愛菜
三人は、一階へ戻ってきた。三上と合流し、最初と同じく食堂に身をひそめる。
「二人とも突然いなくなるから、びっくりしたぞ」
「ごめん、三上くん」
「戻らなくちゃ」
「しーちゃん、ダメだって!」
「富岡、どうしたんだ?」
『こいつ憑りつかれているぞ』
志保から、もう一人の存在を感じた。間違いなく私と同じ類の存在だ。これが、シンパシーというやつなのだろうか。
志保の相貌と、視線が合う。志保の口が動いた。
「幽霊だ」
『お前もな』
間髪入れず突っ込むと、志保に入った誰かは激昂した。
「一緒にしないで!」
『幽霊には違いないだろ』
「私は、若くて美しいの! あんたと一緒の存在になんてされたくない!」
『それは、お前の身体じゃないだろ。志保のだ。死体なんてどれも一緒だ』
「うわあああ、ムカつくー!」
「なんなんだ!? お願いだから、静かにしてくれ!」
私が見えない三上は、志保が熱烈な一人芝居を繰り広げているように見えているのだろう。混乱する三上をなだめるように咲月は言った。
「しーちゃんは、幽霊に憑りつかれているみたいなの。だから、大目に見てあげてね」
「幽霊に?」
三上は、非現実的な咲月の言葉をなんとか飲み込み、状況を受け入れようと努力しているようだ。若干の葛藤を経て、三上は納得したようだ。臨機応変なその態度に、私は密かに三上への評価を上げた。
「なら、どうしたらいいんだ? 俺は、その手の話しはさっぱりで」
「私とその子が殺されればいいのよ」
「それは、間違っているだろう」
「私が殺されて、この子たちが生きているなんて納得いかない。お願い、あの男に殺されて!」
志保は、咲月の手を取って懇願する。いくら友人の姿をしているからといって、さすがの咲月も首を縦には振らなかった。
「あなたは、あいつに殺されたの?」
「そうよ。あの頭の可笑しい殺人鬼にね」
「それってまさか、最近ニュースでやっている連続殺人犯じゃないよな?」
「そうに決まっているじゃない。一つの町にそう何人も殺人鬼がいると思っているのかしら? 物騒な頭ね」
辛辣な発言に、三上は渋い顔をした。この幽霊は、志保と同じくらい三上へのあたりがきついようだ。
「ここでね、玄関が開かなかったり電波障害が起こったり心霊現象が起きているみたいなんだけど、あなた何か知っている?」
「それは、私のせいよ」
幽霊は、悪びれることなく答えた。こいつと話していてもらちが明かないと判断した私は、陰影を強め凄むようにして言った。
『さっさと玄関あけろ』
「嫌よ。みんな殺されてからじゃないと」
『このままだと、こいつらは死ぬかもしれない。お前も立派な殺人犯になるぞ』
「死んでいるんだから、そんなことどうでもいいわ。私は、殺されたの。可哀想なの。だから、仕方がないのよ」
『可哀想だから、人を殺しても許されるっていうのか?』
「そうよ。あなただってそうでしょ? 自分と同じ苦しみを与えたいって思うでしょ?」
幽霊の言葉に、線路わきに立っていた日々を思い出す。確かに私は、誰もかれもかまわず人を恨んでいた。同じようにみんな苦しめばいいと思っていた。それが、存在のすべてだった。
「ほら、同じじゃない。私の方が百倍キレイだけど」
『おい性格ブス』
「性格しか批判する要素がない? ごめんなさいね、美しくて」
『おい、隅々までブス』
「ぶっ飛ばすわよ」
『そいつから、出ていけ。殺したいなら、他を探せ』
志保は、ぷいっとそっぽを向く。三上は、一人芝居をする志保を横目に、咲月に聞いた。
「森山、もしかして俺に見えていないだけで、そこに誰かいるのか?」
「うん。前に話した私の制服、血で汚す知り合いの名無しさんだよ。友達だから安心してね」
いつお前の友達になったんだ。突っ込みたいが状況が状況なので、聞き流してやった。
「よし、じゃあ、殺されてこようかな」
志保が立ち上がる。
「しーちゃん、だめだよ!」
『こいつらが殺されてお前は、満足なのか』
志保がこちらを振り返る。
『殺された恨みが、こいつらが殺されることで晴れるのか』
「晴れるよ?」
『だったら、なんで連続殺人になってんだ。いつになったら、終わるんだ』
志保は、また見慣れぬ笑みを浮かべた。
「私が満足するまで、ずっと」
志保が駆け出す。咲月が伸ばした手を、志保は振り払う。そして、廊下に出て大声をあげた。
「うわああああ」
私はここにいるよ。そんな風に主張しているようだった。
「しーちゃんを捕まえないと」
「任せろ」
三上が駆け出す。
志保よりもずっと足が速い。簡単に追いつくだろうと思いきや、廊下の突き当りで三上が唐突に倒れた。
「三上くん!?」
咲月が駆け寄ると同時に殺人鬼が姿を現す。その手には、スタンガンが握られていた。
「男は、後回しだ。おいで、お友達が待っているよ」
男が咲月に手を差し伸べる。もちろん、咲月はその手を取らない。反抗的な瞳で男を睨みあげるが、どこかへ行ってしまった志保、倒れている三上、二人のことが気がかりで動き出せないようだ。
『逃げろ!』
私の声に咲月の足が反応する。しかし、遅かった。咲月の首筋にスタンガンが触れ、咲月は意識を失ってしまった。
『咲月!』
力なく倒れた咲月が、男に運ばれていく。連れて行くな。男の襟首を掴もうとした手は、男をすり抜け咲月の髪の毛に触れた。
『返せ!』
私は、男の存在を無視して、咲月に飛びついた。咲月の触感を感じると、男の手から力づくでもぎ取る。
「な、なんだ!?」
男の目から見たら、咲月は今、宙に浮いているように見えるだろう。そして、段々と咲月に広がる血痕。ホラーでしかなかった。
「ひ、ひいっ」
間抜けな声をあげ、男は二階の奥の部屋へ去って行く。殺人鬼のくせに、こんなものが怖いとは。私は、一階へ戻り、同じく気を失っている三上の隣に咲月を横たえる。そして、二階へ戻った。こんなことに関わる義理はない。それでも、志保は咲月の親友だ。見捨てるわけにはいかなかった。ついでに、志保に入った幽霊も。あの幽霊は、咲月に会う前の自分のように思えた。負の感情以外、何も見えなくなってしまっている。
奴は、二階の一番奥の部屋にいた。背中を丸め、ノートに必死で文字を書きなぐっている。ぶつぶつと何かを呟きながら、一心不乱に書きなぐるその様は、狂っているようだ。
客室のテーブルの上に志保は横たえられていた。気を失った志保を見下ろすように、咲月とは違うセーラー服に身を包んだ少女が立っていた。志保と同じ美人な顔立ちの少女だ。細い手足に小さな顔。モデルのようないで立ちをしていた。その少女と目が合う。その顔にぴったりな笑みが浮かんだ。
『あなたも鑑賞に来たの? もう一人の子は?』
『来ない』
『そう、残念。早く殺してくれないかな。この人、定期的に頭がパアになっちゃうから。今日はいつにも増してひどいわね』
自分を殺した人間を見て、少女は笑っていた。
『楽しそうだな』
『当たり前でしょ? 私と同じ目にあうの。ざまあみろよ』
『こいつが、お前に何をした』
『何も。生きているってことが腹立たしいの』
その気持ちは、痛いほどにわかった。生きている人間、全てが憎かった。憎しみしかなかった。でも今は、それしかないなんて、自分が自分に科した呪縛でしかないのだと知っている。きっかけさえあればいい。そうすれば、生きている人間だけじゃない。死んでいる人間だって変われるはずだ。現に、私は確かな手ごたえを掴もうとしている。
『こんなところにいるのがお前の願いなのか』
『そんなわけないでしょ。私は生きていたかったわよ』
『死んだんだ。もうどうしようもない』
『理不尽すぎるでしょ? それで終わり? 私の気持ちはどうなるのよ!』
この子は、私と違って生きたいのに生きることができなかった。どんなに無念なことだろう。この少女に届く言葉なんて、見つからなかった。それでも
『こいつら全員、助けてほしい』
私は、主張するしかない。
『嫌よ。そもそも幽霊のくせに生きている人間の味方してんじゃないわよ』
『生きていても死んでいても、同じ人間だろうが。理不尽で自分勝手なのが、人間なんだ。お前も人間に生まれてきたからには、最後まで理不尽を受け止めてみせろ』
『私は、そんなに大人じゃない! ……大人になれずに死んだ』
少女の目から、涙がこぼれた。世の理不尽を押し付けるには、あまりにも若すぎる。
素直にこぼれる涙に、私は見入ってしまう。透明な粒は、あまりにも綺麗で、私が失ったものがそこにある気がした。確かに、この少女は私の百倍は綺麗だった。
『こんな血なまぐさいとこいたくないんだろ?』
『当たり前でしょ! 嫌いよ、こんなとこ!』
『家、帰れ。子どもなら帰る場所があるはずだ』
『……帰りたい』
少女が、顔を上げた。さっきまで綺麗な滴を湧き上がらせていた瞳があった場所が、真っ黒くくぼんでいた。
『でも、帰れないの』
『おい、どうした?』
まるで心霊番組で見た幽霊のようだ。
「くははははは」
突然、男が笑い出した。
「そうだ、世界中が僕の味方なんだ! 僕はね、神に祝福されているんだよ!」
狂った男が、また一人で狂いに拍車をかけたようだ。
「獲物が、肝試しだとか言って、向こうからのこのこやって来やがる。おまけに、僕の儀式中は、玄関が開かなくなる。僕は、能力者に違いない。神の祝福を受けているんだ、くははははは」
頭がおかしいことを言う男に、こっちの頭が痛くなってきそうだ。男は、意識のない志保に話しかける。
「ごめんね、客室全部埋まっちゃっているから、相部屋になっちゃうんだ」
男は、押入れを開けた。
「愛菜ちゃん、仲良くしてあげてね」
真っ暗な押入れの中でも、私には何が入っているか見ることができた。中にあったのは、生首だった。腐敗は始まっているものの、面影ははっきりと残っている。少女に目を向けると、いつの間にか全身から血を滴らせていた。
男が包丁を手にした。私は、させてなるものかと男から包丁を取り上げようとしたが、何も掴むことができない。私は、空気同然だった。
『お前の居場所は、押入れじゃないだろ、愛菜! なんか言え!』
愛菜の肩をつかみ、揺さぶった。血が飛び散る。どちらの血かなんてわからなかった。
両手を通して、冷たい絶望が伝わってくる。幽霊は、こんなにも冷たいのか。初めて、咲月が感じていた温度を知る。
『こんな醜い姿じゃ……お家、帰れない』
『それでも、帰りたいんだろ!? だったら、帰っていいんだ、本当にお前がやりたいことをやれよ!』
男が包丁を置いた。
「ここで捌いたら、部屋が汚れちゃうから、この前みたいに絞め殺そうか」
男が志保の首に手をかける。
「っ!?」
志保が目を覚ました。
「いあっ……てぇ……」
口から声にならない声が漏れる。
その目は、恐怖で揺らいでいた。
『この子も死んじゃうね』
少女は、元の綺麗な姿で佇んでいた。
『苦しいよね、死にたくないよね、生きていたいよね』
『志保! もっと抵抗しろよ!』
「さあ、死んじゃおうね。そうしたら、楽しい生活が待っているからね」
男の指にさらに力が入る。その手首に、志保は爪を立てる。そんなちっぽけな抵抗は、男の楽しみを演出する要素にしかならない。志保の口からうめき声が消えた。
「楽しい生活なんて待っているわけないでしょ。死んだら、そこで終わりなのよ」
喉が絞められているとは思えないほど、流暢な言葉が志保の口から出てくる。少女の姿が消えていた。
「全部あんたのせい。全部が終わりだとしても、あんただけは許せない」
「な、なんだ……っ」
志保の華奢な指が男の手首にめり込む。肉が割け、血が噴き出した。
「ぎゃあああ」
「そう、痛いって生きている証拠。こんなに血が出ている。生きているから、さぞ痛いでしょうね」
志保はテーブルの上に立ち上がる。男の両手は離さず、手首に志保の指が食い込み続ける。男は、苦悶の声を出しながら、腰が抜けてしまったかのように座り込み、恐怖一色で志保を見上げている。
「怖い? もっともっと怖がって。死ぬなんて楽な思いさせないから。一生、苦しみなさいよ。生きてね」
男の両手首からボキッと大きな音がした。男がひと際大きな悲鳴をあげる。それでも、なお志保は男の手をはなさなかった。
「しーちゃん!」
『咲月!?』
「えい!」
咲月が男に唐辛子スプレーを浴びせる。それに続いて、三上が飛び出してきた。そのまま懐中電灯で男の頭を殴る。殺人鬼は、声もなく意識を失った。口から泡を吹いている。
「しーちゃん、大丈夫?」
「私より、こっちの男、殺しちゃったんじゃない? 大丈夫?」
「死んでないよ、生きている」
三上は、脈を確認してから言った。
「縛っておこう」
咲月は、リュックからガムテープを取り出した。三上がそれを受け取り、男をぐるぐる巻きにしていく。
「手首どうしたんだ、この人」
三上が血だらけの男の手首に気づき慄いた。
「知らなーい」
「しーちゃん? まだ幽霊入っているよね?」
「あら? よくわかったわね」
「しーちゃんは、語尾伸ばしたりしないから」
「ばれなきゃこの子の身体、乗っ取ってやろうと思ったのになー」
『おい、こら。家に帰るんだろうが』
志保が浮かべないような愛嬌たっぷりの笑顔が浮かぶ。
「この建物を出るまで、この子の身体借りてもいい? 一人じゃ、心細くて」
「みんなで、帰ろう」
咲月は、志保の手をとった。
建物内を満たしていた赤い文字は、いつの間にか消えていた。受付にあったバラもない。玄関のガラスからいっぱいに夕焼けが差し込んでいる。
三上が玄関に手をかけると、何の抵抗もなく玄関は開いた。
「意地悪しちゃって、ごめんなさいね」
「ううん。ちゃんと警察に通報してお家に帰れるようにするから安心してね」
「ええ。ようやく家に帰れる。ありがとう」
志保の目から、涙がこぼれる。
「さようなら」
その一言を残し、志保から、愛菜の気配が消えた。それと同時に、志保の口が動く。
「ようやく、あの子、出て行ったみたいだね。うわ、早く手を洗わないと」
志保は、爪の間までしみ込んだ血に心底嫌そうな顔をした。
「ホラーっぽくて、私はその手好きだな」
「こんな手でいたら、捕まっちゃうから。まったく、ひどい目にあったよ」
「しーちゃん、憑りつかれていた時のこと覚えているの?」
咲月は、興味津々とばかりに聞いた。志保は、怯えることなく、達観した様子で言った。
「覚えているよ。おかげで無駄に肝が据わっちゃったかもしれない」
「じゃあ、これからは一緒にオカルト巡りできるね」
「こんな目にあったのにまだ懲りていないわけ?」
「だって、幽霊の女の子自体は悪い子じゃなかったよ?」
「うん、知ってる」
志保は、赤い夕焼けのもっと先を見ながら目を細めた。
同じ赤でも夕焼けは、荒立った心を静めていくようだ。すっかり災禍は、去ったのだと私に錯覚させた。咲月はまだしも三上と志保も、恐ろしい出来事に遭遇したというのに取り乱す様子はない。類は友を呼ぶで、咲月と同じように図太くできているのかもしれない。
このまま平穏な時が流れていくことを私は望んでいた。いつの間にか、咲月を呪い殺す気なんて微塵もなくなってしまった。そんな私を咎めるように、穏やかな空気にあってはならない存在が割り込む。
『咲月!』
咲月を黒い影が覆い尽くす。そして、咲月が消えた。