幻窮回帰行③
「紅蓮……いい名前じゃねえか」
ハーヴィーは紅蓮と名乗った少年吸血鬼の頭をグリグリと強めに撫で回した。
「血液操作もその年で大したもんだ。坊主、お前強くなるぜ」
されるがままに頭を撫でられる紅蓮は、チケットを握ったままハーヴィーを睨み返す。
本人的にはその意図はなかったのだが、ムスッとした表情で、自然とそういう目つきになっていた。
そんな反抗的な紅蓮を前に、ハーヴィーはニヤリと余裕の表情。
「でも、ルールは守らねえとな。血で傘増ししてもダメだ」
「血は、俺の一部なのにか?」
「お前結構口回るな? それでもダメだ、ルールだからな」
金髪の英雄は、少年の真紅の瞳をしかと覗き込んだ。
「遊園地はみんなが楽しく過ごすための場所だ。でも、楽しくってのは好き勝手やるって意味じゃねえ。みんなが笑顔で過ごすためには、みんなが少しずつ、お互いを尊重しなきゃならねえ。そのためのルールだ」
「でも……」
不服そうな表情をみせる紅蓮は、先ほどより幾分か気勢をを削がれながら反論する。
「俺、今日で幻窮を出なきゃ。次、いつ帰って来れるかわかんない」
「おっとそうなのか。——でも悪いな、紅蓮。それでもお前だけ特別扱いってのは出来ねえんだ」
ハーヴィーの一貫した姿勢に、紅蓮は静かに血液操作を解除し、ストンと身長を元に戻した。
「なにより、お前に怪我してほしくねえからな。身長制限は、お客様であるお前を守るためでもあるんだ。わかるか?」
「……アンタが、嘘ついてないってことは、わかる」
しゅんと肩を落とす吸血鬼を前に、ハーヴィーは困ったように頭を掻いた。
「けど……なんだ。せっかく楽しみにしてきてくれたわけだしなあ」
ハーヴィーは先ほど『遊園地はみんなが楽しく過ごす場所』だと答えた。
そのみんなの中には当然、今日チケットを握りしめて入場した紅蓮も含まれている。
だから、寂しそうに肩を落とす目の前の少年にも、何かしらの方法で楽しんでほしい——そう思うのは当然だった。
「でもなあ、特例作るわけにもいかねえし……」
さてどうしたものかと頭を悩ませるハーヴィー。その横に、おもむろにシンシアが並んで背を屈めた。
「——紅蓮さん。歌は好きですか?」
唐突に、そんな質問をした。
欺瞞を解除し、シンシアとして向き合った彼女の……部外者の突然の問いかけに、紅蓮はぱたくりと瞬きを繰り返した。
「……誰だ?」
「あっ!」
至極当然な少年の疑問に、シンシアはわたわたと両手を荒ぶらせ、頬を染めながら咳払いを一つ。
「こほん。えっと、私はシンシアと言います。ごめんなさい、話、聞こえちゃって」
「……そうか」
自分が無理を言って迷惑をかけた——そんな自意識を持っていた紅蓮は、それを他人に見られていたことに少なくない恥ずかしさを覚えた。
そんな紅蓮の様子に気づきつつも、シンシアは敢えて気にせずに話を戻した。
「紅蓮さん、歌は好きですか?」
「……わからない」
紅蓮は首を傾げ、もう一度。
「わからない」
好きか嫌いか判断できない、そんな感情を覗かせる紅蓮に、シンシアは重ねて問う。
「なら、ダンスを踊るのはどうでしょう?」
「踊るのは嫌いだ」
「そうですか……」
キッパリと断られたシンシアが露骨に元気を失った。
その姿を見た紅蓮は、一考。
「見るのは、いい。多分」
「そうなんですね!」
「シンシアちゃん、子供に気ぃ使わせんなって……」
慰め、或いは提案をしに来たと思われる少女が逆に気を遣われる珍事にハーヴィーは呆れ、離れたところで見守っていたクラインは肩を震わせ声を殺した。
「紅蓮さん、あちらにあるステージが見えますか?」
そんな使徒二人の態度を知らず、元気を取り戻したシンシアは眼下に見える、舞台がある閑散とした広場を指差した。
「あそこでは様々な催しが行われるそうです。一般の人も、事前に申請して、審査を通れば使うことができるんですよ」
「そうなのか……。……!? 踊らないぞ!?」
「あ、違います違います!」
意図を誤解し凄まじく警戒心を強めた紅蓮に、シンシアは首をぶんぶんと振って弁解する。
「紅蓮さんは踊りません! 踊るのは私です!」
「……お前が、踊るのか?」
「はい。お前じゃなくてシンシアです。私が踊るんです! 歌も歌いますよ!」
紅蓮はシンシアをじっと見つめ——
「……踊るのか?」
めっちゃ訝しんだ。
ほっそりとした体、明らかに抜けてるところがある性格。ちょっと話しただけだったが、紅蓮には目の前の少女が衆目の前で歌って踊れるようには見えなかった。
「歌も……?」
「私、そんなに信用ないですか!?」
めちゃくちゃ怪訝な目を向けられたシンシアは涙目になりながら頬を膨らませた。
「めちゃくちゃ歌って踊りますからね! ——で、ここからが本題です!」
シンシアは深呼吸をしてから、もう一度、紅蓮と真正面から向き合った。
「紅蓮さん。今から、私の舞台を観に来ませんか?」
「…………俺が?」
「はい! 座席は先着順なので、今なら真正面の特等席です!」
シンシアの突飛な提案に、紅蓮はしばらく押し黙って熟考した。
即決で断らない時点で自分が興味を持っていることを理解していた吸血鬼は、問う。
「……なんで、俺を呼ぶ?」
どうして彼女がそんな提案をしたのか気になった。
「あなたにも笑ってほしいからです」
シンシアは澱みなくそう答えた。
「あそこにいる金髪の人、ハーヴィーって言うんです。この遊園地の設計者で、園長です」
「偉い人だったのか」
「そう、偉い人です。そして、とっても凄い人です」
シンシアの尊敬の眼差しを受けたハーヴィーが恥ずかしそうに鼻下を擦る。そんな彼を見ながら、シンシアは語る。
「ハーヴィーが遊園地を作ったのは、みんなが笑顔になれる場所を作りたかったからなんです。もちろん、紅蓮さんも」
それは、紅蓮もなんとなくわかっていた。金髪の男に悪意はなくて、ただ夢と現実の境目が、ちょうど紅蓮に不利に働いてしまったのだと。
「私、ハーヴィーのことをとても尊敬してるんです。彼の想いが叶ってほしいと思ってます。だから——私は私にできることで、紅蓮さん。あなたを笑顔にしたいんです」
少しでも、尊敬する仲間の力になりたい。
そんなシンシアの言葉に、紅蓮は。
『——頼む。お前の力を、貸してくれないか』
どうしてか。
世界の、この星の理不尽に抗う——この“紅蓮”という名前をくれた主の言葉を思い出した。
紅蓮は時計を見て、そして、頷いた。
「わかった。観ていく」
「——! ありがとうございます! 私、全力で頑張りますね!」
ふんすと鼻を鳴らして張り切ったシンシアがハーヴィーを振り返る。
「それではハーヴィー、予定通りお願いします!」
「まあ、ステージは元々そのつもりで用意したけど……大丈夫か、シンシアちゃん?」
ハーヴィーは、実はシンシアが絶叫アトラクションで青ざめていたことを知っている。
そんな彼女が今から舞台に立てるのか——そんな心配に、シンシアは自信たっぷりの笑みで頷いた。
「平気です! 歌と踊りは別腹なので!」
◆◆◆
「ハーヴィー、私に黙っていたね?」
シンシアの催しを知らなかったクラインは、仕掛け人であるハーヴィーを少しだけ責めるように聞いた。
「アンタには黙っててくれって、シンシアちゃんたってのお願いだったからな」
夕方に差し掛かり、空が赤みを帯びて徐々に暗くなる頃。
舞台真正面、紅蓮を挟んで座る二人は、真ん中の紅蓮に気づかれない程度に視線を交わした。
「遊園地の建設時に、シンシアちゃんから打診があってな」
「そんなに早く? ちっとも気づかなかったよ」
観客はまばらで、三人を合わせてもギリギリ十人に届くくらいの不況っぷり。
しかし、使徒二人の表情に憂はない。
「必死に隠し通したからな。観魂眼を持ってるアンタを誤魔化すのは苦労したぜ、全く」
無茶振りしやがる、と。
舞台裏でその時を待つシンシアの姿に想いを馳せてハーヴィーが笑う。
「俺の役に立ちたい——俺の理想を手伝いたいってさ。あんなに熱量持って言われたら、断れねえだろ」
「まあね。私たち、みんなシンシアに甘いからねー」
可愛い末っ子のようだ、と喩える者がいれば、目に入れても痛くないと豪語する者もいる。
「紅蓮、時間は大丈夫かな?」
「……!」
先ほどからしきりに時間を確認していた紅蓮は、クラインの言葉にビクッと肩を震わせた。
「……多分、平気。待ち合わせ、まだ先だから」
「ふふ」
そう言いつつも時間を気にするのをやめない紅蓮に、クラインは思わず笑みを溢す。
「大丈夫だよ、紅蓮」
そう言うクラインの視線の先で、舞台が暗転した。
そして、スポットライトが照らした幕が上がり——
『みんなー! いっくよー!』
水色をベースにしたミニスカートのアイドル衣装で飾り立てたシンシアが、マイクを片手に声を張り上げた。
——時間なんて、すぐに忘れるから。
クラインの言葉は、もう、紅蓮には届いていなかった。
◆◆◆
たった一音。
シンシアが声を張り上げた瞬間、彼女の歌声が届いた場所にいた全ての人が足を止めて舞台を振り返った。
音楽が始まり、シンシアの手によって手拍子が生まれる。
舞台を振り返った人たちは、自然、拍手の波に鼓膜を揺らされ、気づけばその輪の中に。
『最初っから上げてくよー!』
音楽にも、拍手にも負けない力強い歌声が轟き、見るものを惹きつけるダンスを踊る。
舞台を舞うシンシアの一挙手一投足が、言葉の全てが人々を魅了する。
「……すげえ」
そう呟いた紅蓮は、もう、時計を見ていなかった。
「……ああ、それだよシンシア」
クラインが笑う。
涙を流しているようにも見えるその横顔は、その場の誰よりも。舞台で汗を散らし、全身で音楽を奏でるシンシアの虜にされていた。
「君は、誰よりも輝ける」
——シンシアを見つけたあの日。
彼女に観客は居なかった——何を馬鹿なことを。そう、クラインは笑い飛ばす。
あの日、誰もがほんの一瞬見向きするだけで、足を止めることはなかった。
それがどれほど異常なことか。
あの場にいた誰もが、趣味嗜好の垣根を超えて、必ず一度見向きしたのだ。
魔法も、神秘も用いず。
ただ、己の歌ひとつで誰かの心を惹いていた。
あの瞬間から、クラインはシンシアのファンなのだ。
「その歌声で。純粋な想いで、皆の心を震わせる」
武力や知力では測れない、音楽の力を体現する少女。
その素晴らしさを、彼女が一番わかっていないとクラインは言う。
「やっぱり、君は私たちの〈歌姫〉だよ、シンシア」
クラインの横で、手のひらが真っ赤になるほどの拍手を繰り返す吸血鬼の少年は。
「わあ……!」
目を輝かせて、確かに笑顔を浮かべていた。
◆◆◆
「エト。お前、アイドルは好きか?」
閑散とした舞台の前で、ふと足を止めた紅蓮が聞いてきた。
「……シンシアの舞台を、思い出したのか?」
「——っ!?」
「《英雄叙事》の記録を見た」
驚きから真紅の双眸を見開いた紅蓮に、俺は隠さずに答えた。
「なら……シンシアは。俺の記憶にいるアイツは、《英雄叙事》の——」
「ああ。継承放棄者、なんだろうな」
俺は舞台のある広場を見渡し、記録の景色を思い起こす。
「記録越しにも伝わる、凄い熱量だった」
「……ああ。本当に凄え舞台だったぜ。アレを超えるモノは、2000年経った今でも見つかってねえ」
紅蓮はおもむろに舞台の前に足を運び、最前列で止まった。
「こっから見上げてた。背の低かった俺は、首が痛くなるくらい見上げて、時間も忘れて熱中してた」
そう語る吸血鬼の横顔は、見たことのない郷愁に染まっていた。
「滅びたはずなんだ、リプルレーゲンは。……なあ、エト」
紅蓮は、弱々しく笑う。
普段の軽薄な笑みからは想像もできない、迷子の子供のような顔だった。
「俺が出て行った後、ここに何があったんだ?」
「……わからない。その記録を、俺は見ていない。《英雄叙事》に、それがある保証もない」
俺の回答に、紅蓮は僅かに顔を伏せた。
「……エト。今、輪廻は何回目だ?」
「17回目だ、多分」
「——契約だ、エト」
紅蓮は真紅の双眸で俺の灰の瞳を見つめる。
「【救世の徒】としてじゃねえ。『幻窮世界』の紅蓮・ヴァンデイルとして、頼む。あの日の借りを使わせてくれ」
吸血鬼は深く、深く頭を下げる。
「俺にできる限りの協力をする。だから——ここで何があったのかを。ここで、今何が起こってるのかを。——絶対に解明してくれ……頼む!」
「……わかった」
俺は誓剣の柄に触れ、誓う。
「必ず、この世界の足跡を解き明かす」
紅蓮がお小遣い制になった原因は、いろんな世界でドルオタしたからです。
それでもこの日を超えるものには出会えませんでした。




