親父が遺したもの
12月になり、学校では当然ながら完全に冬服になった。外の空気は更に寒くなってきたので、通学の時は防寒具が必須になった。
「晴男のそのマフラー、かっこええな」
登校のときに、部活仲間の一仁にそう言われた。
「そうか?これ、死んだ親父が編んだやつや」
俺はそう言いながらも、そのことを忘れかけていた。
「そっか、大事な形見なんやな」
一仁がしんみりとしていたので、俺は思わず
「いや、そんな重苦しいもんやあらへんから!」
と言った。
俺は、このマフラーが気に入っているが、形見という意識がなかった。それは、親父が生きていた時から当たり前のように使っていたからだろうか。
しかし、お袋は未だに親父がいなくなったことにショックを受けているのか、親父に対して恐ろしいほど執着していた。
自分だけでも旧姓の「上杉」姓に戻してもおかしくないはずなのに、ずっと「朝倉」姓でいるし、職業柄邪魔なはずなのに、結婚指輪を外すこともなかった。
親父が生きていたときから親父と同じタバコを吸っていたが、その量が増えた。それだけでなく、親父のものを常に身につけるようになった。ここまでお袋が病んでしまったままだと、俺も困ると心配になった。
「お袋、これ使わへん?」
俺は今朝の会話から、自分の部屋に仕舞っているであろうある物の存在を思い出した。帰宅してから探したら、それはすんなり見つかったので、すぐにお袋に渡した。
「これって、腹巻?」
お袋は、不思議そうにそれを見ていた。
「これ、昔親父が編んだやつなんやよ。俺はもうサイズが合わんくなったけど、お袋なら入るかと思って」
親父は編み物が得意だった。頼みもしないのに「体どご冷やさねように」とマフラーやセーターや腹巻を編んでは、俺やお袋によこしてきた。
俺が中学受験を受ける頃に、親父が夜なべして手袋を編んでよこしてきたときは、少しドン引きした覚えがある。それも、1日で仕上げたというのだから。
「いいの?」
お袋は、動揺しながらも嬉しそうにそう聞いてきた。
「ああ。俺には親父が去年編んでよこしてきたやつがあるから」
去年腹巻を渡された俺は、高校生にもなってこんなものをよこしてくるなんて、いつまで自分のことを子供扱するつもりだとむっとしていた。
「ありがとう」
お袋は、そう言って子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべていた。俺はお袋に感謝されたかったわけではないが、こんなに喜ぶと思っていなかったので嬉しかった。
「お袋もそろそろ親父が編んだマフラーや手袋をしたらどう?あれ、お袋にしか似合わへんように親父が作ったんやろ?」
親父は、お袋や俺に合わせて毛糸の色やデザインを選んでいた。悔しいが、それは今朝褒められたように、非の打ち所がないくらいお洒落だった。そんなお洒落なオーダーメイドをしていたのが、存在自体が18禁の大男だったことは少々気色悪い気もする。
「それから、毛糸のパンツもあったよな?」
お袋にそう言ったら
「ちょっ、何を言うのよ!」
と驚かれた。
「いや、親父が、薄着すると風邪ひくからって心配して編んどったやん?」
親父は、露出の多い服装をしているお袋に対して上記のように心配しており、それならせめてと毛糸のパンツを編んでいたのだ。そういう親父は、鋼の身体を見せびらかすような露出症だったのだが。
「お袋、体調を崩さんように気をつけてな。せっかく親父がお袋の体調を気に掛けて、暖かい物を残してくれたんやで」
俺は、お袋から目をそらしてそう言った。
「ありがとう。お父さんが残してくれた温もりがあるから、冬も寒くないかもしれないわね」
いつもなら拗ねるようなお袋が、素直にそう言っていた。その反応が恥ずかしくなった俺は、
「看護師のくせに、親父や俺に体の心配させるなよ」
と言った。
「何よ。あたしだってあんたの体調を心配してあげてるのに!」
お袋にそう言われて、やっぱりうるさい母親だと思いながらも、いつも通りの反応にどこかほっとした。
そういえば、お袋は親父の言うことは何でも素直に聞いていたな。それだけ親父に依存していたということか。親父のやつ、よくお袋を利用しようと考えずに世話を焼いていたな。なんて、余計な感心をした。
これからは、その親父がいない代わりに俺が、お袋が取り乱さないように見守る必要があるのだろう。それはとんでもなく面倒なことだと思いながらも、ずっと親父がしてくれていたことだからとも思った。これが、親から引き継ぐ「役割」というものなのだろうか。