恋敵
夫の元婚約者との思いがけない再会を果たした日から、なんだかモヤモヤした感情をアンヌは抱いていた。
そんな時は、妹のコレットの見舞いに行く。哀れな妹の姿を見ると、可哀そうに思い、最近のイライラも抱かなくなるからだ。病院の帰り道である、貴族街のショーウィンドーを眺めるのも、いい気分転換になった。
(見てるだけでも気分が違うわ。欲をいうなら、もう一度、この街で買い物をしたいことかしら)
王都の平民街のショーウインドーもオシャレでハイセンスであったが、貴族街は格というものが違った。なにしろ、店の建物自体がどこかの城をイメージしてしまう造り。
(私の実家は貧乏貴族だったから、あまりドレスの新調は出来なかったけど、今思えば、最低限の事は出来ていたのね。アーサーが大学の先生になって、高給取りになったからって、この街で買い物が出来るほど稼いでいないもの)
嘗て街でショッピング三昧であったアンヌも、それを貴族街で行えば、一家が破産するであろうことは理解していた。
(あ! あの店。あの女と会った店だわ!)
アンヌはいつの間にかヴィクトリアと再会した店に来ていた。
子爵令嬢。
初めて会った時からアンヌはヴィクトリアが大嫌いであった。
(成り上がりの分際で、いけ好かない女だった。歴史も無く爵位も低い子爵家の娘が、名門侯爵家のアーサーと婚約するなんて!)
今は、もう入る事さえ不可能な高級店から出てきた人物。
貴族階級の者だろうとは思っていたが、まさか、それが、ヴィクトリアであったことに驚愕したのは、なにもアーサーだけではない。アンヌも一緒だ。寧ろ、アンヌの方がより驚いた。
なにしろ、嘗ての恋敵が、夫と子供を連れての再会である。驚くなという方が無理だろう。とはいえ、実をいうと、アンヌとヴィクトリアは大して接点はない。
アンヌにとっては、恋敵であり、恋人の婚約者であった。が、ヴィクトリアにとって所詮、ノーバンド侯爵家のメイドと言う括りでしかなかったのだ。婚約者とアンヌの関係を知っていても、ヴィクトリアは大して気にも留めていなかった。
(侯爵家に出入りしていた時からお高くとまっていたわ! 私たちのことを気付いていたくせに、なにも知りません、って顔して澄ましていたわ!)
女のカンとでもいおうか、アンヌはヴィクトリアが自分とアーサーのただならぬ関係を察知している事に気付いていた。
もっとも、ノーバンド侯爵家の者達がアーサーとアンヌの『秘めた恋』に同情的な雰囲気だったので、ヴィクトリアに気付くな、という方が無理であった。
(アーサーに愛されていない癖に、頻繁に侯爵家を訪れては、これ見よがしにアーサーとの関係を誇示するかのように私に見せつけていたのよ!後から割り込んできたドロボウ猫の癖に!)
ヴィクトリアが聴いたら「ドロボウ猫は貴女の方ですよ」と言うであろうセリフを、アンヌは心の中で思った。ヴィクトリアとしては両家の利益のための結婚であったし、貴族の男性に愛人がいるのも珍しい事ではなかったので、波風さえ立たなければどうでもいい、というスタンスだったのである。
(あの時、絶対に私たちに気付いたわ。私を見て鼻で笑ったのよ! 本当に嫌な女!)
アーサーには優しく微笑んだように見えた姿は、アンヌにとって嘲笑の笑みであった。
(でも、まさか結婚していたなんて…。婚約者に逃げられた“傷物”なのに! 田舎貴族の後妻になったとばかり思っていたのに…よりにもよってあんな美形と。
一緒にいた旦那さん凄い美形だったわ。あんな綺麗な人初めて見た。まるで人形のよう…。あんな美形に見初められるはずがないわ! どうせ、金に物を言わせて結婚したんでしょうよ! アーサーの時のように金で夫を買ったんだわ。嫌らしい! 流石は成り上がりの子爵家の娘! 恥を知らないのね!!!
家の歴史はないくせに、国有数の資産家だった。なのに、私の家に多額の賠償金を請求するなんて酷いわ!!! お金に困っていない癖に!! そのせいで家族が不幸になったのよ!!!)
浮気相手に慰謝料や賠償金を要求するのは当然の権利である。
ヴィクトリアや子爵家は正当な手段で請求しただけで、誰に責められることもない。
ローリー男爵家が慰謝料だけでなく賠償金まで払わされたのは、偏に、アンヌの散財のせいだ。
もっとも、これはアンヌのせい、と言うよりもアーサーのせいである。アーサーがアンヌにプレゼントした品は全て子爵家のツケで支払われていた。
本来なら、その金額はアーサーの実家であるノーバンド侯爵家に支払わせるのが筋であったが、ご丁寧に、誰の贈り物であるかを記載した控えと、郵送先まで明記したのが運の尽き。婚約者の浮気証拠と共に、贈り物を受け取ったであろうローリー男爵家に請求がまわったのである。
購入してその場で贈るという愚は侵さなかった代わりに、致命的な証拠を提供している。
誠実といわれたアーサーは、大変、馬鹿正直であった。
浮気証拠である以上、品物代金だけでなく、ヴィクトリアの精神負担という名の金額が上乗せされたのだ。
ここで、郵便先を全く関係ない第三者経由にしていれば、まだローリー男爵家も言い逃れができたはずだ。何しろ、そういった金目の物は、アンヌが駆け落ちの際に持って出ていた。証拠品さえなければ、アーサー一人の罪で終われたかもしれない。
そんなことを知らないアンヌは、ヴィクトリアと子爵家を逆恨みしていた。




