幼馴染の聖女がバカすぎるので付き人の俺が何とかします
夏の日差し、麦わら帽子、真っ白なワンピース。
絹糸のような黄金の髪をなびかせながら、湖を見下ろす丘の上で在りし日の聖女は言った。
「ライト! セミって……おいしいんだね!」
忘れられない台詞である。ピーマンを未だに食えなかったリリーナがセミを口に頬張りながら笑顔で放った一言に彼女の両親は顔面を蒼くした。
けれど俺は冷静だった。彼女がバで始まってカで終わる頭の持ち主だというのは日々の中で気付いていたからだ。
8歳、俺たちはもう読み書きや計算を覚えてもいい頃合いだった。けれど彼女はそのどれもがまともに出来ず、将来どころか明日ですら怪しい頭。
これからこの子はどうすればいいのか、悪いけどライトくん嫁に貰ってね、羊5匹つけるからと彼女の父に言われたのは、今でもよく覚えている。
けれど、この目に焼き付いていた光景はそんな些細な事じゃない。
白と青の旗を掲げた最強無比の聖騎士団。平凡な地方都市には似つかわしくないその一団が彼女の前に跪く。
「お待ちしておりました……新たな聖女様」
不思議な光景だった。地位も名誉も、そして力も持った立派な大人があのリリーナに首を垂れる。
何で彼女が、などと言う疑問を挟む余裕などどこにもない。喜ぶ彼女の両親に、笑顔を浮かべる町の連中。
冗談みたいな馬車に乗せられ、彼女は町を後にする。貰った飴を美味しそうに舐めながら、アホ面を下げて手を振るリリーナ。
ガキだった俺は追いかけた。どんどん遠くなる彼女に向かって、必死に走る。胸を渦巻く感情に、ただ名前をつけたくて。
四回。擦りむいた膝もそのままに立ち上がって、もう見えない馬車を睨む。その時ようやく、この感情の名前に気付いた。
ーーアレが聖女だと世界が滅ぶ。
不安感。
という訳で俺は聖騎士団の門戸を叩いた。彼女の横に並び立ち、そのアホさを隠す為に。
聖騎士団で過ごした十年はあっという間だった。剣を握り槍を突き、祈りを捧げ食って寝る。
変わり映えしない日々の中での楽しみと言えば、聞こえて来る噂話ぐらいだろうか。
「おい知ってるか? あの平民のガキの話」
「ライトだろ、聖女様のコネで入った……ったく場所を弁えろっての」
最初はこれで、
「おいライトの話聞いたか? 座学で教官論破したらしいぞ」
「嘘だろ? だって俺、戦闘訓練で教官倒したって聞いたぞ」
「どんぐり美味しい」
「今の誰?」
こうなって、
「ライトさんマジやべぇわ。演習先で魔物全滅させて来たってよ……」
「ああ、しかも歩いただけで雑魚が失神したらしいな。俺が女だったら抱かれてるわ」
「……だな」
で、今日は。
「見ろよ、俺たちのライトさんだぜ……最年少で『聖女の騎士』に選ばれるとか鼻が高いよな」
「ああ、これから宣誓式だろ。見ろよあの堂々とした白服姿を……俺たちのライトさんは一味違うな。あの人はやる人だって最初から思ってたわ」
こう。
最初は風当たりの強かった連中も、今や後方師匠面だ。悪い気はしないものの、普通に話しかけて欲しかったなというのが素直な感想。
だが今はそんな後悔をしている場合じゃない。誰よりも勤勉に剣を振り、誰よりも真摯に学んだ。全ては今日この日の為に、彼女の側に立つために。
「ライト・オブライエン……入りなさい」
大聖堂の巨大な門を騎士団長がわさわざ開く。敷かれた青い絨毯はまっすぐと祭壇へと続いていて、参列する神官や聖騎士達は跪く。
歩く。
今度はもう転ばない、擦りむいた傷はもう癒えた。
あの時とは全てが違った。汚れた服の無能なガキはもういない。白服に身を包み、大きな歩幅で堂々と。
そして俺も首を垂れる。あの日の聖騎士達がそうしたように、唯一無二の聖女を待って。
そう、待ち続けたんだ。もう一度彼女に会う為に。
聞こえて来たのは足音だった。近づく距離に胸が高鳴る。俺を突き動かした感情が報われる日がようやく来た。
足音が止み、彼女の影が視界に落ちる。その言葉を俺は待つ。
「久しいですね……ライト・オブライエン」
十年振りに聞いた彼女の声は、随分と落ち着いた物に変わっていた。
「はい、リリーナ様」
震える声で答える。まずい、泣きそうだ。
「変わらないですね、あなたは。強く、凛々しく聡明で……あの日のままです」
思わず一筋の涙が溢れた。まさか彼女の口から『聡明』という単語が聞けるなんて。なんて事だ、立派に成長したんじゃないか。
「勿体ないお言葉です」
自分でも笑える台詞が口から飛び出る。けれどもういいじゃないか。俺がここにいるように、彼女もまたここにいるんだ。
「顔を上げなさい。ライト・オブライエン……私の剣」
そうだ、もう彼女はバカなんかじゃない。これからは何の不安もなく過ごして行こう。
成長した彼女を見つめ、真横で保護者面をしよう。適当なところで退職して年金で優雅に暮らそう。風の噂で彼女の活躍を耳にしては近所の人に自慢しよう。
心臓の鼓動が早い。自分でもわかる、顔を上げた瞬間に報われるという事が。
だから、そうしよう。この胸の不安感を拭い去るために。
「はいっ、リリーナ様!」
顔を上げた。
ーーダメだった。
え、何お前変顔してんの白目むいて舌で鼻の頭触ろうとしてんのバカなのバカかよバで始まってカで終わってるだろ。ていうか胡麻。口元に白い胡麻ついてる。どのタイミングで何食った? お前聖女だろお付きの人とか気付いた、気付いてた? 見放されてないかもしかしてほら聞こえたぞ周りのため息ダメだろちょっと歴代聖女の墓に土下座して来い。
「えっと……」
余計な事は言わない。いや、うん言ったほうが良いのかでも意見できないな、よしここは咳払いだ。ゴホゴホッ、ほら気づけバカ口元の胡麻に。
「あ」
あ、じゃねえよ変顔して『あ』って被害者ぶるなよ。なんか言えよ、ほら
「久しいですね……ライト・オブライエン」
ーーさっきやった。
もうその下り終わってるから。ダメか、最初からやらないとダメか。
「変わらないですね、あなたは。強く、凛々しく聡明で……あの日のままです」
まさかの続行。お前は見た目以外変わってねぇな、どうすんだよこの胸の気持ち不安しかねぇぞ。
「顔を上げなさい。ライト・オブライエン……私の剣」
上げてんだよ。思いっきり目合わせてんだよもう上げるもん無いだろ段取り思い出せよ段取り。
散々したよな練習? 少なくとも俺は教官相手に十回以上やらされたからな? この後はほら、剣を俺に渡すんだろ横にいる女官が四角いお盆に載せてるやつ。
「ゲフッ、ゲフ……ゴホゴホッ!」
いいぞメガネの女官こんなわざとらしい咳払い聞いたことないけど目の下のクマで帳消しだな。
「あ、剣」
よし、もうちょっとだリリーナそれを俺に手渡、え、何で鞘から引き抜いた何のつもりだ?
「剣といえば……!」
振り下ろす聖女、立場上避けれない俺。つまり頭に刺さる自明の理。
知らなかったな、本当に悲しい時って赤い涙が流れるんだな。でも俺の台詞だな、これで終わ、終わるのか?
「聖女リリーナ様……例えこの身が朽ち果てようと、最期の時まであなたと共に」
現在進行形で朽ち果てようとしてるけどな、あとは最後の台詞だ、言えよほら、『共に行きましょう、私の剣。この世界を救うために』だろ俺ですら覚えたんだろ。
メガネの女官見ろよ、剣の下にカンペ隠してるだろ読めよ有能かよある意味こっちが聖女だろ。
「共に行きましゅっ!」
噛みやがった、ここの大事な局面で噛みやがったのかお前は。
どうすんだよこの空気、どうしろってんだ俺の出血。
何お前、口笛吹いて誤魔化そうとしてんだオイもう女官に蹴られてんだぞいいぞもっとやれ。
「ひさ、久しいですね……ライト・オ」
「ふざけ」
んな。言い終わる事は出来なかった。
大聖堂が轟音と共に揺れ、天井に大穴が空いた。
「フフフフ……ハーッハッハ!」
聞こえてくる高笑い、土埃が晴れ露わになる不遜な姿。漆黒のローブを身に纏い、翼を広げる悪魔が1匹。
「おめでとうございます新たな聖女様……魔王軍四天王が一人、ロードヴァンプが祝福に参りまふげぇっ!」
殴った。それゃ殴るだろ、当然の権利だから。
「ふざけんなよ……」
今度は言えた。中止にでもされてみろもう一回やるんだぞこれ。
「き、貴様何をする!」
は? 言わなきゃわからんかコイツも。
「見りゃわかるだろ宣誓式だろ……聖女は騎士を取り立てて初めて一人前なんだよそれぐらい知ってて来たんだろ……」
「あ、いやそうだが……」
そうだが何だよ何俺の頭に刺さった剣見てんだよ面白いか? ほらよ抜いて突きつけたぞよく見ろよ目ついてんだろ。
「ライト、今回復するから……!」
リリーナが聖女の力を使い、俺の傷を癒すけど何必死に戦ってる感出してんだよお前のつけた傷だからな一仕事終えた顔すんなよオイ。
「ふ、フン……もう力は使えるらしいな! 後顧の憂いはここで断たせてもらおうか!」
飛びかかって来る悪魔。そうだ、言い争いしてる場合じゃない。
俺はこの剣を受け取ったんだ。聖女の騎士の使命なんて。
「リリーナ!」
「な、なにライト!?」
「さっさと……」
たった一つしか無いじゃないか。
「さっさとカンペを……読みあげろおおおおおおおっ!」
ーー宣誓式を終わらせる。それだけが俺の使命だから。
「……うんっ!」
だから早く読め。
「共に行きましょう私の剣」
剣を構え地面を蹴る。不安だ、もう不安しか頭に浮かばない。
「この世界を……救うために!」
ああ、この雑魚の事じゃない。遅すぎるだろ一人でノコノコやって来た度胸は褒めてやるが戦闘技術は三流も良いところだ。
腹に一回首に二回、斜めに三回斬りつける。バラバラになった体は吹き飛び、そのまま煙のように消えた。
勝ったのか、一応。参列客がどよめくがそんな事はどうでもいい。
「ライト、怪我はない!?」
駆け寄って来たリリーナに抱きつかれる。みっともない話だがそのまま彼女に身を預けた。血を流しすぎたらしい、主にコイツのせいで。
「ああ、大丈夫だリリーナ」
こんな台詞をいつか吐いた。お菓子を落として泣いた時か、それとも絵本が読めないと泣き疲れた時だったか。
多すぎて思い出せない。けれど続く台詞だけは絶対に忘れない。
ずっとそうして来たんだ、これからもそうするだろう。羊五匹に目が眩んだ、バで始まってカで終わる俺になら。
「俺が……なんとかしてやるよ」
世界ぐらい、救ってみせるさ。
習作なのでとりあえずここまでです。評判良かったら続き書く……のかな?