負けたくない戦い
俺は野球部として活動している。今年の夏に先輩たちが引退してから俺は主将になったので、ちゃんとチームを良くしようという責任を感じるようになった。
日々の練習はきついし顧問に対して不満がないわけではないが、お袋の方が1万倍は鬱陶しいのでさほど苦にならない。それに、野球をしていると家でのことを忘れられる。
「次の練習試合の相手は商業高校やな」
練習が終わったロッカールームで、副主将の大村一仁がそう言った。
「せやな。また頑張らんとな」
俺は、特に何も思わずにそう返した。
「あそこの商業って女子ばっかやったよな。ええよな。女子マネに応援されるなんて」
同学年の板倉浩樹が着替えながらそう呟いた。確かに俺たちの学校は男子校なので、女子生徒に応援されることはない。
「俺らは女子の前でかっこつけるために野球をしとるわけやあらへん。恋に現を抜かしとると野球に集中できやんくなるで」
俺は淡々とそう言った。
「お前本当に男か?女の子に応援されとる様子を見て羨ましいって思わへんのか?」
浩樹が驚いたようにそう聞いてきた。
「いや、全くないって言ったら嘘になるけどさ。俺らのことをちゃんと応援してくれるマネージャーがおるんやから、そんなことでやっかむ必要あらへんやろ」
俺は動じずにそう返した。
俺たちの野球部には、南豪太というマネージャーがいる。俺たちの1年後輩でミナミちゃんと呼ばれる彼は身長188㎝、体重100kgの巨漢だが、今秋の試合で肩を壊してしまい、マネージャーとして俺たちを支えてくれている。見た目こそゴツいが、野球のことをよく知っているから俺たち選手のことをしっかりとサポートしてくれている。
「そうですよ。俺らにはミナミちゃんって勝利の女神がいるんですから」
後輩のマコトちゃんこと浪江誠もそう賛同した。
「勝利の女神って…」
一仁がその言葉に吹き出していた。
そして迎えた練習試合の日。俺は、いつも通り気合を入れて試合に臨もうと気を引き締めた。そんな時、対戦相手校の選手たちの様子が目に入った。
「山本君、頑張ってね」
そう言うマネージャーらしき女子に囲まれている選手は、
「ありがとう」
と言いながら締まりなく笑っていた。そして俺たちに気付いて、勝ち誇ったような笑みを浮かべているように見えた。
「わー、何アレ」
「なんかムカつくわ」
俺たちのチームの選手は、密かにそう言っていた。俺も、その光景は見ていて気持ちのいいものとは思えなかった。
その女子に囲まれていた選手が、もしも他の学科に所属していたらちやほやされないだろうと思うような男子だったことも理由の一つだろう。女子生徒の多い商業高校だと、こんな男でもモテるのかよ。悲しいな。
彼の周りにいる女子も、特別可愛いというわけでもないのだが。むしろ、こんな男をちやほやするなんてどんな感覚なんだと疑ってしまう。
相手のことをよく知りもしないくせにこんなことを考えてはいけないことは知っている。しかし、山本と呼ばれていたその男子の様子は、女子からちやほやされていることへの嫉妬というより、それに対していやらしい笑顔を浮かべていたという意味で不愉快だった。
「今日の試合、絶対勝とうぜ」
俺は試合の直前に、仲間達に低い声でそう言った。
「おう、あんな連中に負けてられへんな。」
普段は落ち着いている一仁も、普段より声のトーンが低くなっていた。
「もう俺は試合に出られませんけど、みんなのことは全力で応援していますよ」
ミナミちゃんがそう応援してくれたので、彼のためにも頑張ろうと思った。
そして試合が始まった。相手校もそれなりに強いチームという印象が練習試合が決まる前からあったので、なめていたわけではないが、負ける気はしなかった。
試合前から込み上げてきた苛立ちが原因なのか、俺たちはいつも以上に攻撃的なプレーなっていた。そうして試合している間も相手校の女子生徒の黄色い声が聞こえたが、ミナミちゃんの太い声援の方がよく聞こえた。彼の力強い声を聞いたら、さらに頑張れる気がした。
先程女子たちに囲まれていた山本は、俺と同じく投手だった。あれだけ女子にちやほやされているのだからそれなりに実力があるのだろうと身構えていたが、それほど大した球を投げているわけではなかった。
何だ、あの人相とこの程度の実力であんな扱いを受けるのかよ。俺はそう思い、さらにねじ伏せてやりたくなった。商業高校との対戦経験がないわけではないが、ここまで苛立ったのは初めてだった。
さらにムキになった俺は、疲れも知らずに強い球を投げ続けた。おかげで5回に入っても点はおろかランナーすら与えていない。
そして俺たちの攻撃になったときは点数を取りまくった。みんないつも以上にヒットを連発しているということは、苛立っているのは俺だけではないという証拠だろうか。
俺も、この試合では久しぶりにランニングホームランを打った。それも満塁だったので、一気に点差を付けることができた。
これがトドメになったようで、この練習試合は5回が終わった時点で18対0となり、俺たちのチームのコールド勝ちになった。
「みんな、試合お疲れ様でした」
試合の後、ミナミちゃんがそう言って俺たちにポカリスウェットをくれた。
「ここまでの快勝って久しぶりやったな」
浩樹が嬉しそうにそう言った。
「主将の満塁ランニングホームラン、かっこよかったです」
マコトちゃんがハイテンションでそう言っていた。
「いや、その前にみんながヒットを出してくれたから満塁ホームランになって点差を広げられたんやよ」
俺は、マコトちゃんに言われたことが恥ずかしくなってそう言った。謙遜ではなく事実だし。
「それに、ミナミちゃんの声援で頑張ろうって思ったんやよ。マコトちゃんが言うように、勝利の女神かもしれへんな」
話題をそらすためにも、俺はそう続けた。
「女神って、やめてくださいよ!」
ミナミちゃんも恥ずかしそうにそう言った。
確かにこの巨漢に女神という表現は不適切かもしれない。試合中、俺はミナミちゃんの太い声援でモチベーションが上がった。もしそれが女子の黄色い声だったら苛立っていたかもしれない。
「それにしても、商業高校相手にあんなにムキになる日が来るとは思わんかったわ」
一仁もそう呟いた。
「俺たち男子校とギャップがありすぎますよね」
後輩のしんちゃんこと野村進之介がそう賛同した。
「あそこの学校、女クラもあんのに混クラに男子は10人くらいしかおらんらしいで」
同学年の槙祥平がそう言った。こいつには、この商業高校に通う幼馴染がいるらしい。
「うっそー、ほぼ女子校やん!」
俺たちはそう驚いた。その状況だと、数少ない男子生徒の多くが野球部なのかもしれない。
「人数が少ない分、商業高校の男子はモテるんやろか?」
浩樹はそう疑問を抱いていたが、俺は商業高校の男子生徒が羨ましいとは思わなかった。
「それはようわからんけど、俺は男子校に入って良かったと思っとるで」
俺は素直にそう言った。それは、元々女子との接触を避けたいという気持ちで男子校を目指したという理由もある。実際に男子校に入ってからの学校生活は、想像以上に居心地のいいものだったし。
それに、商業高校の男子生徒だって、俺たち男子校の生徒にはわからないような苦労や不満があるような気がする。
「先輩、俺みたいなマネージャーが居てくれて良かったって思っているんですか?」
ミナミちゃんがそう聞いてきた。
「当たり前やん。試合ができやんくなったことは気の毒に思ったけど、ずっと俺らと一緒におってくれて、しっかり支えてくれとるんやで、不満なんてあらへんよ」
俺はそう言った。
「ありがとうございます。これからも応援します!」
ミナミちゃんが嬉しそうにそう返してくれた。俺は、この温かい部活の空気感が好きだ。
「ああ、これからもそれに答えられるように頑張ろな」
俺が笑顔でそう言うと、周りの選手たちもみんな笑顔で賛同してくれた。