悪魔のチョコレート
1
これから、虫歯の子のお話をしましょう。
小さな村の小さな丘の上に、小さな家がありました。
そこには、ユキちゃんという女の子とその子のお父さんが住んでいました。
ユキちゃんは、その名前のとおり雪のような真っ白い歯を持っている女の子です。
その歯は、あまりに美しかったので、村じゅうの大人や子どもたちから、うらやましがられていました。
そして、そのなかに、じつは悪魔もまじっていたのです。
悪魔は、カラスの羽のような自分の真っ黒い歯とくらべて、ユキちゃんの真っ白い歯が欲しくて欲しくてたまりませんでした。
なんとかして手に入れることはできないものかと、いつも考えていたのです。
ある日、悪魔は、とうとう良いことを思いつきました。
そこで、さっそく家に帰ると、自分の体が入るくらいの大きな鍋を用意して、死んだカエルやヘビ、赤茶色のヤモリ、それに赤や黄色のなんだかわからない気味悪い薬を入れ、アワが出るまで、一晩中グツグツとにこんだのです。それから、水につけて一晩冷やしました。
次の日、悪魔が、その鍋の前でじゅ文をとなえると、銀紙につつまれた二十個のチョコレートができあがったのです。
2
ユキちゃんの家は、とてもさびしい家でした。
ユキちゃんをかわいがっていたお母さんは、ユキちゃんが二才の時、重い病気でたおれて、そのまま死んでしまいました。
おじいさんやおばあさんはすでになくなっていましたし、お父さんは、お仕事で、毎日二つ先の駅の町まで出かけなければなりません。お父さんの帰りは、いつも夕方でした。
まだ学校に行けないユキちゃんは、その間一人でおるすばんをしなればならなかったのです。
真っ白な歯を持っていることで、だれからもうらやましがられていたユキちゃんでしたが、心の中では、いつもさびしい思いをしていたのです。
そんな時だったのです。悪魔が二十個のチョコレートをたずさえてやってきたのは………。
悪魔は、人間のおじいさんに化けると、ユキちゃんの家にやってきて、玄関の戸をトントンとたたきました。
そして、真っ白な歯を持ったユキちゃんが出てくるのを、いまかいまかと、まちうけたのです。
「どなた?」
返事はあっても、戸はまだしめられたままです。
ユキちゃんは、知らない人が来たら、むやみに戸を開けては行けないと、お父さんに教えられていたのです。
でも、悪魔はあきらめません。
「お嬢ちゃん。チョコレートはいかがですか。甘くて、おいしいチョコレートですよ。」
「………。」
ユキちゃんは、少し考えました。甘いものは食べたかったのですが、お父さんに言われたことを思い出していたのです。
「いらないわ。お父さんが、チョコレートを食べると、虫歯になるって言っていたもの。」
「でも、お嬢ちゃん。
このチョコレートは、ふつうのチョコレートとは少しちがうんですよ。
このチョコレートを食べて眠ると、好きなものや思っていることが、夢の中に出てくるのです。
どうです。それでもいりませんか。」
そこではじめて、戸が少し開かれました。 そのすき間から、ユキちゃんが、ちょっと外をのぞきます。
黒い服を着た少しいじわるそうな眼をしたおじいさんが、手にチョコレートの入ったかごを持って立っているのが見えました。
ユキちゃんは、少し考えていましたが、思いきったように、おじいさんに話しかけました。
「じゃあ、もしお母さんの夢が見たかったら見られるの?」
「もちろんですとも。」
するとユキちゃんの眼が、急にかがやきはじめました。
「ぜんぶ、ぜんぶちょうだい。」
ユキちゃんは、胸のポケットから小さな赤いおさいふを取り出すと、そのおじいさんにお金を支払い、もみじのような手で、そのチョコレートをうけとりました。
この時、悪魔は、心の中でニヤリと笑ったのです。
3
チョコレートは、一個づつ、ぜんぶ銀紙でつつまれていて、二十個ありました。
その一個をつまむと、銀紙を開いて、さっそくお口の中に入れてみました。
ほろ苦さのなかに、クリーミーな甘さがひろがります。それは、まるでお母さんの胸に抱かれているようでした。
そのうち、ついうとうととねむくなりはじめました。
すると、どうでしょう。
夢の中にお母さんがあらわれたのです。
でも、お母さんの顔は、少しかなしそうでした。
「どうしたの、お母さん。わたしにあえてうれしくないの。」
お母さんは、静かにゆっくりと首を横にふりました。
「じゃあ、どうして?」
「お母さん、ユキちゃんにあえたことは、とてもうれしいわ。
でもね、あとで良くないことがおきるの。
そしてそれは、お母さんの力では、どうしても守ってあげることができないことなの。」
「それは、なあに?」
「今は、それは言えないの。でも、あしたになれば、わかるでしょう。」
ユキちゃんの胸が、少しドキドキとなります。
「だいじょうぶよ。」
ユキちゃんは、ちょっとこわくなってきた気持ちをはねかえすように、そう答えました。
「ええ、あなたが、あのチョコレートを食べないかぎりはね。
いい、あのチョコレートはすててしまいなさい。
もうぜったいに食べてはいけません。」
「いや!」
ユキちゃんは、思わず強くさけんでいました。
そうです。またお母さんにあえないくらしにもどることが、つらく、さびしく思えたからでした。
「そうしたら、お母さんに、またあえなくなっちゃうもの………。」
お母さんは、こまった顔をして、だまっています。
「ねえ、いいでしょう。」
お母さんは、答えませんでした。
答えられなかったのです。
自分が早く死んでしまったために、ユキちゃんが甘えられなくて、さびしい気持ちでいることをだれよりも知っていたからです。
そのうち、どこからともなく、スズメの鳴く声が聞こえてきました。
朝が近づいてきたのです。
「もうおわかれですよ。
いいわね。二度とあのチョコレートを食べてはいけませんよ。
約束してちょうだい。」
そう言うと、お母さんの姿は、どんどん消えはじめたのです。
「お母さん!」
そうさけぶとともに、ユキちゃんは目をさましました。
外は、すっかりお日さまがのぼって、小鳥たちがいそがしそうにお話をしています。
そんなさわやかな朝の中で、ユキちゃんは、少しいやな気持ちになっていました。
歯がいたいのです。
急いで鏡のある洗面所へ行って見てみると、前歯の一本が、白い布におしょう油をたらしたように、小さなシミができているではありませんか。
そう、きのうチョコレートを食べてねむってしまったことで、虫歯になっていたのです。
4
ちょうど同じころ、悪魔の家では、悪魔が鏡をのぞきこんで、うっとりとしていました。
真っ黒い歯の中に、真珠のような真っ白で美しい歯が一本はえていたからです。
そうです。
あのチョコレートは、好きな夢を見せるかわりに、歯を悪魔の歯と取りかえてしまう魔法のチョコレートだったのです。
悪魔は、一本だけはえかわった白い歯を見ながら、ユキちゃんが、早くのこりの十九個のチョコレートを食べるようにと願ったのでした。
5
その日の夜、ユキちゃんは、お父さんにとてもしかられました。
もう食べてはいけないとも言われました。
ユキちゃんも、はじめはそう思いました。でも、しかられているうちに、さびしくなってしまったのです。
だれも、やさしくなぐさめてくれる人がいないからです。
「こんな時、お母さんがいたらなあ………。」
と、ユキちゃんは思いました。
そう思うと、どうしてもまたお母さんにあいたくなって、とうとうその日も、悪いことだと思っていながら、チョコレートを食べてしまったのです。
その夜、お母さんは、また夢の中にあらわれてくれました。
とてもかなしそうな顔をしていました。
でも、さびしそうなユキちゃんの顔を見ると、胸に抱っこをしてくれて、優しく髪をなでながら、なぐさめてくれたのです。
次の日、虫歯は二本にふえていました。
ユキちゃんは、またお父さんにしかられました。
その時は、食べては、いけないとも思います。
でも、その日の夕方には、また、チョコレートを口に入れてしまうのです。
それから一ヶ月後。
ユキちゃんは、二十個のチョコレートをぜんぶ食べてしまったのです。
6
そのころ、悪魔には、真っ白な歯がはえそろっていました。
悪魔は、自分の口の中に、毎日一本ずつ、白い歯ができていくのが、嬉しくてたまりませんでした。
悪魔は、一本一本増えるごとに、その歯を仲間の悪魔たちに見せては、夜空にかがやく星のように、キラリと光らせて、その美しさを自まんしていたのです。
やがて、二十本の歯が、はえそろうと、その話は、悪魔たちのうわさとなって、悪魔の王サタンさまの耳に入りました。
サタンさまは、
「人間の子どもをだまして、真珠のように真っ白で、星のようにかがやく美しい歯を手にいれるとは、
なんとも見上げたやつだ。ぜひ、その歯を見たいものだ。」
とおおせにになり、悪魔のところへ、
「明日、その歯を見せに来るように………。」
と、使いを出したのでした。
7
次の日、悪魔は鏡の前に立つと、首に金色の蝶ネクタイをきちんとしめました。
黒い矢のようになっているしっぽの先についている赤いリボンも見てみます。
だいじょうぶ。
しっかり結んであります。
きょうは、サタンさまに自まんの歯をお見せしに行く日なのです。
白と黒のモーニングを着込み、正しい服そうで行かなければなりません。
自まんの歯を鏡にうつしてみました。
お日さまの光が、歯にあたって、キラリと光ります。
きょうの日のために、きのうから今日にかけて、歯ブラシで三回もみがき、その上、乾いた布でキュッキュッと音の出るまでこすったからです。
「これなら、サタンさまもすばらしいと思われるにちがいない。」
悪魔は、ぼうしとステッキをとると、人間のおじいさんにばけて、足どりもかろやかに外に出ていったのでした。
外は、きのうからふっていた雪がつもって、あたりは真っ白です。
8
公園のところまでくると、雪遊びをしているのか、子どもたちの元気な声が聞こえてきました。
でも、それにまじって、小さな泣き声も聞こえてきたのです。
「おや、だれかが、いじめられているらしいぞ。」
そう思って、公園の中をのぞいてみると、七、八人の子どもたちが、一人の女の子によってたかって、雪の玉を投げています。
女の子は、顔をおおって泣いていました。
悪魔は、あまりにひどいいじめかたに腹を立て、その子どもたちにステッキをふり上げてしかりつけました。
すると、子どもたちは、クモの子をちらすように、ちりぢりになって逃げていったのです。
あとには、いじめられていた女の子だけがポツンとのこりました。
このとき、悪魔は、いじめられている女の子を見て、いつも人間にいやがられて育ってきた自分のことを思い出したのでしょう。
欲しかった白い歯が手に入って、心がひろくなっていたこともあるかもしれません。
とにかく、ここはひとつ、この女の子をなぐさめてやろうと思ったのです。
「なぜ、いじめられたのかね。」
悪魔が、女の子の服についている雪をはらってあげながらたずねると、
「ヒック、ヒック。」
と、しゃくりあげるだけで、返事がありません。顔をおおっている手もはずそうとはしませんでした。
「泣いているだけでは、わからないんだよ。」
悪魔は、その女の子の気持ちをなだめるように、さらに優しく話しかけました。
すると、すこしは気持ちが、収まってきたのでしょうか。すすり泣きながらも、
「わたしの……わたしの顔が……オバケみたいだって………。
みんな……みんなそう言うの………。」
と、おおっている両手の間から、小さな声がもれてきました。
ふと、きいたことがある声のような気がしましたが、今はこの女の子をなぐさめることが大切と考えて、
「そんなことはあるものか。手をとって見せてごらん。おじいさんが見てあげよう。」
といったのです。ですが、それでも、女の子は、おおっている手を開こうとはしませんでした。
「生まれたときから、オバケみたいな顔をした子どもなんていないものだよ。
赤ちゃんの顔を見てごらん。どれも同じように見えるし、かわいいだろう。
それが、大きくなってオバケみたいな顔といわれてしまうような子になるのは、悪いことが好きになってしまった子で、その心が顔に表れるようになるからさ。
たとえば、ひとの気持ちを考えないわがままな子とか、さっきの子どもたちのように、いじわるをして、人が苦しむのを喜んだりするような子のようにね。
お嬢ちゃんは、そんな子どもかね。」
女の子は、そのことばを聞くと、首を横にふりました。
それから、ゆっくりおおっている手をはずして、悪魔を見上げたのです。
すると、女の子がとつぜん
「おじいさん!」
と、さけんだではありませんか。
悪魔の方はというと、その顔を見ておどろき、立ちすくんでしまいました。
手の中から出てきた顔は、虫歯のために、口の中が血やうみでしたたって顔の形が少しかわってしまっていましたが、まちがいなく、あの真っ白な歯を持っていたユキちゃんだったからです。
「チョコレートを売ってくれたあのおじいさんよね。
また、また、あのチョコレートを売って………!」
と、つづいて言ったユキちゃんのことばが、さらに悪魔をおどろかせました。
ユキちゃんは、きっと自分のことをにくらしいと思っているにちがいないと、思っていたからです。
「お嬢ちゃん………。
お嬢ちゃんは、わたしをうらんではいないのかね?」
悪魔は、おずおずとたずねてみました。
「なぜ、うらまなくちゃいけないの。
おじいさんのチョコレートは、夢でもお母さんにあわせてくれたのよ。
わたし、お母さんに甘えられてうれしかったわ。」
「でも、虫歯になったのは、わたしの売ったチョコレートを食べたからだよ。」
そのことばに、ユキちゃんは、はげしく首を横に振ると
「虫歯になったのは、お母さんやお父さんの言うことをきかなかったわたしが悪いのよ。
おじいさんのせいではないわ。」
と言ったのです。
「しかし、いまのようにいじめられてしまうのは、わたしの売ったチョコレートが、お嬢ちゃんを虫歯にしてしまったからだろう。それでも、うらんではいないのかね?」
ユキちゃんは、悪魔からそっと目をそらして、下をむきました。
「いじめられるのは、いや!
でも、悪いのは、わたしなんだもの………。
さっき、おじいさんも言っていたでしょう。わがままな子は、オバケの顔になるんだって………。
わたし、お父さんやお母さんが、
「食べてはいけない。」
っていってたのに、言うことをきかなかったの。
でも……わたし、いつもひとりぼっちだったから………。
いつもるすばんで、お家にいなくちゃいけなかったし………。
白い歯があったって、つまらないもの………。
どんなにみんなが、わたしの歯がきれいだって言ってくれたって、それだけで、ちっともわたしの気持ちなんか、わかってくれないんだもの………。」
「お父さんがいるじゃないか。」
「お父さん、お仕事でいそがしいもの………。
そんなに遊んでもらえないし………。」
それから、ユキちゃんは少しだまってしまいましたが、思い直したように悪魔の方をふりむくと、
「あのね、夢の中で、お母さん、わたしのこといっぱい心配してくれたのよ。
うれしかった。」
と言って、ユキちゃんは、はずかしそうに両手の指をからみあわせました。
「………。」
悪魔は、もうなにも言うことができませんでした。
いえ、できなかったのです。
ユキちゃんのことばが、悪魔の心の中で、小さなともし火となってもえはじめ、氷のような心を、ゆっくりととかしはじめたからです。
そのうえ、ともし火から放たれた光は、いくつかの細かな針となって、悪魔の胸をチクチクと刺すのでした。
「よし、チョコレートを売ろう。」
悪魔は、なにか心を決めたようでした。
「ほんとう。ほんとうにチョコレートを売ってくれるの。
じゃあ、わたし、あしたお家で待っている。
きっとよ。」
ユキちゃんの明るい声が、冷たい空気のなかをさわやかにひびきます。
それから、ユキちゃんは、さっきまでいじめられて泣いていたことはすっかり忘れて、家へと帰って行きました。何度も手を振りながら………。
悪魔は、元気よく家に帰っていくそんなユキちゃんの姿を、小さな点になるまで見送ったのです。
9
サタンさまのところへ行って、悪魔が、自まんの歯を見せますと、、
「なんときれいな白い歯なのだ!
人間は、こんなに美しい歯を持っているのか。
真っ黒の中に、きらめく白い光は、ほんとうに美しい。」
とおほめのことばをいただきました。さらに付け加えて
「だが、なんといっても、お前がすばらしいのは、人間の子の弱みにつけ込んでだまし、このようなすばらしい歯を手に入れたことだ。」
とおおせになったのです。
悪魔の王様に、こんなことばをいただいたら、ふだんの悪魔なら胸を張ってほこらしげな気持ちになるはずなのですが、この時ばかりは、なにか、少しさびしい気持ちになったのが、自分でもふしぎな気がしました。
その後、悪魔は、さっさと家へ帰りました。
そして、さっそくチョコレートをつくりはじめたのです。
でも、鍋に入れるものが、ハチミツや牛乳、リンゴにバラの花など、前に入れたものとはちがっています。
それに、こんどは、じゅ文をとなえません。
悪魔は、それを一晩中ねないで、心をこめてにこんだのです。
つぎの日の朝には、三十二個のチョコレートができあがっていました。
前のときとおなじように、今度も一つ一つていねいに銀紙でつつんであります。
悪魔は、そのチョコレートをきれいに箱につめて、黄色いリボンをかけると、ユキちゃんの家へ出かけていったのです。
その日の朝、ユキちゃんは、そわそわしながら家の戸口に立って、悪魔がくるのをいまかいまかと待っていました。
やがて悪魔が、おじいさんの姿でやってくると、ユキちゃんは、すぐに見つけて、かけよって行きました。
「さあ、約束のチョコレートだよ。」
悪魔がチョコレートをわたすと、
「うれしい。これでまたお母さんにあえる。」
そう言って、ユキちゃんは、その箱を胸に抱きしめ、目をかがやかせました。それからすぐに、オーバーのポケットに入っていた小さな赤いサイフをとり出して、お金をはらおうとしました。
そのようすを見ていた悪魔はクスリと笑い、その小さな手を押しとどめました。
「お代は、いらないよ。
だけど、このチョコレートを食べて、同じような夢を見るには、条件があるんだ。」
ユキちゃんは、そのことばにちょっとおどろいて、
「それは、なあに………?」
と、ドキドキしながら、たずねたのです。
「それはね、その三十二個のチョコレートを一度に食べなければいけないのさ。」
ユキちゃんは、なあんだという顔をすると、
「だいしょうぶよ。わたし、チョコレート好きだもん。」
と言って、ホッと息ををはきました。
「ただし、言っておくがそのチョコレートは、前のとちがって、すごく苦いぞ。」
「でも、食べればお母さんにあえるのよね。」
「もちろんだとも。」
「へいきよ。」
ユキちゃんは、こわいものをはねのけるように言いかえしました。
そんなユキちゃんを、悪魔は、眼を細めながらながめたのでした。
でも、その顔は、どこか少しさびしそうでした。
10
悪魔に
「さようなら。」
を言って、家に入ったゆきちゃんは、さっそくチョコレートを一つ食べてみました。
するとこんどは、お薬をのんだ時のような苦い味が、お口の中にひろがります。
がまんしてのみこみ、食べおわりましたが、一個食べればもうたくさんです。
でも、あと三十一個食べなければ、お母さんの夢は見れません。
ユキちゃんは、こころを決めました。
思いきって眼をつぶると、お口の中に、チョコレートをつぎつぎほうりこんでは、のみこんでいったのです。
三十二個のチョコレートを食べおわったころには、すっかりつかれきってしまいました。
すると、またうとうととねむたくなってきて、たちまち夢のなかに吸い込まれていったのです。
気がつくと、ユキちゃんは、お母さんにひざ枕されていました。
今日のお母さんは、前とちがって、かなしそうな顔をしていません。
ほんとうに、ユキちゃんにあえたことがうれしいのでしょう。にこにこしながら、やさしくユキちゃんのあたまをなでてくれていました。
それだけではありません。
いつの間に用意してくれたのか、フリルのついた白いドレスをユキちゃんに着せてくれたり、一緒に台所に立っては、星の形や三日月の形のクッキーをやいてくれたりしてくれたのです。
ユキちゃんは、そんなお母さんにたっぷり甘えたのです。
やがて、あたりが明るくなってきました。
朝が近づいてきたのです。
すると、お母さんは、今までひざに抱いていたユキちゃんを立たせ、少しまじめな顔でお話をはじめました。
「もう、お母さんにあうことはできません。」
「どうして………。また、あのおじいさんに売ってもらう。」
「あのおじいさんは、もうユキちゃんにチョコレートを売ることはありません。
いいえ、もう売ることはできないでしょう。」
「ええっ!」
ユキちゃんは、もうこれでお母さんにあえないのかと思うと、死にたいほどかなしくなりました。
「いや!ぜつたいあのおじいさんにあって、またチョコレートを売ってもらう。」
そういって、泣きさけんだのですが、お母さんは、だまったまま、静かにユキちゃんを見つめているだけでした。
「お母さんは、わたしにあいたくないの?
わたしのことが、かわいくないの?」
お母さんは、ゆっくりと首を横にふりました。
それから、やさしくいいきかすように、はなし始めたのでした。
「お母さんも、あなたのそばにいてあげたいと思っているわ。
でもね、それは、もうできないことなの。
それに、ユキちゃん。いつまでも、お母さんに甘えていてはいけないのよ。
人は、さびしくても、がまんしなければならないことがあるのよ。
そうしないと、弱い人になってしまうの。」
「弱い人でもいい。」
ユキちゃんは、少しなみだぐんでいます。
「いけません。そういうわがままは、他の人をきずつけることにもなるのですよ。
たとえば、あなたは、お父さんをどれほど心配させているかわからないでしょう。
お父さんは、毎夜タオルで、あなたのほほを冷やして、少しでもいたみがなくなるよう祈っていたのですよ。それに、あなたが、ねごとで
「お母さん」
と言うたびに、お父さんが困り、かなしくなったのを知っていますか。
あなたは、自分さえよければ、それでいいの?
そんな子ではないでしょう。
人は、だれでも、なにかをがまんしなければならないのよ。
そうやって、大人になっていくの。
わかるわね。」
ユキちゃんは、あまりよくわからなかったのですが、コクンとうなずきました。
そうしなければならないのだと思ったからです。
それに、お母さんのことばかり思っていて、お父さんのことを、わすれていた自分に気がついたからです。
「じゃあ、約束したわよ。
姿は見えないかもしれないけど、お母さんは、いつでもあなたを見守っていますからね。」
そう言うと、お母さんは、朝日の中へ、虹のように消えていきました。
「お母さん!」
こうして、夢からさめたのです。
11
目がさめたユキちゃんは、自分の舌の上に、たくさんのなにかかたいものあるのを感じました。
はき出してみると、それはユキちゃんの虫歯でした。でも、歯がなくなったような気がしません。
お口の中が、なんだかムズムズします。
ふしぎに思って鏡をのぞき込むと、おどろいたことに、三十二本の真っ白い大人の歯がはえそろっているではありませんか。
そのころ、悪魔の歯は、またあの真っ黒いカラスの羽のような歯にかわっいてました。
そうです。
あの三十二個のチョコレートは、魔法をとくお薬だったのです。
もとのとおり、真っ白な歯にもどったユキちゃんは、またひとりぼっちでおるすばんをするようになりました。
でも、もうさびしいなんて言いません。お母さんとの約束があるからです。
でも、どうしてもさびしくて、がまんできない時は、チョコレートをたべることにしています。
そうすると、お母さんがきて、はげましてくれる気がするからです。
もちろん、食べたあと歯をみがくのは忘れませんよ。
虫歯は、いやですからね。
十二
えっ、悪魔はどうしたかって………?
悪魔が、人間の子どもに歯をかえしたことをきいたサタンさまが、
「悪魔らしからぬことをしたやつめ」
と、お怒りになり、その日うまれてくる赤ちゃんにかえてしまったそうです。
おしまい