、未だ自分が変われていないことへの、自分自身への皮肉。

 得意とする神秘も、当てつけかよと何度も呪った。


「アタシ自身は、どこにいるのよ」


 宝石の加工が嫌いだ。原石を切り出し、見知った形へと整形する過程に吐き気がする。

 近代化という単語が嫌いだ。技術の進歩は大量生産へと舵を切る一歩。個性を殺す、同じものばかりが生まれる機構に虫唾が走る。


 なによりもおぞましいのは、プリシラ自身の才能がそっちへ偏っていたことだった。

 自分を見つけるためになんでもやった。その結果、彼女の功績として認められたのは宝石加工の腕と紡績産業の技術革新、その二つ。


 ——ああ、なんて皮肉だろうか。コピーとして生み出された自分もまた、個性を削ることを得手とするなんて。


 使徒になろうが、“神名”を名乗ろうが。

 プリシラはまだ、自分があの日唾棄した自分のままであることを忌避している。なにより、変われないことを恐れている。


「ここで死んだら、アタシはどこにもいないじゃない……!」

「なら、辞めるんか?」


 俯くプリシラに、〈門番〉アルジェは静かに問いかける。


「死ね言われてはいわかりました、なんて言える奴そうそうおらへん。一般的に見ればそりゃ俺らの方が異端や。意見翻して辞めます言うても、誰もお前を責めへん」

「それがプリシラ自身の選択なら、みんな納得してくれますよ」


 アルジェとヤウラスの言葉に、小さく鼻を啜る音が響いた。


「……それは、嫌よ」


 否定する。


「ここで逃げたら、アタシ、本当になにも無くなっちゃう」


 どれだけ死ぬのが怖くても、逃げるという選択だけは取れないとプリシラは歯を食いしばる。


「ここで逃げたら、後悔する。みんなが頑張って世界を守ったら、『ああ、アタシやっぱり偽物なんだ』って不貞腐れるし、守れなかったら、一緒に行かなかったこと後悔する」

「難儀な性格やなあ」

「だから行くわ。死んだら『行かなきゃ良かった』って後悔するけど、勝てば後悔しない。少しでも確率高い方に行くわ」


 消去法で死地に飛び込む道を選んだプリシラの選択に、アルジェもヤウラスも否定の言葉を言わなかった。


「ほな、一緒に頑張ろか。あとなプリシラ」


 顔を上げた同僚に、アルジェは一言だけ付け足した。


「俺らは全員、お前のこと偽物やと思ってへんからな」

「……。慰めなんかいらないわよ」

「素直じゃない奴やなあ」


 ——それは、魔物が到達する一週間前の出来事だった。



◆◆◆



 そこにいたのはただの人間だった。

 十二人の守護者であっても、超抜的な力を持っていても、そこで生きていたたった一人の人間だった。


「継承者、貴方は知る必要がありやがります」


 新たな景色へと移り変わりゆく最中、イルルは俺の隣で独り言のように言葉をこぼした。


「シンシア・エナ・クランフォールが知らなかった願いを。彼女では決して見ることができなかった彼らの選択を。彼女の絶望の裏にあった物語を」

「…………」

「彼女にきっかけを与えることができるのは、今、世界でたった一人、貴方しかいやがりません。さあ——」


 景色は変わり、偽りの夜空に。

 〈王冠〉クラインと〈星宿〉オフェリアは、閉園した遊園地のステージの前に立つ。

 俺たちは、舞台の上からそれを見る。


「継承者、今こそ《英雄叙事(オラトリオ)》の本懐を。死に絶えるはずだった物語たちを、今日という日に掬い上げやがってください」

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― 新着の感想 ―
シンシアに皆の思いが届いて欲しい。エトくんファイトや!
プリシラさん、そんな秘密があったのですね。
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