三上の背中
三上は最近、謎の肩こりに悩まされていた。寝ても覚めても、身体が重い。体調が悪いとも違う、ずっしりとした重みを感じていた。
五月病というやつだろうか。なにか理由をつけないと腑に落ちないため、三上は五月病と結論付けることにした。
そうとなったら自分の怠け心に負けてはいられない。あと、トラック一周。三上は、スピードを上げた。一番でゴールできるかと思いきや、ゴール手前で華麗に抜かれた。
「いっちばーん!」
「お前、それ狙っていただろ!」
「へっへー。ペースメーカーにしてやったぜ」
三上の横をすり抜けてゴールしたのは、市原政弘。同じ中学出身で、部活も同じくずっと陸上部だ。
市原に顧問の佐々木がご機嫌に話しかけた。
「いっちー、中距離も行けるんじゃないか?」
「無理無理。俺は百メートル一筋っすよ」
市原は、おどけてみせた。
その横を、三上は通り過ぎクールダウンに入った。落ち着く心臓に反比例するように、思考が働き始める。余計な考えが脳裏を渦巻き始めた。
市原に中距離まで視野に入れられたら、たまらない。自分は、次、なんの種目を本命にすればいいのか。どす黒い感情が騒ぎ出す。その感情を抑え込むように別のことに考えを巡らす。
今日の一限はなんだったか。……英語だ。やばい、予習をしていない。
思考のすり替えは成功し、三上は大急ぎで身支度を整え、教室へ向かった。
玄関で三上は、見知った顔を見つけて足を止めた。今日は、運がいいのかもしれない。
一呼吸おいてから、三上は上履きに履き替えている女生徒に声をかけた。
「森山、おはよう」
「おはよー、三上くん」
三上は心の中でガッツポーズをした。言葉を交わせるだけで幸せだ。クラスが離れてからというものの、言葉を交わす機会すらほとんどない。
「名無しさんだっけ? 一緒に来ているのか?」
三上は、咲月の背後を振り返る。頭から血を流したインパクトのある姿を思い出す。あれから、二週間くらい経っただろうか。鮮烈な経験だったが、すでに記憶が薄れ始めている。
咲月は、首を振った。
「名無しさんは、行っちゃった」
「どこへ?」
「遠く、だね」
そう言う咲月は、少し寂しそうだった。
成仏したのだろうか。咲月と名無しさんがどういう関係だったのかは知らないが、別れを惜しむような間柄だったとは。相手は、ただの幽霊だ。いくらオカルト好きだとしても、そこまで感情を入れ込んでいるとなると心配になる。
「懲りずに心霊スポットなんて、行ってないよな?」
あんな出来事に遭遇したのだ。オカルトマニアの心も折れたのではないかと期待した。しかし、咲月のオカルトへの熱意は微塵も薄れていなかった。
「なかなかいい情報がなくてね。オカルト情報があったら、いつでも言ってね!」
「ちょ、」
「教室到着ー。 またね」
「おい!」
注意をしなければと思い咲月を呼び止める。一人で危険な場所にでも入り込んだら大変だ。
咲月は、なんだなんだと振り返った。
そして、きょとんとした顔をしている。可愛らしかった。そうではないと、自分に活を入れ、三上は言った。
「森山、お」
「あれ? 三上くん……」
咲月が近寄ってきて、三上の背後に回り込む。
なぜ背後をとるのだと、三上は咲月の行動が理解できない。
「どうした?」
「三上くん。斬新なリュック背負っているね」
咲月は、それだけ言うと自分の教室へ入っていった。
……斬新なリュック?
三上は、首をかしげる。去って行く背中を見送りながら、疑問が沸く。
三上は、運動部員なら定番の大き目のショルダーバックを愛用していた。どう見てもリュックではないし、斬新と形容するには無理がある。しかし、相手は咲月だ。独特の感性を持っている咲月には、斬新なリュックに見えた可能性もゼロではない。それでも、一抹の不安がぬぐえない。どこかおかしいのではないか。また何かに憑りつかれているのでは。そんな可能性も、咲月ならゼロではなかった。
三上は、もやもやとした感情を抱えつつ、自分の教室へ向かった。
そして、そのもやもやとした引っ掛かりは、午前中いっぱい三上を悩ませた。頭を埋めるのは、好きな子の顔。幸せな気持ちになるのかと思いきや、眉間に皺が寄りっぱなしだ。昼休みをつげるチャイムが鳴るころには、悲壮感すら漂い始めた。三上は、居ても立っても居られず、もう本人に直接、尋ねようと購買へ向かった。
咲月は、いつも購買でメロンパンを買う。時々、クリームパンの時もあるが、だいたいメロンパンだ。
「メロンパン、ひとつ」
三上は、迷わずメロンパンを買って、咲月を待ち伏せることにした。そして、予想通り、咲月は現れた。メロンパンを買うための闘志でみなぎっている。いつも通りの咲月の様子にひとまず安堵しながら、三上は咲月に声をかけた。
「森山」
「待って、今、大事なところだから」
「メロンパン買っておいたぞ」
「そのメロンパン、私の!? やった! ありがとう、三上くん!」
咲月の喜ぶ顔に、心が弾む。
咲月は、片手に握っていた百円玉を三上に手渡し、メロンパンを受け取った。三上としては、お代はいらないのだが、それをスマートに口にする経験値を持ち合わせていなかった。
咲月はメロンパンを片手に、ご機嫌に行ってしまいそうだ。三上は、慌てて引き留めた。
「ちょっと時間いいか? 少しでいいから」
「いいよ」
咲月は満面の笑みで了承してくれた。これは、三上だからではなく、メロンパンのおかげであろう。それでも、ご機嫌に自分について来てくれるのが、三上はうれしかった。二人は喧騒を離れ、中庭のベンチに腰掛けた。
咲月を引き留めた主旨が一瞬追いやられ、自分も弁当を持って来れば咲月と一緒に食べられたのにと三上は残念に思った。
そんな自分の気持ちを自分で持ち直し、三上は咲月にたずねた。
「朝、斬新なリュックって言っていただろ?」
さっそく本題を切り出す。
真剣な三上と違い、咲月はのん気な調子で答えた。
「うん。お気に入りなの? ずっと背負っているね」
「え?」
三上は、動揺する。
ストレートにいったはずが、カウンターパンチを食らった気分だ。面食らってしまう。
咲月は、オカルト好きなこともあって変わった発言をすることはあったが、こんな電波な要素はなかった気がする。パワーアップしたのだろうか。
三上は、諭すように言った。
「俺、リュックは背負ってないぞ。肩掛けのやついつも使っているだろ?」
ジャスチャーを交えて説明をする。
咲月は、不思議そうな顔で言った。
「それも使っているけど……その背中のは?」
「背中ってなんだよ。怖ぇよ」
咲月の目に迷いはない。真っすぐ、三上の背中に視線を向けていた。
言われてみると、確かに背中に重みを感じる気はする。ここ最近、ずっと。
背後のガラスを恐る恐る確認すると、自分の背中に何もないことが確認できた。安心したと同時に、咲月に対する不安が大きくなる。咲月は、どうしたというのか。咲月になんて声をかけるべきか慎重に思案していると、誰かが先に咲月に声をかけた。
『あなた、私が見えるのですか』
背後から、声が聞こえた気がした。
咲月は、第三者の声に不審がることなく、三上に言った。
「そのリュック、しゃべるタイプなんだね」
「しゃべるタイプってなんだよ! 俺の背中か? やっぱり俺の背中に何かあるのか?」
身をよじって、できうる限り自分の背中を目視してみる。すると、なにかがいた。
「う、うわあああ」
「どうしたの、三上くん!?」
「いや、まじでどうしたんだよ、これ!」
視界の端で、石のざらざらとした丸みが見えた。体の柔らかさの問題か人体の構造上の問題か、ざっくりとした造形しかわからないが見覚えのあるフォルムだ。
三上は、思ったままに言葉にした。
「地蔵?」
『呼びましたか?』
「返事した!?」
三上の背中に、地蔵がくっついていた。
咲月は、なおも朗らかに言った。
「会話ができるなんて、最新だね。すごい」
「こんなリュックがあってたまるか」
最近の身体の重みの正体はこいつだったのか。原因不明なのも納得だ。こんな原因、奇抜過ぎて特定できるわけがなし、完全に死角を突かれていた。オカルトに対する耐性を築きつつある三上は、背中の存在を自分でも驚くくらい短時間で受け入れていた。
「お願いだから、そこをどいてくれ」
さっそく背中の存在に、切実に話しかける。慈悲深い姿をしているから話せばわかってくれると思っていたのに、背中からははっきりとした口調で否が聞こえてきた。
『そのお願いは、きけません。他のお願いにしてください』
「他のってなんだよ」
「そのお地蔵さん、ガラスにうつってないね? もしかして、幽霊とかじゃないよね?」
「どう考えても、幽霊だろう。……喜ぶな!」
咲月は、目を輝かせていた。
理解の範疇を超える状況に、三上は頭を抱えた。唯一、幸いなのは、咲月はオカルトマニアだ。現状の相談相手としては、申し分ない。
「もしかして俺、憑りつかれているのか?」
『そうかもしれませんね』
「お前が答えるのか!」
『あなたの願いが叶うまでの辛抱ですよ』
「願いってなんだよ」
『どうぞ好きに願っていただいてかまいませんよ。その願いが叶ったら、私は成仏しますから』
「優しいのか強引なのかよくわかんねえよ」
会話が成り立っているようで、かなり一方的な印象を抱く。地蔵に抱いていた慈愛に満ちたイメージが崩れ去った。
咲月は、地蔵に触れようと試みているらしい。咲月のすり抜けた手が、背中にがしがしとあたって、身体が揺れる。好きな子との触れ合いでここまでうれしくないものも珍しい。
三上は、楽しそうな咲月に聞いた。
「森山、こういう時どうしたらいいんだ?」
「その幽霊の望みを叶えてあげればいいんじゃないかな? 名無しさんもそんな感じだったよ」
「それ以外で」
自ら願った結果の地蔵ならいいが、地蔵が一方的に背中に張り付いて願いを叶えますなんて、怖すぎる。うまい話に裏があるのは、人間でも幽霊でも変わらないだろう。
咲月は、三上の背中を小突くのをやめて言った。
「その幽霊を元いた場所に返すっていうのが、定番かな」
「元いた場所……」
どこで自分は、この幽霊を持ってきてしまったのだと三上は思案する。
地蔵を見た記憶はない。気がつかないだけで、どこかに佇んでいたのだろうか。
悩む三上に、親切に地蔵が教えてくれた。
『二週間くらい前に来たじゃありませんか。覚えていませんか? 行きは、私の前をあなたは血相を変えて駆けていき、帰りは四人仲良く私の前を通ったじゃありませんか』
「二週間くらい前……」
そのキーワードで思い起こされるのは、ある意味、人生で一番刺激的なあの日だった。人生で初めて、殺人鬼と幽霊を生で見た一生忘れられない日のはずだが、あり得な過ぎて現実味が薄い。そのため、記憶にもやがかかっていた。ぼんやりとした記憶の中で、地蔵とすれ違った記憶は見つからない。
一方で、もう一人の当事者、咲月は何か思いついたようだ。ああ、と声をあげた。
「もしかして、丘の始まりの方にあったお地蔵さん?」
『そうです。あなたは、それ以前にも来たことがありましたよね』
「丘って……あの?」
「そうそう」
咲月の表情は明るい。三上の脳裏に浮かんだのは、そんなテンションで話せる出来事ではなかった。
よくわからないままに名無しの後を追いかけ、その先で生き埋めにされそうな咲月を見つけた。そして、名無しに命じられるがままに木箱を燃やし、よくわからないままに咲月が助かって終わった。わからないことずくめだが、不吉な出来事に違いなかった。
あの時は、周りを見る余裕はなかったから、地蔵があるかどうかはわからない。しかし、あの雰囲気の丘に地蔵は似合わない気がした。それでも地蔵と意気投合している咲月を見るに、あの丘にいたのだろう。
三上は、自分を納得させ、地蔵に聞いた。
「なんで俺についてきたんだ?」
地蔵は咲月との会話をやめ、語り始めた。
『私は、長年の風化でもはや地蔵という形を保っていないのです。ただの石の塊と化しております。そのため、器に収まっていることができず、はじき出され、私は消えようとしておりました。そんな時、あなたが目に入りました。そして、気づいたら、あなたの背に……』
くっついてしまったというのか。タイミングが悪すぎる。
自然とため息が出てきた。
『助けていただいて、感謝申し上げます』
「助けたつもりはないんだ。気の毒だとは思うが、俺の背中はやめてくれ」
「私の背中に来る?」
咲月は、目を輝かせて地蔵に提案した。
『いいえ。この方と決めた以上、乗り換えることはできないのです』
「色んな意味で重てえよ」
咲月は、残念そうに肩を落としている。
乗り換えが可能だとしても、自分よりも小さな背中に地蔵を背負わせるわけにはいかない。幽霊といっても、悪意はないようなので、ひとまず安心する。それでも、重たいという実害があるため、一刻も早くどうにかしなければと思った。
三上は、咲月に言った。
「丘に行って、お地蔵さん返せないか試してみるよ」
すかさず、地蔵が答えた。
『無理です。帰る器がありません』
「試しにだって」
『無駄足に終わりますよ』
「だから、試しにだって」
『試す必要性を感じません』
無駄な押し問答が続く。
頑固な地蔵に、三上がイライラしてきたところで元気な声が割り込んできた。
「私も行く!」
咲月は、手を真っすぐ上にあげていた。
らんらんに輝く目から、完全にオカルト目的だとわかる。あの場所はトラウマになっているのではないかと心配していたのだが、問題はなかったようだ。
どんな目的であれ咲月の一緒に行きたいという申し出は喜ばしいものだった。思わず、頬がゆるんだ。地蔵とのやり取りで蓄積されたイライラがあっという間に解消される。
「じゃあ、土曜日に行ってみるか」
「放課後は? 部活終わるまで待っているよ」
「部活終わるの待っていたら、七時過ぎになるぞ? 土曜日なら午前で部活終わりだから、午後に行こう」
「懐中電灯持っているから暗くても平気だよ? 家帰れば、四つは用意できるよ!」
咲月は思い立ったらすぐに行動したいらしく、行く気満々だ。しかし、三上は承知できなかった。幽霊とかそういうもの抜きにしても、世の中は物騒だ。特にあの辺は、街灯が少なく夜行くのは危険だ。
泣く泣く土曜日までおあずけをくらった咲月は、うなだれた犬のようだった。
土曜日まであと三日。そうすれば、この肩の重みもなくなる。解決の糸口が見つかったことで、心が軽くなった。そのためか、放課後の部活では、久しぶりにそこそこのタイムが出せた。今月末には、大会が控えている。さっさと地蔵を取っ払って、万全の状態に持っていかなくては。