案内人
俺は、俺と『幻窮世界』リプルレーゲンにとって推定敵対関係にある【救世の徒】、その最高幹部を自称する吸血鬼、紅蓮・ヴァンデイルと行動を共にすることになった。
同じく【救世の徒】に所属する年齢可変式幼女、シーナ・ティルフィレアの情報によれば、『幻窮世界』にはあと二人、〈冰禍〉エステラと盟主……〈竜人〉ジークリオンが来ているとのこと。
俺以外の全ての戦力がシーナの世界……“夢心界催”に囚われている手前、単独で反抗するのはあまりにも無謀。
そのため、俺は一時的に紅蓮たちの目的に手を貸すことにした。
「——で、俺を仲間に引き入れてどうすんだ?」
翌朝、俺たちは人通りが多くなった頃を見計らいごく自然に人波に紛れた。
木を隠すなら森の中。
当たり前のように気配を誤魔化すというか、『書き換える』高度な魔法を使う紅蓮にとっては、人目を気にしてコソコソするより堂々と動いた方が都合がいいらしい。
「大方、《英雄叙事》でやれることがあるとか……それにしても吸血鬼らしくない行動時間だな、アンタ」
「質問の間に罵倒を挟むなよ。この会話も全部俺が誤魔化してやってんだからもっと感謝して欲しいぜ、まったく」
呆れ顔で肩をすくめた紅蓮はごく自然に店で二人分のパンを買い、片方を俺に手渡す。
買うと言っても、手元に用意した小銭とパンをそれぞれ物質転移で交換しただけなので“行儀のいい窃盗”なんだが。
「お前を引き入れたのは《英雄叙事》が目的じゃねえよ。俺は、お前の“直感”を当てにしてんだぜ?」
「直感ね……」
「どうだ? なんか引っ掛かったか?」
「何をどう探すかもわかってないのに引っ掛かるわけないだろ」
——とは言ったものの。
実のところ、さっきから頭の片隅をピリピリと刺激するような妙な“報せ”は継続的に感じていたりする。
「具体的に目当てのモノはあるのか?」
「ある。と言っても、モノってよりは“人”だな」
少し硬めのパンを噛みちぎった紅蓮は、殺気を濃縮させた仄紅い瞳を爛々と輝かせた。
「〈覚者〉シンシア。『幻窮世界』の統治者だ」
「——!?」
この時の俺の動揺を、果たして紅蓮は気づいていたのだろうか。
彼の一挙一動に気を配る余裕が吹き飛ぶほど、その名前は俺に衝撃をもたらすものだった。
「……統治者、か」
必死に。
俺は動揺を悟られまいとする。
「そこまでわかってんのに、なんで俺の直感が必要なんだ?」
シンシア。
俺は三度、その名前を聞いた。
一度は《英雄叙事》で。
継承放棄者、シンシア・エナ・クランフォール。
シーナが生んだ夢の世界で出会った女、クラインもシンシアの名を呼んだ。
そして今、紅蓮はシンシアを『幻窮世界』の統治者と呼んだ。
「住んでる場所くらい、三日あれば掴めるだろ」
「——って思うよな。俺らもそう思ってたんだけどよ」
紅蓮の横顔はなんとも気まずそうな……そう。もう二年近く前にもなる『魔剣世界』での一件。
イノリの魔眼が開眼するきっかけになった云々を言い訳した時のそれにそっくりだった。
「言い訳をするとだな。〈覚者〉の存在は、あれだ。取引で知ったんだ。んで意気揚々とやってきた〜までは良かったんだが」
「いざ到着してみると、まったく動向が掴めなかったと?」
「ま、そんなところだ」
行動計画、雑じゃないか?
「アンタと話してると【救世の徒】が途端にしょぼく見えてくるな」
思わず本音を口にすると、紅蓮が口端をひん曲げた。
「おまっ……なんてこと言いやがる!?」
「ここにいるのがエステラだったらまた違った感想になるんだろうが」
「同僚と比べられるのすっげえ複雑……!!」
なまじ前から知り合いだったのが全て悪いというか。
どうにも緊張感の維持ができない。
いや、実際こうして紅蓮と行動している今、どれだけ意識を飛ばしても既知であるはずのエステラの気配を掴めないのはあまりにも大問題であり緊張を維持するに足る理由になるんだが。
直感が、彼らは俺に手を出さないと言っているのだ。
久しぶりの確信めいた予感。
俺の知らないなんらかの理由が作用し、俺の安全を保証している。
だからこうして話し、共に行動することが最も本来の作戦遂行に近いと俺は踏んでいる。
——って考えてるんだけど、どう思う?
--<私たちに訊かれても困るなあ>--
内側へ尋ねてみるも、返ってくるのはシャロンの苦笑混じりの困惑だった。
--<夢の世界での出来事を私たちは覗けてないし、そもそも知らないことだらけ。元々は実地調査するって話だったじゃん?>--
——そうなんだよなあ。
シャロンの言葉に心の中で深く頷く。
元々、俺たちは『幻窮世界』に到着次第、世界の現状を把握するのを第一段階としていた。
だが、シーナによって離散を余儀なくされた。
合流には俺以外の三人の現世の肉体を探さなくてはならないし、イノリたちが夢から目覚めなくては行動を共にできない。
--<まあそうだね。エトの言う通り、一緒に動くのが一番情報的に得しそう>--
俺が今するべきことは大きく分けて三つ。
一つ。
『海淵世界』の使者として『幻窮世界』の現状を認識し、救難信号の真意を探る。
一つ。
イノリたちの現世での肉体を探し出し安全を確保する。
一つ。
【救世の徒】という組織の実態を探ること。可能なら、彼らの掲げる目的を把握する。
そして、俺が個人的にやりたいことが一つ。
——シンシア・エナ・クランフォールについて調べ上げる。
短期間で三度この名前を聞いた。
偶然と言うには、シンシアという名前はあまりにも今回の騒動に近い。近すぎる。
直感が囁いているわけではない。
だが、俺は《英雄叙事》の継承者として、シンシア・エナ・クランフォールについて知らなくてはならないという想いがあった。
その全てを満たすには、やはり。
紅蓮と行動を共にするのが一番の近道になるだろう。
ところで……
「紅蓮、俺たちってどこに向かってるんだ?」
「いや、どこにも?」
「……は?」
あまりにも無責任な返答に、俺は思わず拍子抜けした。
「どこにもって、アンタ何言って」
説明を求める俺に、足を止めた紅蓮は堂々と胸を張った。
「適当に歩いてりゃエトの直感に引っ掛かると思ってな!」
「俺は曲がった鉄の棒じゃねえよ!!」
思いっきり道具扱いしやがったクソ吸血鬼を前に俺は思い切り顔を顰める。
「協力求めんならもうちょっと計画性をだな!?」
「無茶言うなって! 他の世界ならまだしも『幻窮世界』は俺らにとっても未知なんだからよ!」
「にしたってもう少しやりようあるだろ……!」
“他の世界なら”とかいう凄まじく不穏な単語があったが今は放置。
完全無計画なアホ吸血鬼に最低限の指針を求める。
「三日あればある程度地形は掴んでるだろ? そっから捜索範囲絞るぞ!」
「わーったわーった! んなら一度空き家戻って」
「——あれっ? お二人、ここの人じゃありませんよね?」
突然、焦茶色の帽子を被った一人の少年が俺たちの間に割って入り、溌剌とした声を発した。
「あ、やっぱり見たことない人! わーっ! 珍しいなー! 外の人なんて何年ぶりだろー?」
物珍しいものを嗅ぎ回るように俺たちの服や装備を見分する少年に、俺と紅蓮は愕然とする。
《英雄叙事》解放——ヘイルの記録を読み取り、俺は紅蓮へと即座に念話を飛ばした。
(欺瞞はどうした?)
(継続中だよ!)
(え、それじゃあ……)
(ああ。コイツ、俺とお前の探知すり抜けて、挙句俺の欺瞞を破りやがった!)
「——おや? 内緒話ですか?」
バチっと音がしそうなほどに真正面から少年の瞳とかち合う。
俺は、頬の引き攣りを止めることができなかった。
「えっ……と、君、は?」
「ああっ! あまりの興奮に自己紹介を忘れてましたね、これは申し訳ない!」
軽快に一歩下がった少年を、人々はぬるりと避けていく。
俺たちのいる空間だけが切り取られたように、ここだけ、人が意図的に避けていく。
余裕のある空間で、少年は帽子を取り優雅にお辞儀をした。
「初めまして、僕はエルリック! 『幻窮世界』リプルレーゲンで“案内人”をしています! よろしくお願いしますね、外の人!」




