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結い言  作者: 宮下
第1部 電車を見送る女
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咲月


 少女の家は、住宅街の一角にあった。なかなか立派な作りの家だ。その中にある少女の部屋は、どうせ可愛らしい色合いに包まれた胸焼けがするような部屋だろう。そんな予想とは大きく異なる光景が、扉の先にあった。鼻歌を歌っている少女の肩越しに見えた室内は、単調な色合いでひどくシンプルだった。整理整頓ができているようにも見えるが、単に物が少ないだけにも思える。どちらにしろ、面白味がないほどに無個性だった。

少女に招かれ部屋に足を踏み入れる。そんな私を見て、いちいちキラキラと目を輝かせる少女が鬱陶しい。


「どう? 私の部屋。綺麗でしょ?」

『殺風景だな』


私の素直な感想が気に入らないらしく、少女は頬を膨らませている。風船のように膨れたそれはすぐにはじけ、しゃべりはじめた。


「ねえ、あなたの名前は?」

『うるさい』

「……お名前はなんですか?」


少女は私の発言を考慮し、小声で尋ねてくる。

私が名前を教えるまで、穴が開くほど見つめ続けてくるであろう相貌を潰してやりたくなった。

今なら少女に触れることができる。――潰してやろうか。

私はゆっくりと手を動かす。その途中で、私の手は自由を奪われた。


「ああ、握手ね」

『!?』


がしっと少女は私の血で濡れた手を掴んだ。

そして、勝手に自己紹介をはじめた。


「私は森山咲月っていうの。咲月って呼んでね。よろしく」


繋いだ手から、床にぽたりと血が落ちる。血液は床で跳ね、血痕になった。今までは宙で消えていたというのに、少女を介すと私の血は本物になるのだろうか。少女の手は、乾いた血と濡れた血が入り混じって汚れている。そんな生々しい手で笑顔を浮かべる少女は、何かが噛み合わず不調和で、私よりも恐ろしい存在に思えてくる。


「さあさあ、好きなところに座ってくつろいでね」

『必要ない』

「幽霊は座らないの? そんなに血流しながら立ちっぱなしでいたら、貧血にならない?」


私は咲月の質問には答えず、窓際に行き、たたずんだ。窓の外はどこまでも夜が続いている。その広がりになぜだか惹かれる。外が見えるこの場所が一番この部屋の中で、私はしっくりいくのを感じた。


「何を見ているの?」

『……………』

「電車見える?」


この窓からは見えるわけがないし、見たいとも思わない。

咲月を見ると、手を濡れティッシュで拭いていた。すでにゴミ箱の中には真っ赤なティッシュが何枚か捨てられている。手を洗ってきたほうが速いのではないかとつい口出ししたくなる。もう一枚ゴミ箱に生々しいゴミが増える。このゴミ箱を見た親は、びっくりするのではないか。そう思って、この一戸建ての家の中で明かりがついているのは、咲月の部屋だけだと気がつく。窓の外の家々は、数々の明かりを灯している。


『お前、親は?』


ぽつりと勝手に言葉が出ていった。

不本意だった。こんなお気楽娘となれ合いをするつもりはない。

咲月は、綺麗になった手で何か機械を操作しながら答えた。


「いるけど、仕事であんまり帰って来ないの。今日もきっと帰って来ないんじゃないかな」


 なんの感情も含まない、淡々とした口調だった。寂しくはないのだろうか、と余計なことを考えそうになった時、咲月がこちらを向いた。


「それより、あなたの名前は? 教えてほしいな」


 私は咲月の言葉を無視する素振りをしつつ、自分の名前を頭に思い浮かべる。そこで驚愕した。


『……わからない』

「? 自分の名前がわからないの?」


私は、名前を思い出せないことに衝撃を受けた。

私はあの場所で死んだ。電車を毎日見送りながら、察した事実だ。それ以外、私は自分について何一つ知らなかった。自分が誰かなんて、考えたことすらない。


「大丈夫? なんだか呆然としているけど」

『私は……誰なんだ?』

「え? それ、私に聞く?」

『う、うるさい! ただのひとり言だ!』


思わず口にしていたらしい自分が憎い。


「あなたって思ったより何も知らないんだね。せっかく出会えた幽霊だから、色んなこと聞けるかなと思って楽しみにしていたのに。うーん、あなたのことなんて呼ぼうかな」

『呼ぶな』

「着ている服を見るに、そんなに昔の人ではないみたいだし……。電子ちゃんなんてどう?」

『馬鹿にしているのか』

「電車好きにはたまらない名前だと思うんだけど」

『変な名前で呼んだりしたら、呪い殺すからな』

「じゃあ、なんて呼んだらいいの?」

『だから、呼ぶな』

「それじゃあ、不便でしょ! 電子!」

『その名前はやめろ!』


このままでは電子になってしまう。それだけは、避けたかった。何か無難な呼称はないものか私は考えてみた。


『……わかった。なら私のことは』

「じゃあ、名無しさんって呼ぶね」

『……………』

「なんかミステリアスな感じがいいでしょ? 名前思い出したら、ちゃんと言ってね」


私は、咲月をあらん限りの眼光で睨みつけた。咲月は目の前の画面から顔を上げ、うれしそうにしている。

そして、私にもその画面を見るように勧めてきた。


「名無しさんの情報をゲットしたサイトを見せてあげるよ」


咲月の発言に気になるものがあり、私は明かりを放つ画面をのぞいてみた。画面よりもまず、画面がついている機械そのものに目が行く。これは、パソコンなのだろうか。私が知っているものと随分と形状が違う。


「パソコンが気になるの? そもそも、名無しさんパソコン知らない時代の人かな」

『馬鹿にするな! パソコンくらい知っている』


 こんな薄っぺらいものでは、なかった気がするが。


「へー、ならパソコンがある時代を生きていたってことだね。なら名無しさんってやっぱり最近の人なのかな」

咲月は、考えるような唸り声をあげながら言った。


「あそこで事故がないか調べてみたんだけど、ネット上では情報がなかったんだよね」

『それよりお前が見せたい私の情報が載っているサイトってどれだよ』

「ああ、これこれ」


咲月は、マウスをクリックした。画面が切り替わる。

“常闇の住人”

黒い背景に赤文字でサイト名が表示された。


「ブログ形式のサイトでね、管理人さんが心霊スポットの情報を不定期にアップしているの。これが名無しさんの記事ね」


咲月がページを下にスクロールする。すぐにその記事は見つかった。

“電車を見送る女”

そう書かれたタイトルの下に一回り小さい文字で文章が並んでいる。

私が佇んでいた線路沿いの住所の次に数行のコメントが続く。


『生者を驚かすことはあっても、事故に巻き込むような悪質性はなく、純粋に幽霊を見てみたいという人にはおススメ……って、なんだこれは!?』

「おススメされたから、会いに行っちゃった」

『来るな』


随分と安く見られたものだ。こんな小物扱いされるくらいなら、数人線路に引き込んでおけばよかった。

苦々しい気持ちを抱きつつ、次の文章に目を移す。


『18時から18時30分の間なら霊感がない人でも、かなりの確率で頭から血を流す女の姿を目視することができる』


そういえば、人の視線を感じるのは総じてその時間帯だった気がする。なぜか得意げな顔をして見上げてくるこの小娘が来たのもその時間だった。


『……どこのどいつがこの記事を書いてやがる。お前の次に呪ってやる』

「んー、誰だろうね。私たちは闇人やみびとさんって呼んでいるけど、自分のことは記事にしないから男の人なのか女の人なのかもわからないんだ」

『どうにかしてこの記事を消させろ! お前みたいに鬱陶しい人間が増えたら迷惑だ』

「大丈夫。このサイトってすごくマイナーだから。固定してコメント欄に書き込むの私以外にチヒロさんって人くらいだし、アクセスカウンターも全然伸びてないし」


咲月が左上に表示されている数字を指さす。そこには364と表示されていた。いつ開設されたサイトかはわからないが、思ったよりも少ない。残念なほどだ。


「ここに載っている心霊スポットって、まだ誰にも知られていないような場所ばかりなの。しかも、今のところ全部があたりみたい。すごいよね」


咲月はご機嫌にキーボードを叩いている。コメント欄に文字が走る。


“どうもサキです”


『サキ?』

「私のハンドルネームね」


“行ってきました。そして、会っちゃいました。お持ち帰りしちゃいました!”


『お持ち帰りされた覚えはない! 私はお前を呪ってやるためについてきただけだ!』

「細かいことはいいの」


咲月は、すごい速さで指を走らせると、あっという間にEnterキーを押した。“電車を見送る女”の記事にコメントが一つ追加される。


『……ふん。そんなに都合よく幽霊に会える場所があるかよ。胡散臭い』

「実際、私は名無しさんに会えたよ?」

『たまたまだ』

「名無しさんは、他の幽霊と交友とかある? あるなら、紹介してほしいんだけど」

『あるわけないだろ』

「ないの!?」


なんだその悲観に満ちた目は。そもそも紹介してもらうつもりだったのか、こいつは。咲月の留まることを知らないホラーマニア魂が理解できない。


「もしかして、名無しさん……他の幽霊に会ったことないの?」

『ない』

「え!? もったいない!」


何が? 私を置いてけぼりに咲月は、一人で盛り上がっている。


「もっと他の幽霊と交流してみるべきだよ! そうすれば、名無しさん自身のことを知るきっかけになるかもしれないよ?」

『私自身のことだと?』

「名無しさん、自分のことを知りたいんでしょ?」


否定する言葉が出てこなかった。

私は誰で、なぜあの場所でただ電車を見送り、人を恨み続けるのか。

―――知りたい。

負の感情以外で初めて、私の中で何かが動き出す。一度動いたそれは、ただただ動き続けた。


「ねえ、探しに行こう」


咲月が目で訴えてくる。好奇心できらめく相貌を、初めて、疎ましいとは思わなかった。

逡巡したのは、ほんの数秒。答えは、すぐに出た。


『暇だから……付き合ってやる』

「じゃあ、次に記事が投稿されたらその場所に行ってみよう。きっと何か見つかるはずだよ」


信憑性のない咲月の言葉を聞き流しながら、私は窓際に戻る。

電車は見えないが、目を閉じると耳に張り付いた電車の音が聞こえる気がした。





次の日、私は咲月にとり憑いたことを心の底から後悔した。

咲月の部屋の窓から見える光景が、夜から朝に切り替わりしばらくすると、咲月の枕元でけたたましい音が鳴り響いた。


『うるさい! さっさと起きて止めろよ!』

「ん~……、名無しさん止めて……」


そう言って咲月は、枕に顔を押し付けている。

私はあまりのやかましさに目覚まし時計に手を伸ばす。しかし、私の手は目覚まし時計をすり抜けた。


『くそッ! おい、馬鹿!』

「いたたたたた、髪、つかまないで!」


私は咲月の髪を鷲掴みにし、枕から強制的に引きはがす。そのままUFOキャッチャーのように目覚まし時計のそばに頭を落とした。


「名無しさんの乱暴者!」


ぶつくさ言いながら咲月が目覚まし時計のアラームを切り、ようやく静寂が戻った。しかし、その静寂はあっという間に消えた。

咲月は、ばたばたと慌ただしく学校へ行く準備をしている。十分ほどで身支度を終えた咲月は、勢いよく振り返った。


「じゃあ、名無しさん行くよ!」

『どこに?』

「学校」

『一人で行って来いよ』


咲月は、怒ったような顔をして、私の鼻先に指を突きつけた。


「名無しさんは、私に憑りついているんでしょ?」


正直、人に憑りつく経験がない私は、今の状況がそうなのかどうか定かではない。ただ、咲月にだけに触ることができる。それは、特異なことに違いない。


『ああ、憑りついているな』

「だったら、四六時中私と一緒に行動しないとダメなの!」


うわっ、面倒くさい。思わず、私は一歩後ずさった。誰が悲しくてこんな五月蠅い小娘に密着しなければならないのか。まだ電車を見ていたほうがいい。


『別にそこまでしなくてもいいだろう』

「するの! さあ、行くよー」

『わかった! 行くから、手を掴もうとするな!』


私は咲月が伸ばしてきた手を避ける。咲月はむっとした顔をしたが、私がついていく姿勢を見せるとそのまま玄関を出ていく。これから学校へ行くというのに、制服が汚れたらどうするつもりなのか。

咲月は後ろを振り向かないままに言った。


「行ってきます」


その言葉に返事はなかった。

咲月が通っている高校は電車で二駅のところにあった。電車に乗る際に、含んだ視線で私を見てくる咲月が鬱陶しいことこの上ない。電車だよ? うれしい? と聞いてくる咲月を全力で無視した。そんな咲月をサラリーマンが変な目で見ていて、こっちが恥ずかしい気分になった。

電車を降りると、咲月と同じ制服に身を包んだガキどもの流れに乗った。身だしなみや風貌から察するにそれなりの偏差値の高校のようだ。大嫌いなガキどもに囲まれて、私はイライラが止まらなかった。

 下駄箱で咲月は上履きに履き替える少女に親しげに声をかけた。


「おはよ、しーちゃん」

「おはよう」


 “しーちゃん”と呼ばれた少女は、咲月よりも華やかで派手な部類の少女だった。高校生のくせに精一杯おしゃれに力を入れている感じが不愉快極まりない。


「なんだか咲月、ご機嫌だね。何かいいことでもあった?」


咲月は、浮き立つような歩調で、全身から喜びが溢れている。


「うん! 今日は、憑いているからね」

「ふーん。何かいいものでも拾ったの?」

「うん! 拾っちゃった!」

「お金?」

「お金では買えない、もっと大事なものだよ?」

「なにそれ」


 咲月は、それ以上、具体的には言わずはぐらかし続けた。

 噛み合わない会話をしながら二人は同じ教室の一角に着座する。タイプが違うように見える二人だが、同じクラスで席も近く仲がいいようだ。こんなオカルト娘に友達がいたとは、心外だ。

咲月が控えめに振り返った。私と目が合うと、わざわざ内緒話をするように顔を近づけてきて、“しーちゃん”とやらを紹介してきた。


「一年の時から同じクラスで仲良しの富岡志保ちゃん。私は、しーちゃんって呼んでいるの。一番の友達だから、覚えておいてね」

『おい、“しーちゃん”とやらが、すごい形相でお前のこと見ているぞ』

「え?」


 咲月が私から視線をはずす。志保は咲月に残念そうな視線を向けていた。


「咲月……頭、大丈夫? なんだか、見ちゃいけないものを見ちゃった気がするんだけど」

「え!? しーちゃん、見えたの!?」

「うん。咲月、宙に向かって何かしゃべっていたよね」

「ああ、それは大したことじゃないから気にしないで」


 咲月は、ドン引きしている友人を前に本当に気にしていないようで話しを続けた。


「それより、昨日話していた心霊スポット行ってきたんだけどね」

「もしかして、一人で?」

「うん!」

「危ないから、止めなよ」

「じゃあ、しーちゃんも一緒に行く?」

「絶対にいや。なにかあったらどうするの」

「あったらあったらで、ラッキーだよ! 昨日なんて憑かれちゃったし」

「疲れたわりには、元気そうじゃない」

「うん。憑かれたわりに、どこも痛くも痒くもないんだよね。もっと肩こりとかあるのかと思った」


馬鹿みたいな会話を聞き流していると、ふと視線を感じ、顔を上げた。

廊下を見るが、誰かと目が合うような異常事態はない。それでも、確かに私の体には人の視線の余韻が残っていた。気持ちが悪く、気分を逆なでするあの感覚。間違えなく、誰かが私を見ていた。


「しーちゃんもオカルトに興味持ってくれたらいいのに」

「ほら、先生来たよ。前向いて」


 咲月は、渋々ながら前へ向き直った。

 いつの間にか教室はガキどもで埋め尽くされていた。他の教室も同じようにガキどもがぎっしりいるとしたら、この校舎内に一人くらい私をみることができる人間がいてもおかしくはない。いわゆる、霊感が強いといわれる、なんとも気味の悪い存在だ。

 私は短く息を吐くと、窓際に佇んだ。時折、咲月の視線を感じるが、これはもう慣れたから今更なんとも思わない。


「森山。よそ見をするな」

「……すみません」


 いい気味だ。定期的に先生に注意される咲月に、私は皮肉な笑みを浮かべた。

 お昼休みになると咲月はすごい速さで教室を出て行った。私に見向きもせずにかけていったその背中を追いかける義理はない。ただ、あんなにも必死な顔の咲月は初めて見た。私は好奇心で咲月を追うことにした。

 喧騒と雑踏の中に咲月はいた。雑踏の中で「メロンパン!」としきりに小銭を手に叫んでいる。その声は、購買のおばちゃんまで届かず喧騒に飲まれていく。

 咲月が所望するメロンパンは、残りあとわずか。これは買えないなと私は思った。その矢先、小僧がおばちゃんに最後のひとつのメロンパンを渡した。


「私のメロンパン……!」


 咲月の絶望の顔は、そこそこ笑えた。

 戦意を失った咲月は、押し出されるように人ごみの中から私の目の前に吐き出されてきた。ぼろ雑巾のようだ。


「森山」


ぼろ雑巾に最後のメロンパンを手にした幸運な少年が話しかけてきた。


「これ、代わりに買っておいたぞ」

「メロンパン……!」


 咲月は、絶望から一転。顔を輝かせた。


「すごい声で叫んでいたからな。つい使命感にかられちまった」

「ありがとう、三上くん!」


 咲月はお礼を言いつつ、百円玉を“三上くん”とやらに手渡した。

 ……恋人か? 咲月のくせに。

 二人で一緒にご飯でも食べるのかと思いきや、あっさりと二人の会話は終わり、咲月は教室へ戻っていく。志保のことはのりのりで紹介してきたくせに、三上のことは何も言ってこない。

どうでもいいことを気にしてしまう自分に嫌気がする。なんだか生きている人間みたいではないか。それでも、芽生えた好奇心には勝てなかった。


『あの三上って奴は、お前のなんなんだ』

「一年の時、同じクラスだったんだよー」


 それで三上の紹介は終わった。関心の薄い咲月の表情を見るに、咲月の方は友達とすら思っていないようだ。おそらく三上は、友好的に思っているからこそのメロンパンだろう。咲月は、薄情な奴なのかもしれない。私は三上を不憫に思った。


「しーちゃん、ただいま」

「またメロンパン? 好きだね」

「うん!」


 咲月は大口を開けてメロンパンを頬張っている。そういえば、咲月と出会ってから、初めて咲月が飲食しているのを見た気がする。

呪い殺してやると意気込んでいる身でなんだが、こいつの食生活はどうなっているのか。気になり出したら止まらない。だから、つい、帰り道に思ってもいない言葉が出てしまった。


『お前、夕飯は?』


 そんなこと知ったことか。自分で聞いておいて、自分自身に反論した。

 咲月は、少し思案してから答えた。


「スーパーでなにか買ってく」


 そう言って、道なりにあったスーパーに慣れた足取りで入っていった。そして、咲月が持つカゴは、あっという間に菓子パンでいっぱいになった。


『お前、それが夕飯なんて言わないよな』

「今日はこれとこれ食べる。あとは明日以降の分だよ」


 咲月はそう言って、見るからに甘そうな菓子パン二つをつまんで見せた。カゴに詰まっているパンは、見れば全てが甘いばかりの菓子パンで、私はめまいがしてくるのを感じた。


『……野菜は?』

「食べないよ。名無しさん食べたいの?」

『そんなわけないだろ。……こんな気持ち悪いものばかり食べるな。見ていて気分が悪くなる』

「え? 幽霊って甘い物が苦手なの?」


 咲月はうれしそうに詰め寄ってくる。近くにいた主婦らしき人が、咲月を一瞥すると大げさに避けて行った。


『いいから、あっちのも買え』


 私は弁当や総菜が並んでいる一角を指さす。


「名無しさん食べるの?」

『そんなわけあるか。お前が食べるんだ』

「なんで?」

『……嫌がらせだ』

「? 名無しさんが喜ぶなら、食べるけど……」


 咲月はからあげのパックを手に取りカゴに入れた。バランスのとれた食生活という概念がこいつにはないのだろうか。自分の顔が引きつるのを感じた。それでも、これ以上、助言じみたことを言うのは止めようと口を強く引き結んだ。

 咲月の家は、リビングのみ明かりが点いている。その明かりをつけたのは、咲月自身だ。咲月は、リビングにノートPCを持ち込み、テレビをつけ夕飯を食べ始めた。その姿を見て、今日はもう一言も言葉を発しまいと思っていた私の決心が崩れ去った。


『なんだ、その箸の持ち方は……!』

「おかしいかな?」


 咲月は、滅茶苦茶な箸の持ち方でからあげを頬張っている。躾がなっていないにもほどがある。こんな馬鹿を育てた親の顔が見てみたい。

残念ながら、その親の顔は写真ですらまだ拝めていなかった。


『箸をクロスさせるな、どうしたら中指がそんな体勢になるんだ』

「あっ、見て見て。名無しさん」


 私の箸の持ち方講座をなおざりに、咲月がテレビ画面を指さす。あるニュースをアナウンサーが伝えていた。

 ――先日に引き続き、またも男性の遺体が発見されました。今回、遺体が発見された場所は……


「これね、この地域で起こっている事件なの」


 そう言う咲月は、なぜかしたり顔だった。

「最近ね、十代から二十代で行方不明者が続出しているの。その中で、男の人は今回みたいに遺体で発見されて、女の人は行方不明のまま見つからずじまいなんだって」


 咲月は、興味津々に続けた。


「被害者の人、幽霊になって現れてくれないかな? そうしたら、名無しさんとお話しして、犯人教えてもらえるのにね」

『そんな探偵の真似事、ごめんだね』

「そう? 面白そうなのに」


 あくまで咲月は、身近な殺人事件を楽しんでいるようだった。いくらオカルト好きといっても不謹慎だ。ニュースでは、咲月と同世代の行方不明者を告げている。その人たちに対する憐憫は微塵もないようだ。人としての欠如を咲月から感じた。咲月はどこか狂っているのかもしれない。

 私が咲月に白けた視線を向けていると、あろうことか咲月は、食べながらPCをいじり始めた。どこまでマイナスを重ねれば気が済むのか。私の血走っている目からは、鮮血が噴出しそうだった。


「見てみて、名無しさん。ブログ更新されているよ」


 私の目に人工的な明るさが飛び込んできた。


 “願いを叶えるポスト”


 その題名に咲月は少しもときめきを感じないようで、テンションは横ばいだ。


 “***市*木町1丁目**-1

  小さな丘の頂上にポストがある。

  その中に願い事を書いた紙を入れると、その願いが叶う“


 子どもが喜びそうな内容だ。しかし、隣の子どもは例外のようだ。つまらなそうな表情をしている。しかし、その表情が一瞬にして変わった。私を見る、あの目だ。私も文章を覗き込んだ。


“ただし、その願い事は誰かを不幸にするものに限る。”


 一瞬、恐ろしいほどの静けさが咲月の部屋を満たす。

 咲月は、PCに目を向けたまま私に呼びかけた。


「ねえ、名無しさん」


 咲月の声が静かに響く。

 ゆっくりと振り向いた咲月の黒目がちの目は、光がなく不気味だった。


「次に記事が投稿されたらその場所に行ってみようって言ったよね。約束、したよね?」


 私が咲月についてきたことを心の底から後悔した瞬間だった。





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