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結い言  作者: 宮下
第1部 電車を見送る女
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出会い

 電車が過ぎ行くのを見たのは、これで何度目だろう。

 私はただ眼前を過ぎる電車を見送り続ける。何度も、何度も。

 額から血が垂れ、地面に落ちる。それなのに落ちた先の雑草が赤く染まることはない。まるで空中で消えてしまったかのようだ。地面を汚さない血は、飽きることなく私の顔を流れ続ける。皮膚に残る血が乾いて顔の皮を引きつらせていく感覚がわずらわしい。手で乱暴に顔を拭う。すでに血で濡れた手は、不快感を上乗せするだけだった。……鬱陶しい。

 背後に気配が近づいてくる。私が大嫌いな何よりも憎いものがやってきた。沸々と怒りが湧き上がってくる。憎しみに歪めた顔から血がしたたり落ちる。私は、感情のままに背後の気配をにらみ上げた。


「うわあああああ」


 大きな悲鳴が上がる。血相を変えて駆けて行くスーツ姿の男を、ざまあみろと見やった。こんな滅多に人が通らないような細道を通るほうが悪い。ここは私の場所だ。

 決して、この場所が好きなわけではない。それでも、私はここにいた。いつからかは覚えてはいないが、気がついたらここにいて血まみれの状態で立っていた。その眼前を電車が過ぎていく。この状況から察するに、きっと、私は、ここで死んだのだろう。

 再び気配を感じ、私は背後を顧みる。いつにない頻度でやってきた通行人に私の怒りのボルケージがあがる。誰もが恐れおののいた睨みをその通行人に向けた。


「…………」


 通行人は何も言わない。私を見た人間の反応は、二パターンだ。大声を上げるか、押し黙るか。どちらにしろ、大慌てで去って行く。こいつは、恐怖で声も出ない方か。さっさと間抜けな後ろ姿を晒すといい。心の中であざ笑った。

見れば、通行人は下校途中の女子高生だった。夢と希望に溢れていますといった輝きを放つ、私が大嫌いな中でも最上級の存在だ。私は、ぐうの音も出ないほどのトラウマでこいつにトラウマを植え付けてやろうと思った。


『なに、見てやがる……呪い殺してやろうか……!』


 私はカッと目を見開いた。少女の目がパッと輝いた。

 ……おかしい。女は脅えるどころか、私のことをアイドルでも見るかのように羨望にも似た瞳を向けてくる。初めて遭遇するパターンだ。恐怖で頭でもおかしくなったか。私は、とにかくさっさとどっかに行ってほしくて、今度はありきたりな幽霊像をもとに追い打ちをかける。


『去れ……去らないと手足を引き千切るぞ……!』


 血が宙を舞い、恐怖を演出する。空気も凍るような光景を少女は、あごに手を置き難しそうな顔をしながら見ていた。そこに恐怖の色はない。何か考え事をしているようだった。この状況下で考え事など、神経が図太いにもほどがある。考え事をするならもっと適切な場所に行けと睨むが少女は動じない。思いもよらない反応に逆に私が怖くなってくる。


「ん~……、いまいち迫力にかける気がする」

『?』


 私は耳を疑った。

「噂では、腰を抜かすほど怖い幽霊がいるって聞いたんだけど……。それほどじゃないんだね。でも、私、本物の幽霊を見るのって初めてなの。すごいうれしい!」


 喜ばれてしまった。

 幽霊になって、初めての経験だった。


『うるさい、黙って消えろ!』


 切実にどこかへ行ってほしかった。こんなことなら無暗にからむんじゃなかった。おかげでこっちがトラウマものだ。

 少女は、さらに目をらんらんと輝かせて私に詰め寄ってくる。


「ねえ、本当に私のこと呪うの?」

『は? 知るか、いいから帰れよ』

「一度、呪いってものを体験してみたいの。だから、私のこと呪ってみてくれる? ほら!」


 少女は、無防備に両手を広げて見せた。


『これ以上、近寄ったら本当に呪ってやるからな!』


 少女は私の言葉なんておかまいなしに、足を進め、詰め寄ってきた。私は後ずさりし線路すれすれまで追い詰められた。少女が好奇心いっぱいに手を伸ばしてきた。私はその手を払い落とす。しかし、私の手は少女の手をすり抜けた。少女は至極残念そうな顔になった。遠くで、電車が線路をかける音がする。

――この距離なら列車に巻き込まれてこの小娘、死ぬんじゃないのか。

ふと浮かんだ考えに、私はこらえ切れず、口元に笑みがこぼれた。


「その笑顔、素敵!」


 少女は、私に夢中で、身に迫った危険に気が付いていない。このまま死んでしまえばいい。私を怒らせた罰だ。

 感じたことのないほどの高揚感と満足感に満たされる。いいぞ、あとちょっとだ。このまま気が付くなよ。

 線路に背を向けた私の横顔がライトの明かりを捉える。温かくなってきたとはいえ夏はまだ遠いこの時間帯はすでに暗く、電車に気づく要素は音とライトのみだ。

 すでに少女にも音と明かりが届いているに違いない。それなのに、女は私から目をそらさない。差し迫った危険に気づけないほど、幽霊への好奇心が強いらしい。とことん変わった女だ。そして、それが所以で、今日が命日になるのだ。若いのに、哀れなことだ。その哀れさが私は楽しくて仕方がない。

 電車がすぐそこに迫る。私は確実に女が轢かれるよう一歩後ずさった。女はすかさず一歩前に出る。馬鹿め。腹の中で笑いが止まらない。

 待ちに待った瞬間だった。その瞬間、私の耳は余計な雑音を拾った。


「私もあなたとここで幽霊になるのかな」


 馬鹿な女の馬鹿な言葉。それは、今までの調子とは打って変わって落ち着いていた。少女の顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいる。

 そして、私も馬鹿になった。

 私は女を思いっきり押しのけていた。女は勢いよく尻餅をつく。触れないと思っていた私の手に女の温もりが残る。

 尻餅をついた状態で女はびっくりした様子で私を見上げた。


「あなた……私に、触れるの?」


 少女は立ち上がり私の頬に触れる。少女の手が赤く汚れる。それを見て、少女は目を丸くした。


「私、死んだの?」

『いや……死んでいない』


 少女の手についたのは、私の血だった。

 なぜ助けたのか。自分の行動が理解できない。今ならこの女に触れる。一層のこと絞め殺してやろうか。

そんなことを考える私に少女は少し安心したよう表情をした。


「助けてくれたの? ありがとう」

『助けてなんかない』


 私はキッと少女を睨んだ。


『幽霊になったお前と、ここで電車を見送る毎日なんて御免だと思っただけだ』


 私はそっぽを向く。少女はわざわざ私の顔を覗き込んで目を合わせてきた。


『なんなんだよ! さっさとどっか行けよ!』

「ねえ、一緒に行こう」

『は?』


 少女は微笑んでいた。


「あなた私のこと呪うんでしょう? なら一緒にいなきゃ呪えないよ?」

『お前を恨む気持ちはこの場所からでも十分届く。心の底から呪ってやるから安心しろ』


 少女はもう一度、一緒に行こうと言って私の血だらけの腕を引く。少女は、自分の手が血で汚れることをいとわないようだ。


「あなた鉄道オタクなの?」

『は?』

「毎日電車を見ているんでしょう? 電車が好きなのかなと思って」

『別に好きでここにいるわけじゃない』

「なら一緒に行こうよ。これも何かの縁だし、憑かれるっていう状況を体験してみたいの!」

『……………』


 私は、変な女を冷たい視線で射る。女はまったく気にせず、私の手を引いて歩き出した。不思議と、私の足は動き出していた。

 ただただ電車を見送り、生きている人すべてを恨み、通行人から悲鳴をあげられる毎日。こんな毎日に私は飽き飽きしていたのかもしれない。私は、女の手を振り払おうとはしなかった。

 少女が鼻歌を口ずさんでいる。そのメロディーは全く聞き覚えがない。いったいこの世の中は、私が死んでからどれだけの歳月が経ったのか。見慣れぬ街並みと喧騒の中で私は久しぶりに時間という概念を意識した。



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