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結い言  作者: 宮下
第2部 お地蔵さん
9/29

火種


『三上さんは、足が速くてらっしゃるんですね』

「!」


 本日、三本目の百メートルの実測の準備中、背後で地蔵の声がした。集中が途切れる。

 三上は苛立ちながら言った。


「黙っていてくれ」


 その声に、隣にいた奥村が反応した。


「俺、なんか言っていたか? すまん」

「いや、ちょっと独り言……悪いな」


 お互いに気まずい愛想笑いを交わしてから、スターティングブロックの調整に戻った。

 これは、気を付けなければならないと肝に銘じる。頭の可笑しい奴だと勘違いされたら、今後の学校生活が悲惨だ。

 三上は、大きく深呼吸した。集中を取り戻し、スターターのピストルの音で走り出す。もっと早くと命令する頭に体がついていかない。若干、足が浮いてしまった。ゴールを迎えたが、三本目は一番散々な記録となった。

 その後は、何事もなく部活を終えた。背後の存在も主張してくることはなく、自分の部屋につくまで地蔵の存在を忘れていたほどだ。

 もしかして、いなくなったのでは。そう思い、自分の背中を見てみると、見慣れてきたざらざらとした頭部があった。異質な存在が黙ってそこにあるだけというのも、気味が悪い。三上は、自分から地蔵に話しかけた。


「どうした? 静かだな」

『黙っていろ、と言われましたので』


 一本調子の話し方なので、拗ねているのか律儀なのか判断がつかない。とりあえず、言うことは聞いてくれるらしいので、悪いヤツではなさそうだ。

 三上は、声音を和らげて言った。


「俺と二人きりの時とか、森山がいるときはしゃべっていいぞ」

『では、お話しさせていただきますが、三上さんの願いを教えていただけますか?』

「またそれなのか……」


 三上は、げんなりした。

 願いなんて生きていたらたくさんあるが、改めて口にするほどの願いがすぐに出てこない。出てきたとしても、まだ信用の薄いこの地蔵に言っていいものかの判断がつかなかった。

 渋る三上に、地蔵は言った。


『私は、子どもの幸せを願って作られた存在なのです。それだけのために存在し、その想いを胸に最期を迎えようとしています。最期に残ったこの想いを、あなたのために使わせてください』


 真摯な地蔵の言葉は、少なからず三上の胸にも届く。

 重すぎる気持ちに応えられる気がしないが、ただ願うだけなら三上にもできることだ。それで双方にメリットがあるなら、いいのかもしれない。三上は、この状況に好機を見出した。

 三上は、軽い気持ちで地蔵に願ってみることにした。


「金持ちになりたい」


 誰しも一度は願うであろう願い。お金はあればあるだけいい。こんな願いが労せず叶うとなれば、ラッキーだ。三上のテンションが少し上向いていく。そして、あっという間に下落した。


『却下です』

「なんで?」

『収入元がお小遣いのみのあなたが、どうやって大金を得るのですか。考えてものを言ってください』


 ひどい言いように、負けじと三上は言葉を振り絞る。


「宝くじがあたるかもしれないだろ?」

『買ってもいないのに、あたるわけがないでしょう。買ったとしても、あたる確率は低すぎます。そのお金でお米でも買った方が建設的です』

「俺の願いを叶えたいんだろ? 金持ちにしてそれで終わりでいいじゃないか」

『あなたがきちんと努力した上での願いでなければなりません。私は甘やかしません』

「少しは甘やかしてもいいんじゃないか? お前のこと、成仏させてやれるの俺だけなんだろ?」

『甘やかしません』


 きっぱりと言い切られ、お手上げ状態だ。

 ここまで融通が利かない、頭の固い存在は初めてだ。石でできているせいだろうか。頭を引っぱたいてやりたいが、身体が硬くて手が届きそうにない。

 もう願いを叶える云々はどうでもいいから、とにかくどこかへ行ってほしかった。こんなことなら、放課後、咲月と丘に行くんだった。懐中電灯が四つもあれば、どうにかなったかもしれない。

 三上が後悔していると、地蔵がいいことを思いついたとばかりに言った。


『さきほど走り込むのが好きな皆さまの集まりがありましたでしょう?』

「部活のことか?」

『その一番最後に、偉そうな最年長の方が、大会があるとおっしゃっていましたよね』

「ああ、あるけど……」

『その大会で一番になるというのはどうですか?』

「なれるのか?」


 三上は、地蔵の発言に食いついた。


『あなたの頑張り次第では、なれますよ』

「頑張れば、本当に一番になれるのか?」

『なれるのではないのですか?』

「なんで疑問形なんだよ」

『今日、見た限りでは足が速いように見えましたけど、自信はおありではないのですか?』

「俺より速い奴がいるからな」


 三上の脳裏に、市原の顔が思い浮かんだ。

 中学から三上は、大会はおろか、部内でさえ一番になったことがない。同級生の市原政弘。彼がいつだって一番だった。三上も百メートルを本命にしていたが、市原がいる限り、部内でさえ二番手だ。そんな惨めさに耐え兼ねて、今は二百メートルか四百メートルを本命にして、市原を避けていた。


「結局は、才能なんだよな」


 どんなに努力しても勝てなかった日々を思い出す。

 全てが無意味だった。積み上げたものを簡単に壊され、プライドはズタズタになった。市原が悪いわけではないのに、黒い感情を持ってしまう自分にも嫌気がさす。今も意図して抑えなければ、嫌な感情が込み上げてくる。そんな小さな自分自身にも嫌気がさす。

 自虐的な思考を、地蔵の発言が止めた。


『でしたら、私がその才能の差を埋めて差し上げましょう』


 その提案に一瞬、三上の中の正義感がブレーキをかける。しかし、それ以上に人間の欲が沸き立つ。

 一番になれたら、こんな惨めな思いをしなくて済む。

 貪欲と強欲が入り混じり、三上の倫理観に蓋をした。


「一番になりたい」


 金持ちになるよりずっと、簡単な願いに違いない。

 しかし、金持ちになるよりも、三上にとっては価値があった。


『では、市原さんよりも多くの練習量をこなしましょう』

「は?」

『ですから、市原さんに勝ちたいのなら、それ以上のことをしなければなりません』

「お前が一番にしてくれるんじゃないのか?」

『一番になるのは、あなたでしょう? ならば、あなたが努力するしかないでしょうに。人生をなめているのですか?』

「……もういい」


 三上は、ひどく疲れた気分になった。いまいち意思の疎通ができている気がしない。

 もう二度と地蔵に期待をするのはやめよう。そう誓った。

 早く土曜日が来ないものか。こんな重たいだけのものを背負っているメリットはなかった。そう思っていたのだが、思いもよらず三上にとっていいことがあった。

 それは、次の日の昼休みだった。


「お地蔵さんは、元は人間だったの?」

『いいえ。私は、子どもを幸せにしたいという願いから生まれた存在ですから、人間ではありませんよ』

「じゃあ、幽霊とは違うのかな?」

『私は、地蔵です。それ以上でもそれ以下でもありません』


 中庭のベンチに三上と咲月が座っていた。今回は二人とも昼飯持参だ。

 地蔵に興味を持った咲月から、三上にお昼の誘いがあった。咲月といつも昼食を一緒にしている志保は、日焼けをしたら嫌だからと中庭には来なかった。

 そのおかげで、三上は咲月と二人で昼食をとるという心躍るシチュエーションを得ていた。会話しているのは、主に咲月と地蔵だがかまわない。隣で咲月が楽しそうにしていてくれるだけで、満足だった。

 咲月は、スマホで何か調べものをしてから、顔を上げた。


「お地蔵さんは、仏様なのかな? よくわかんないけど、すごいありがたい存在みたいだね。そんな存在が本当にいるなんてびっくりだな」


 そんなありがたい存在なら、願いくらい簡単に叶えてくれてもいいのに。そもそも成仏くらい自力でしてくれ。言いたいことはたくさんあったが、咲月がいるから言えなかった。

 咲月は、三上の背中に向けて手を合わせている。拝むというよりは、願いを込めているように見えた。


「なにをお願いしているんだ?」


 問いかけると、咲月はびっくりしたように顔を上げた。

 不躾な質問だっただろうか。心配する間もなく、咲月は目を細めた。


「名無しさんが元気でやっていますようにってお願いしたんだよ」

「元気でやっているんじゃないか? パワフルな幽霊だったしな」

「だね」


 咲月は、微笑んだ。

 その笑みに、三上は安心した。常に死がつきまとう幽霊という存在に、咲月は焦がれすぎている。それは、微笑ましく見える時もあれば、妙に危なげに見える時もあった。あまり幽霊との距離が近いのは問題だ。そう思っていたが、咲月の表情を見るにオカルトとか幽霊とか関係なく『名無しさん』という存在が咲月にとって特別だったのだろう。咲月の顔に大切な者を想う優しさがあった。『また会いたい』そう願わないところが、咲月らしい。そういうところに自分は、惹かれたのだ。


「次の時間、体育だから先行くね」

「おう。頑張れ」

「うん。またね、お地蔵さん」

『ええ』


 咲月が去って行く。

 その後ろ姿を見送っていると、地蔵がとんでもないことを言った。


『三上さんは、あの方が好きなのですね』


 心臓が跳ね上がる。誰かに指摘されたのは、初めてだった。

 顔が熱くなるのを感じ、うつむいて右手で覆った。


『三上さんは、あの方のどういうところがお好きなんですか?』

「……そんな恥ずかしいこと言えるか」

『あの方を好きでいることは、恥ずかしいことなのですか?』

「そんなわけなだろ。お前、かなりデリカシーがないぞ」

『森山さんといい仲になるという願いはいかがですか?』

「いい仲ってお前……」


 気恥ずかしさが増す表現だ。


「そういうのは、いい」


 これは、照れ隠しからの言葉ではなかった。

 こうして、時々、言葉を交わせるだけで十分だ。純情だとかそういうのではない。むしろ、それとは正反対だ。そういうことを望める自分ではないと三上は自覚していた。

 放課後の部活は、相変わらず記録が振るわなかった。


「最近、調子悪いな。どうした、三上」


 顧問が気まぐれに絡んでくる。

 この人は、部員全員に気を配り平等に接している風に振る舞っているだけだ。本当は興味がないのが透けて見えていて、鬱陶しかった。

「五月病っすかね」


 適当に答えておく。

 すかさず大会が近いのにと、お小言が飛んでくる。引き続き適当に相槌をして聞き流していると、顧問の視線の先が、走っている市原に定まる。綺麗なフォームに、自信に満ちた真っすぐな瞳。ストップウォッチが止まるよりも前に、三上よりいいタイムが出るだろうと察しがつく。事実、好タイムがでた。


「おお、いっちー。またベスト更新か」

「よっしゃー!」


 顧問の興味が自分から市原に完全にうつる。

 顧問は言うほど、三上に期待していない。市原がいるから。誰だって一番のやつにしか興味を示さないものだ。

 その場を離れようとしたとき、肩に重みがかかる。地蔵とは違う。熱のある確かな重みだった。


「勇樹どうした? テンション低いな」


 市原だった。

 色んな気持ちに蓋をして、笑顔を作る。


「いまいち調子があがらなくてさ」

「そういう時は、カロリー摂取だ! 帰りどっか寄って行こうぜ」

「今日は、パス」

「んだよー」

「また今度な。ほら、外周行くぞ」

「おう!」


 市原は、陽気な笑顔で三上に答える。

 市原は、いい奴だった。誰に対しても朗らかで明るい。自分と比べると、ひどく惨めな気分になる。だからこそ、できるだけ関わりたくないのだが、同じ部活にいる以上それは難しかった。しかも、市原は三上の内情を知らず、よくからんでくる。そのたびに、冷たく突き放す勇気もなく、勝手に愛想笑いが出て行った。卑怯なやつ。そんな自分を自分があざ笑った。

 今日の夕飯は、大好物のハンバーグだった。それを見ても、いまいち食欲が沸かない。


「お兄ちゃん、元気ない? 人参あげようか?」


 妹の優奈が人参を寄越した。


「それは、優奈が嫌いなだけだろ?」

「そんなことないよ」


 優奈は、はぐらかすようにハンバーグを頬張った。

 母親が優奈に人参を食べろと注意している。黙って言うことを聞く妹じゃないから、いつも通り言い争いが始まる。そんな喧騒もどこか他人事のようだった。ハンバーグを噛んでも、いつもより食べている感覚が希薄だ。全てが薄っぺらいような、なんだかいつもより全てにおいて現実味がなかった。時々ある感覚だ。こういう時は、早く一人になりたかった。

 部屋に戻り、三上はスクールバックから青いライターを取り出した。

 ベッドに横たわり、火を灯す。


『三上さん、放火は犯罪ですよ』


 大人しかった地蔵が、三上に注意する。

 三上は、心ここにあらずといった様子で答えた。


「火を見ているだけだ」


 三上は、ぼーっと頼りなく揺れる小さな火を見ていた。

 三上の瞳いっぱいに小さな炎がうつる。明かりがいっぱいになる目とは対照的に、三上自身の瞳に、光がない。光のない目で、小さく揺らぐ炎を見る。それは、何かの儀式のようだった。


『なぜ、そんなことをなさっているのですか?』


 地蔵の問いかけに、三上はぼんやりとした様子で答えた。


「これを見ていると、落ち着くんだ」

『病んでらっしゃるんですか?』

「かもな」


 地蔵の率直な質問に、思わず口元がゆるんだ。

 三上自身も異常な行動だと自覚していた。それでも、これが自分自身を正常に戻す唯一の方法だった。

自分の存在が鈍くなってきたときに、この火を見ると心が落ち着く。自分の居場所をはっきりと自覚できる気がした。ここが現実だと、火の明かりだけが教えてくれた。


『悩みがあるなら、言ってください』

「地蔵に憑りつかれている今の状況かな」


 冗談で言ったのだが、地蔵は真面目に受け止めたようだ。

 いつも即答する地蔵の返答に一拍の間があった。

 それでも、地蔵はいつものスタンスを崩さずに答えた。


『それ以外でお願いします』


 そう言われて浮かんできたのは、悩みとは無縁の人物の顔だった。

 言葉には、できなかった。


『いちはら、という少年ですね』

「!?」


 心臓が跳ね上がる。


「なんでわかったんだ? 心が読めるのか?」

『読めませんよ。それでも、いつも一緒にいるんです。短い付き合いですが、わかります』


 三上は、口を閉ざした。

 何を言っても言い訳にすらならないだろう。地蔵には、もうわかっているようだ。醜い部分も含めて。

 三上は、平静を取り戻すべく火を見つめる。

 今度は、集中できず、ゆらゆらと揺れる火が不安定で苛立ちを煽る。

 くそっと投げ出した手が壁にあたった。すかさず隣の部屋から「お兄ちゃん、うるさい!」と声が飛んでくる。

明日は、咲月と約束していた土曜日だ。目的はどうあれ楽しみにしていたはずなのに、テンションは下がったままだ。なにか準備は必要だろうか。考えようとしたものの、頭が働かない。全てが面倒くさくなって、そのまま電気を消して寝てしまった。



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