悠久vs海淵⑨ “縁”軍
「信じ……? ライラック。君は何を言っているんだ?」
シャクティは意味がわからないと、火傷を治療してなおじくじくと痛む左頬を触り瞳孔を揺らした。
「君は、あの男の一体何を信じると……?」
わなわなと全身を振るわせ、ヴァイオリンをとり落としたシャクティは己の身をかき抱いた。
「な、なぜだライラック! あの男の暴虐を! 空虚を! 非情を知る君が! なぜだ! なぜあの男に寄り添おうとする!? なぜそんなにも真っ直ぐな瞳を、敵意を僕に向けるんだ!!?」
「んなもん、決まってんだろうが……!」
大戦斧と右手を杖に、“説得”によりボロボロになった体を支えたライラックは確信を持って、自分の心を言葉にした。
「俺が! ノルドレイ・ワグマ・フォン・アトランティスの息子だからだ! 子供が! 自分の父親信じて何が悪い! 期待して何が悪い!?」
身を焼く炎が、深く、青く染まりゆく。
「俺の母さんはクソ親父を愛してた! ずっとそばで見てきたからわかるんだよ!! 優しくて頭の良かった母さんが、本当に、楽しそうに話してたんだよ!! そんな男が!! 最低最悪のクソ野郎なわけねえって!! そう信じることになんの問題もねえだろうが!!」
「り、かい……できない」
シャクティは、拒む。
「理解できない、理解できない、理解できない理解できないできないできないできないできないできないできないできないできないできないっっ!!!!」
相互理解を、拒絶した。
「あり得ない! ライラック! 君は父親に愛想を尽かしたはずだ! 嫌気がさして海を去ったはずだ!! 与えられた名前を捨ててまで! そんな君が! なぜ今になって歩み寄る!? 寄り添おうとするんだ!? ライラック!! 僕と同じ君が、どうして!!?」
「テメェと俺を……一緒にすんじゃねえ!!」
「——!?」
血反吐を吐きながら叫び、ライラックは盛大に咳き込んだ。
口端から唾液と血の入り混じったものを垂らしながら、ライラックは“ラルフ”として旅をした日々の中で見聞きしたものを思い出す。
「本気で世界を救おうとする奴を間近で見てきた」
今もなお、憧れる背中。
仲間で、ライバルで、目標であり続ける。
同年代とは思えないほど達観していて、自分なんかよりずっと多くを経験して、背負っている。
そんな誇れる友人をそばで見てきた。
「自分たちの信念を、誇りを持ち続けた人たちがいた」
世界に虐げられながらも、確かな意志と誇りを胸に抗い続けてきた強い者たち。
初めて誰かを師と仰ぎ、その生き様をかっこいいと思った。その願いが届いて欲しいと切に願った。
「自分の世界を守るために、無知を貫く強い人がいた」
世界の危機を、世界を守るために関知しない王がいた。
愛する世界を守るために愛する大地を見捨てるという特大の矛盾を抱えた男だった。
「そうだ……辛くないはずがねえんだ。痛くて、苦しくて、胸を掻きむしりたくなるくらいしんどいに決まってんだ!」
ライラックは思い出す。客人を歓迎し、豪快に笑う〈魔王〉の姿を。
「クソ親父も……そうだったんじゃねえかって。今ならそう思えるんだよ」
なにか、理由があったのだと。
“ラルフ”として旅を経験してき今ならそう思えるのだと、ライラックは決然とした凛々しい眼差しで言い切った。
「七強世界っつうデケェ世界の頂点には、俺には想像もつかねえ苦労がきっとあるんだ。言えねえことだって、あるはずなんだ」
それでも、少しくらいは弱みを見せて欲しい——そう思って、ライラックは。
己の“怒り”の根源を知った。
「何を言っているんだ、君は……君は!! その怒りは!? 身を焦がすほどの狂える怒りはなんだ!? 僕の音楽にも負けない激しい怒りは!! なぜ、今もなおその炎は燃えているんだ!?」
とりみだすシャクティの悲鳴のような問いかけに、ライラックは大きく息を吸った。
「この怒りは……弱い俺自身への怒りだ」
「……君、自身……?」
理解の及ばない感情の発露に、シャクティが惚けたように動きを止めた。
「母さんが死んだ時、何もできずにただ泣くことしかできなかった。クソ親父に、なんで来なかったんだって当たり散らすことしかできなかった! ついさっきだって! 玉座から動かねえあの人に罵詈雑言吐いて逃げることしかできなかった! そんな弱え俺への怒りだ!!」
もし、自分がもっと強かったのなら。
父親が、源老が抱える途方もない重荷の、ほんの少しでも背負うことができたのなら——
「何か変わったんじゃねえかって! 意味のねえ後悔でも思っちまうんだよ! 最後に顔を見せられたかもしれねえ! 少しでも軽くできたかもしれねえって!! 俺は……ああ、そうだ。俺は——」
ライラックを産み育ててくれた母、ルイーゼは。
ノルドレイに会いに行く時、必ずライラックを連れて行った。
そして、幼い頃は。
——『ライラック。こっちへ』
ノルドレイは、いつも。
ライラックに手招きして。そして、笑って頭を撫でてくれたのだと。
8歳のライラックにはない記憶を、ルイーゼはそう言って教えてくれていた。
「俺はもう一度——親父に頭を、撫でて欲しかった。そんな余裕ができるように、親父を支えられるくらい、強く、なりたかったんだ」
怒りで歪んだ記憶が解け、ライラックの青炎が音もなく消失した。
「……ざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!! あるわけないだろう! そんなことが!!」
激昂したシャクティの両手にヴァイオリンと弓が構えられる。迸る魄導にライラックの表情が強張り、シャクティに共鳴する音響結界が金切り声のような濁音を響かせた。
「あの男に限って、そんなことが!」
弦の調子を確かめたシャクティが、先ほどまでとはうって変わった憎悪に支配された表情をライラックへ向ける。
「ライラック! 君はやはり呪われている! 血によって、君はあるべき姿から捻じ曲げられている!!」
血走った眼を向けたシャクティが、弓を弦に押し当てた。
「僕が解放してあげよう! ああ大丈夫だ、恐れることはない! 分かり合える、分かり合えなくてはならない! さあ! もう一度、相互理解を始めよう!」
破滅を齎す楽章が奏でられる。
音響結界という名のコンサートホールにシャクティの音楽が満ち満ちて、ライラックへと降り注ぐ。
青炎を途切れさせ、息も絶え絶えなライラックにこれを防ぐ方法はなく。
遠く離れた玉座に、固く握り締められた拳から血が垂れた。
その、誰かの願いが届いたように。
エトラヴァルト、イノリ、ストラの胸の校章が輝いた。
刹那、音響結界がたった一つの斬撃によって真っ二つに断ち切られる。
「何が——!?」
音楽を切り裂かれたシャクティは面食らい、斬撃の在処……上空を見上げた。
「……どうやら間に合ったらしい」
しかし、そこに下手人は既にいない。
目の眩む速さでライラックの真横に着地した。
風に靡く白髪混じりの黒髪と生気のない薄緑の瞳の男に、ライラックの目があらん限りに見開かれた。
「なん、で……ここに!?」
「決まってんだろうが。——恩を返しにきた」
「……僕らの相互理解に割って入るなんて……とんだ狼藉者だね」
油断なくヴァイオリンを構えるシャクティは、闖入者の男を睨みつけた。
「海淵世界の者じゃない……何者だい?」
名を聞かれた男は、薄く笑った。
「『魔剣世界』レゾナの“剣”、ザイン」
以前のような錆びついた剣ではなく。
よく研がれたしなやかな直剣を構えたザインは、〈異界侵蝕〉を前に不敵な笑みを浮かべた。
「——不肖の弟子を助けにきた」
◆◆◆
その声は、あまりにも戦場に似つかわしくない、高らかで高貴な反撃の狼煙だった。
「オ〜ッホッホ! オ〜ッホッホッホ! オ〜ッホッホッホッホッホッホ!!」
遥か上空に突如として出現した飛空乗艦から見事な浮力制御で中央戦場に着地した学生服姿の少女は、自慢のトレードマークである縦ロールを存分に振り回し、後から着地してくる剣士たちから『またやってるよ』と呆れの視線をぶつけられた。
誰もが、颯爽と登場して〈異界侵蝕〉の前で堂々と高笑いを上げる少女に困惑する中、唯一、その華麗な立ち姿に見覚えしかないストラが驚愕に声を荒げて血反吐をこぼした。
「り、リディアさん!? どうしてここへ!!?」
「そんなもの決まっていますわ、ストラ! 私、友人を助けに参りましたの!!」
リディアの高笑いは、輝く校章を通じてエトラヴァルトとイノリの耳にも思いっきり届いていた。
「なんだ、この高笑いは……?」
エトの胸元から突如響き渡った高貴な高笑いに金一級たちが困惑する中、エトは驚き以上に笑みを堪えきれなかった。
『——エトラヴァルト!』
脳内に珍しく興奮したエルレンシアの声が響き、エトは思い切り頷いた。
「ああ! 『魔剣世界』だ!」
イノリの下へは、なんなら戦場が静かだったことも相まってやまびこのように実音声も届いて輪唱みたいになっていた。
「リディアさん!? なんでここに——っていうか声でかっ! あと目がめっちゃ熱いんだけどナニコレ!!?」
さしもの〈異界侵蝕〉とて突然の高笑いには困惑するらしく、ギルベルトは『何が起こってんだ?』とイノリへの追撃の手を止め頭の上に疑問符を浮かべた。
「よ〜し! 間に合ったみたいね!」
「遅刻気味な気はするけどな!」
さらに、高笑いで正気を取り戻したイノリの両脇を固めるように、男女一組の鬼人が戦場に到着する。
紫髪の女性と白髪の男。
つい先日まで共に肩を並べて戦い、土木作業に勤しんできた戦友に、正気を取り戻したイノリは思い切り驚いた。
「スミレさんに、スズランさん!?」
イノリの声に、二人は揃って笑顔を浮かべて頷いた。
「暫くぶりね、イノリ!」
「〈魔王〉の勅命受けて、援軍連れてやってきたぜ!」
◆◆◆
援軍到着の一報に、管制室のリントルーデは感情を爆発させた。
「——そうか! 間に合ったのか『極星世界』は!!」
勅書の正体、それは『極星世界』から援軍を送るというものだった。
だがしかし、『極星世界』が『海淵世界』へ、『悠久世界』の目を欺いて援軍を送るのは極めて難易度が高い。
大規模転移は常に監視されている以上、送れて数名——更に、〈異界侵蝕〉も同様に動向を監視されているゆえに実質的に不可能であった。
そこで、〈魔王〉は一切マークされていないスミレとスズラン、二人の魄導使いを地上経由で魔剣世界へと送り込んだ。
途中、『悠久世界』を通過するという特大のリスクを孕むが、二人だからこそノーリスクで突破できた。
“豊穣の地”という存在を認められていなかった地で生まれたがゆえに戸籍を持たなかった二人の戸籍偽装はあまりにも容易だった。
そして、〈魔王〉はエトラヴァルトとライラック、更にはカルラの“縁”を利用した。
『魔剣世界』レゾナという、誇張抜きにエトラヴァルトたちの助力によって歪みを是正するきっかけを得た世界。
カルラの旧友であるエスメラルダを頼り、エトやライラックの“恩”を引き出しに、〈魔王〉は援軍を“現地調達”したのである。
しかし援軍の性質上、開戦に間に合わせることは困難を極めた。
それゆえの“三分”。
援軍の存在を視ていたフェレス卿は、その援軍が土壇場で間に合うか否か——その分水嶺に“三分”というリミットという分岐点を未來視したのである。
無論、未來視の存在などリントルーデは知らない。
しかし、援軍は今ここに間に合った——それが、唯一絶対の真実だった。
「よくやってくれた、極星と魔剣の者たちよ……! そして皆、よく耐えてくれた……!!」
リントルーデは今一度、感情をはち切れさせ強く拳を握った。
◆◆◆
宣誓する。
「たった今この瞬間! 私たち『魔剣世界』レゾナは! 『悠久世界』エヴァーグリーンへ宣戦布告いたしますわ!!」
今この時、外交の全権を委ねられたリディアによって『魔剣世界』は『悠久世界』と完全に敵対した。
大世界が七強世界と敵対するというあまりにも愚かな行為。
力強く宣言したリディアに、フィラレンテは正気を問う。
「それ、本気で言ってるんですか?」
今ならまだ、間違いでは済ませられる——そんな意図を孕んだ言葉。
奇しくもシャクティから同じ問いを受けていたザインは、送れて降下してきたリンカ・レーヴァチカ筆頭の魔法使いたちを背に、不敵な笑みを崩さず。
「——当たり前だろ。伊達や酔狂でここに立っちゃいねえよ」
「およそ正気とは思えないね。七強を……僕ら〈異界侵蝕〉を敵に回して、たかが大世界が生き残れるとでも?」
『魔剣世界』レゾナは第四大陸に位置する。即ち、第三大陸の覇者である『悠久世界』とは地理的にごく近い関係にあると言って差し支えない。
そんな世界が、真っ向から対立を宣言するなど、シャクティの言うとおり、およそ正気の沙汰ではない。
——だが。
「そんなもの、関係ありませんわ!」
「関係ねえよ、そんなこと」
“魔”と“剣”は、共に同じ答えを出した。
ザインが吼える。
「教えてやるよ。七強世界だろうが、〈異界侵蝕〉だろうが関係ねえ!」
リディアが高らかに笑う。
「私たちはもう、他者に在り方を歪められることはありませんの!」
僅か一千人の援軍。
しかし、彼らは“魔剣”。かつて数で圧倒的に劣る中、他世界の侵攻をその圧倒的な武力を持って退け続けてきた世界である。
ザインは剣を。リディアは杖の切先をそれぞれ眼前の〈異界侵蝕〉へと突きつける。
「私たちはただ! 私たちの大切な友人に!」
「俺たちを導いた英雄に!」
「「恩を返しにきた! それだけのこと!!」」
剣の主が、高らかに告げる。
「——抜杖しろ!」
魔の架け橋が優雅に告げる。
「——抜剣なさい!」
杖と剣が抜き放たれ、『魔剣世界』レゾナが戦場に降臨した。
「覚悟なさって? 『悠久世界』の皆様。私たちは手強いですわよ!!」




