風邪
…37.8℃
「…しんどい。」
「傘も差さないで濡れて帰るからだ、アホ。」
そう言って、兄である奥平大毅は私のおでこに冷えピタを貼ってくれた。
「食欲は?」
「…皆無」
「薬飲まないと。」
少しでもいいから、食えって。とお母さんが作ったお粥をベッドサイドのテーブルに置いてくれるが、珍しい事もあるもんだ。全然食べる気にならない。
「ん、じゃあ大毅が食べさせてよ。」
私はここぞとばかりに甘えてみる。
「高校生にもなった妹に、そこまでする兄がいるか。」そんな冗談言えるなら大丈夫そうだな。と大毅はベッドを背もたれに腰を下ろした。
「ケチ。…それに、違うじゃん」
「え?何て?」
私の口からボソッと出た精一杯の反抗は、大毅の耳には届かなかった。
諦めて私はお粥を口に運ぶが、二口目でそのスプーンは止まってしまう。
「また、ちょっと寝る」
「え、本当にそれだけ?そんなしんどい?」
大毅が心配そうな顔で覗き込む。
「大丈夫…眠くなっただけ、おやすみ。」
私はフイ、と顔を背けるように布団にもぐりこんだ。
頭がボーッとしていたせいか、すぐに眠りに落ちた。
「違うとか、そんな事言うなよ…」
消え入りそうなその声は、切なく部屋に響いた。
『大切な話があるの。』
遠くの方から母の声が聞こえる。
私のぼんやりとした頭にも、それはしっかりと、はっきり、耳に、胸に突き刺さった。
『あなた達は、血が繋がってないの。』
あきちゃんが私の、だい君がお父さんの連れ子でね。
そう話す母の顔は冗談抜きで真剣な表情だった。
『だい君は、当時小学校三年生だったから、そのときに理解しているわ。あきちゃんは一年生だったからね。』
『高校生になったタイミングで、伝えようとお父さんと話し合って決めたの。』
その後も母はいろいろ話していたが、あまり覚えていない。
最後に
『二人がとても仲良く、良い子に育ってくれて、お母さんもお父さんも本当に幸せなのよ。』
心に、ズシンと、その言葉がのしかかった。
____
「…」
ああ、これは夢じゃない。
つい昨日知った事実そのままである。
私、奥平亜希乃と奥平大毅は本当の兄妹ではない。
それは、本来私にとって嬉しい、何度も夢に見たような現実なのに。
そのことを考える度に両親の顔がまぶたの裏に焼きつく。
私の幸せは、彼らの幸せを壊してしまう。
そして今、ベッドを背もたれにして漫画を読んでいる彼の幸せも。
今まで一度だって、私に疑う余地を与えないほどに、完璧な兄を演じてくれたのだ。
「あれ、起きた?」
「…あ」
やばい。そんな事を考えていたら、勝手に涙が溢れ出す。
「どうした!?どっか痛いのか?」
頭?腹?と枕元に近づいた。
「だいちゃん…」
私は自分の意思とは関係なく、昔の呼び名が口から溢れた。
「どした。…あーちゃん。」
どこか懐かしむような、困ったような顔で、答えてくれる。
「うわ、いつ以来だよこの呼び方。」
と言って恥ずかしそうに笑う君を見て、私はやっと本当の意味で理解した。
私は、なんてとんでもない気持ちを抱いてしまったのだろう。
「お願い、側にいて。私のことを…どうか嫌いにならないで。」
好きになって。とは言えない。
兄としての愛情を注いでくれた彼を裏切る事になる。
「なんかよく分からんけど、怖い夢でも見たのか?」
「毎日お前のブラコンっぷりにはウンザリというか、呆れてるけど、嫌いになんてならねえよ。」
俺はお前の兄ちゃんなんだからよ。そう言っておでこを撫でる大毅の手を振りほどき、私は言う。
「昨日、お母さんから聞いた…私達のこと。」
私の言葉に大毅は一瞬瞼を見開き、しかしすぐにまた優しい笑顔で話を続けた。
「そっか、聞いたんか。」
「でもさっき言った通り、俺の気持ちはずっと変わらない。」
「お前は俺にとって、たった一人の可愛い妹だよ。」
これ程、残酷な言葉はないだろう。
自分でも、一瞬にして血の気が引くのが分かった。
と同時に胃の辺りがヒヤッとする。
私は口元を手で押さえて、慌てて起き上がる。
「!?、気持ち悪い?…ほら!」
大毅は急いで袋がかかったゴミ箱を手に取り、私の口元まで近づけて、背中をさすってくれた。
「…嫌、吐かない。」
絞り出すように声を出し、首を振る。
好きな人に、こんな所…見せたくない。
「いいから。ほら、出せば楽になるから。」
我慢すんな、馬鹿。と背中をさすり続ける。
そんな優しさにまた涙が溢れてしまう。
やがて、私の身体を気持ち悪くしていたものも外に出た。
…
「落ち着いた?」
「…うん、ありがと、…ごめんね。」
私が頷いたのを確認すると、背中をさすっていた手を頭にまわして、ポンポンと2回優しく撫でてから、ゴミ箱の中身を捨てに部屋から出て行った。
切なさと、安心を半々に抱えて、私はまた眠りについた。
目が覚めると、夕方だろうか。窓の外はすっかり暗くなっていた。
部屋を見渡すと、大毅の姿はない。
私はさっきよりも楽になった身体を起こし、部屋を出て、階段を下りた。
「あら、降りてきて大丈夫なの?」
どう?熱は?と仕事から帰って夕飯の支度をしていた母が駆け寄る。
「うん。だいぶ楽になったみたい。」
「帰宅して、だい君から今日のこと聞いたときは、ちょっと心配だったんだけど、大丈夫そうね。」
母は安心したように笑った。
「だいち…大毅は?」
「今日、結衣ちゃんと約束あったみたいで、入れ替わりで出かけたわよ。」
綾瀬結衣。私達の幼馴染であり、…大毅の恋人だ。
「そっか。あとでお詫びしなきゃね。」
「お夕飯までには帰るって言ってたわよ。」
するとタイミングよく、玄関の扉が開く音と「ただいま。」と言う愛しい声が聞こえた。
「おかえり。今日約束あったんだね、ごめん。」
「もう起きて大丈夫なのか?吐き気は?」
大きな手が私のおでこに触れる。まだちょっと熱いかー?と言いながら自分のおでこと比べる大毅。
「大丈夫だよ、もー、私のブラコンが移った?ちょっとシスコンっぽい。」
と笑ってからかってみる。
「軽口叩けるくらいだからもう大丈夫だな。」
お前のブラコンには敵わねーよ、と笑いながら自分の部屋に行こうとする背中に私は言った。
「ありがとう、"お兄ちゃん。"」
大毅は一瞬止まったがすぐにまた歩き出し
「おう、お安い御用だよ。」
と背を向けたままヒラヒラと手を振った。
私は今日、本当の意味で妹になる覚悟を決めた。
妹目線の片想いのお話でした。
拙い文章でお見苦しい点など多々あったと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければ、兄主軸の『看病』も投稿しましたので、そちらの方もよろしくお願い致します。
黒川渚