大きくて立派できれいな病院 ~夏のホラー企画不参加作品~
ちいさな部屋の診察台にひとり横になり、横っ腹の痛みに耐えながら天井を見上げていると、先ほど診察してくれた医者がやってきた。
「痛みの具合はどうです? それに吐き気は? 我慢できますか?」
「痛みは酷いですが、なんとか我慢できそうです。吐き気も今のところは」
「そうですか。もう少しの辛抱ですからね。虫垂炎ですから簡単な手術で済みますよ。手術室はちょうど使われていませんでしたし、ここで一番うでのいい岡田先生の手が空いていてお願いすることが出来ました。あなたは実に運がいい」
内科医は俺の脈をみたり点滴の具合をチェックすると「すぐに麻酔科医が来ますから」と言葉を残し足早に部屋を出ていった。
医者は運がいいと言っていたが、俺は心のなかで「ついてないなあ」と繰り返していた。
やっと夏休みをとれたので温泉旅行に出かけることにした。ひとり旅だ。電車を乗り継ぎ、山奥の温泉宿までひとり気ままな旅を満喫した。山の早い夕暮れが近づいた頃に、予約を入れてあった温泉宿に到着した。美人の若女将が玄関で出迎え「部屋にご案内します」と告げたそのとき、下っ腹に激痛が走り、俺はその場に倒れこんでしまった。
不安でいっぱいだった俺の気持ちはその病院を目にした瞬間に一掃された。救急隊員が押す担架の上から見た建物はこんな山奥にと思ってしまうほど大きく立派で、しかもまだ新築のにおいが漂っていた。
「ここは去年できたばかりなんですよ。ダムが完成して……もう見たのかしら、婆投湖の。あら、まだ行ってないの。見といた方がいいわよ、きれいだから。私なんかお休みになると子どもを連れてお弁当をもって行ってるわよ。それと高速道路が通ってね、県外からたくさん人がやってくるようになって、いろんなお店ができて。そうそう、来年の春にはショッピングモールもできるって。楽しみよねえ。お買い物がべんりになるわ。今はなにか買うには車で一時間かけて下の町まで行くしかなかったから。最近はネットで通販が出来るようになったから多少便利になったけど、でもやっぱり買うものはこの目で選びたいじゃない。あ、ちくっとしますけど我慢してくださいね。えっとなんだっけ。そうそう、この病院。そんなわけでできたのよ。凄いのよここ、病院だけじゃなくって介護の施設やリハビリセンターまで併設されていて」
苦痛で顔を歪ませる俺の腕に点滴の針を刺しながら満面の笑みを浮かべ看護師は言った。
局所麻酔が効いてきて下半身の感覚が消えてきたころ、俺は手術室に運ばれた。少しすると執刀医が現れた。小柄な男性で、顔は大きなマスクに覆われていて見えないがベテランの風格を感じさせる。内科医がいちばん腕がいいと評していたのも納得させられた。外科医は両脇にアシスタントを引き連れ、ひょこひょことした足取りで手術台のそばにやってきて俺の顔を覗き込んだ。
「簡単な手術だからね。ちっと居眠りでもしてれば目が覚めた頃には終わっとるから。ひゃっひゃ」そうしてアシスタントに術式の開始をつげた「んじゃ始めるとするか」
患部は死角になっていて彼の手さばきは見えなかったが、その身のこなしは見事なものだった。あっという間に腹をひらき次の段階に進もうとした、まさにそのとき、廊下をばたばたと大勢の人間が駆けていく足音が響いた。前室を挟んで手術室まで聞こえてきたのだから相当な騒ぎだ。
「いったい何の騒ぎだ、騒々しい。……そうだ、ちょっと音楽でもかけてくれ」
「あいよ」
手術室に音楽が流れた。いや、鳴り響いたといったほうがふさわしいだろう。反響しぐわんぐわんと室内を満たしたのは、演歌だった。驚いて顔を横に向け音源を確認すると、そこにはラジカセが台の上に置かれていた。スピーカーが激しく振動しているのがはっきりとわかる。
「よしよし、これで集中できるぞ」外科医は作業を再開した。「うん、たぶんこれだろう」そう言って腹から出した左手には血だらけの塊。
そのとき、ばーんと響きをあげて手術室の扉が開き、白衣を着た女性が駆けこんできた。荒い息をしている。
「伊藤さん、こんな所に! 田中さんに藤村さんまで……」
「おいおい、いったいこれは何の騒ぎだ!」
続いて現れた大柄な男性は手術着にマスク姿だった。
「あ、岡田先生。申し訳ありません。介護センターの者ですが、ちょっと目を離したすきにおじいちゃん達がふらっと姿を消してしまって。こんな所に居たなんて。昔お医者さんだったみたいなんですが、ふとした拍子に現役時代を思い出してしまうようで……」
大音量で鳴り響く演歌に掻き消されながらも断片的にふたりの会話が耳に入った。どうやらあれが腕のいい外科医の岡田先生らしい、だとすると俺の腹を開いたのはいったい……。そして、彼が楽しそうに眺めているその手の中の血まみれの肉塊はなんだろう……