さぷらいず
中間テスト。普段行われている復習の為の小テストとは違い、最初の授業から少し前の授業までの範囲で、主要教科+一部の副教科で出される。
中学生から上がったばかりの中山奏達にとっては、中学生時代の復習も兼ねたテストになる。だからこそ、ここで躓くようであれば先の授業についていくことは困難だろう。
奏は林道秀に不意打ちをくらい、望んでいない流れになった事を反省して、放課後は1人図書室で勉強をすることにしていた。自宅では誘惑が多すぎて、集中ができないという理由があるにはあったが。たかだか1、2時間ではあるが集中できる環境で行えるというのは馬鹿にならない。
新谷萌や上村かおり等、勉強会と称して奏に連絡を取っていたり、話しかけるクラスメイトもいなかったわけではない。ただ、また同じ流れになるという根拠のない考えを持った奏はそのことごとくを断わっている。
当然、不審に思うクラスメイトもいるにはいたが、静かに勉強がしたいだけだろうと考えてしつこく誘うのをやめることにした。その対応が結果的に良かったのは、奏自身にもわからなかった事だが。
テスト前日の放課後、いつものようにカバンを引っ提げて図書室へ向かう奏。
放課後は図書委員もテスト期間中で不在。図書館の司書のように先生達がカウンターの後ろにある区画に常在しており、壁の上半分がガラス張りで中も覗けるようにはなっている。
奏はいつものようにガラス越しに先生らに会釈し、図書室にいくつかおいてある長机の端の席につく。ここ2日ほど、生徒も不在で小さく鳴らされているヒーリングミュージックがよく聞き取れるほどの静けさとなっており、その環境を奏はとても気に入っていた。
今日は苦手な英語を勉強したいということで単語帳と分厚い英和辞典を取り出した奏。教科書とノートも広げて、普段ならスペース使いに文句の一つでも入りそうなものだが、誰も文句を言う人もいないので大きく使っている。
ブツブツと単語を呟きながら意味と単語を書き出していく奏。白紙のノートが黒く塗りつぶされていく。正確には単語と意味を詰めて書きすぎて、遠くから見ると黒く見えるだけではあるのだが。
時々思い出したように教科書で文法を読み、書き出して、頭に入れようと頑張っている。それが身につくかはさておいても、奏は至極真面目に取り組んでいる。胸のうちに溜まる黒い澱みも今だけは忘れて。
ガラガラと図書室の入口のドアが開かれる音が響いた時、弾かれたように頭を上げて壁に掛けてある時計を確認する奏は、『おや?』と言いたげに首をひねる。
奏が入室してから時刻はまだ30分しか経っていないが、部活禁止令が出ているテスト前にわざわざ終業後に残る生徒は数少ない。加えてここ数日は奏以外に来訪者はいない。奏は、先生かもしれないなと考えて再びノートに目を落とし、勉強を再開させる。
「ごきげんよう、奏様」
「……」
単語を必死に覚えようとしていた奏に、先程の入室者が机越しに声をかけてきて、奏は邪魔をされた不機嫌さを隠さずにその声の方へと視線を向ける。
その視線の先の人物が予想外のモノで、奏は眉を上げ少しだけ目を開ける。面食らった奏を見て、微笑みを湛えて奏から真正面ではなく1席隣の斜め向かいの席に着く。
「驚かせてしまいましたね。さぷらいず、大成功といったところでしょうか」
リンと鈴がなるような、そのような錯覚を起こす程に耳に心地良く残る声色と、自分の中に込み上げる目の前の女子生徒への好意に、警戒心を強めるかのように机の下で拳を握り、睨みつける奏。
そのような奏の反応にも表情を崩さない女子生徒。
「なるほど。陸様ですね、必要のない事項を吹き込んだのは。もう、イタズラ好きにも困ったものです」
クスクスと状況を楽しんでいるかのような笑みの筈が、魅力的に見えて一瞬見惚れてしまったようになってしまい、奏はすぐにハッと気がつく。
「……僕に、キミが何の用?椎名朱璃さん」
「ようやく、私とお話をしてくださる気になっていただけましたね?中山奏様」
「正直なところ、何も話したくないよ」
「ええ、そのようですね」
「僕は見ての通り、勉強しているんだ。邪魔……っ、なるべく、話しかけないでくれるかな?」
「そのような、寂しい事を言わないでください。悲しくなってしまいます……」
自分の胸の辺りに右手を持ってきて、キュッと手を握りしめて瞳を揺らす朱璃。
思わず声をかけて慰めたくなる気持ちが湧いてくる自分に、彼女への罪悪感と少しばかりの恐怖を感じる奏は、このままでは何かがマズイと机に広げていた教科書等をカバンに押し込んで逃げるように席を立つ。
「奏様」
図書室から出る寸前で、耳に響いてきた音に足を止めてしまい、振り向く奏。そのことに花が咲くような笑顔を浮かべて、ゆっくりと歩み寄る朱璃。
「今日はお勉強の邪魔をして申し訳ございません。お詫びといってはなんですが……」
豊満で柔らかな感触と柑橘系の爽やかな香りが奏に伝わるほどピタリと体をつける朱璃に、奏は硬直する。耳元へと口を寄せ、熱い吐息とともに蠱惑的な音を零す。
「これで許していただけますか?」
思わず腰に手を回し抱き止めたくなる思考を必死で振り払うかのように奏は朱璃を突き飛ばして、逃げるように図書室を退室する。その耳は真っ赤になっていたのを朱璃は見逃さず、クスリと笑みを零して奏に小さく手を振り見送っていた。
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「逃げられてしまいました。さすが、義姉と陸様のお気に入りといったところでしょうか?」
「中山奏様……今はこれでいいでしょう。私を覚えてくだされば、それで。写真も……」
彼女はスマートフォンを取り出し、メッセージを確認する。
そこには、先程体を寄せていた瞬間の見るものが見れば隠れて逢瀬を重ねていた恋人同士の雰囲気に見える画像が、添付されていた。
「いただけましたことですし」
機嫌が良さそうに満面の笑みを浮かべて、彼女も図書室を後にした。




