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結い言  作者: 宮下
第1部 電車を見送る女
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死の予感


 音もなく消えた咲月に、三上と志保は五秒ほど咲月に気づかず歩き続けた。

 私が、いくら二人に呼びかけようとも声は届かない。


「あれ? 森山?」

「咲月、どこ行ったの? さっきまでいたよね? 咲月?」


 もちろん咲月の返事はない。あの黒い影は、間違いなくあの丘で感じたものだ。私は、あの丘へ駆け出そうとした。その時、


「きゃああああ」


 聞き飽きた悲鳴に私はうんざりした。しかも、それは私を見た人間がする凡庸な反応だ。平凡すぎて、咲月に毒された私は物足りなさを感じた。

 イライラしながら声の主を見ると、志保と目が合った。合うはずがない視線に、私はびっくりして後ずさった。


『あ? 私が見えるのか?』

「また幽霊なわけ? ちょっと、あんた咲月をどこにやったの?」


 志保は、私を相手に食って掛かった。この感じは、嫌いじゃない。志保だけでなく、三上にも私の姿が見えているようだ。


「もしかして、森山が言っていた……名無しさん?」

『ああ、……今、何時だ?』

「六時になったとこだけど……」


 それで、私の姿が見えるのか。咲月が見せてくれた掲示板に、六時からの三十分間、霊感のない人にも私の姿が見えるという謎のルールの記述があった。自分の意志とは関係のないその現象は癪触るが、今は好都合かもしれない。


 三上は、だいぶ色んなものに対する耐性がついたのか、取り乱すことなく私に質問した。

「森山、どこに行ったか知っていますか? 突然、姿が見えなくなったんです」

『さらわれた』

「誰にですか?」

『あの丘だ。あの丘の頂上にいる』


 私は、丘を指さす。咲月を包んだあの黒い存在は、丘の頂上で感じたものと同一だ。私は、壁は通り抜けられても、瞬間移動なんて便利な芸当はできない。不器用な幽霊らしく、精いっぱいに足を動かし始めた。後ろをついて来る気配がする。咲月のために息を切らしてくれる存在があることに、私は必死に走りながらも安堵した。

 すれ違う人たちから、悲鳴が上がる。今は、構っていられない。私は、ただ一直線にあの丘を目指した。

 咲月をどう殺そうかとヤキモキしていた私が、今度はあいつを助けたいと奔走するとは。こんな気持ちでまたこの丘にやって来るなんて、生きていても、死んでいても、人間はわからないものだ。そんなことをしみじみ思考してしまう人間味を味わいながら、私は頂上に到着した。そこに、咲月はいた。

 大きな穴の中に横たえられている。その咲月の上に、土をかけている影があった。


『止めろ!』


 影に飛びかかるが、私は無力にもすり抜けてしまう。穴の中の咲月と目が合った。この状況に驚愕しているようだ。

 影に触れないのであれば、咲月に直接触ればいい。咲月に触れようとした手は、届く前に影に弾き飛ばされた。何度も繰り返したが、私は咲月に届かない。そうこうしているうちに咲月に砂が積もっていく。このままでは生き埋めにされてしまう。

 咲月は、声が出せないのかあくせくする私を大人しく見ていた。死が迫っているというのに焦り一つ感じさせない。そんな穏やかな瞳に、逆に私が焦らされる。お前の最期を看取るなんて、ごめんだ。

 弾き飛ばされた先で、指先にこつんと何かがあたった。それは、咲月が紙を入れた木箱だった。藁にもすがる思いで、その箱を開けると、白い紙があった。触れられなかったはずの紙に、私は触れることができた。そして、そこ書かれた内容を読んで驚愕した。


“森山咲月が死にますように”


 それは、間違いなく咲月の字だった。


『ふざけるな!』


 びりびりに紙を破く。

 影が怒ったように、私を弾き飛ばした。


「森山! おい、大丈夫か!?」


 三上が咲月に近寄り、咲月の頭を持ち上げる。

 咲月の顔にかかっていた砂が落ちる。

 助かったと思った瞬間、三上が私と同じようにはじかれる。


「なッ!? どうなってんだ、これ」

『三上! そこにある箱を壊せ!』

「箱?」

『そこだ、そこ。それだ!』

「壊すって、どうやって……」

『塵にしろ! 跡形もなく滅しろ!』

「ま、まじすか」


 あの箱からは、影よりも濃い負の感情が詰まっている。あれを壊すことができれば、なにか打開策が生まれる気がした。それを生きている人間に託し、私は、咲月に砂をかける影に再度、突撃する。まるで私は、勝負にならなかった。同じ幽霊なのに、なぜこんなにも力の差があるのか。咲月の姿が完全に土で見えなくなってしまう。私に差し伸べられた体温が失われてしまうことが恐ろしくてたまらない。私は咲月に生きてほしかった。


『咲月! 返事しろ!』


 柔らかに覆われた土の下から返事はない。


『咲月!』


 影が大きく揺らいだ。その隙に、私は穴へと飛び込み咲月を助け起こした。


『咲月、咲月』


 咲月が、反応を示した。咲月は、瞼を動かし、息を吸い込む。上下に動く胸から、咲月の身体に体温が巡る。咲月は、生きていた。

 影は、さらに大きく揺らぐ。何事だと、背後を振り返ると、三上がライターを片手に箱を燃やしていた。


「名無しさん、これでいい!?」

『上出来だ、三上』


 火が消えるのと、影が消えるのと、丘から嫌な気配が消えるのは同時だった。


「私、生きてる?」


 夢現な咲月に、現実を突きつける。


『ああ、生きている。間違いなくな』 


 もう咲月を包む死の気配は、感じられなかった。

 遅れて、志保が息を切らして丘にやってきた。


「よ、よかった……咲月、見つかったんだね」

「うん」

『お前、足、遅いな』

「きゃああああ、ってさっきの幽霊じゃない! 驚かせないでよ!」

『慣れろよ……いてッ!?』


 志保に背中を叩かれる。かなりの衝撃でつんのめった。


『なんで、お前、私に触れるんだ』

「こっちが聞きたい」

「愛奈ちゃんからの置き土産かもしれないね。よかったね、しーちゃん」

「いいわけないでしょう?」


 私の背中は、まだジンジンと痛みを主張している。温もりとは程遠い熱さだ。私が生身の人間だったら、なんらかの骨が折れていたかもしれない。もしかしたら、愛菜はとんでもないものを志保に残して行ったのかもしれない。

 丘を下ると、三上と視線が合うことがなくなった。


「ん? 名無しさん、いなくなったのか?」

「六時半過ぎると、名無しさんの姿は見えなくなるんだよ」

「なんで私には見えるわけ?」

「しーちゃんは、体質が変わったのかな?」


 志保は、事実を受け入れたくないようで、かたくなに私の方は見ないようにしていた。

それぞれの帰路につき、咲月と二人きりになった。聞きたいことは、ただ一つだ。

優しい光が無数に咲いた空の下、おふざけを感じさせない切なる願いが込められた文字を思い出す。止まった心臓がさらに傷めつけられた気がした。

私は、静かに咲月に聞いた。


『なんであんな願いをした』


 咲月を見ると、死に直面してきたとは思えないのん気な顔をしている。

 その顔のまま、咲月は私の質問に答えた。どこか他人事のようで、真意がわからない。


「誰かが不幸になる願いじゃなきゃだめなんでしょ?」

『自分を不幸にしたかったのか』

「ううん。そうじゃないんだ」


 咲月は空を見上げた。星空が咲月の目にうつり込んで光を与えた。


「願いが叶ったってことは……私が死んだら、誰かが不幸になるってことかな。そんな風に私を想ってくれる人が、この世にいるのかな」

『いるから、こうなったんだろう』

「そっか。そうだったら、うれしいな」


 それは、初めて見る咲月の純粋な笑顔だった。てっきりすでに歪んで失くしてしまったのではと思っていた。私は、その笑顔が見られたことがうれしくもあり、悲しくもあった。ただの子どもでしかないこの子が、誰かの愛を証明する手段がこれしかなかったのだろうか。明かりのともらない家。一方通行にしかならない「ただいま」。一度もなかった「おかえりなさい」。胸が押しつぶされて、もう一度、死んでしまいそうだ。

 それでも、私はこの子の生を背負えない。


『もう二度と自分を傷つけるような真似も、自分を犠牲にするようなこともするなよ』

「名無しさんがずっと一緒にいてくれたら、しないよ」

『…………』


 私は、何も答えられない。咲月も私から、答えが返って来るとは思っていないようだった。そのことが、より一層、私を無口にさせる。

 咲月が手を握ってきた。その温もりに、頼りなさを感じる。この温もりを私は、置いて行かなければならないのか。形容しがたい感情が溢れそうになる。

 そういう感情を思い知ってしまった以上、なおさら私はもうここにはいられない。愛菜のように、私もここにいる本懐を遂げなくては。咲月に対する想いは、妄執だ。それは、私をいつか狂わせるだろう。幽霊となった私の存在理由を越えた願いは、誰のためにもならない。誰かの手をとれる。そんな私の人生は、もう終わっている。

 私は人生で最期にして最高の寄り道を堪能してる最中だった。


『夕飯……ちゃんと食べろよ』

「……うん!」


 元気いっぱいな返事が、涙声で揺れていた。私は、血ではなく、この子と一緒に涙を流したかった。そんな人生を送りたかった。それは、遅すぎる後悔だった。


 その日のうちに、殺人鬼が捕まったと速報が流れた。

 女の幽霊が出たという犯人の供述は、心神喪失を目的とした言動として相手にされなかったらしい。とりわけ美人だった愛菜は、ニュースでもよく取り上げられていた。こんな形でテレビに映ることを愛菜どう思っているのか。そんな心配をしていたら、愛菜の両親がインタビューに答える傍らで、鼻高々にしている愛菜が映った。私が心配する必要がないほどに、あの子はたくましく現状を受け入れたようだ。インタビューが終わる頃には、愛菜は満足そうな表情を最後に、姿を消していた。

騒動があった夜、それとは別件で、頭から血を流した女が疾走しているとの通報が相次いだ。殺人事件よりも、この件は都市伝説となり長く語られていくことになる。私が知らないところで、この世に生きた痕跡が色濃く残ることとなった。


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