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悠久vs海淵⑧ ラルフ/ライラック

 もう一つの未来の分岐点。

 それは、同じ血の流れる男同士がぶつかり合う戦場の端。


 大地震と紛うほどの大音響が絶え間なく響き渡る右翼端。

 音響結界の中にただ一人孤立させられながらも奮闘するラルフを、〈楽采狂騒〉シャクティは完膚なきまでに叩き潰そうとしていた。


「26年前! 我が父アシュトンが永遠の眠りについた! 大きな背中だった! 尊敬すべき人だった!」


 武力のみならず、思想の一片に至るまで。

 ライラック・ルイン・フォン・アトランティスという青年を屈服させようとしていた。


 未だに結界の突破に挑む海淵軍の無謀な突撃を背景に、荒い呼吸で剣を杖に、大戦斧に青炎を纏わせたラルフが今日何度目ともしれぬ突撃を敢行。


「アアッ!」


 裂帛の気合いと共に大戦斧をシャクティの脳天目掛けて振り下ろし、ヴァイオリンが奏でる音色と衝突——鋼鉄同士がぶつかり合ったような甚大な衝撃波が周辺の大地を抉り、渾身の一撃はまたしても防がれた。


「〜〜っ、んの野郎っ!」


「偉大な父だった! ……だというのに!!」


 ラルフの一撃を容易く受け止めながら、シャクティは激情に叫ぶ。


「ノルドレイは葬儀に出なかった! 父が崩御したその瞬間から玉座につき、ふんぞり返り!! 血の繋がった父親の最期を見届けることすらしなかったのだ!!」


 血管がはち切れそうなほどの怒りを捲し立て、シャクティは手元を狂わせて濁音を響かせる。


「父の肉体が灰に還り、海へと流れるその瞬間も! あの男は一歩たりとも玉座から動かなかった! わかるだろうライラック! アレに情などない! 暖かみのある血など通っていない! 獣にも劣る、愚劣な怪物! それが今の源老だ!!」


 乱れる音階が不規則な衝撃波を生み出し、ラルフの肉体へと叩きつけられる。


「ぐっ……、ぁあ!」


 みしりと骨の軋む音に表情が歪み、内臓が圧迫されたことによりラルフの口から血反吐が溢れた。


「ライラックよ! 我が甥よ! あの男に母を見殺しにされ、自らも眼差しを受けぬ男よ! お前が立つべきは海淵(そちら)ではない!!」


「だから……! ご高説垂れてんじゃねえ……!」


 理解を謳うシャクティに対して、ラルフは燻る苛立ちに胸を掻きむしった。


「俺を! アンタが勝手に定義してんじゃねえよ!」


「理解できるともライラック! お前のその恐怖は、拒絶そのもの! 自らに流れる冷き血液を認めたくないのだろう!」


 何度も、繰り返し襲いかかるライラックをその度に撃退し、少しずつ傷を増やしていく。

 シャクティは力での服従を良しとせず。徹底的に、ライラックとの相互理解を望んでいた。


「案ずることはない! 拒絶とは前進への第一歩だ! 一度拒んだことを重荷に感じているなら、それは不要な感情だ、ライラック! 僕は理解している! 君の怒りを、苦しみを、恐怖を!! 僕らは分かち合える!!」


「俺は……っ!」


「僕らは同じだ! 肉親を失った苦しみ、それをなんとも思わない肉親への怒り、嘆きを! 僕らは同じ想いを経験した!! ならばわかるだろう!!」


「そんなこと……!」


 加速する音色がライラックを打ちのめし、皮膚を破き、筋肉を断ち、臓腑を揺らし、骨をひび割れさせる。



 反論が浮かばなかった。

 冷徹で人の心がない——そうかもしれないと。


 自らの父と、支えてきてくれた妻の死に足を運ぶことなく、顔色ひとつ変えずに玉座に座るあの。

 父親面すらしない源老に、ライラックは確かにやるせなさを、怒りを感じていた。


「俺は……がっ!?」


 鳩尾へ重低音の一撃を受け、剣を手放し地に転がった。


 間違っていると。

 目の前で相互理解を求める叔父に当たる〈異界侵蝕〉の発言を真っ向から否定する材料を、ライラックは持っていない。



 ……いや、そもそも。

 否定する必要はどこにもないのかもしれないとすら、ライラックは心のどこかで思う。


 ラルフとして、この戦いに決して負けることはできない。自らの世界のために身を挺して戦う仲間に、必ずその力になると誓った。



 だが、ライラックとしてはどうなのか。

 実の父親を恨み、憎む心は確かにあって。

 彼のために戦いたいと、自分は思えるのか——“ライラック”が揺らぐ。



「あの虚栄心に満たされた心のない怪物に! 共に刃を突き立てよう! さあ、ライラック!」


 心の揺らぎを敏感に感じ取ったシャクティがここぞとばかりに言葉で抉る。

 ヴァイオリンの弓を離し、右手をライラックへと差し出す。


「この手を取るんだ、ライラック。同胞として、僕は君を歓迎する!」


 結界の外で巻き起こる騒乱は全て遮断され、世界には今、ライラックとシャクティしかいない。

 誰の言葉も届かない場所で差し出された手に、ライラックはゆっくりと手を伸ばした。





◆◆◆






 模倣・繁殖の竜が隆盛を極める。

 空間魔力に限らず、ストラの影響力が及ぶ範囲全ての魔力を恵みに、並大抵の耐久力……危険度6やそこらの魔物が容易く消し炭になる火力の魔法が吹き荒れていた。


「ちょっと気を抜けば、ワタシから直接魔力を食い潰す勢いですね……!」


 戦争に際してフィラレンテが用意した550体の人形は、僅か120秒でその半数以上の324体が撃破された。


「ほんっっと! ワタシと相性最悪ですね!?」


 空間魔力を用いて半ば無尽蔵の動力を得る人形は、一帯の魔力全てを支配下に置き、敵対者の魔力すら自らの力に転化するストラの『概念模倣・繁殖』とは、フィラレンテが喚くようにあまりにも相性が悪かった。


 シャクティであれば音響結界で対処できただろう。

 タルラーであれば全てを意に介さず破壊を撒き散らしただろう。

 ギルベルトなら、どれだけ魔力を喰われようとかすり傷ひとつ負わなかっただろう。


 だが、ここにいるのはフィラレンテであり、その前に立ち塞がったのはストラである。


 両軍が全く意図していなかった、一人の〈異界侵蝕〉に対する究極のカウンター。

 こと〈人形姫〉フィラレンテにとって、銀三級冒険者ストラは、〈異界侵蝕〉に勝るとも劣らない真の天敵だった。


「一体作るのに幾らかかると思ってるんですか……!」


 手間暇と金と資材を投入して作成したもう一人の自分とも言うべき人形が、飢えた竜の群れに瞬く間に食い漁られ、自分を追い詰める魔法へと変換される。


 全ての魔法が魔力を保有する存在に対する特攻——魔力への抵抗力がストラより低い者であれば戦場に立つことすら許されない、問答無用の選別。


 17年の短い歳月。しかし、読み込み続けた膨大な魔法に関する知識から放たれる変幻自在の無数の魔法陣がフィラレンテの対応を後手に回す。

 不定形、定型、実体、非実体……織り交ぜられる多彩な魔法が完全な対処を実質的に不可能にさせる。


「埒があきませんね……!」


 これ以上の消耗は致命傷になりかねないと判断したフィラレンテは、10体の人形をストラへと突貫させた。


「……っ!」


 降り注ぐ魔法の数々に対して、人形が取った行動は自己犠牲。

 これまでの対応とは異なるフィラレンテの思惑に、狙いを外したストラの表情が苦渋に歪んだ。


「魔法にさえ当たらなければ……!」


 降り注ぐ致命の豪雨に対して9体の人形が壁となり、ただ一体、本命の人形が弾幕を突破し、ストラへと肉薄する。


 武器は持たず、用いるのはただの手刀。

 しかし、本人の耐久力が貧弱と言う他ないストラに対しては十分な致命傷になる。


「今、ここは——」


 ただ一体、竜を再現する無法者の目の前にたどり着いた人形が必殺の手刀を放った。


「——わたしの領域です!!」


 だが、薄皮一枚届かず。


「これでも届きませんか……、!?」


 膨大な魔力によって無理やり制御権を奪われた人形はその場で静止し、ストラによって魔法陣を描かれ形を変える。


 生み出されたのは、一本の巨大な杭。


「お返しです!」


 十重二十重に描かれた魔法陣を通し、苦い笑いを浮かべるフィラレンテへと超高速で返却される。


「まずっ……!」


 即座に人形たちを射線上に挟み——接触と同時に分解されていく。


「魔力の簒奪……杭に魔法陣を直接書き込んだんですか!」


 力と技の二方向から自分の防御を無力化したストラに、フィラレンテはその頭の回転の速さに敵ながら称賛を送らざるを得なかった。


「凄いですね、貴女は」


 フィラレンテは認めざるを得なかった。

 今この瞬間、この場において、ストラが自分よりも勝っていると。


「ですが……()()()()です」


 瞬間、ストラの背後に聳え立つ繁殖の母体がなんの予兆もなく瓦解した。


『——!?』


 味方の驚愕を他所に、三分間に自分の全てを注ぎ込んだストラがその場に崩れ落ち、いち早く事態に気がついたヴァジラによって支えられた。


「——アリアン! 介護を急げ!!」


 中央戦場を支配していた膨大な“圧”が底が抜け落ちたかのように霧散し、フィラレンテの人形たちが本来の輝きを取り戻す。


 たった一人の少女によって荒らし尽くされた戦場は荒れに荒れ、普段空間を満たす膨大な空間魔力すら薄く感じるのは、おそらく気のせいではなかった。


「まったく……せっかくの〈異界侵蝕〉公式デビュー戦なのに、これじゃあ面目丸潰れですね」


 元々面目など然程気にしないフィラレンテではあるが、将来的に『悠久世界』での広報活動に影響が出そうだ——と政治的側面でため息をついた。


「本当に強かったですよ」


 糸を手繰るような仕草で55体の人形を整列させ、ストラの要望通り、隊列を組み直したヴァジラたちと対峙する。


「全身ボロボロね……よく頑張ったわね、ストラちゃん」


 浅い呼吸を繰り返すストラを運ぶことをアリアンが躊躇った結果、その場で治療を受け始めたストラとフィラレンテの視線が交錯する。


「すみま、せん。……倒す、つもりでした」


「十分すぎる戦果だちんちくりん。一兵卒が〈異界侵蝕〉の三分を奪った……これが大金星以外のなんだってんだ」


 ストラの奮戦を最大限労ったヴァジラは、予備を補充してなお四枚にまで数を減らしたチャクラムを持ち、フィラレンテを睨みつけた。


 対する〈異界侵蝕〉は、万全とは程遠くもその貫禄を見せつけるように一糸乱れぬ軍靴を鳴らす。


「もう好き勝手はさせませんよ」


 吸血鬼が不敵に嗤う。


「身ぐるみ全部剥ぎ取って、素っ裸にしてやるよ〈異界侵蝕〉!」


『うわぁ……』


「五月蝿え! さっさといくぞ!!」


 味方からのドン引きに額に青筋を立てたヴァジラが、怒りのままに踏み出した。





◆◆◆





 薄暗闇の帷が降りた戦いは、異常の一言に尽きた。


 あらゆる誤謬を排斥する無瑕の存在と、あらゆる無法を通す時間の支配者。

 自らの絶対的な不変を利用し空間を抉るギルベルトに対して、空間の時間を固定し封殺するイノリ。


 速度という概念を無視したイノリの攻撃を悉く無効化するギルベルト。

 しかし、ギルベルトの攻撃もまたイノリに届かず。


 両者の間には、側から見れば意味のわからない千日手のような状況が生まれていた。


 笑うギルベルトと、涙を流すイノリ。

 雄々しく叫ぶ男に対して、少女は静かに世界を見下す。


 無瑕と、時間に与する力。両者は共に相性が良く、そして絶望的なまでに悪かった。

 強いて言うならば、未だ底が見えないイノリの力を加味すれば天秤は傾くかもしれない。


 だが、そんな仮定は無意味だとばかりに、唐突にイノリが時間結界を解除した。


「……何をしている」


 急に梯子を外された子供のように唖然とするギルベルトに対して、イノリは左眼を閉じ、昏い笑みを浮かべた。


「もう……()()()()()()()


 



◆◆◆





 ライラックの右手がゆっくりと、差し出されたシャクティの右手へと伸びる。


 その様子に、シャクティは歓喜の表情を浮かべた。


「……そうだライラック。僕たちは理解し合える!」


 俯いたラルフは、ざり、と土を鳴らし、膝をついて腰を上げた。


「俺は、アイツを……」


「さあ、我が同胞よ。共にあの男を——」


 そして拳を握り、無防備なシャクティの左頬に渾身の一撃をぶち込んだ。


「俺は——アンタの手は、取らねえ!」



「……! なぜだ、ライラック」


 心の底から悲しみを滲ませるシャクティを前に、ライラックは今日何度目か、数えるのも馬鹿らしいくらい滾らせてきた青炎を身に纏った。


「ひでぇ奴だと、思うよ」


 肺の中に溜まった血を無理やり吐き出し、頭部の出血を拭い、傷口を焼いて塞ぐ。


「こっちのことなんて気にもしてねえ、最低な野郎だと思うよ」


「なぜだ。そこまで思って、なぜ僕の手を拒んだ?」


 意味がわからないとかぶりを振るシャクティに、ライラックは自重気味な笑みを浮かべた。


「それでも、信じてえんだよ」


 剣を拾い上げ、ライラックは胸に手を押し当てる。

 自らの名前に付け足した、母の名前を想う。


「アイツが……クソ親父が。母さんのことを愛してたって! 俺は、どうしても信じてえんだよ!!」




◆◆◆





 今、この瞬間。

 三分という短くも長いリミットが終わりを告げた。

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[気になる点] この3分がどんな結果につながるのかどきどきする
[一言] エト以外のそれぞれの3分、吸血鬼さん、一応女性相手にとんでもない発言。
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