悠久vs海淵⑩ 『魔剣装填』
「全く困った話だ。融和の政策だって完全じゃねえ。首都内の理解も半ばだってのに」
その一切合切放り投げ、千人の主力をたった二人の使者の言葉を信じて戦争に送り出すなど正気の沙汰ではない。
頼み込んで頭を下げた身でありながら、ザインは『狂ってやがる』と、どこか楽しそうに笑った。
「でもまあ、ここで動かなきゃいつ動くって話だ」
剣を持たない左手を軽く上げ、ザインは後方に控える魔法士たちに鋭く指示を出す。
「治療系魔法が使える奴はコイツに応急処置を! 残りは俺の援護に回れ!」
『はい!』
ザインの言葉に息の合った返事をした魔法士たちが魔法陣を生成——シャクティへ照準を向ける。
その横、二名の魔法士がライラックに治療魔法で処置を行う。
「し、しょう——」
「下手に喋んじゃねえ、治療が終わらねえだろ」
一瞬たりともシャクティから目を離すことなく、ザインはライラックにたった一言だけ告げる。
「それが済んだら来い、馬鹿弟子」
一歩、超加速。
風を切り裂いたザインの身体が音もなくシャクティに肉薄する。
ごく自然に繰り出された斬撃は重低音の防御に阻まれた。
しかし、次の瞬間。二閃。
「……っ!?」
残像すら追い越す超速の剣技にシャクティが瞠目した直後、灰色の魄導を薄く纏うザインの剣がシャクティの髪の毛を数本断ち切った。
「貴様……っ!」
「ハッ——案外楽に届いたな!」
ザインの加速は留まることを知らない。
重低音の防壁と撃ち合う度に加速する。
一閃刻んだ次の瞬間には二閃。更に三閃、四閃……一年前より遥かに洗練された歩法と引き出された魄導の輝きが、幾重にも戦場を切り裂いた。
その速度は、シャクティの反応速度すら上回るほど。
徐々に押され始めるシャクティの姿に、『悠久世界』の兵士たちに戦慄が走る。
「シャクティ様が押されている……!?」
「あの剣士、『魔剣世界』の者と言ったか!?」
「あんな奴が大世界に、無名のままいただと!?」
向けられる畏怖の視線に、ザインは『悪くない』と薄く笑った。
抑圧されてきた剣は今、自らの望みのままに振るわれる。使命でも、義務でもなく。ただ想いのままに加速する——それが、ザインにとってはとても気持ちが良かった。
「余所者が……! 僕たちの相互理解の邪魔をするなぁっ!」
ザインを明確な脅威と見做したシャクティが複雑怪奇な多重音階防壁を展開。
加速した剣ですら貫けない、“対斬撃”に特化した防御にザインが舌打ちをした。
「分かりあう過程なんだよ、僕たちは! 他でもないこの僕が! ライラックの呪いを解かなくてはならない! 不協和音はこの戦場には必要ないんだよ!!」
激昂するシャクティ。
冷静に音を紡ぐ首より下と、怒りに震える頭部。
「相互理解、ね……ハッ、くだらねえ」
「なに……?」
チグハグな音楽家を前にしたザインは思わず鼻で笑い、シャクティの額にピキリと青筋が立った。
「テメェのそれは相互理解じゃねえ。一方的な思想の押し付けだ。相手の事情も感情も理解しないまま、テメェの理想押し付けて駄々こねてる餓鬼の言い分だ!」
「貴様っ……!?」
かつて、視野狭窄に陥ったザインは自分の理想を押し付けたいがために、真に守りたかった世界を危機に晒した。
もっと見るべきだった。無謀でも対話を試みるべきだった——それが不可能でないことを示してくれた男がいた。
一瞬、治療を受ける不肖の弟子を振り返ったザインは、パシ、と乾いた音を立てて剣を握り直し、挑発するように左手で『かかってこい』と手招きした。
「それに、この馬鹿相手にめんどくせぇ相互理解なんざ必要ねえよ。コイツは、自分の信念と欲望に馬鹿正直な、ただのカッコいいスケベ野郎だ!」
再び、踏み込みと共に加速。
幾閃刻み、シャクティの防壁が完全にザインの斬撃に適合した。
「流石は化け物……〈異界侵蝕〉ってトコか!」
『絡繰世界』から得た技術で建造された飛空乗艦内部で二人の鬼人から教えられた覚えたての単語を口にするザインは、口端を吊り上げた。
「こうも簡単に防がれるとはなぁ!」
「無駄だ、貴様の自慢の剣技はもう届かない!」
「なら無理やり届かせるだけだ! リンカァ!」
「はいはーい!」
ザインの声に反応し、最前列に陣取る学生服の少女、リンカ・レーヴァチカが威勢のいい返事をした。
「アレをやる! 照準と種類はテメェに任せる!!」
「了解! 全員、魔弾生成!!」
リンカの号令に彼女含む五百名の魔法士が、自身の全魔力を注ぎ込み、各々が最も得意とする属性の魔法を弾丸状に生成した。
「目標ザイン! タイミングと順番は私が指定するよ!」
『はい!』
大地を軽々と砕く。
シャクティはザインに対して相互理解を必要としないゆえに一段とギアを上げ、複雑に絡み合った譜面に音を乗せ、“音”という必中の武器を奏でる。
魄導をもってしても、ザインの斬撃は完全に防がれていた。
然もありなん。
シャクティもまた魄導を会得した者であり、その扱いに関してはザインを遥かに凌ぐ。
ザインはまだ入り口に立っただけであり、攻撃が届かないのは至極当然と言えた。
だが、今のザインには“剣”以外の力がある。
「リンカ! 寄越せぇっ!」
「結局ザインが命令してんじゃん! はい、エマちゃんゴー!」
リンカの号令に一人の魔法使いが炎の弾丸を放つ。
『魔剣世界』の魔法使いが、たった一発に己の全ての魔力を費やす。
「何をするかと思えば……」
シャクティの両目に失望の色が映る。
自分を傷つけるには到底及ばない威力だと、わざわざ専用の旋律を組み上げる必要もない一撃だった。
なまじ、ザインが僅かばかりの脅威を演出してみせたがゆえに期待が損なわれた。
しかし、失望はすぐさまかき消される。
弾丸の狙いは、シャクティではなくザイン。
誤射ではない、明らかに味方を狙った一撃にシャクティが疑問符を浮かべた。
「俺たちの“名前”を忘れたか、〈異界侵蝕〉!」
威勢のいい啖呵を切ったザインが、炎の弾丸を切り裂くように受け止め、吼える。
「『魔剣装填』ッ!!」
瞬間、灰の魄導と炎の弾丸が混ざり合い、豪炎の魔剣へと昇華した。
「オオ——ッ!」
裂帛の気合いで大上段から振り抜かれた魔剣がバターのように音の防壁を切り裂いた。
「——っ!?」
今度こそ真に驚いたシャクティが咄嗟に掲げた弓と魔剣が激しくぶつかり合い、衝突の余波に砕けた大地の破片が放射状に飛び散った。
数瞬の拮抗——豪炎の魔剣が霧散する。
消失する圧力。
嘘のように軽くなったザインの剣が軽々と弓に弾き飛ばされ、その直後、氷の弾丸が飛来する。
絶妙なタイミングの次弾装填にザインの口角が吊り上がり、絡繰を理解したシャクティの全身が危機を叫んだ。
「貴様ッ! 外部から魔法を供給して人工的な魔剣を!」
「正解だ! ——『装填』っ!!」
灰の魄導と氷の弾丸が混ざり合い、絶凍の魔剣へと昇華する。
「どうにも俺には魔法の才はなくってな!」
技術の無償提供及び戦争賠償金の支払い。更には不可侵条約の締結により、『絡繰世界』との戦争は終結した。
その後、様々な戦後処理やら融和のための施作の提案・修正・実行……目まぐるしい日々を送る中で、ザインは再び幼き頃の夢、『剣と魔法、どちらも扱う英雄』を目指した。
だが、結果は本人曰く『ひでぇ有様』だった。
魔法のまの字を扱う才能の欠片すらない、とっかかりすら見えない……それほどまでにザインは魔法とは無縁だった。
自分の部下たちのほうがよっぽどセンスに溢れ、煽られても拳骨一発程度しか返せないくらいには諦めがついた。
「でもなあ……もう諦めるって選択肢は存在しねえんだよ!!」
だが、それでもザインは諦めなかった。
自分で使うことができないなら、他者の魔法を借りることはできないか、と。
とっかかりはあった。
飛空乗艦を切り裂いた最後の一撃。エトラヴァルトから受け取った虹の魔剣である。
鍛錬の中で目覚めた、闘気とは違う力——後に魄導という名前を知ったそれを利用し、アレに類推するものを再現できないだろうかと。
ザインは常々忙しくするリディアの代わりに比較的暇を持て余していたリンカを試行錯誤に付き合わせ、そして辿り着いた。
外部からの魔法を魄導を用いて剣に一時的に定着させ、更に瞬間的に大きく強化する。
それこそが、ザインがたどり着いた“剣”と“魔法”の一体化——『魔剣装填』である。
「どんどんいくよー! ザイン相手だから遠慮は不要! むしろ飽和させちゃうくらいで丁度よし!」
もう毎日のように、飽きるくらい修行に付き合わされたリンカはザインに対しておよそ遠慮というものを持たず、問答無用で次々と魔法の弾丸の射出を支持してゆく。
「ハッ! いいぞ! ありったけもってこい!!」
自分のことなどまるで考えていないオーバーペース気味な装填速度に笑みを深めるザイン。
シャクティの防御を切り裂ける魔剣を次々と遠慮なく使い捨て、ザインは虹を上回る極彩の剣閃で世界を彩ってゆく。
「くっ……!」
シャクティに防御不全が生じ、表情が苦悶に歪む。
「無数の魔剣……僕の調律が間に合わない速度で!!」
ここにも、相性が強く働いた。
シャクティの音の防壁には2種類ある。
一つは汎用防壁とでも呼ぶべき、広く様々な攻撃を無効化する音響防壁。
一つは特化型と言うべき、特定の攻撃にのみ特化した、専用の旋律を奏でる音響防壁。
シャクティは一定以上の威力を持つ攻撃に対しては、常に後者の防壁を用いる。
そしてザインの斬撃に対してもこれを用いて封殺していたのだが、“魔法”という全く新しい変数が加わったことで様相が一変した。
特化型の防壁は、その名に相応しい、凄まじい防御力を有する。
その最大強度は、同じ〈異界侵蝕〉であるタルラーの“破壊の概念”を用いた拳撃すら無効化するほどである。
だが、それらは正しい旋律の下に運用される前提を持つ。
僅かでも調律が乱れれば不協和音が生まれるように、旋律が攻撃に対して完璧でなければ防ぐことはできない。
ザインの『魔剣装填』は、天敵と呼ぶに相応しい。
五百種類の斬撃が、撃ち合うごとに加速するザインの剣技をもって振るわれる。
“音の概念”を持つシャクティですら調律が追いつかなくなるほどの超速剣技。
斬撃速度は既にシャクティの知覚を上回りつつあり、少しずつ、シャクティが押され始めていた。
「どうした〈異界侵蝕〉! 残弾はまだまだあるぞ!!」
「……っ! 面倒な……!」
千変万化の魔剣と魔法の余燼が空間を満たし音を狂わせる。
魔剣の威力は一撃必殺足り得ない。しかし、くらえばシャクティでも損耗は必至である。
「ならば……貯蔵庫を叩くまで!!」
瞬間、ザインの斬撃をシャクティが紙一重で見切り身を躱す。
「テメッ——」
「『ヴィヴァーチェ』!!」
迸る狂騒の狙いは、ザインではなくリンカたち魔法使い。
ザインへの魔弾供給に防御をかなぐり捨てていたリンカたちに防壁を張り巡らせる暇はなく、そもそも彼女たちの技量ではシャクティの一撃を防ぐことは叶わない。
しかし、ここにはもう一人、戦士がいた。
「やらせねえよっ!!」
治療も半ばで飛び出したライラックが血反吐を吐きながら大戦斧を振りかぶり、燃えるような闘気に背中を押され狂騒と激突した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
しかし押し負ける。
炎の潰えたライラックではシャクティの楽章に敵うわけもない。
治療魔法で施された応急処置はあっという間に剥がされ、ひび割れた全身の骨肉が悲鳴を上げた。
「が、ぁ、ぁあああああああ——」
それでも、折れず。
ライラックは剣を支えに、大戦斧を前面に押し出し、最後の拮抗を破らせない。
「俺も——」
ライラックは願う。
「俺だって……!」
自らの、形になった想いを。
「俺だって! アトランティスを! 自分の世界を守りてえんだよーーーーーー!!」
その言葉に呼応するが如く。
ライラックの心に、新たな炎が灯る。
「『母なる故郷の海を望む』!」
祝詞は、自然に紡がれ始めた。
「『我らの揺籠 我らの墓場』」
ライラックの鼓動に乗せて、青く輝く焔が波打つ。
「『命の灯は潮騒と共にあり』!」
口端から溢れた鮮血が、ライラックが纏う超高熱によって瞬く間に蒸発する。
双眸が映すのは、瞋恚の火。
「俺の名はライラック! ライラック・ルイン・フォン・アトランティスだ!!」
自らへの怒りではなく、故郷の海を穢す狼藉者への、側にいながらも理解を拒んだ血族への怒り。
「『淵源の焦熱よ、ここに来たれ』!!」
祝詞の完成と共に、ライラックの心臓を中心に深海よりも深い、青き焔が顕現した。
忘れようがない、常に心にあった故郷の青。
海は、常にライラックと共に在った。
「俺はもう逃げねえ! 親父からも、自分の弱さからも!!」
万物を包み込むような青き焔が燃え盛り、シャクティの楽章を燃やし尽くす!
ライラックの感情に呼応する青き焔。その深みも、熱も以前の青炎とは比較にならず、しかし、炎がライラック自身を燃やすことは、もうない。
青き焔と渾然一体となった、燃え盛る炎のような魄導の発露。
今度は、ライラックの手によって発現に至った。
「シャクティ! 俺はお前を超えていく!」
「ライラック……! 君は、呪われていないとでも言うのか……! その、魂の発露は!!」
魄導は、自らを真に理解した者のみが輝く可能性を得る境地である。
憎しみによって発露したシャクティと、世界への想いによって発現に至ったライラック。両者は完全に袂を分かった。
「……ハッ、俺の弟子なんだから、それくらいやってもらわねえとな」
弟子の進化にニヤける頬を律し、澄まし顔を整えたザインが一歩下がりライラックへと並んだ。
「やれんだろ、ラルフ……いや、ライラックか?」
「どっちでもいい。師匠が好きなように呼んでくれ」
どちらも自分であると、ライラックは大戦斧と剣、歪な二刀流を構える。
「なら、ラルフだな。王子だろうがなんだろうが、俺にとっちゃテメェは“ラルフ”だ」
「いくぞ師匠、力を貸してくれ!」
「ハッ! 言われるまでもねえ! そのために来た!!」
師弟並び立ち、災厄へと挑む。
「ならばライラック! 君諸共に葬り去ろう!!」
音を統べる海淵を憎む源流血族は、ヴァイオリンが軋みを上げるほどの魄導を放出し、剥き出しの怒りを叫んだ。
右翼端
〈楽采狂騒〉シャクティvs〈第七王子〉ライラック
『魔剣世界』“剣” ザイン




