消費税の負担は誰のもの?(2)
葵子さんと桐高社会問題研究会 消費税の負担は誰のもの?(2)
部室の扉を開けると、いつもの席に葵子さんの横顔が見えた。読んでいるのは緑色の表紙の……新書だろうか。
「先輩、こんにちは」
「こんにちは。早いのね、レンくん」
「あ、そうですかね」
鞄を隣の椅子に置いて腰かける。読書の邪魔をしなかったかなと思ってチラっと見ると、本はもう閉じられている。
「昨日はちょっと話しすぎたかな。消化不良なんじゃない?」
「はい、正直、いっぱいいっぱいです。でも一応、自分なりに調べました。消費税」
「頑張るわね。じゃあ聞かせてもらおうかな。まずは消費税の仕組みから」
本を鞄にしまう葵子さん。
「僕が説明する……んですね」
「もちろん」
わかりました、と言って深呼吸をする。取り出したメモパッドには、ゆうべゲームを我慢してネットで調べたデータが入っている。
「えーと、消費税は、間接税の一種です」
両ひじをテーブルにつき、両手の甲にあごを乗せた葵子さんがたずねる。
「間接税ってなあに?」
さっそくメモパッドの出番。サーチして……これだ。
「間接税というのは、税金を負担する人と、納税する義務を負う人が異なるような税のことです。消費税を負担するのは消費者で、納税義務者は事業者、となっています」
「事業者というのは企業のことね。間接税でない税ってある?」
「直接税です。税金を負担する人と、納税義務者が同一の税です。たとえば所得税は直接税です」
「うん、いいわ。続けて」と言い、立ち上がってキッチンへ向かう彼女。僕は続ける。
「消費税の税率が8パーセントなら、事業者は商品やサービスの価格に8パーセントを上乗せして売ります。本体価格が500円のボールペンを売るときには、500円の8パーセントで、40円を上乗せします」
葵子さんがちょっと振り向いて言う。「ぜいたくなボールペンね」
「まあそこは」苦笑する僕。切りのいい値段にしたのがバレバレだ。「インクがいい、とかで。とにかく、消費者はこのボールペンを540円で買います。これで消費者は、40円の税金を事業者に預けたことになります。事業者はあとでそれを納税します」
だからレシートには8パーセントの消費税が書いてあるんだよね、うんうん、と僕は自分で納得して続ける。
「事業者が納税の義務を負っていますが、税金を価格に乗せて売って、消費者に負担させます。これを税負担の転嫁といいます」
「事業者が税金を納める義務を負っているけれど、その負担は消費者に移すのね」とキッチンでお茶を入れている葵子さん。「消費者に売るときにはそうなるわね。事業者どうしで取引する場合は?」
もちろん調べてきましたー。
「事業者と事業者の間の取引の場合にも、商品やサービスの価格に8パーセントを上乗せして売買します。たとえば」
僕はホロスクリーンにこう書く。
『
原材料メーカー → 文具メーカー → 卸売業者 → 小売業者 → 消費者
』
「ボールペンが消費者に届くまでがこうだとして、原材料メーカーが100円で原材料を文具メーカーに売るなら、その8パーセントの8円を上乗せした108円で売ります」
そう言って、最初の矢印の上に『本体100円+消費税8円=価格108円』と書き加える。葵子さんはキッチンに立ったままこちらを向く。紅茶の蒸らし待ちのようだ。スクリーンを見て言う。
「消費者に売るときじゃなくても消費税分が上乗せされるのね」
「はい。同じように文具メーカーも、作ったボールペンを250円で卸売業者に売るなら、その8パーセントの20円を乗せ、卸売業者が300円で文具店に売るときにも8パーセントの24円を乗せ、最後に文具店が500円に40円を乗せて消費者に売ります」
図はこうなった。
『
本体100円 本体250円 本体300円 本体500円
+消費税8円 +消費税20円 +消費税24円 +消費税40円
=価格108円 =価格270円 =価格324円 =価格540円
原材料メーカー → 文具メーカー → 卸売業者 → 小売業者 → 消費者
』
「そして、事業者が納税するときには」と僕。「この上乗せ額である8円、20円、24円、40円をそれぞれ納税するわけではありません」
紅茶をカップに注ぐ音がする。僕は続ける。
「それぞれの事業者は、仕入れのときに、本体価格に加えて消費税分をすでに払っています。だから、自分が納税するときには、仕入れのときに渡した消費税分を引いて納めます」
紅茶のカップを乗せたトレーを葵子さんが運んでくる。「金額で言うと?」
「はい。小売業者で言うと、消費者から預かった40円から、仕入れのときに自分が負担した24円を引いて、16円を納税します」
そう言って僕は、『小売業者』の下に『納税額16円』と書いた。そして続ける。
「卸売業者も同じように、小売業者から預かった24円から、文具メーカーに渡した消費税額20円を引いて、4円を納税します。文具メーカーも、100円の原材料を仕入れるときに消費税分の8円を原材料メーカーに渡しているので、卸売業者から預かった消費税20円から8円を引いて、12円を納税します。原材料メーカーは預かった8円をそのまま納税します」
『
本体100円 本体250円 本体300円 本体500円
+消費税8円 +消費税20円 +消費税24円 +消費税40円
=価格108円 =価格270円 =価格324円 =価格540円
原材料メーカー → 文具メーカー → 卸売業者 → 小売業者 → 消費者
納税額8円 納税額12円 納税額4円 納税額16円
』
カップを乗せたソーサーを僕の前に置いてくれる葵子さん。そしてスクリーンを見る。
「それぞれの事業者は、自分が納税する代わりに、その負担を価格に含めて売って、相手に負担を転嫁するのね」
「そうです。そして、事業者が納める税金を全部足すと、8+12+4+16=40円で、これが消費者が負担する消費税額になります」
しばらくホロスクリーンを見つめる葵子さん。そして言う。「うん、わかりやすかったわ。よく調べたわね」
よし、よくやった自分。
葵子さんがたずねる。「まとめると、消費者が払った消費税はどうなるの?」
「大まかに言えば、各事業者が、それぞれの売上と仕入れの額に応じて、預かって納税します」
「消費税を負担しているのは誰?」
「消費者です。事業者は負担しません」
うん、とうなずく葵子さん。「制度についてはだいたいそんな感じかしら」
「はい、じゃあ次に消費税の必要性ですけど」とメモパッドを見る僕。
「日本の社会が高齢化するので、福祉のためにお金がもっと必要になる、というのがひとつです」
「特に医療と介護でしょうね」と葵子さん。
「それから、日本はここのところ毎年、税金での収入より支出のほうが多いので、国の借金が増えていっているそうです。それを増やさないように、できれば減らすように、税収を増やしたい、という理由もあります」
チラリ、と葵子さんのほうを見る。彼女は何も言わずに聞いている。僕は続ける。
「あと、消費税による税収は、法人税とかに比べて景気にそれほど影響されないそうなので、安定した税収を多く得るために、消費税の税率を上げたい、というような話もあります」
「そう聞くわね。逆に、問題についてはどうかしら」
「はい、消費税の問題はいくつか言われていて、えー」
そう言って僕はメモパッドのページをめくった。
「まず逆進性があります」
「逆進性って?」
「昨日の累進課税の反対で、収入が少ない人ほど負担が重くなるっていう性質ですね。たとえば生活必需品を買うための支出が、収入の多い人と少ない人でだいたい同じくらいとすると、負担する消費税の金額もほぼ同じになります。それを収入に対する比率で見ると、収入が少ない人のほうが負担が重い、という感じです」
「貧しい人の負担が重いなら、たしかに問題ね」
「他には、消費者から預かった消費税を納税しないで免税業者がふところに入れているのでは、という話がありました」
「どういうこと?」
「えっと、事業の規模が小さい企業などは消費税の納税義務が免除されるんですが、モノを売るときには消費税込みの価格で売っていいみたいです。すると、消費者から預かった消費税から自分が仕入れで払った消費税を除いた残りが手に入るからよくない、とか」
「益税の問題ね」と葵子さん。
「えきぜい?」
「そう。税金って、国民に負担させるものでしょう。だけど、税金の制度によっては、お金をもらって利益を得る人が出てきてしまう。そういうのを益税って言うの。望ましくないものとされているわ」
「たしかに、誰かに渡すならはじめから取っちゃダメですね。あとこれも益税の話なのかな、えっと」と言って続ける僕。
「輸出するモノには消費税がかからないらしくて、輸出業者は海外のお客さんから消費税を取らないそうです。納税もしない。だけど輸出業者は仕入れですでに消費税を負担しているので、仕入れに含まれていた消費税が輸出業者に返されるそうです。これが不当では、という話もありました」
「不当かしらね」
「うーん……お客さんから消費税を預かれないのだから、仕入れで負担した消費税は払う必要がなかった税金なので、返してもいいように思いますが、その仕入れを売り上げた側の事業者が納税しているんで、そっちに何も返さなくていいのかっていうと……ちょっとわかりません」
こくり、とうなずいて葵子さんは言った。
「だいたい、そんなところかしら」
「はい。消費税の仕組みに関してはこんな感じみたいです。あとは、実際に起きてる問題として」と言ってまたメモパッドを見る。「中小企業が大企業にモノを売るときなどに消費税を価格に転嫁できない問題と、滞納の問題がありました」
「説明してくれる?」
「はい。中小企業と大企業ではたいてい大企業のほうが強いので、中小企業が消費税を上乗せして売ろうとしても、大企業がその上乗せを認めないことがあるという話です。そうすると、大企業から消費税を預かれないから、その分を中小企業が負担するとかなんとか……すみません、ちょっとこれよくわかりませんでした」
「うん、それでいいと思うわ。あと滞納っていうのは?」
「えっと、他の税金に比べて、消費税は毎年、滞納が多く発生しているそうです」
「それは件数で? 金額で?」
「ちょっと待ってください。えーと……」とメモパッドのページを切り換える。
「国税庁の平成二十八年の発表ですけど、金額ですね。この年に新しく発生した滞納の金額が、消費税が約3800億円で、二位の所得税の約1500億円の2倍以上の発生です」
「消費者から預かっただけの税金が、どうしてそんなに滞納されているのかしら」
「あれ? 考えてみると不思議ですね。納めればいいだけのような気が……よくわかりませんが、調べたところではこんな感じです」
「よく頑張ったわね。素晴らしいわ。ありがとう」
ふー、と僕は息をついた。ひとしきりしゃべり終えてのどが渇いたな。カップを口元に運ぶと、かすかなマスカットの匂いがした。
* * *
僕がゆっくり紅茶を飲むのを葵子さんは静かに見ている。表情は読めない。カップを置いて僕は言った。
「何です?」
葵子さんが答える。
「これで消費税がどんなものかだいたいわかって、桐高祭で展示ができそう、って感じかしら」
「そうですね」と僕。
うーん、と少し考えるような彼女。どうしたのだろう。
しばらくして葵子さんが言った。
「レンくんは、どうして消費税を展示のテーマにしようと思ったの?」
「それは……自分がよくわからないし、選挙のたびによく話題にもなってるみたいだったから、ですかね」
「その疑問に、答えは見つかったのかしら」
そう言われると何とも言えない。電波の不調か、ホロスクリーンの映像に何度かノイズが入った。
先に口を開いたのは葵子さんだった。
「ね、私の疑問に答えてくれない?」
「何ですか?」
「消費税のこと。私、わからないことがたくさんあるの」
えー、先輩のほうがずっと知ってますよ、という言葉を予想してか、彼女は続ける。
「一緒に疑問から探していきましょう。正解なんてないつもりで」
なんか難しいこと言うなぁ……でも。
「よくわからないけど、わかりました」
「よし! じゃあお菓子出しちゃおう」と言ってサイドボードに向かう葵子さん。うしろ姿のロングストレートの黒髪が楽しげに揺れている。
* * *
「消費税って、消費者が負担する税金なのよね?」クッキーをひと口食べて葵子さんが言う。
僕もクッキーに手を伸ばしながら言う。「そうですね。名前もそうですし」
「だとすると、消費者は消費のためのお金を払えるのだからついでに税金を払ってね、っていう税金なのかしら」
「ああ、昨日の話ですね。そうだと思います」
収入に課税するのが所得税と法人税、財産に課税するのが固定資産税、だったな。そして消費に課税するのが消費税。
「消費税は間接税だから、納税義務者と税を負担する人が違う、のよね?」
「そうです」
「なぜそうする必要があるの?」
えっ。
「必要、と言われても……そういう制度みたいですし」
「うん。制度としてはわかるんだけど、どうしてそうなのかなって」
そう言ってこちらを見つめる葵子さん。
「直接税としても取れるわよね」
「そうですか」
「消費した金額の8パーセントを税金として取りたいとするでしょう。なら、それぞれの家庭で家計簿をつけて、消費額を年間で合計して、その額を税務署に申告して、その8パーセントを納税する、とか」
「手間ですね……」
「そうね。だけど疑問はそこじゃなくて」と彼女は言う。「これだと消費税と違う税金になっちゃうでしょう」
「え、8パーセントの消費税と同じですよね。消費者が8パーセント税金を払うんですから」
「さっきの豪華な500円のボールペン」とホロスクリーンを見る葵子さん。「消費税込みなら540円よね。もしあとで納税するなら――そうね、この仮の税金をX税と呼びましょう――ボールペンを500円で買ったあとで消費者が納めるX税も40円」
「そうです。同じです」
「でも、事業者間の取引の金額が変わるわね。事業者が税金を預からなくていいんだから」
「ああ、そうか。えーっと」と僕もホロスクリーンを見る。「消費税があるから108円、270円、324円、540円になったけど、X税なら本体価格で取引されるんで、100円、250円、300円、500円になります」
「そしたら」とまた僕を見る葵子さん。「消費税とX税は、まったく同じ税だとは言えないのでは」
「まあそうですが……でも消費税の場合だって、預かった税金を納めれば事業者の手元に残るのは100円、250円、300円、500円なんだから、同じですよね」
葵子さんはカップを手に取って口に運ぶ。ちょっと考え込む様子だ。しばらくして彼女は言う。
「事業者間の取引の値段って、市場で決まるんじゃないのかしら」
「そりゃ日本は自由主義経済ですし」って昨日覚えたばかりの言葉だけど。
「消費税がなければ原材料メーカーと文具メーカーの間で原材料が100円で売買されるなら、100円は市場で決まる価格よね。消費者が消費税を実際に払う前に、なぜそれが108円で売買されるようになるの?」
「え? すいません言ってることがよくわかりません」
「あのね、もし原材料の売買の時に、消費者が消費税分の8円を、一足飛びに原材料メーカーに預けるとするじゃない? そしたら原材料メーカーは、原材料を市場で100円で売れば、合わせて108円を手に入れて、8円を納税できるわよね」
「現実にはそんなこと起きないと思いますけど、はい」
「でもその8円があらかじめもらえないから、原材料メーカーは市場での取引で108円を手に入れるのよね。だとすると、どうやって原材料メーカーは市場価格を勝手に――買い手である文具メーカーの都合や意向とは無関係に、8円上げられるのかしら?」
んん? なんだ? 数字ではわかってた気がしたんだけど。
「どうしてなんでしょう……というか、本当に上がるんでしょうか……」
「もし上がらなかったら消費税はどうなるの?」
「上がらなかったらって、原材料が100円で売買された場合ですか」
うん、とうなずく葵子さん。
「消費税分が取れないなら……どうなるんだろう」
「事業者が消費税を納税するやりかた、調べた?」
やばっ。「それは調べてないです」
しかし葵子さんはさらりと言った。「じゃミライに聞いてみましょう。消費税の納付税額の計算方法を教えて」
シャキッ、とおかしなポーズをしてすぐミライが答える。
「国税庁のタックスアンサーにありマス。スクリーンに概略を送りマス」
ホロスクリーンにパッと表示される説明。
『
納付税額の計算
(1)消費税
消費税の納付税額は、課税期間中の課税売上高に6.3%を乗じた額から、課税仕入高に108分の6.3を乗じた額を差し引いて計算します。課税期間は、原則として、個人の場合は1月1日から12月31日までの1年間で、法人の場合は事業年度です。なお、この場合の「課税売上高」は、消費税及び地方消費税に相当する額を含まない税抜きの価額です。
消費税の納付税額=課税期間中の課税売上に係る消費税額−課税期間中の課税仕入れ等に係る消費税額
(2)地方消費税
地方消費税の納付税額は消費税額に63分の17を乗じた額です。納税する際には消費税と地方消費税の納付税額の合計額をまとめて納税することになります。
』
なんかややこしいなぁ、と思いつつ、すぐにわかることがある。僕は言った。
「消費税って、一年ごとに計算して納めるんですね。何となく、売った額のうちの消費税分を足していくのかと思ってました」
うなずく葵子さん。「この計算、複雑だからわかりやすくしましょうか。課税仕入高というのは、さっきレンくんが説明してくれた、消費税が乗った仕入れの合計ね。課税売上高のほうは税抜きの売上と書いてあるから、これは消費税が乗っていない本体価格の合計。とりあえず税額を求める式を書くと――」
そう言ってホロスクリーンに指を伸ばす。
『
消費税=売上×6.3/100−仕入れ×6.3/108
地方消費税=消費税×17/63
』
さらに続ける。「地方消費税の額を消費税に入れちゃいましょう。消費税の式の全体を(63+17)/63倍すればいいわね」
『
消費税=売上×8/100−仕入れ×8/108
』
「これで国の消費税と地方消費税を合わせた消費税率の8パーセントが見えてきたわね。仕入れにはすでに消費税が乗っているけれど、売上はまだ税抜きなので、売上も税込みにして揃えましょう。税込み売上の108分の8が預かる消費税だから――」
『
消費税=売上×8/108−仕入れ×8/108
』
「これで分かりやすくなったかな。税込み売上のうち8/108が預かった消費税で、そのうちすでに仕入れで払った消費税分を引いて、納税するのね」
えーと、預かった消費税が『売上×8/108』で、仕入れのときに払った消費税が『仕入れ×8/108』か。
「はい、そうですね」
「それじゃさっきの話。原材料メーカーが、市場で原材料を100円で売ったら、どうなるの?」
たしか原材料の場合は仕入れがないと思っていいんだったよな。すると。
「消費税は売上の8/108なので、約7.4円。まあ7円として、これを納める義務があるから納めます。すると93円の税抜価格で売ったことになる……あれれ」
100円とか8円はどこへ行ったんだ?
「そうね」と葵子さん。「100円という定価みたいなものがあって、それに8パーセントを乗せて、って計算ができるなら、最初にレンくんが説明したような税負担の転嫁が計算通りに起きるけど、実際の取引は市場価格で行なわれて、そこから消費税額をあとで計算するのだから、税額も市場に従うしかないのでは」
何だかわからなくなってきたぞ。
「それから、もうちょっと式をいじってみるわね。カッコでくくって、と」
『
消費税=(売上−仕入れ)×8/108
』
「パーセントに直しましょう」
『
消費税=(売上−仕入れ)×約7.4%
』
こっちを見て葵子さんが聞く。「この式、見覚えない?」
え、何だっけ。売上引く仕入れ?
「あ、昨日の。ちょっと待ってください」
そう言って僕は昨日のホロスクリーンを呼び出す。あった。
『
仕入れ+付加価値=売上
』
葵子さんが言った言葉がぼんやりと頭に響く。
「企業の一年間の売上から、一年間の仕入れを引いた額、この額のある割合を企業に税金として納めさせる。こういう税を付加価値税って言うわ。日本にはそういう名前の税はないけれど――」
「付加価値税、ですか」
「そう」ニコリともせずに葵子さんが言う。「税率8パーセントの消費税は、税率約7.4パーセントの付加価値税なのよね」
「ええっ……昨日の話だと、付加価値税は付加価値を作り出した企業が納める、みたいな話だったような」
「うん」と葵子さん。「でも消費税は間接税なのでしょう? 最終的に消費者に転嫁されるっていう」
市場で108円で売りたくても売れない原材料メーカーが100円で売って、7円を納税する。それが消費者の負担?
「負担、って何なんでしょう……?」
「私もそう思うの」
そう言って彼女はゆっくりとカップを手に取った。
* * *
不意に扉のほうから声がした。
「二人ともなに難しい顔してるの?」
「あ、ケーコ先生」と僕。「珍しいですね」
「一応顧問なんだから、来てもいいでしょ。あ、お茶いいわね」
クスッと笑う葵子さん。「入れましょうか」と言い、トレーを持ってキッチンに立つ。
「ありがと。で、何の話?」と言いつつ先生はスッと椅子に横から腰かける。
僕が答える。「桐高祭の展示で消費税をテーマにしようと思って先輩と話してるんですが、どうもわからないことが多くって」
「消費税かー。野心的なテーマを選んだわね。クッキーもらっていい?」
「どうぞ。って先輩のですけど」
手を伸ばしてポリッとひと口食べる先生。
「私、これでも現社担当だから、普通の大人程度には税金のことも知ってるわ。何でも聞いてちょうだい」
「それじゃ遠慮なく。消費税を負担してるのって誰ですか」
「消費者でしょ。買うときに払った消費税をお店が預かって納税する」
「事業者の税負担が消費者に転嫁される、ですよね」
「なんだ、知ってんじゃない。そう、事業者が納税義務者で、税負担は消費者。間接税ね」
「それはわかるんですが……先生、付加価値税って知ってます?」
先生はクッキーをもぐもぐやりながら答える。「うん、VATとかGSTってやつね。海外旅行したときに見たわ。レシートに書いてある、消費税みたいなもの」
トレーにカップを乗せて戻ってきた葵子さんがミライに向かって言う。「何の略だったかしら?」
ミライがシャキッとポーズを変えて答える。「スクリーンに送りマス」
ホロスクリーンには『Value-Added Tax』と『Goods and Services Tax』の文字が。
「へー、こんな名前だったのね」と先生。「VATのほうがそのまんま付加価値税ね。で、これがどうしたの」
「消費税と同じような税金なんですよね」と僕。
「そうね、詳しくは知らないけど、何か買ったときに上乗せして払って、お店のほうであとで納めてくれる、ってのは一緒だわ。あと、その国から出るときに手続きをすれば返してくれることもあるみたい。私はやったことないけど」
「内国税ね」と、お茶を先生に出しながら葵子さんが言う。
僕はつい声を上げた。「ないこくぜい?」
「うん。国内のモノや人に課される税金。その国からモノを持ち出すと課税されないのは、輸出扱いになるからだと思うわ。日本の消費税も内国税よ」と葵子さん。そう言えば消費税って、輸出業者には返されるんだったな。
「へー、そうなのね。そうか、空港にある免税店が免税ってそういう意味だったのかー。あ、ありがと」そう言って先生はカップを手に取る。「うーん、いい香りねー」
免税店って街中でもたまに見かけるなぁ、と思いつつ、僕は話を進める。「で、消費税と付加価値税って同じなんじゃないかと」
カップを持ったまま即座に答える先生。「あら、そうよね」
「驚かないんですか?」僕のほうが驚いたよ。
葵子さんが言う。「消費税が付加価値税だ、という話はニュースとかではほとんど出てこないけれど、財務省のサイトには書いてあるわ。ミライ?」
シャキッ。「送りマス」
ホロスクリーンにウェブページが表示された。財務省のページだ。『主要国の付加価値税の概要』とあって、日本とヨーロッパのいくつかの国の税が一覧表になっている。
「これ日本の欄って、消費税ですか」
僕の問いに葵子さんが答える。「そう。施行1989年、現在の税率8パーセントね」
しばらく絶句してから、僕は言葉を絞り出した。
「付加価値税は、消費者が負担するんですか」
「そうよ」と先生。
「そう言われているわ」と葵子さん。
「でも」と僕。「昨日の話で、てっきり僕は事業者が負担するものだと思ったんですが……」
「なーに昨日の話って?」と先生はカップを置いて次のクッキーに手を伸ばす。葵子さんの顔を見る僕。説明して、って書いてある。
「えーと、事業者はモノに――あ、すいません、モノって商品のことです。事業者はモノに付加価値を与えます。売上と仕入れの差が付加価値の額です」
「ふんふん。で?」
「事業者が一年間に作り出した付加価値の額に対して、税金をかけることができます。一年間の売上から仕入れを引いた額の何パーセント、のように」
ポリポリやりながら先生が言う。「うん、できるわね」
「これは消費税の計算方法と同じです」と言ってホロスクリーンに葵子さんが書いた式を僕は指差す。
「へー、こんな計算で納税額を決めてるのね。まあ消費税と付加価値税が同じなら、まあおかしくはないわよね」
「でも」と僕。「いま説明した付加価値税には消費者は一切出てきません。付加価値を作り出すという活動をした事業者が税金を負担してるんじゃないですか?」
「あ、そうね……まあ結局、最後は消費者がモノを買うんだから、そこで負担するってことなのかなー」
そう言いつつ、先生もちょっといぶかしげだ。
なんか、よくわからない人が三人になっただけだな、と僕はちょっと苦笑した。
* * *
「先生は、お給料をもらっていますよね」と葵子さん。唐突だなぁ。
「うん、もらってるわよ」一旦クッキーに伸ばした手をちょっと考えて戻し、カップをとる先生。
葵子さんが続ける。「お給料の額って、市場で決まります?」
「しじょう? あー、労働市場ね。うん、基本的には市場で決まってると思うわ」
「労働市場ってなんですか」と僕。
葵子さんが答える。「労働力が取引される市場よ。働く人が労働力を売って、雇う人が労働力を買う。普通のモノの市場と同じように、需要と供給で価格が決まるとされているわ」
「サラリーマンはだいたい固定給で」と先生が付け加える。「クビにもなりにくいから、純粋な市場じゃない気もするけど、就職するときに人手が足りなければ提示される給料は上がるし、人が余ってれば下がるはずだから、およそ自由な市場って言っていいような気はするわねー」
「アルバイトみたいな仕事のほうが自由市場に近いかも」と葵子さん。
「私も就職活動のときは、仕事内容とかお給料とか考えて選んだもんねー。あれはたしかに市場だったかな。でもなんで? 消費税となんか関係あるの?」
「ちょっと所得税と比べてみたいと思って」
個人の収入にかかる税金だ、と僕は思い出す。
「所得税、払ってるわよー。給料から天引きよ」妙に楽しそうだな先生。
「源泉徴収ですね」と葵子さん。
また耳慣れない言葉が。「げんせんちょうしゅうって何です?」
先生が答える。「所得税の分として、給料から一部を勤め先が差し引いて、税務署に納めるのよ。給与明細よく見てないけど、お給料の2割くらいかなー」
僕がわからないような顔をしていると、葵子さんが説明してくれた。
「所得税は本来、収入がある人が、一年に一回、収入の内容を申告して税金を納める制度なのだけど、収入が給料などの場合には、給料を出す側が先に給料から税金を引いて、残りを従業員に渡すの。雇っている側に源泉徴収の義務があるのね。源泉所得税って呼ばれるわ」
「なんでそんなふうになってるんですか」
葵子さんが答える。「私もよく知らない。源泉徴収がないと、収入を申告しなかった人から税金を取れないからかも」
「便利ではあるわよねー」先生はいつの間にか結局クッキーをもぐもぐしている。「自分で申告しなくても全部すんじゃうから」
「源泉徴収はとりあえず置いといて――」と葵子さん。「企業で働いた社員は給料をもらうから、所得税を納める。所得税を負担しているのは誰なのかしら」
「それはもちろん私よ。てか社員よ。ねー」と先生は僕に同意を求める。「ですよねー」と僕。
「じゃあもしも」と葵子さんが続ける。「一律で所得税を年間50万円上げたなら……」
「そんなの死んじゃうわよ」と先生が悲鳴を上げる。「普通のサラリーマンは生きていけないわ」
「労働市場にどう影響するかしら。レンくん?」そう言って顔を僕に向ける葵子さん。
「えーと……働く人は給料がもっとないと困るから、高い給料を求めるでしょうね。企業は社員がいないと利益が出せないから人を雇いたいけど、そんなに高い額は出せない……就職できる人数がどうなるかちょっとわかりませんが、多少は価格が上がると思います。上がらないと取引が成立しないはず。どうです、先生」
「無職か、少ない高給の職を求めて戦うかのどっちかね……身につまされるわー」
先生の嘆きにクスッと笑ってから葵子さんは言った。
「この50万円分の増税を負担したのは誰かしら?」
「所得税の増税ですから、そりゃ社員の――」とすぐ答えようとして、僕はハッと気づいた。価格が上がってる。
「もちろん社員でしょ。所得税を払うのは社員だもの」カップを持った先生が言う。
「いや」と僕。「払う給料が上がったのなら、企業の負担とも言えるんじゃないかと」
「えー、そうかしら。だって企業は雇わなくたっていいんだし。それは税金の負担じゃなくて、市場で買うか買わないかの話でしょ」と先生。
僕は葵子さんのほうを見た。葵子さんもこっちを見ている。
少しして葵子さんが口を開いた。
「じゃあ増税はやめにして」
「よかった」と先生が笑う。
「給料税ってのを導入しましょう」と葵子さん。「何それ?」と先生。
「現実にはないですけど、給料を出す企業にかける税金を考えてみたいかな、って」
「どんなです?」と僕が聞く。
「企業は社員に給料を出したら、その額の1割に相当するお金を税金として納めることにします」
「ふんふん」と先生がうなずく。
「ただし」と葵子さん。「企業でなく社員に納税の義務を負ってもらいます。給料税分を上乗せして給料を受け取って、その分を納税します」
「間接税ですね」と僕。「給料税の負担は企業、納税義務者は社員。社員は税負担を企業に転嫁する、っていう」
「ふーん、難しいわね」と先生。
そこで待ってましたとばかりに葵子さんは言った。
「では明日からよろしくお願いします、先生」
「えっ! そんなの無理よー。それ今すぐ給料上げてくれって言うのと同じじゃない」
「でも、税負担は企業に転嫁するんだから大丈夫のはずですよね。間接税ってそういうものだったのでは」
たしかに葵子さんの話にも一理ある、けど……。
「僕にも無理に思えます、先輩」
「私も無理だと思うわ」と葵子さん。「なぜ無理なのかしら」
「それは……そうか、給料は市場で決まるから、社員の都合で自由に上げられない。消費税の場合と同じだ」
カップをとって葵子さんが言う。「給料税は企業に転嫁される、だから企業の負担だ、とは言えるけれど、こういう場合、それにどういう意味があるのかしら」
僕と先生は一緒にうーんとうなって、同時にクッキーに手を伸ばした。
* * *
クッキーをぽりぽりやりながら先生が言う。「なんかさー、私たち何でも負担って言ってない?」
食べかけのクッキーをくわえた僕が答える。「僕もそんな気がしてました。支払う金額が大きくなれば、それは自分の負担だ、って誰でも言えますからね」
「でも」と先生。「サラリーマンからすれば、仮に所得税が増税になって、その影響で給料の相場が上がって企業が多く払わなきゃならなくなっても、所得税を負担しているのはこっちだ、って気分だけどなー」
僕と先生のやりとりを見ていた葵子さんがカップを置いて言った。「所得税が増税になっても、給料を上げない企業もあるでしょうね。市場は自由なのだから」
「そーそー。増税になったら、所得税を納めるほうは必ず多く払うけど、企業はそうとは限らない」プンプン、という感じの先生。
葵子さんが少しなだめるような口調で言う。「だからやっぱり、税金を負担しているのは誰か、はっきりしていないといけないわね。還付もあるし」
「あーそうよね」と先生。
聞いたことない言葉だ。僕がたずねる。「かんぷって何ですか」
「一度納めた税金が戻ってくること」と葵子さん。「一年間で金額が決まる税金に、年度の途中で納めた額が多すぎたときとかに戻ってくるわ」
「へえ、そうなんですね。それが負担と関係あるんですか」
「だって」と先生。「負担した人に返してくれないと困るじゃない。社員の所得税を企業が負担してるとかになって、還付されたお金が企業に行ったら私怒るわよ!」先生、もう怒ってます……。
「負担といえば」と葵子さん。「税金だけではないわね。原材料の費用とかも企業が負担したりするわ。これも負担の一種ね」
「原材料が値上げになったから商品価格に転嫁します、とかたまにあるわね」と先生。怒りはもうおさまったようだ。またクッキーに手を伸ばしている。
葵子さんが続ける。「そのときに、値上げ分を消費者が負担するとも言えるけど、原材料を買って生産活動をするのは企業だから企業が負担している、とも言えるわ。どっちなのかしら」
「今まで出てきた話と一緒ですね。僕にはどうもわかりません……」
先生はクッキーをもぐもぐしながら僕と葵子さんの顔を交互に見ている。
どれくらい経ったか、葵子さんがぽつりと言った。「負担って、代価よね……」
「だいか?」と僕。
「うん」答える葵子さん。「何かを得る、その代わりに差し出すもの。ただ失うとか奪われるじゃなくて、何かをその代わりに得ているはず、って思うの」
「ちょっとわからないわ。説明して」と先生が言う。
「えっと、メーカーが原材料を買うでしょう。その費用をメーカーは支払って、その代わりに原材料を得るのよね。原材料費は、メーカーが原材料を手に入れる代価。だからメーカーの負担だ、って言うのではないかしら」
そう言いながら葵子さんは僕の顔を見ている。僕はうなずく。
葵子さんは続ける。「もし原材料の値段が上がったら、その上がった分を払わないとメーカーは原材料を手に入れられない。だからその費用を負担する。税金も同じように見えるのよね……」
そう言いつつ葵子さんは両手で持ったカップの紅茶の水面を見つめる。
僕がたずねる。「税金も、何かを得る代わりに払うもの、ですか?」
「そう」葵子さんが顔を上げる。「所得税は、収入を得るから納めるのでしょう。収入がいらないなら所得税を納めなくてもいい。法人税も、法人として事業をして利益を得る代わりに納めるものよね」
「ちょっとピンとこないけど、そうだとして何なの?」と先生。
葵子さんが答える。「もしそうなら、負担の代価である利益を得ている人が負担している人だ、とわかるかなって」
「うーん、どういうことでしょう……」僕はうめいた。
自分に向けるように、うん、と言う葵子さん。少し表情が明るくなっている。「別にお金じゃなくてもいいわね。モノを買うのにお金じゃなく労働で支払うことにしましょう。納税も」
「それじゃ貨幣経済より前ね」と先生。
こくり、とうなずいて葵子さんは続ける。「文具メーカーは法人税として防人の義務を果たさなければいけません」
「さきもり! 日本史ですか」と僕。
葵子さんも自分で笑いなが言う。「国防をするという労働で法人税を払うのね。そして、文具メーカーはボールペンを消費者に売る。その対価は……そうね、メーカーの畑を耕してもらいましょう」
「いやー、だいぶ時代が戻ったわねー」と先生はうれしそうだ。
「さて」と葵子さん。「法人税が増税になりました。防人の期間がひと月長くなります」
「大変ですね」と僕はつい言ったけど、そんな社員は実在しないので同情する必要はなかった。
気にせず葵子さんは続ける。「社員が防人に長くとられるので、メーカーもボールペンの対価として消費者に耕してもらう畑の面積をちょっと増やしました」
「まあいいんじゃない?」と先生。「社員も大変だから」先生、いないですその社員。
「さてここで」となぜか椅子の上で居ずまいを正す葵子さん。「法人税の増税分を、消費者は負担したでしょうか?」
ノリノリだった僕と先生がはたと止まる。
「えっ、えーっと……増えた畑の分が、法人税の増税分か、ですか」
「まあそう考えてもいいわ」と葵子さん。
「法人税の増税で畑が増えたんだから、消費者が法人税の増税分を負担した、って言ってもいい気はしますけど……」
「そうかなー」先生は僕の言葉に納得しない様子だ。「消費者は防人に行ったわけじゃないでしょ? 畑を耕して、ボールペンをもらっただけじゃない」
「そうか」と僕。「消費者がボールペンの代価として払ったのが畑を耕すって労働で、文具メーカーはボールペンを売るという活動の代価として防人に行った」
僕と先生の言葉が終わるのを待っていたように葵子さんが言う。「増税を考えなくても、これ、法人税を消費者が負担しているか、って言っても同じよね。文具メーカーが防人をし、消費者がボールペンの代価として畑を耕す。このとき消費者は、自分が防人の負担をしたんだ、って言えるかしら」
「いやそれは絶対無理でしょ」と僕。「やっぱりボールペンがほしいから畑を耕しただけだろ、って言いたくなります」
先生もうんうんとうなずいている。それを見て葵子さんが続ける。
「現実には法人税の支払いも商品の売買もお金で行なわれるから、増えた分があれば誰もが負担したように見えるけれど、実はその何かに対して代価を払った人がちゃんといて、その人が負担したと見なきゃいけないような気がするの」
あんまりはっきりわからないけど、そんな気もする。でも……
* * *
先生を見るとまたクッキーを手にしている。「やっぱお金じゃないと現実的じゃないわよねー。防人もおもしろかったけど」ともぐもぐ。うん、僕もそう思うなぁ。
こくりとうなずいて葵子さんが言う。
「文具メーカーが負担する費用は全部、ボールペンの価格に入っているのだから、それを消費者が負担していると見てもいい。そんな感じかしら」
「ざっくり言えば、まあそんな感じですね」と僕。
「うん、じゃあたとえば」と葵子さん。「文具メーカーから直接ボールペンを買うとして、一本のボールペンを作るのに文具メーカーが負担する原材料費が200円、人件費が200円、それと何か税金を200円払っていて、ボールペンを800円で消費者に売ると、200円の利益が出る――」
またさらにリッチなボールペンだな、と自分を棚に上げて思いつつ、そうですね、と僕が言おうとした瞬間。
「――けど、このボールペンが市場で100円でしか売れませんでした。そしたら消費者は原材料費を負担しているかしら?」
「えっ」突然の設定に驚く僕。「えー、一部は負担している……のかな?」
さらに葵子さんが問う。「いくら分? 人件費は負担していないの? 税金は?」
「っていうか」と先生。「原材料費を消費者が負担してるんだったら、文具メーカーがどんな値段を提示しようが消費者は少なくとも200円出すって言わなきゃいけないんじゃない?」
うん、と葵子さん。「それは現実には起きない。だったら、消費者がボールペンの代価として原材料費を負担しているって言えるのかな。人件費も税金も同じ。消費者はボールペンの代価として市場価格を支払っているにすぎないのでは」
「市場価格って、100円ですか」と僕が聞く。
「そう」と言って葵子さんは続ける。「文具メーカーは原材料費と人件費と税金、合わせて600円を負担して、売上の100円を得た。その利益、というか損失ね、500円の赤字は文具メーカーのもの。消費者は市場価格の100円を支払って、100円相当だと自分が思うボールペンを得た。市場ってそういうものよね」
「そうですね。考えてみれば、何かを作るのにかかる費用と市場価格って、直接は関係ないですね」
僕の言葉にうなずいて葵子さんは言う。
「もちろん、費用が大きくなれば売り手は高く売りたいわね。だからと言って高く売れるとは限らない。買い手の都合もあるから」
「んー、それって」と先生。「市場の取引相手に自分の負担を完全には転嫁できない、って言ってない? 原材料費だろうが人件費だろうが税金だろうが……」
「そうかもしれません」と葵子さん。「もうちょっと話してみたいわ。レンくんも付き合ってね」
ニコッと笑えばいいってもんじゃないです先輩……今日もハードな放課後になりそうだ、と思う僕。
「じゃあ紅茶のおかわりがほしいわ!」先生はとても乗り気のようだ。
「はい、少々お待ちください」と葵子さんはキッチンに立った。
(続く)