幻窮回帰行④
輪廻の回数が二十に差し掛かる頃、俺は学園時代の通学路と同等に見慣れた温泉街を肉まん片手にぶらついていた。
鼻につく硫黄の匂いも、物騒な〈猟犬〉印の赤い幟旗も、たった今咀嚼している肉まんの味も、そろそろ累計で5ヶ月になる輪廻の中ですっかり覚えてしまった。
「んー! やっぱり温泉はいいねー!」
果実酒片手に足湯を堪能するエステラがピンと両足を伸ばした。
酒に弱いのか、それとも湯で体がほてったのか。
エステラは頬を淡く染めながら上機嫌に笑って桃色のツインテールを揺らす。
ご満悦のハーフエルフの横で、案内人エルリックは『そうでしょう、そうでしょう!』と何度も頷いた。
「湯船、結構浸かるのか?」
「オフの時はしょっちゅう。だから最近はご無沙汰だったんだよね」
俺の質問に、エステラはチャパチャパと湯の表面を蹴り上げながら鼻歌を歌う。
「普段は浄化魔法で済ませちゃうから。あと、任務中無防備にはなれないでしょ」
「仮に無防備でも、アンタなら問題なく対処できそうだけどな」
こうして話している今ですら勝てる確証が湧かないんだから。
「アンタに攻撃届かせようと思ったら、最低でも〈異界侵蝕〉クラスじゃないと無理だろ」
俺の評価にエステラがニンマリ笑う。
「心構えみたいなものだよ。そこで呑気に饅頭頬張ってる同僚ほど、私の再生力は高くないからね」
対面に座る紅蓮は、話題の矛先を向けられても特に気にする様子もなかった。
呑気な顔でもしゃもしゃと饅頭を頬張り、郷愁に染まった瞳を落書きされた漆喰の壁に向ける。
その横顔に、俺は前の輪廻での紅蓮との会話を思い返した。
◆◆◆
「お前が俺の過去を知った事、次の俺には言わなくていいからな」
「……いいのか?」
それはフェアじゃないと、輪廻の始まりに必ず取り決める約束に反するのではないか。
俺の疑問に、紅蓮は弱々しく笑った。
「ああ。元々、お前に知られるのは覚悟してた」
予想外の暴露だった。
「覚悟してたって……いつから」
「ここに来る前、任務が決まった瞬間から」
紅蓮は閉園の鐘が響く園内を俺と並んで歩きながら、懐かしむような視線を空に向ける。
「秘纏十二使徒、もうわかるだろ?」
「ああ、『幻窮世界』の守護者十二人。この遊園地の創業者……ハーヴィーもその一人だった」
頷いた紅蓮は、次いで、俺の胸を見る。
多分正確には、俺の中にある《英雄叙事》を、だが。
「あの人たちの中に継承者がいたって、俺は何一つ疑問を持たねえ。だからお前に知られるのは承知の上だったんだよ、エト」
「なるほどな」
結果的に、十三使徒の一人であるシンシアが継承者で。
放棄したとはいえ、《英雄叙事》は彼女の記録の一部を焼き付けていたということなのだろう。
「だから気にすんな。お前が知ってても、俺は……まあ驚くけどよ。そこは納得する」
——契約だけ果たしてくれれば、俺はそれでいい。
紅蓮はそう言って、思い出の舞台に背を向けた。
◆◆◆
「こちらの参ノ道には“秘纏十二使徒”の一人、〈応報〉アカリ様のご実家があるんですよ!」
普段より一段声のトーンを高くしたエルリックは、一歩俺たちより前に出て振り向き、両手を広げて歓迎を示した。
「「「ほえー」」」
温泉街から少し離れた散歩道。
砂利を敷き詰めて固めた道の脇に、漆喰と木材を中心に建てられた家屋が並ぶ静かな街並み。
「こちらは温泉街からは少し離れていますが、『幻窮世界』の歴史的に重要な建築技法が用いられているということで、足を運ばれる方が多いんですよ!」
エルリック曰く、“木組み”、“組子細工”など。〈応報〉アカリの先祖の故郷に伝わる建築技法とのこと。
この街並みは、その先祖によって伝えられた様々な技法が取り入れられている、異界資源に頼らない建物群らしい。
「故郷か……他の世界から流れ着いてそのまま定住したとかなのか?」
移住元の世界が存続しているなら当然できるだろう。
だが、〈応報〉アカリは少なくとも2000年前の人物。その先祖ともなればさらに過去となるだろう。
移住元の世界が滅びていても不思議ではない。——その上で、〈応報〉の使徒は生存していたのだろうか?
それが可能なのか、俺にはわからないが。
——この星の仕組みには、少しばかり複雑で曖昧な部分がある。
それは、『個人がどの世界に帰属するのか』という問題だ。
基本的に、俺たちは生まれた世界と命運を共にする。
俺は当然リステルと一蓮托生だし、ラルフなんかは『海淵世界』の血筋だ。
冒険者として世界を渡り歩いてもその事実だけは揺るぎない。
だが、ここで話をややこしくするのは、“世界を渡り歩いた先で定住した”者たちだ。
より詳しく定義するなら、先祖がその世界出身じゃない、その世界で生まれた個人。
たとえばラルフが『海淵世界』とは別の世界で所帯を持ち、そこで子供が生まれたと仮定しよう。
この時、その子供はどの世界と紐づいているのか。
生まれた場所か、ラルフの故郷である『海淵世界』なのか。
はたまた、妻も別の世界出身だった時はどうなるのか?
その明確な答えを、俺は持っていない。
2000年前、滅亡惨禍によって多くの世界が潰え、『悠久世界』によってギルドが普及——星は安定期を迎えた。
大きな滅びはエステラによってもたらされた『構造世界』バンデスの滅亡くらいなもので、この問題は長いこと議論の対象にはなってこなかった。
「エステラはどう思う?」
「ん? なにが?
「〈応報〉アカリの先祖の故郷、まだ残ってると思うか?」
パイを頬張る俺の質問に、エステラはクレープを飲み込んだ。
「アカリちゃんの先祖の故郷なら、とっくの昔に滅びてるよ」
「そうな……いや待てなんだその呼び方!?」
「お知り合いなんですかっ!!?」
エステラから飛び出した〈応報〉に対するちゃん付けに、俺とエルリックが目を剥いて仰天した。
「紅蓮をスカウトに来た時にね。尖ってたけどいい子だったよ」
「しれっと爆弾発言……つかエステラ。アンタ本当にいくつ——」
「聞いたら殺すよ」
本気の殺意に俺と、ついでに巻き込まれたエルリックが超速でバンザイして降参した。
「コイツは最低でも俺の倍生きてへぶるぁっ!!?」
「ぐ、紅蓮さーん!?」
氷柱に串刺しにされた紅蓮を見たエルリックから悲鳴が上がる。
バタバタと慌てて駆け寄り、氷にベッタリとこびり付いた血潮に青い顔を浮かべた。
「ち、血が! こんなにたくさん——」
「安心しろ案内人。俺この程度じゃ死なな」
「建物に付いてませんよね!?」
「少しは俺の心配しろよ!!」
全身を血の霧に変えてあっさりと再生した紅蓮を他所に、エルリックは建物の壁をくまなく調査する。
「安心しなよ、案内人さん。飛び散らないように凍らせといたから」
紅蓮一人をぶちのめすための万全のアフターケアに俺はそっと背筋を震わせた。
さも当然のように串刺しにしていたエステラだったが、魔法発動の兆候がまるで見えなかった。呼吸するように……否。心臓が動くように、ごく自然に、澱みなく。
いずれ対峙する時、彼女の魔法は凄まじい脅威となるのは確定的だった。
「エト、どうかした?」
脅威を再認識した俺の視線に気づいたエステラがわざとらしく笑う。
「いや——」
挑発的なその表情に、俺もまた生意気に笑い返した。
「ストラにもっと強くなって貰わないとな」
「……!」
予想にない返答だったのか、くーちゃんは虚を突かれたように暫し動きを止めて。
「……うん。弟子の成長が楽しみだよ」
さっきとは違う、慈しみのある眼差しを虚空へ向けた。
「良かった! 建築への被害はないみたいです!」
「ああ……うん。そりゃ、よかったな……」
心の底から自分の安否を心配していなかったエルリックに、紅蓮がなんともいえない表情を浮かべた。
「人が目の前で串刺しにされてんのに一切動じねえのな」
「あ、えっとその——!」
恨みがましい紅蓮の呟き。『案内人なら客の安全確保が優先では?』と言外に問う吸血鬼に、エルリックはわたわたと両手を荒ぶらせた。
「きゅ、吸血鬼なら多分大丈夫だろうと! 紅蓮さんは特に頑丈ですし!」
「俺、そんな頑丈アピールしたっけ?」
「え、エステラさんに以前似たような折檻をされていたので——!」
エルリック必死の弁明に、紅蓮とエステラは揃って顔を見合わせた。
「まあ……そこそこ串刺しにはしてるね」
「誰も俺に優しくねえ」
さめざめと泣く紅蓮にエステラが呆れた視線と共にため息を。エルリックは安堵の吐息を。
——そして俺は、エルリックへと懐疑の視線を。
「……して、ないだろ」
俺の呟きを、幸か不幸か誰も拾わなかった。
今、エルリックの発言には致命的な矛盾があった。俺にしか気付けない矛盾が。
していないのだ。
この輪廻で、エステラは紅蓮を一度も串刺しにはしていない。
初日、エステラを仲間に引き入れるタイミングで氷漬けにこそされた紅蓮だが、今回は砕かれることなく無事に解放されている。
だから、エルリックが紅蓮の再生力を事前に知っていることはあり得ない。
——いや、予測自体は立てられるかもしれない。だが、あの惨状に対して初見で全くビビらなかった説明がつかない。
仮に知っていてもそこそこ驚く、常人なら即死の攻撃だ。あんなもの、何度も見慣れてないと平然としているなんてできない。
「前から知ってた? それとも——」
——輪廻の記憶があるのか。
「そ、そろそろ行きましょうか! ここは住宅地なので、あまりはしゃぐとご迷惑になりますし!」
手を叩いてそう締め括ったエルリックに、エステラと紅蓮が饅頭を新たに咥えて追従する。
「お二人とも本当によく食べますねー」
「魔法使うとお腹空くからね」
「殺されかけると腹減るからな」
「あれだけ串刺しにされた直後によく食べられますね……あれ、エトさーん!」
一人立ち止まっていた俺に、振り向いたエルリックが声をかける。
「次の場所に行きますよー!」
「あ、おう! 今行く!」
歩き出した俺を認めて頷いたエルリックは帽子を被り直し、オーバーオールのポケットから予定表を取り出して歩みを再開する。
「——え」
唐突に。
その後ろ姿が。
紅蓮に弁明しようと慌てていたあの姿に、俺は既視感に襲われた。
笑顔で紅蓮とエステラを案内人する少年の横顔に、何故かとてつもない懐かしさを覚える。
「シンシア……?」
何故か口をついて出たその名前は、俺以外の誰かの耳に届くことなく風に吹かれて消えた。




