幻窮回帰行⑤
——エルリックが輪廻の記憶を持ち越しているかもしれない。
そんな俺の疑念は、しかし、続く21回目の輪廻では解決することができなかった。
誤魔化しているのか、それとも俺の勘違いだったのかは未だわからないが、少なくとも現状ではあの瞬間以外でエルリックはそれらしい側面を見せなかった。
「警戒されてるって考えといても良いのかもな」
とは言いつつも、露骨に距離を取って観察したり、逆に極端な接触を図るリスクは大きい。
彼が記憶を持ち越しているだけならまだしも、最悪、この輪廻の原因となる何かしらに関わっている可能性がある。
そうした場合、対策を取られて俺の記憶の持ち越しを邪魔されたり、或いは他の方法で妨害を受ける危険が——
「……いや、それはないか」
そこまで考えて、すぐに自分で否定した。
エルリックが記憶を有していて、なおかつ関係者だった場合。ほぼ間違いなく早期に俺が記憶を持ち越していることに気づいているはずだ。
対策を取られていない時点で、状況はまだ気づかれていないか、それとも対策を取る意味がないのか、その三択に絞られる。
ちなみに、個人的には既に気づかれているという線が強いと思っている。というのも、この半年間の輪廻で俺は自分が記憶を持ち越していることを隠す素振りをほとんど見せていない。
よって、相手がよほどの間抜けでもない限り、この輪廻を引き起こした元凶が気づいていないという可能性はあってないようなものだ。
「注意しつつも、現状の打破に努めるしかないな」
考慮すべき事柄がひとつ増えただけで、やることは変わらない。
だからこそ。
俺の懸念、或いは疑念と言うべきか。目下の疑問はとある一年間の休暇に絞られた。
「うげ、なんだアレ」
「あの建物だけすごい浮いてるね」
顔を顰める紅蓮と珍しく苦笑いのエステラ。
ごく一般的な、特筆することのない商店街の一画に鎮座するのは、宝石店をハート型まみれにしたような店構え。
もうその一点だけでこの寂れた商店街
ショーケース(もちろんこれにもハートの意匠)の中に鎮座する、どれもこれもハート型を基礎にした小物の数々。
値札の“0”すらハートにする徹底っぷりは、最早お茶目を通り越して悪趣味ですらある。
二人の視線の先にあるものこそ、〈王冠〉の小物屋。
何を隠そう、自らの足で十三使徒を集め、秘纏十二使徒という絶対の戦力を率いた〈王冠〉クラインの副業である。
「ここの区画の名物ですからね!」
そしてどの輪廻でも必ず、エルリックはここを一番誇らしそうに紹介する。
しかし——
「なあ案内人。ここ、店番はいないのか?」
紅蓮が指差した店内には人の姿はなく、明かりこそついているが店が営業しているような様子は一切なかった。
「流石に不用心じゃねえか? これじゃ泥棒入り放題だろ?」
「……」
店番関係なく盗みに入れるお前が言うのか? とでも言いたげなエステラの視線を受ける紅蓮の疑問に、エルリックはしっかり反論する。
「いえいえ! 店番ならちゃんといらっしゃいますよ! ですよね、ゲコ吉さん!」
「「ゲコ吉……?」」
エルリックの呼びかけと紅蓮、エステラ両名の疑問符。
「——そうだにょ。ちゃんとミーが店番しているにょ」
そんな三人に、ショーケースの上に置かれていたカエルのぬいぐるみが独特の語尾と共に返事をした。
「お初にお目にかかるにょ。ミーが店番のゲコ吉だにょ」
「「ええ……?」」
絶句する二人の姿は正に輪廻が始まった頃の俺と瓜二つだと、俺は一歩引いた場所から奇妙な感慨を覚えて頷いた。
「クライン様の留守を任されているゲコ吉だにょ。吸血鬼とハーフエルフとは、これまた珍しい組み合わせだにょ」
「な、なんだコイツ!?」
「生き物、ではないね……?」
「然り。ミーはクライン様によって仮初の命を吹き込まれた元ぬいぐるみ、現店番だにょ」
十三使徒を集めた〈王冠〉クラインは、その双眸に極めて稀少な魔眼である“観魂眼”を宿していた。
恐るべきはその魔眼に対する彼女の造詣の深さ、そして圧倒的な才能による暴力的なまでの拡張性。
クラインはその瞳で擬似的な魂すらも創造した。
その結果生まれたのが目の前の動くぬいぐるみ、ゲコ吉である。
ゲコ吉は誇らしそうに胸を張った。
「二人はお客様だにょ? いらっしゃいませようこそ〈王冠〉の小物屋へ」
「「あ、どうも」」
「どれもお手頃価格なハンドメイドですにょ。お土産におすすめですにょ」
「「ご丁寧に……」」
「気にするなですにょ。仕事ですにょで」
ゲコ吉の独特な語尾にツッコミを入れる間もなく、二人は歓待の言葉に素直に会釈を返した。
「こういうとこ律儀なんだよなあの二人」
彼らは自分を侵略者だと言った。この世界を壊すとも言った。だが、彼らには世界に対する敬意がある。
断言できる。二十回を超える輪廻、半年に迫るやり直しの毎日。悪人であっても外道だとしても、彼らは確かに、敬意を持って世界に接している。
もしかしたら、俺よりも。
俺はかつて五回ほど、世界の存亡を賭けた戦いに出た。
一度目はリステルで。のちに《終末挽歌》によって仕組まれたものだと判明した小世界ラドバネラとの全面戦争。
二度目は『湖畔世界』フォーラルの大氾濫。
三度目は『魔剣世界』
四度目は『極星世界』ポラリスでの繁殖の竜の“繁殖期”。
五度目は『悠久世界』エヴァーグリーンと『海淵世界』アトランティスの全面戦争。
「改めて羅列すると気が滅入るな」
こうしてみるとかなりの頻度で死の危機に瀕しているし、半分以上に《終末挽歌》が関与していることがあいつへの苛立ちを加速させるが今は蛇足になるので無視。
『悠久世界』に関してだけは事情が違ったが、他は全て、ただ本能の赴くままに蹂躙をしている——そんな感じだった。
少なくとも俺の視点では世界に対する感情など欠片も持ち合わせていないように見えた。
だが紅蓮たちは違う。
紅蓮の故郷だからという理由もあるのだろうが、きっとそれだけじゃない。
『魔剣世界』ではエステラが手を貸してくれた。俺が《英雄叙事》の継承者だと知っていて、将来的に敵対する可能性だって見えていたはずなのに。
彼女はエスメラルダの願いを聞いてくれた。
シーナはその希少な瞳で俺たちが強くなる手助けをしてくれた。夢に閉じ込めた時にも、その内側に干渉しようとはしなかった。あまつさえ、抜け出す俺を引き止めることをせずに、『助けて欲しい人がいる』と情すら見せた。
紅蓮は自分の故郷に何があったのかを知りたがっている。それはきっと興味だけではなく、彼にとって必要な何かだ。
わかっている。
その全てが俺を欺くための芝居であるかもしれないことくらい。だが、俺は彼らと関わりすぎた。他人と呼ぶには近すぎるのだ。
彼らが世界を壊すなら、俺は未来で彼らの前に立ち塞がる。【救世の徒】がリステルに牙を剥くなら、俺は容赦なく彼らに剣を向ける。そこに覚悟はいらない。当然のことだから。
——だとしても。いやだからこそ。
彼らが敬意を持って世界に接するのなら。
俺も敬意と、かつて導いてくれた感謝を持って彼らに向き合わなくてはならない。
「シーナ。見つけたよ、お前の言っていた“助けて欲しい人”ってやつを」
まずは、一度は旅路を共にした夢魔の少女の“お願い”を叶えよう。
◆◆◆
真剣な表情でショーケースを眺める紅蓮とエステラ。
ゲコ吉は二人の客に独特な語尾で商品を説明する。
そんな二人……三人? の背中を、エルリックは店の外からガラスの壁を通して静かに見守っていた。
「エトさんはご覧にならないんですか?」
そんな彼は、同じように横に並んで中を見るエトに声をかけた。
「土産物としておすすめできますよ」
「そうか。エルリックは何か持っているのか?」
「僕、ですか?」
質問に質問で返されたことに若干虚をつかれたエルリックは、ぱちくりと瞬きをしてエトの横顔を見た。
見たつもりで、エルリックの方を向いていたエトとバッチリ目が合った。
「……いえ。僕は、持ってません」
「そうか」
それっきり、エトは口を閉じてエルリックのことをじっと見つめ続ける。
「エトさん……?」
灰色の瞳は決して無感動ではなく、なにか、言葉を探しているような気配をエルリックに伝えた。
「……君は、なんで案内人をやっているんだ?」
「えっと」
「『幻窮世界』は人の出入りが極端に少ない。言っちゃ悪いけど、案内人の仕事は……暮らしていく上で不安定だろ?」
エトの言葉は真実だ。
幻窮に人の出入りは殆どない——いや、ないと断言してもいい。
全世界に飛ばされた救難信号、その正体を探るべく今でこそ多くの世界が人員を送り、そしてシーナの夢境に囚われているが。
エルリックの仕事は『幻窮世界』を案内することだ。
他の七強世界と比べて明らかに小さい世界の規模、交流を絶った土地。そんな場所で、いったい誰を案内するというのか。
「……なんです」
エトの疑問に、エルリックは。
「僕、この世界のことが好きなんです」
尊ぶように、慈しむように目の前の空を撫でた。
「この世界はこんなにも美しいのだと、こんな素敵な場所があったんだと、誰かに覚えていてほしかったんです。それが……それだけが、僕にできる唯一のことだったから」
その瞳はいつの間にか波打っていた。
今にも溢れ出しそうな雫を眼の表面に溜め、エルリックは小さく唇を噛んだ。
「みんなが、僕の尊敬する皆さんが作り上げたこの世界のことを、貴方たちに知ってほしかったんです」
それは迷子の子供のような表情だった。
行き場を無くした、帰る家の方向がわからない迷い子。
案内人という肩書きにはそぐわない姿を見せまいと、エルリックはエトに背を向けようとした。
「そうか。なら——これを」
目を逸らそうとして、エトラヴァルトがポケットから取り出したそれに釘付けにされた。
「それは……っ!?」
「貰い物だ。実は、この世界に来る前にお節介な奴から貰ったんだよ」
エトの手にぶら下がるのは、ハート型のロケットペンダント。
シーナの世界で心の専門家を自称する“影法師”が選別にエトに手向けた贈り物だった。
「『寂しくて泣き出しそうな時、これを開けろ』って。きっと、俺より君の方が必要だから」
そう言って、エトは押し付けるようにエルリックの左手にロケットを握らせた。
「そんな、贈り物なんて! 受け取れません!」
慌てて返そうとするエルリックの左手を上からエトが押さえつける。
見た目以上に繊細でほっそりとした指の感触に、エトの瞼がほんの一瞬、エルリックが気づかないくらい僅かに動いた。
「手間賃みたいなもんだから。受け取ってくれ」
「……は、はい」
断りきれないと悟ったエルリックは、渋々、しかし大切な宝石を扱うようにロケットを胸ポケットに仕舞った。
「おーい案内人! 悪い! ここってトイレどこにあるんだー?」
「紅蓮、ここ商店街だよ? 人いなくても声落としなよ」
割と我慢の限界が近そうな紅蓮といつも通りの視線を投げつけるエステラに、はたとエルリックが我に帰る。
「え、あ……男性用のお手洗いはこの角を左に曲がったところにあります!」
「お、サンキュー! ちょっくら行ってくるわ!」
大股で走って行った紅蓮を見送ったエステラは嘆息しながら店の中から出てきた。
「何も買わなかったのか?」
「盟主に何かプレゼントって思ってたんだけどね」
エステラは少しだけ後ろ髪を引かれる様子で店内を振り返る。
「彼に渡すには少し可愛すぎると思ってね」
「あんたは付けないのか?」
「私は戦う時邪魔になるし、飾っておく趣味もないからね。今回は見送ることにしたよ。それに——いや、なんでもないよ」
言いかけた言葉のその先を、エトは直感で理解していた。
“それに、この世界が無くなればきっと一緒に消えちゃうから”。
多分、そう言いたかったのだろうと。
しかし追求することはせず、エトは紅蓮が走って行った方向を見遣る。
「……男子トイレ、向かって右だった筈なんだけどな」
「ん?」
「なんでもない。気にすんな」
聞き漏らしたエステラの疑問符を無視して、エトは紅蓮の帰りを待つ。
吸血鬼は変態と罵られることなく、ごく自然に帰ってきた。




