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【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)  作者: 銀髪卿
第八章 目覚めを叫ぶ英雄戦歌
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七日間の輪廻

「《英雄叙事(オラトリオ)》、いつからだ?」


 俺は、震える声で胸の内に問いかける。

 静まり返った真夜中の街に、焦りを孕んだ俺の声はよく響く。


 巻き戻し……いや、ここは差別化のために『二度目』と呼ぶことにしよう。

 『二度目』の深夜も『一度目』と同じように遠くから俺を探るような気配があったが、実害を出さなかった相手に意識を割く暇はない。


「ここは、いつから異界になっていた?」


 返事はなく。

 シャロンやエルレンシア、スイレンの気配を探れど、彼らも俺同様に困惑していた。

 当然だろう。スイレンたちの視点では『幻窮世界』は既に滅亡した世界だった。


 世界と瓜二つの異界。

 俺はかつて、『湖畔世界』フォーラルで“世界反転型”という珍しい異界をこの目で見た。

 世界と異界が鏡合わせに存在する大変珍しい異界だったが、今回のコレはそんな次元ではない。


 この世界は少なくとも六日間、俺や紅蓮になんの違和感を抱かせることなく進行していた。


「ここにいる人たちは、なんだ?」


 遊園地のキャストは。

 パン屋の店長は。

 ツアーのいく先々で出会った『幻窮世界』の人々は。

 ……案内人の、エルリックは。


「魔物、なのか……?」


 呼吸が浅くなる。

 全身から血の気が引いて、ぐらぐらと頭が揺れる。

 ないはずの疲労を思い出した両足小刻みに震えた。


 認識が音を立てて崩れてゆく。

 目に映る全てへの信頼が揺らぎ、これまでの常識が、前提が覆っていく。

 異界では常識を捨てろ。冒険者なら誰もが持っている心構えだ。

 だが、これは。いくらなんでもおかしすぎる。


「落ち着け、俺——」


 混乱する俺を、紅蓮は戸口に背を預けた静かに眺めている。

 配慮なのか、それとも俺を探っているのか。

 今の俺にはそれすら判断をつけられなかった。


「……紅蓮」

「なんだ?」

「時間をくれ。一人になりたい」


 俺の身勝手な提案を、紅蓮は暫しの黙考を挟んでから大人しく承諾した。


「いいぜ。好きなだけ悩め。その代わり、後で俺の提案を呑んでもらう」

「ああ、わかった」


 急激に血の香りが遠ざかる。

 向かった先は……遊園地の方角だろうか?

 少なくとも、これ以上紅蓮に独り言を聞かれる心配はなくなった。

 何度も、何度も深呼吸を繰り返して。

 俺はようやく不規則に跳ねる心臓を落ち着けた。


「……大穴に行けば何かわかるって思ってたんだけどな」


 思わぬ収穫というか、大穴に行かずして判明したというか。


「外の世界で何日経ってる? シーナの夢境は……つかそもそも」


 俺は、俺がなぜ疑問を抱けているのかという疑問に踏み込む。


 紅蓮は明らかに記憶を有していなかった。

 魄導(はくどう)で強化した俺の五感と直感の全てが、紅蓮のあの態度が演技ではないと告げていた。

 ここで問題になるのは、この異界において俺と紅蓮、一体どちらが正常なのかという点だ。


 昨日までの六日間が俺の夢ではない……つまり、ここが異界であり尚且つ特定の何かしらを条件に時間が巻き戻っているという前提が正しいのならば。


 冒険者の観点から見れば、紅蓮は異界の法則に飲み込まれていることになる。つまり、紅蓮側に問題がある。


「って断定できれば楽なんだけどな。やっぱ、そうも行かないよな」


 しかし、ここでは見方を変える必要があるのかもしれない。


 思い出されるのは、夢の世界でのシーナとの会話。


『一人ね、助けてあげてほしい子がいるの。任務とは関係ない……というか、任務と正反対の事なんだけどね。私としては、その子には幸せになってほしいっていうか』


『この夢を超えられる人じゃなきゃ、その子を助けることはできないから』


「シーナの夢で、世界の干渉への耐性がついたのか……?」


 記録の概念保有体であってもシーナの夢を弾くことはできなかった。恐らく、対策方法を知らなかったからだ。

 だが、俺はその夢を超えた。

 同時に、世界からの記憶干渉に対する防御術を身につけることができた。


 俺と紅蓮の相違点を挙げるならここだろう。


 【救世の徒】は紅蓮の口ぶりからして『幻窮世界』の実情を知らなかったように思う。

 なら、わざわざシーナの夢に一度囚われるなんてことしないだろうし、そもそもシーナの役割が他世界の戦力の介入を阻む門番だった。

 よって紅蓮然り、くーちゃん然り、未だ知らぬ〈竜人〉然り、彼らは異界の干渉に対して無防備なまま突入したことになる。


「まあ、ぜんぶ仮定に仮定を重ねた話だから机上の空論なんだけどな」


 俺が確かめなくてはならないのは、極論ひとつだけ。


 ここが異界なのか、世界なのか。

 全ての議論は、ここを確定させなければ始まらない。


「あとで紅蓮の提案呑むって言ってよかったな」


 調査には人手が必要だ。

 そしてここが異界だった場合、相応の実力者である必要も生じてくる。


 現状では失われたとしか言いようがない六日間で、少なくとも“実態調査”という名目では俺と【救世の徒】側は協力関係を築けることが証明されている。



◆◆◆



 場合によっては、シーナ曰く来ているらしいくーちゃんあたりも巻き込むことも想定した方がいいかもしれない。


「いや、むしろ今度は最初から巻き込むか?」


 もし仮にくーちゃんもこの異界の法則に取り込まれているのなら、『幻窮世界』における情報アドバンテージは圧倒的に俺が握っていることになる。

 あの人相手に隠し事なんてできる気がしないが、少なくとも多少、交渉で有利に立つ程度には役立つはずだ。


 それに、くーちゃんの動向をある程度縛れるというのはかなり大きい。


「……やってみるか」


 俺は念話の導線(パス)を意図的に開き、かつて繋いだ道を逆探知のように辿った。


『——くーちゃん、聞こえてるか?』


 果たして返事は。


『びっ…………くりしたぁ。よくこの回線覚えてたね?』


 二十秒ほど経ってから、割と本気で驚いてそうな気配の念話が帰ってきた。


『……うん、そうだね。本当にびっくりしたよ。直接私に繋げる技量もそうだし、この場面で私に繋ぐ胆力も』


 くーちゃん……エステラ・クルフロストは。

 念話を隔ててなお、楽しそうな声音を滲ませていた。


「——久しぶり。二年ぶりくらいかな、エト」

「いや……転移の気配が掴めなかったんだけど」

「君もまだまだってことだね」


 俺の背後の屋根上に一足で転移してきたくーちゃんが勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。


「それで? 紅蓮のやつを厄介払いした後に私を呼んだ理由は?」

「あー、そうだな」


 俺は、単刀直入に尋ねることにした。


「くーちゃんはさ、この数日……というか七日間何してた?」

「七日、ね。やけに具体的な数字だね」


 不可解な質問にスッと目を細めたくーちゃんは、探るように俺の表情を鋭く観察する。


「どんな答えが欲しい?」

「なら、言い方を変える。くーちゃんは、()()()()()()()()()()()()()()()()を知っているか?」


 踏み込んだ質問。

 直後、くーちゃんの顔色が変わった。


「待ってエト。君は何を言っているの?」


 結界展開。

 相変わらず馬鹿げた静謐性と綿密性で独自の複合結界を構築したくーちゃんは、真剣な顔つきで俺に問う。


「君と紅蓮が共に行動? 君は、今さっき目覚めたばかりのはずだよ」

「やっぱり、くーちゃんも記憶がないんだな」

「……エト。君は()()()()()()()?」


 確定する。

 今、この()()において。

 俺こそが明確な異常個体(イレギュラー)なのだと。


「この世界は、七日周期で時間が巻き戻されている。俺は、巻き戻されるまでの七日間の記憶を持っている」

「…………!」


 ゆっくりと。

 大きく、くーちゃんが目を見開いた。

 初めて見る動揺の姿。


「……あり得ない。時間を巻き戻すなんて、それも世界丸ごと。そんなこと、概念保有体にだってできることじゃない」


 ——それ以前に、と。

 くーちゃんは、俺が嘘をついていないことを悟ったからこそ苦い顔をする。


「この世界は、私たちすら巻き込んでいるっていうの?」

「少なくとも、俺の視点では」


 俺の記憶が誰かに植え付けられたものではないのなら、という前提があるが。


 きっとその表情は屈辱に類するものなのだろう。

 奥歯を擦り合わせるように表情筋を歪め、抑えきれない怒気が現実を侵食して彼女の足下に罅を入れた。


「……何回目?」


 それでも、くーちゃんは努めて冷静に事態の把握を優先した。


「エト。君視点で、今は何回目なの?」

「——()()()だ」



◆◆◆



 二度目の一週間。

 俺は、一度目と限りなく同じ道筋を辿る。

 蓄積された記録と記憶を最大動員し、極限まで同じ行動、言動を心掛けた。

 案の定、結果は変わらず。

 新しく得られた情報は、少なくとも受け身だけではツアーを終えることができないということ。



 三度目の一週間。

 今度は俺は、紅蓮とエルリック、その両方との接触を極力避けて別行動を取る。

 しかし、得られた情報は前二回のループよりも少なく、また大穴にはどんな手を使っても辿り着けなかった。


 ヘイルの“電脳遷移”。

 〈勇者〉の斬撃の模倣。

 概念昇格による光速移動など。


 俺が取りうる限りの手段では、この異界の法則から抜け出すことは叶わなかった。



「だから今度は思い切って事情打ち明けて、初めからくーちゃんたちに協力を持ちかけることにした」

「……なるほど。今のエトには、他人にはない二十一日分の記憶があると。おおかた理解したよ。君こそがこの()()変異個体(イレギュラー)なんだね」


 冷静に。時間軸の乱れが生まれうる場所が異界以外に存在しないことをすぐに突き止めたくーちゃんは、現状において俺のみがこの異界の法則の外にいることをわかりやすく言語化した。


「ちなみに、私たちの目的についてどこまで把握してるのかな?」

「『幻窮世界』が所有する無限の欠片の回収。〈覚者〉シンシアの確保、もしくは()()。その他、概念保有体の回収」

「うん。紅蓮と行動を共にしたっていうのは嘘じゃなさそうだね」


 ふう、と。

 くーちゃん……否、〈冰禍〉エステラが白い息を吐いた。

 刹那、世界に霜が降りる。

 一秒も待たずに俺の周囲が極寒に凍てつき、敵対者の瞳が俺を射抜いた。


「〈黎明記〉エトラヴァルト。『海淵世界』勝利の立役者にして小世界リステルの英雄。君は、何のためにここに来たの?」


 激烈な殺気を一身に受ける。

 かつて『魔剣世界』での卒業試験で相対した時とは比べ物にならない、正真正銘、エステラ・クルフロスト本気の覇気に。

 俺は臆さず、一歩前に進み出て答えた。


「『幻窮世界』への救援。そして、イノリの兄弟の捜索だ」

「……うん。私と君、どっちの目的もこの異変を解決しないと果たせないみたいだね」


 冷気を霧消させたくーちゃんは、もう一度白い息を吐いて俺の前に右手を差し出した。


「いいよ、エト。『幻窮世界』の正体を掴むまで、私は君と協力してあげる」

「ああ、よろしく頼む」


 しかと右手を握り返し、略式だが契約を結んだ。


「あの……くーちゃん? いつまで手握って——」

「強くなったね、エト」

「……!」


 それがお世辞じゃないことは、彼女の真摯な眼差しが証明していた。


「先生として鼻が高いよ」

「教師、もう辞めたんだろ?」

「案外楽しかったから、エスメラルダには感謝しないとね」


 握手を解いた右の手のひらは、くーちゃんの()()()を受け止めたことで氷点下を突き抜けて凍りついていた。

 まったく、相変わらず無茶苦茶な力試しだ。


「それじゃ、紅蓮のやつに集合かけて行動開始といこうか。……ああ、そうそう」


 紅蓮に念話を飛ばしながら、くーちゃんは酷薄な笑みをつくる。


「私たちの目的だけどね、おおよそは合ってたけど……一つ、足りないよ」

「何が、足りないんだ?」

「仕上げの工程が抜け落ちてる」


 一段声を低くしたエステラは、見るだけで凍えてしまいそうなほどに悍ましい、冷え切った眼差しを世界に向ける。


「私たちは『幻窮世界』を滅ぼす。そして、これを狼煙に全世界に向けて宣戦布告をする。勿論、リステルだって例外じゃない。だから——」


 俺は、息を呑む。

 冷気に強張る全身を、芯から魄導(はくどう)で融解させ、輝く黄金の瞳に対して蒼銀の双眸で睨み返した。


「君が守りたいもののために戦うのなら。私たちを止めてみなさい、エトラヴァルト」



 俺たちは、どこまでいっても敵同士なのだと。

 俺は今一度、深く心に刻んだ。

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― 新着の感想 ―
かつての先生は明確に敵に。干支2人の強者が気付けなかった真実に気付く。
まーた小世界リステルくんが滅亡の危機に瀕するのか
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