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葵子さんと桐高社会問題研究会  作者: 藤江ワイン
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消費税の負担は誰のもの?(1)

葵子さんと桐高社会問題研究会 消費税の負担は誰のもの?(1)


 部室の窓越しに見える青空にはすじ雲が走っている。それを見ていてふと、僕は思いつきを口にした。

「先輩、展示のテーマ、消費税とかどうですか」

 テーブルの向こうで葵子あおいこさんが本から顔を上げた。眼鏡の反射の奥に少し上目づかいの瞳が見える。

桐高きりこう祭? うん、おもしろいかも。レンくん仕切ってくれる?」

「仕切るって、部員2人しかいないですし」

 そう言いつつ、彼女の反応がまずまずだったのがうれしい。

「あまり経済の話はしてこなかったわよね。まとめられそう?」

「それが実はほとんど分からなくて……と言うか、だからこそやってみたいって言うか」

 そうなのだ。国政選挙で必ず話題になり、いつもレシートで見ているのにいまいちピンとこない税金。まだ高1だからあわてる必要もないけど、学園祭での展示発表はいい機会かな、と。

「レンくん、消費税ってどんな仕組みか知ってる?」

「いえ、まったく」

 軽く微笑んで立ち上がりながら葵子さんが言う。

「言い切るわね。じゃあまずは貨幣経済の話でもしましょうか。紅茶を入れてくるわ」

 えらく突飛に聞こえるが、これがいつもの葵子さんワールドの始まりだ。


   *   *   *


 紅茶をひと口飲んでから、葵子さんが言った。

「私たちは暮らしの中で、何かを手に入れようと思ったらお金を払うわよね。簡単に言えばそれが貨幣経済ね」

「普通ですね」

「会社も、何かを作るための原材料を買うときや、社内を掃除してくれる清掃会社などにお金を払うわ」

「ん? 掃除って、別に何かを手に入れるわけではないような」

「そうね。取引されるものは、ざいとサービスに大きく分けられるの。形があってさわれるものが財。そして形がなくてさわれないものがサービス。両方をまとめて商品って呼ぶわ」

「ざい?」と僕。

 葵子さんはカップをソーサーに置き、テーブルの上空にホロスクリーンを浮かべた。そこで細い指を滑らせ、『商品=財・サービス』と書く。財産の財か。

「財とサービスの例、挙げられる?」

「うーん、財はさわれるもの……消しゴムとか……ゲーム機とか?」

「そうね。サービスは?」

「さっきの掃除はサービスですね。他には……宅配便とかかな」

「うん。あと他に私たちがよく使うものとしては、携帯電話の通話などもサービス」

「そういう、財やサービスの対価としてお金を払うのが貨幣経済ですね」

「そう考えていいと思うわ。財やサービス、つまり商品とお金を交換する仕組み、とも言えるわね」

 葵子さんがふたたびカップに手を伸ばす。僕も紅茶をひと口すする。紅茶の種類はまだよくわからないけど、ちょっとマスカットみたいないい匂いがすると思ったらたいてい「ダージリンよ」って言われる。

「さて、そうすると、商品――ってちょっと言い方が固いわね。モノって言っちゃいましょう。モノを、どれだけの量のお金と交換するか、その金額がモノによって変わってくる」

「消しゴムは60円、ボールペンは150円とかってことですね」

「そう。それがモノの値段ね。その値段が、モノの価値を表すようになるわ」

「まあ普通ですよね。値段の高いものと安いものがあるって」

「その値段って、どうやって決まるのかしら」

「お店で売ってるときに値札に書いてあります。メーカー希望小売価格とか。だから、売る人が決めてますね」

「うーん、それだと半分ね……」と言って、こちらに視線を向けて僕の言葉を待つ葵子さん。

「半分?」

 ん、と言って彼女は続ける。

「文房具屋さんで消しゴムが1個1万円で売ってたら、レンくんは買う?」

 苦笑して僕は言う。「買うわけないですよ。てか誰も買いませんそんなの」

「ならその消しゴムの価値は1万円だって言えるかしら」

「あ……いや、そうですね。誰かがその値段で買ったら、それだけの価値があるって言えるかもしれないけど、値札だけでは決まりませんね」

「そう。売り手がこの値段なら売る、買い手がその値段なら買う、と思って売買が成立する。そのとき初めてモノの値段が決まる。こんなふうに売り手と買い手が自由に取引する経済の仕組みを市場しじょう経済って言うの」

 葵子さんがホロスクリーンの中で指を動かす。『市場経済』という字が浮かんだ。

「いちばって書いてしじょうですか」

「経済の話をするときにはしじょうって読むわね。自由に取引される場所、くらいの意味かしら」

「みんなが自由に値段をつけ合うなら、モノの値段はひとつに決まらないですね」

「そうね。それでも市場しじょうではモノの価格が決まってくるわ」

「どういうことです?」

「市場に売り手が何人かいて、同じ消しゴムをそれぞれ80円、70円、60円で販売しているとしましょう」

「売り手って、文具店のことですか?」

「そう思っていいわ」

 文具店が3軒あって、同じ消しゴムを違う値段で売ってるんだ、と僕は想像する。

「さらに」と葵子さん。「市場に買い手も何人かいて、その消しゴムを50円、40円、30円で買いたいと言う」

「え、買い手ってお客さんですよね? そんなこと言わないんじゃ」

「消しゴムの場合はね」と言って彼女は笑う。「お店の値札を見て買うか買わないか決めるだけよね。でも自由な取引って本来はこういうものよ」

 言われてみれば、お店で値切る人っているなぁ。自分はやったことないけど。あれが自由な取引なのか。

「この状況では、誰も消しゴムを売れないし買えないわね」

「はい。文具店がもっと安く売ってくれるといいんですが。50円とかで」

「そうね。ただ、お店もやたらと値段を下げるわけにはいかないわ。文具店が消しゴムを扱うにはいろいろな費用がかかる。消しゴム自体を仕入しいれるのにもお金がかかるけど、他にも店番みせばんの店員さんを雇ってお給料を出したり、お店の電気代とか。それに、利益を出さないと自分と家族が生活できない」

 僕はちょっと文具店の仕事を想像した。けっこう厳しい世界なんだな。

「なので……そうね、レンくんが30円で消しゴムを買いたい人だとして、もう少しお金を出して消しゴムを買いましょう」

「いくら出しますか」

「んー、60円ならすぐに買えるけど、とりあえず55円って言ってみたらどうかな?」

「じゃあそうします」

 これで、売り手は80円、70円、60円。買い手は55円、50円、40円だな。

「ここでなんと、70円で売ると言っていた文房具屋さんが55円で売ってくれることになりました」

「やった! 買えますね」

「これで、消しゴムの市場での価格が55円になったわね。レンくんは消しゴムを手に入れて満足したから市場から抜ける。売った文具店も、たまたまこれで品切れになったから市場からいなくなるとします。そしたらどうなるかな」

「残った売り手が80円と60円、買い手が50円と40円になるから、もう売り買いは起きません」

「でも売り手は売りたいし、買い手は買いたい」

「はい。売り手が値下げするか、買い手が高くてもいいから買うって言えばまた売買が成立します」

「いくらくらいで?」

「わかりませんけど、60円か50円、それかその間くらいになりそうですね」

「さっき売り買いが成立した値段に近くなるわね、きっと。こんなふうに、市場では同じモノの価格はおよそ安定してひとつに決まる」

「まあそうですね、そんな感じはします」

「それと同時に市場は」と葵子さんは続ける。「需給も調整するわ」

 じゅきゅう?

「需要と供給。聞いたことないかしら。モノがどれだけ求められているかが需要、モノをどれだけ市場に提供するかが供給」

 そう言って彼女はホロスクリーンで指を動かす。スッと『需給調整』の文字が書かれる。

「市場経済では、取引が自由なだけじゃなくて、生産と消費も自由よ。何かを必要とする人がいて――これが需要ね、その人のためにそのモノを作って売ってあげるにはどうしたらいい?」

「作れる人がどこかにいるんですよね。うーん、その人に作れって命令して作らせて、それを売らせる?」

「ははは、それは計画経済と言うの」

 なぜか楽しげに笑う葵子さん。ホロスクリーンの『市場経済』の右に『⇔計画経済』と書き足す。

「モノの生産量や分配を国が計画して決める経済の仕組みよ。市場経済と対立する考えかたね」

「じゃあ市場経済ではどうするんですか」

「基本的に、市場に任せるのよ。いい、誰かが何かを市場でほしいと言うわ。そのモノを作れる人は、作って売りたいわよね」

「はい。儲かりますから」

「そしたら、いくらで売るか、いくらで買うか、市場での値段の提示が始まる」

「さっきの消しゴムのときと同じですね」

「そのモノをほしい人が市場にいっぱいいたらどうかな」

「えっと、作れる人もいっぱいいるなら、作って売りたい人がどんどん市場に出てきそうです」

「値段はどうなる?」

「さっきみたいに市場がおよそ価格を決定するなら、やっぱりだいたいひとつの値段に落ち着くと思います。そのあたりで取引が行なわれる」

「うん。ではここからが本題」少し引き締まった表情がこちらを見る。

「求められている数量が多くて、作った数量が少なかったら、価格はどうなるかしら」

「えーと、たくさん求められてるけど、モノが少ない、ですか?」

「そう。需要が多くて供給が少ない、って言うわ」

「うーん……売り手は高く売りたい、買い手は安く買いたい、だけど売ってる数が少ない……すると、買い手どうしで、提示する値段の競争が起きそうですね。買うためには、より高い値段を提示しないといけない」

「うん、そうなるわね。そうして値段が上がっていくとどうなる?」

「んー、あんまり値段が上がったら、これ以上は無理ってところで買うのをあきらめる人が出てくるかなぁ」

「すると、求められている数量が減るわね。つまり需要が減る」

「ああ、そうです。ん? 需要が多いと価格が上がって、それによって需要が減る?」

 葵子さんが軽くうなずく。「そうね。では価格が上がったら売り手は何をするかしら」

「自由に生産できるんだから、どんどん作って売りたいでしょうねぇ」

「そうすると供給が増えるわね」

「はい。市場にモノが増えるので、今度は売り手側で競争が起きて、値段を下げなければいけなくなります。つまり供給が増えると値段が下がる」

「あまり下げられない売り手は市場から抜けるわね。で、こうして値段が下がったら、さっきあきらめた買い手はどうする?」

「戻ってきますね。あ、また需要が増える」

 どうなってるんだ?

「まとめるとこんな感じ」と言って葵子さんはホロスクリーンに図を書いた。


需要>供給 → 価格上昇

  ↑       ↓

 価格低下 ← 供給>需要


 図を指差しながら彼女は言う。「需要が多くて供給が少ないときには価格が上昇し、それによって供給が増えて需要が減る。供給が多くて需要が少ないときには価格が低下し、それによって供給が減って需要が増える。需要と供給がちょうど一致したあたりで、価格があまり動かなくなって安定するわ」

「そうかもしれませんね。で?」

「モノをほしい人のために、モノが作られたわね。誰も作れって言わないのに」

 あ、ほんとだ!

「市場にはこういうふうに、価格を通して需要と供給を調整する機能があるの」

 そう言って葵子さんは『需給調整』の文字に指先を置く。

「計画経済はこうではないわ。国の計画に基づいて、生産者が生産する数量や、その価格を決めて、消費者にどれだけ分配するか決める。どの程度細かく計画するかは国の体制によるけれど」

 椅子に深く腰かけ直して紅茶のカップをとり、彼女は言った。

「それに対して市場経済では、生産も消費も取引もすべて自由。ああ、市場経済を自由主義経済とも呼ぶわ。日本が採用しているのは計画経済ではなくてこの市場経済ね」

「自由、ですか。憲法とかとなんか関係ありますか」

「日本は市場経済とする、などと憲法では規定してないわね。ただ、財産権や職業選択の自由などが基本的人権として定められているわ。財産権ってのは、簡単に言うと財産を所有して自由に使う権利ね。これらは市場経済の基礎よ」

「……わかったようなわからないような」

 微妙な顔をしている僕を見て、葵子さんは言葉を継ぐ。

「財産権や職業選択の自由って、私たちには当たり前だから、ピンとこないのよね。もしも財産権がなかったら、お金も物も自由に持てないし、他人に取られても文句が言えないかもしれないわ。それでは取引にならない」

「ああ、そうですね。自分のものは自分のものじゃないと、市場での交換とか意味ないです」

「それに、もし国が、あなたは今の仕事をやめてこの製品をこの数だけ作りなさい、お金はこれだけやるからその製品を渡しなさい、って言ったらその通りにしなければいけないなら、これは自由な市場ではないわよね」

「てかそれさっきの計画経済ってやつでは」

 彼女はニコッと笑い、ゆっくり紅茶のカップを傾けた。


   *   *   *


 日本は市場経済を採用していて、その市場で価格が上がったり下がったりして、需要と供給が調整されて、安定して、価格が決まる。そのあたりは何となくわかった気がする。でも。

「ちょっと戻ってもいいですか」

「なあに?」とカップから顔を上げる葵子さん。

「貨幣経済で、モノの値段が、モノの価値を表す、って話でしたよね」

「そうね」

「その、価値って……何ですかね」

 うまい言葉が見つからずにふとつぶやいた言葉に、少し間をおいてから彼女が言う。

「レンくんはどうして消しゴムを買うの?」

「必要だから、お金を出して買います」

「レンくんにとって、消しゴムは価値があるもの、と言っていいのかな」

「うん、そうですね。だからお金を出して買うんだと思います」

「プラ消しは石油からできるから、原材料分の石油をレンくんは同じ値段で買う?」

「いや、それは。だって消せないし」

「じゃあレンくんにとって、プラ消しのほうが、原材料の石油より価値があるんだ」

「まあ、そうみたいです」

「文具メーカーが石油から消しゴムを作って、卸売業者に卸して、文房具屋さんが仕入れて、レンくんが買う、と」

 葵子さんがホロスクリーンの中で指を動かす。


石油→消しゴム@文具メーカー→消しゴム@卸倉庫→消しゴム@文具店


「文具メーカーにある消しゴムと文具店にある消しゴムの価値は同じ?」

「同じ消しゴムですから、まあそうですね」

「近所の文具店で60円で売ってる消しゴムと、遠くの文具メーカーの工場で60円で売ってる消しゴム、レンくんはどっちを買うかしら」

「そうか、取りに行くのは手間だから……同じ消しゴムでも、文具店にある消しゴムのほうが僕にとっては価値があるのか」

「石油より消しゴムのほうが価値が高く、文具メーカーにある消しゴムより文具店にある消しゴムのほうが価値が高い。価値がどんどん増えて、私たち消費者に届く」と言いながら葵子さんはホロスクリーン内の矢印の下に『製造業者』『卸売業者』『小売業者』と書き加える。

「実際には運送業者とかたくさんの人が関わるけど、原理としてはこんな感じね。このように商品を作って届ける仕事をしている人たちが次々と、レンくんのために商品に価値をつけてくれている。その対価としてレンくんがお金を払う」

「うーん、何が価値なのかまだイマイチわかりませんけど、価値が増えてるのはわかる気がします」

「じゃあこう考えたらどう? それぞれの仕事をしている人や会社――企業というわ。そのそれぞれの企業は、何かモノを仕入れて、自分の仕事をして、何かモノを売る。そのモノの価値は、売った値段と仕入れた値段の差だけ上がった、と言えるのでは」

「たとえば10円の原材料から文具メーカーが消しゴムを作って、卸売業者に20円で売ったら、価値が10円増えたってわけですか」

「そう。別の言いかたをすれば、文具メーカーは10円の価値を原材料につけて消しゴムにした。卸売業者の場合は?」

「卸売業者が文具メーカーから20円で消しゴムを仕入れて文具店に35円で売るなら、文具メーカーにある20円の価値がある消しゴムを、自分の倉庫に置いて35円の価値をもつ消しゴムにする、のかな。だとすれば、卸売業者は、消しゴムに15円の価値をつける、でしょうか」

「細かく言えば運搬費用などもかかるけど、まあそんなところね。そういう、企業がモノにつける価値のことを付加価値って言うの」

 そう言ってホロスクリーンにちょっと大きめに『仕入れ+付加価値=売上』と書く。

「企業がモノにつける価値……そう言えばサービスもモノでしたよね。サービスにつける価値、って何ですかね」

 うん、と彼女はうなずく。「清掃会社で考えてみましょうか。清掃会社はどんな価値を作る仕事をしてる?」

「えーと、部屋の掃除をするなら、汚れた部屋よりきれいな部屋のほうがお客さんにとってうれしい、その分の価値、かなぁ」

「その価値にお客さんはお金を払うのね」

「お客さんが払ったお金は清掃会社の売上うりあげになって……」

 宙に浮いている『仕入れ+付加価値=売上』の式を見る。

「仕入れ、はどうなるんだろ」

「式から逆に考えてみたらどうかしら。お客さんに提供したものから企業が作った付加価値を引いたら何が残る?」

「清掃会社は掃除という作業をする、そのために企業が使う、他人が生み出した価値が仕入れって考えると……ああ、洗剤とか」

「そうね。サービス業では仕入れがなくて売上のほとんどが付加価値、とよく言われるわ。何もないところにサービスという価値を作り出すのね」

 そう言って葵子さんもホロスクリーンの式を見た。

「財についてもサービスについても、基本は同じ、この式よ。付加価値を生み出すことが企業の活動だって言ってもいいわね。この活動をまとめて生産っていうの」

 へー、サービスでも生産なんだ。


   *   *   *


 それぞれの企業が、モノに付加価値を与える。それが積み重なっていく。ならば。

「消しゴムの値段って、付加価値を足し合わせたもの……」

「そうよ」と葵子さん。「それぞれの企業が作り出した付加価値すべての合計が、レンくんが買う消しゴムの値段になるわ」

 なるほど、と僕は口に出して計算する。

「原材料10円、文具メーカーによる付加価値10円、卸売業者による付加価値15円、文具店による付加価値25円として、合わせると売値の60円でこれが付加価値の合計……って、原材料はいいんですかこれで」

 うん、と葵子さんはうなずく。

「原材料を売るための仕入れって、どうなると思う?」

「石油を売るための、ですか」

「石油だとちょっと難しいかな。魚にしましょうか」

「魚じゃ消しゴム作れませんよ、たぶん」

「まあまあ」彼女は笑った。「浜辺に行って、手で捕まえてきて」

「それだと仕入れは……なさそうですね。捕まえる労力の分がそのまま値段になるから、仕入れゼロ、全部が付加価値になりそう」

「自然にあるものをただ取ってきて原材料として売るならそうなるわ。だから原材料の値段はすべて付加価値と考えていいわね」

「なるほど。じゃあ消しゴムの原材料の値段10円はまるまる原材料メーカーが作り出した付加価値。そうすると僕が買う消しゴムの値段60円は、関わった企業が作り出した付加価値の総計になります」

「あら、素直ね」そう言って葵子さんはカップに手を伸ばす。「石油は手ではあまり掘らないと思うけど」

「先輩が言ったんじゃないですか、手で捕まえろって」

「ははは、ごめんなさい」カップを持ったまま彼女は言った。「原材料費はすべて付加価値と考えていい、ってのは本当よ。でも現実には、原材料メーカーも何かを買って、それを使って原材料を自然界から取ることが多いでしょうね」と言ってカップを口元に運ぶ。

「手で捕まえるって言われて、なんか変だと思ったんですよ」と僕。「モリでも釣り竿でもいいのに」

「エサ代は仕入れになるものね。エサ業者さんが手で捕まえてるかもしれないけれど」

「それならエサ業者さんの売るエサの値段が全部付加価値、でいいですね」

「難しいのは」

 カップを置く葵子さん。

「仕入れがない企業がない、という場合ね。関係するみんなが何かを仕入れている」

「そんなことあるんですか」

「たとえば……そうね、ある農家はお米を作っている。自分の作った米のうちから、来年のために種もみを残す」

「はい」

「この農家は、最初は種もみを買うわ。そうね、種もみ1キロを100円で買ったとしましょう」

「仕入れが100円ですね」

「そう。そして稲を育てて、10キロのもみを収穫した。うち1キロを来年のために手元に残して、9キロを900円で売る」

「売上が900円、仕入れが100円だったから付加価値は800円」

「そうね。では、最初に買った種もみが同じようにどこかの農家で作られているとしたら、仕入れ100円のうち、その前の段階の仕入れと付加価値はいくらになるかしら」

 僕はホロスクリーンで計算をする。

「えっと、9キロの売上900円のうち、仕入れ100円で付加価値が800円でしたね。これと同じ割合だとすると……」

 式を書く。仕入れは100/900だから1/9、付加価値は800/900で8/9の割合。

「……仕入れた1キロ100円のうち、それを売った農家の仕入れはおよそ11円、付加価値が89円」

 100円×1/9は約11円、100円×8/9は約89円だもんね。

「うん、その仕入れ11円の内訳は?」と葵子さん。同じ計算だ。11×1/9はだいたい1、11×8/9はだいたい10。

「さらに前の段階の農家さんですね。仕入れが1円、付加価値が10円」

「その前は?」

 1×1/9……1円で四捨五入しているからもう仕入れはなくなってしまう。1×8/9は1でいいや。

「仕入れはほぼ0円ですね。付加価値は1円」

「そうすると、はじめに出てきた、種もみ1キロを買った農家さんの仕入れ100円の中身は結局どうだったのかしら」

「最終的に、仕入れはほぼ0円になりました。付加価値を合計すると、1円+10円+89円で……100円」

 こくり、とうなずく葵子さん。「仕入れがない原材料を作っているのは誰か、と考えなくても、種もみを1キロ買った農家さんの仕入れは全部、誰かが作った付加価値になったわね」

 うーん、なんか不思議だけど、そうなったなぁ。

「石油も同じですか」

「もう少し複雑にしてみましょうか。石油を掘る企業――採掘業者と、石油を精製する企業――精油業者がいるとして」

 掘るほうが原材料メーカーだろうな、と思う僕。葵子さんが続ける。

「採掘業者は掘った原油を精油業者に売り、精油業者は原油を精製してガソリンを作って売るわ」

「はい」

「そして、採掘業者も精油業者も、機械を動かすのにガソリンを使います」

 マジか。どうなる。

 涼しい顔で彼女は言う。「採掘業者はガソリンを買うし、精油業者は原油を買うから、どちらの企業にも仕入れがあるわね」

「そうですね」

「採掘業者は、1リットルのガソリンを使って20リットルの原油を掘り出して、1000円で精油業者に売るわ。精油業者は原油20リットルを仕入れて、1リットルのガソリンを使って精製し、ガソリンを20リットル作る。そのうち1リットルを手元に残して、19リットルを1900円で売ります。そこから採掘業者が1リットルを買う」

「ははー、複雑です」

「さっきと同じ計算をしてみましょう。ここまでで、採掘業者の仕入れがガソリン1リットルで100円、売上が原油20リットルで1000円。精油業者は、仕入れが原油20リットル1000円、売上がガソリン19リットル1900円ね。採掘業者の売上に占める仕入れの割合は?」

「ちょっと待ってください」と言ってホロスクリーンに数字をメモする僕。「1000円のうち、仕入れが100円ですね。仕入れの割合は10パーセントです」

「精油業者の売上のうち、仕入れの割合は」

「1900円のうち、仕入れが1000円だから……」と僕は計算する。「53パーセントくらいです」

「もうひと桁ほしいわ」と葵子さんが言う。「52.6パーセント」と僕。

「それじゃ、文具メーカーがガソリンから消しゴムを作るとして、って本当は違うと思うけれど、仮にね。仮に、ガソリンを原材料として仕入れるとしましょう。1リットルを100円で買う。売った精油業者にとって、売上の内訳はどうなるかしら」

「えーっと、売上が100円で、そのうち52.6パーセントの52.6円が仕入れ、付加価値は47.4円です」

「精油業者の仕入れ先は採掘業者よね。採掘業者の売上52.6円の内訳は」

 これは簡単。「仕入れが10パーセントだから5.3円、付加価値が47.3円」

「仕入れの5.3円はまた精油業者からよね。内訳は」

「えっと、5.3円の52.6パーセントは約2.8円、これが精油業者の仕入れで、付加価値は残りの2.5円ですね」

「仕入れは採掘業者から」

「はい。仕入れは2.8円の10パーセントで0.3円、付加価値は2.5円」

「さらに精油業者」

「仕入れ0.3円の52.6パーセントは0.2円てとこですか。付加価値は0.1円」と言いつつ計算を続ける僕。「採掘業者の売上0.2円のうち、仕入れはその10%で、これはほぼゼロですね。付加価値が0.2円」

「仕入れがゼロになったわね。それぞれの業者で付加価値を足してみて」

 そう言われてホロスクリーンに並んだ数字を見る。「精油業者の作り出した付加価値は、47.4+2.5+0.1で、50円。採掘業者は47.3+2.5+0.2=50円。なんかピッタリになりました」

「文具メーカーの仕入れ100円の内訳は、採掘業者による付加価値50円と、精油業者による付加価値50円を合わせたものになったわね。採掘業者が原油を掘り出して、それを買った精油業者がガソリンを作ると思えば、採掘業者が仕入れゼロの付加価値50円、精油業者は仕入れが50円で付加価値50円と考えてよさそうね」

「うーん、なんでこうなったかはわかりませんけど、とりあえず計算をしていくと仕入れがゼロにどんどん近づいていくんで、だったら残りは全部付加価値でしかないなぁ、とは思いました」

「そうね」とカップに手を伸ばしながら葵子さんは言う。

「すべての企業が仕入れに付加価値を与えて売るなら、今みたいにモノの流れを逆にたどれば仕入れがゼロに近づいていくはずよね。だからある時点のモノを原材料と見なして、その値段がそれまでの生産段階全部の付加価値だ、と見ていいのではないかしら」

「そうするとやっぱり、消しゴムの原材料の値段はすべて付加価値で、僕が消しゴムを買うときに払う金額60円は企業が作り出した付加価値の合計になります」

「おもしろいわ」両手で持ったカップの向こうで眼鏡の中の目が閉じている。「私たちは何かを買うとき、手に入れたそのモノ自体にお金を払っているように感じるのに、こうして見ると、作ってくれた人々の働きにお金を払っているみたい」

 僕もカップをとり、どこかの国の地面に埋まった石油が手元の消しゴムになるまでの見えない付加価値の積み上げを想像しながら、一杯目の紅茶を飲み干した。


   *   *   *


 部室の隅にあるキッチンから戻ってくる葵子さんの手には、温かそうな紅茶のポットがある。

「ところでレンくんはGDPって知ってる?」

「聞いたことはあります。国内総生産、でしたっけ?」

 経済の規模や、経済成長、景気がいいとか悪いとかの話で出てくる指標、くらいのイメージしかないけど。

「ミライ」

 葵子さんが声をかけると、壁際に立っている銀色をしたヒト型のロボットがシャキッと音を立ててから答えた。

「GDP、国内総生産とは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額デス。日本のGDPは約500兆円デス」

「ありがと」葵子さんは、僕のカップに紅茶を注ぎつつミライに言った。こういうときミライはすぐにネットやデータベースを検索してくれる。社会問題研究会にはありがたい存在だ。答える前にいちいちポーズを変える必要があるのかは知らないけど。

 椅子に腰かけながら彼女が言う。「一定期間は、普通は一年で考えるわね」

「付加価値って、さっきのですか」

 カップに伸ばしかけた手を止め、僕はホロスクリーンの式『仕入れ+付加価値=売上』に目を向けた。

「そう。それを国内で一年分、ぜーんぶ合わせたものがGDPね」

「その合計ってどういう意味があるんですか?」

 葵子さんは一瞬考えるような顔つきになったが、すぐテーブル越しに身を乗り出してきた。

「日本のGDPがゼロならどうなる?」

「え。貨幣経済が前提なら、何も売買されないから……食べ物が買えない? 誰も生きられない?」

 気がつくと、眼鏡の奥からいたずらっ子のような目がこっちを見ている。

「そうね。お金の基本に戻りましょう。いま、漁師のAさんと、農家のBさんがいて、それぞれお金を100円ずつ持っている、その二人だけの国があるとします」

 そう言って葵子さんはホロスクリーンに『A 100』『B 100』と書く。

「Aさんが海で魚を捕まえて、Bさんに100円で売りました」

 Bのそばに『魚』と書いて100を消し、Aのそばの100を200に書きかえる。『A 200』『B 魚』という表示がテーブルの上空に浮いている。

「これでBさんは魚を食べられるわ。この国のお金の総量はどうなったかしら」

「最初100と100で、いま200だから、変わりませんね」

「うん。じゃあこの国にある価値は」

「最初はお金が200円あっただけで、いまは200円と魚があるので、魚を100円とすれば、300円。あ、増えてます」

「それが付加価値ね。次にBさんが山できのこを取ってきて、Aさんに100円で売ります」

 ふたたびホロスクリーンを書きかえる。『A 100 きのこ』『B 100 魚』

「また100円の価値が国に加わりました。全部で400円です」と僕。

「これで一年が経ったとしたら、この国のGDPは?」

「付加価値の合計だから200円」

「その200円分は何になったの?」

「魚ときのこです」

「それを食べて二人は生きられるわね。いや、一年はちょっと無理かな」

 はは、と彼女は笑う。

「あ、わかりました。つまり、人が生きるには新たに価値が作られる必要があって、日本についてその一年分をお金で測ったものが日本のGDPなんですね」

「そう。あと……そうね、この取引を一年間に100回やったらどうなるかしら」

「Aさんはきのこを100個手に入れます。Bさんも魚100匹を手に入れる。それぞれの手元に100円ずつ残ります。GDPは2万円。不思議ですね。お金は200円しかないのに」

「サラリーマンのおうちでは、たいてい月のお給料が決まっていて、使ったお金は家の外に出ていってしまう。レンくんのおこづかいもそうでしょう。だからその中でいくら使う、って考えるわよね」

 自分のカップにも二杯目の紅茶を注ぎながら葵子さんは言う。

「でも国の経済では、使ったお金は国の中で回るだけで、回れば回るだけ国内に価値が増えていくの。ここは頭の切りかえが必要かもしれないわ」


   *   *   *


「レンくんは消しゴムをおこづかいで買ってる?」カップの湯気の向こうから葵子さんがたずねる。

「いえ、文房具代は家で出してもらってます」

「お父さんがサラリーマンだっけ? ならお父さんのお給料からそのお金は出るのよね」

「それが文具店の売上になりますね!」

 われながら自慢げだ。

「そのお給料のお金はどこから回ってきたのかしら」

「え」

 そうか、うちのお金も、回ってるお金の一部なんだ。

「会社から毎月もらってる、じゃダメですよね。会社って企業で、そうか、付加価値を作ってるところ」

「そう。ちょっと企業の気持ちになってみましょう。社員を雇って、給料を出すの」

「文具メーカーだとして……原材料を仕入れて、工場で消しゴムを作って、卸売業者に売ってお金をもらう」

「もらったお金はどうする?」

「また原材料を買う分と、あと給料を社員に払って、残りは会社の利益として後で使う、とか?」

「うん、だいたいそんな感じね。式で書くと」

 ホロスクリーンに『=売上』と書いて、葵子さんが手を止めた。

「この左側、どうなる?」

 僕が腕を伸ばす。『仕入れ+給料+利益』と書いて、葵子さんの顔を見る。

「そうね。給料は普通、人件費って言うから直しとくね」

『給料』を消して『人件費』と書き直す葵子さん。『仕入れ+人件費+利益=売上』となった。

 あっ、と思って前に書かれた式を見る。『仕入れ+付加価値=売上』

「これ、人件費と利益を合わせたものが付加価値ってことですか?」

「よく気づいたわね」

 そう言って微笑んだ葵子さんの「じゃあGDPとは?」という問いに僕は答えた。

「人件費と企業の利益の総合計、ですか……」

「よくできました! まあ付加価値の部分に何を入れるかはいろいろあるみたいだけど、だいたいそれで間違いないと思うわ」

 うーん、とうなって僕はホロスクリーンを見上げる。GDPってピンとこなかったけど、うちの父さんの給料分がそこに入ってると思うと、あんまり他人ひとごとだと思えなくなってきたな……。


   *   *   *


 ふと顔を戻す。葵子さんは紅茶の香りを楽しんでいるようだ。そろそろ我慢しきれなくなって僕は言った。

「あの、消費税の話は」

 レンズの向こうの目がスッとひらく。

「ん、そうよね。じゃ税金の話」

 ようやくだー、という心の声を押し殺して次の言葉を待つ。葵子さんの問い。

「税金って何かしら」

「国民が国に納めるお金ですよね。憲法に納税の義務が書いてあります」

「そうね。国が国民から強制的に徴収するお金。外国人も納税するし、地方公共団体も税金を取るわね。まとめて政府と国民って呼びましょうか」

 そういや昔は米や布で納めてたって歴史で習ったっけ。それが今はお金なんだな……と思っているとさらに問いが。

「憲法に納税の義務がわざわざ書いてある理由って何だと思う?」

「えー、何でしょう。国民の三大義務って習った気がしますけど」

「そうね。教育、勤労、納税。で、どうして書いてあるの?」

 どうして、って言われてもなぁ……。

「納税の義務が憲法に書いてなかったらどうなるかしら」

「政府は税金を取れません」

「どうして?」

「だって、個人のお金はその個人のもの……あ、そうか、財産権ですね」

 葵子さんがうなずく。

「そう。財産権は基本的人権で、その財産の一部を奪うのは権利侵害になってしまう。だから納税の義務――裏を返せば政府が税金を取る権利ね、これを憲法に書いて、財産権を制限しているのね」

「そんな関係があったんですね」

 感心する僕に、彼女からの問いが続く。

「じゃあなぜ政府は税金を取るの。税金の目的って何かしら」

 ちょっと考えて僕は答える。

「政府がどうしてお金を必要とするか、ですね。道路を直したり、公務員に給料を払ったりするのに要りますね」

「そうね。それから社会保障にも政府はお金を出すわ。健康保険とか」

 消費税関係のニュースでも、社会保障のお金が不足するから増税する、みたいな話があったな。

「お金がかかる政府の仕事の費用、つまり政府の経費をまかなうために国民からお金を徴収する。それが税金の一番の役割ね」

 葵子さんはそう言ってホロスクリーンで指を動かし、『政府の経費の調達』と書いた。

「なるほど。他にも役割があるんですか」

「いくつかあるわ。ひとつは、富の再分配という役割。お金を儲けている人ほど税金を納めている、って聞いたことない?」

「ああ、あります。所得税はそういう仕組みだって」

「うん。所得税は累進課税になっているわね」

「るいしんかぜい?」

「収入が多い人ほど、所得税の税率が高くなるの。そういう税金の取りかたを累進課税って呼ぶわ。そんなふうに、豊かな人からは多く、貧しい人からは少なく税金を取って、貧しい人に社会保障を厚くすると、富が豊かな人から貧しい人に移ることになる。税金はこのようにも使われる」

 そう言いながら『富の再分配』と書き加える。

「他にも、景気を調節するのにも税金は使われるわ」

 続けて『景気の調整』と書く。

「景気って僕、よくわからないんですよね……」

 ニュースとかでよく聞くけど、景気がいいと企業が儲かる、くらいの印象しかないんだよな。

「じゃあこれはまたいつか。まあそんなふうに、政府は税金を取る。いろんな種類の税金があるわ。レンくんはどんな税金を知ってる?」

「詳しくは知らないですけど、消費税はレシートに書いてあるので身近ですね。あとはいま出てきた所得税。それから、ドラマとかで相続税って聞いたことあります」

「他には、会社が払う法人税、土地や建物を持っている人が払う固定資産税、お酒にかかる酒税……私が知ってるだけでもまだまだあるわ」

「はぁ、そうなんですか」

「法律で決めれば税金って取れるから。消費税も、消費税法っていう法律で決められてるの」

「何でもありって感じですね」

「うーん、まあそうではあるけれど……もしも子ども税って作ったらどうする? 18歳未満の人は毎月一万円を税金として納めなさい、みたいな」

「それは無理でしょう。普通は払えませんし、なんかいろいろおかしい気がします」

「いろいろ、って?」

「まず、払えないのに取ろうとするのっておかしくないですか。政府だって税金取れなきゃ困るんだし。あと、子どもみたいな弱いところから取ろうとしなくても、もっと払える人がいるんでは」

「そうね。私もそう思う。たぶん国会でも、そういう法律は作らないでしょうね。民主主義の国でよかったわ」

 そう言って葵子さんは紅茶をひと口飲んだ。

「そう考えると私たちは、どんな税金がよくてどういうのがダメか、判断できるようになる必要がありそうね」

「そうですね……」

 そのうち有権者になるのだから、と思いつつ、僕もカップを傾けた。


   *   *   *


 カチリ、とカップをソーサーに置いて葵子さんがふたたび口をひらく。

「いくつか税金を見てみましょうか。まずは所得税」

「サラリーマンの給料とかにかかる税金ですよね」

「うん。大まかに言うと、個人の収入に対して、何パーセントを税金として納めなさい、みたいになっているわ」

「何パーセントくらいなんですか」

「収入の額によって税率は違って、5%から45%くらいね。収入が多いほど税率が高い」

「さっきの富の再分配ですね」

「実際の計算は複雑みたい。そこは税理士さんのような専門家に任せましょう」

「はい」

「この税金は、どうかな。おかしい税金だと感じる?」

「いや、なんか普通な感じがしますね。お金を手に入れてるんだからその一部を納めてもらう、ってのはありそうな話で……そうだ、江戸時代とかの年貢米とかそんな感じだったような。あんまり割合が大きいと困るだろうけど」

「そうね。それと同じように、会社の収入から取る税金が法人税よ。簡単に言うと、会社が一年間に上げた利益に対して、その何パーセントを税金として納める」

「あ、利益」と僕は顔を上げてホロスクリーンを見る。『仕入れ+人件費+利益=売上』の文字が見える。

 葵子さんも見上げて言う。「だいたいそれのことね。利益があるのだから一部を税金として納めてね、という」

「所得税と同じですね。まあわかる気がします」

「じゃあちょっと違う税金を。固定資産税」

「さっきも出てきましたけど、それどんな税金なんですか」

「土地や建物を持っている人が、その価値に応じて、毎年払う税金よ」

「はー、そんなのもあるんですか。お金を手に入れてるからその中から税金を払う、ってのとはちょっと違うみたいですね」

「そうね。どちらかと言えば、財産を持っているから負担してもらう、というタイプの税金ね。レンくんが言った相続税も、亡くなった人の財産を相続するときに、その価値の何割かを税金として納める、というようになっているわ」

「それは何となく知ってます」……ドラマで。

「所得税や法人税が収入に対する課税なのに対して、固定資産税や相続税は財産に対する課税と言えるわね」

「なるほど、やはりちょっと違います」

「で、こういう税金はいいのかな」

「うーん、財産のない人よりは税金を負担してもらいやすそうですけど、土地や建物を持っているからといって日々お金が儲かるとも限らないし……よくわかりません」

「実は私もわからないわ」

 おいおい。

「それから消費税」と、僕の心の中のツッコミに気づかない顔で葵子さんは続ける。「どんな税金かしら」

「よく知らないですけど、モノを買うときに払ってる税金、って感じです」

「うん。それはあり?」

「どうなんでしょう。モノを買えるだけのお金があるなら税金もついでに払えるだろう、みたいな?」

「そうね。そんな感じだと思う」

 んー、とちょっと考えて僕は言う。

「お財布に100円しかなくて、100円のおにぎりを買わなければ生きられないとして、消費税8円を追加で払うってできますか……」

「おもしろい疑問ね。もしも生きられるだけの収入を残して所得税が取られたら、消費税がさらにかかれば生きられないわね」

 うんうん、とうなずく葵子さん。僕の疑問には答えてくれないようだ。


   *   *   *


「たくさんある税金のうちいくつか見てきたけれど、全体がよく見えないわよね。ミライ、大まかな税収内訳を教えて」

 シャキッ。「平成27年決算で国税と地方税合わせて約99兆円、内訳で多い順に、所得税が約30兆円、消費税が約22兆円、法人税が約18兆円、固定資産税が約9兆円、その他が約20兆円デス。なお所得税には個人住民税ヲ含み、法人税には法人住民税ト……」

 「いいわ、ありがと」と葵子さんが言う。「細かい内訳はあるみたいだけど、とりあえず所得税、消費税、法人税、固定資産税が主な税金みたいね」

 それぞれだいたい3割、2割、2割、1割って感じなんだな、と考えていると突然。

「さてここでクイズです! この中でひとつだけ仲間はずれがあります。それはどれでしょう!」

 びっくりした! 葵子さんいきなりテンションおかしいっす……

「え、いや、どれも違う……じゃないや、所得税と法人税は収入に対してかかるから仲間、でいいのかな」

「そうね。もうひとつ仲間に入れて」

「うーん、固定資産税か消費税……財産への課税と消費への課税……バラバラのような気が」

「ヒント。GDPがゼロだったら税収はどうなる?」

「GDPがゼロ、イコール取引が行なわれない。給料ももらえないし会社も利益が出ない。モノが売れないから消費税もない。ああ、でも土地や建物を持っていれば、固定資産税は払わなきゃいけないんですね」

「ピンポーン、正解です! 所得税と法人税と消費税が、生産と消費という経済活動に課税するのに対して、固定資産税は国民が所有している財産に課税する」

「そうすると、所得税とかって、GDPとなにか関係あるんですか」

「所得税を納めるのは誰?」

「サラリーマンとか、納めますね。もらった給料から」

「その給料はどこから出るんだっけ」

「会社から……そうだ、企業の売上の中の人件費です」

 僕は顔を上げてホロスクリーンの上のほうを見る。『仕入れ+人件費+利益=売上』と書いてある。ん? 利益?

「法人税って、会社の利益にかかるんでしたよね」

「気がついたわね。そう。すごく大づかみに言って、売上のうち、人件費に相当する部分に所得税がかかり、利益に相当する部分に法人税がかかる、って感じ。人件費と利益の総合計がGDP。だからGDPがゼロだと、所得税も法人税もゼロになるのね」

 残り少なくなった紅茶で唇を潤す葵子さん。

「この式で見れば、人件費の一部は所得税として政府に行き、残りが家計に行く。あ、家計ってのは、企業ではない、サラリーマン家庭のような消費者のおうちのことね。で、同じように、利益の一部が法人税として政府に行き、残りが企業の収入になる」

「はい」

「作られた付加価値の対価が、家計の収入と、企業の収入と、税金に分配されるのね」

 ホロスクリーンに手を伸ばす葵子さん。『付加価値=家計の収入+企業の収入+税金』と書く。

「そして付加価値を一年間で総計するとGDPになるわね」

 一度止めた手をまた動かして、すぐ下に並べて書く。『GDP=家計の収入+企業の収入+政府の収入』

「生産活動で作られる価値全体の分配は、およそこの式で表されるわ」

「国民が作った付加価値の一部を税金として政府が使うんですね」

「まあそう言ってもいいかも」と言って葵子さんは紅茶を飲み切り、カチリとカップをソーサーに置いた。

 なるほど、じゃあ消費税は、と言いかけた僕を目で制するようにして、葵子さんは続ける。

「付加価値のところから税金を取る方法は他にもあるわ。人件費からある割合を取るのが所得税、企業の利益からある割合を取るのが法人税よね」

「はい」

「その両方を合わせた付加価値全体からある割合を取ることもできる」

「ですね」

「たとえば企業の一年間の売上から、一年間の仕入れを引いた額――これが、その企業が一年間に作り出した付加価値の総額になるわね――この額に対してある割合を企業に税金として納めさせる。こういう税を付加価値税って言うわ。日本にはそういう名前の税はないけれど、ヨーロッパの国などにはある」

 ホロスクリーンに書く。『付加価値税』

 僕は言う。「原理としては同じですよね。国民が作り出した付加価値から税金を取る、っての」

「そうね」

「で、消費税」と言いかけて葵子さんの顔を見る。うわー、いたずらっ子の目、きた!

「それはまずレンくんが自分で調べて」

 やっぱり……

「大丈夫。ネットにたくさん情報があるわ。簡単な仕組みと、よく言われている問題だけでいいから」

「わかりました……」

「今日はもう遅いしね。続きはまた明日」

 そう言って彼女は立ち上がり、サイドテーブルにあったトレーに空になった二つのカップを乗せて、キッチンのほうへ歩いていった。窓の外はもう薄明かりである。


(続く)


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