8 最悪の再開
「……この人ごみの中を、行かなくちゃいけないのね」
誰に確かめるわけでもなく、そう声に出した。
目の前には人の大群。どこを見ても人、人、人。
この町、こんなに人口増加してたかしら?
そんな現実逃避をしても、目の前にいる人の数は変わらない。
この大群の先に、ドレスを仕立てている目当てのお店があるのだ。名前は忘れたが。そのため、どう頑張ってもこの大通りを通らなくてはならない。
人ごみには酔ってしまう私は、人が密集している場所が苦手だ。
それに、何百人もの人が会話しているのだから、それはもう煩い密集。
そんな中に入り込まなくてはならないという事実は、私の頬を引き攣らせたのだった。
町の入り口で立ち止まっていても邪魔なだけなので、ゆっくりと歩き始める。
そこらじゅうから溢れかえる食べ物の匂いが、鼻孔をくすぐる。なんだかお腹が減ってきた。
そこで気づいた。今日は昼食を食べていなかったことに。お義母様が町に行くだなんていきなり言い出すから、食事のことなんて頭から抜け落ちていたのだ。あの様子だとお義母様やマリアも忘れているだろう。
それにしてもこの町、こんなに食べ物の匂いで溢れかえっていなかったような気がするのだが、気のせいだろうか。
人にぶつからないよう細心の注意を払いながら歩くのは、地味に疲れる作業だ。大通りに差し掛かってまだ五分もたっていないがもう疲れた。
ここまで人が多い大通りは初めて見たかもしれない。何かイベントでもやっているのだろうか。それならそのイベントの景品でも持っている可能性がある。景品のないイベントもあるが。
すれ違う人々の共通点を探すが、笑顔だということ以外何もなかった。
誰か路上で芸でもしているのだろうか。
視線を彷徨わせていると、視界の端に人ごみに流された護衛が見えた。
煩わしかったし、丁度良い。
気づかなかったふりをして辺りを見回すと、他人の肩の先に目当てのドレス屋が見える。
この人ごみから離れられることにほっと息をつく。
「……あ」
その時、地面のコンクリートが歪んでできた段差に足を引っかけてしまった。
この人ごみの中で転べば、誰かにぶつかるのは確実だ。
ぶつかってしまえば、慰謝料を請求されてしまうかもしれない。悪い人に絡まれるかもしれない。最悪、殺されてしまうかもしれない。
護衛さんは、さっきのあの様子じゃここまで来れないだろう。
一気に私の顔は青ざめた。
それでも傾く体は止められず、鈍い衝撃とともに前にいた男性にぶつかった。
「うっ……ごめんなさい!」
すぐさま体制を立て直し謝る。
「だ、大丈夫ですか!?……あ、や、僕は平気なので、顔を上げてください」
聞き覚えのある柔らかな声が、焦ったように言うのが聞こえた。恐る恐る顔を上げる。
「――っ!」
そして絶句した。
心臓が一つ、大きく鳴った。
まさか、何故、彼が、ここに?
彼と目が合った一瞬が、とても長く感じられた。
今は、昼。
彼は、猟師だったのでは?
猟師なら森で狩りを行っている時間だ。
なのに、なんでいるの?
太陽の光を受けた茶髪が柔らかく輝く。どこかでカラスが啼いた。
目の前で慌てふためく彼は、過去に何度も会っている人物だ。
森の中で、鳥のさえずりを聞きながらした会話が今でも耳にこびりついている。最後の銃声までしっかり。
彼は覚えていないだろうが、彼は私を殺した。
いや、それは彼であって彼でない存在がしたこと。
“この”彼は何もしていないしそもそも会ったこともない。
しかし、直接私を手にかけた人物なのだ。
千回の死に戻りのうち、五十回ぐらいは彼のせいだろう。
だから、彼のアメジストのような瞳も、形の良い唇も、私より頭一つ分高い身長も、全て見覚えがある。ありすぎる。彼が銃を撃つときの癖だって覚えたぐらいだ。
しかし、彼のこんな表情はいつの時も見たことがなかった。
思い出したくなくても、鮮明によみがえる。耳の中で再生された音声。
『仕方ないだろ、こんな時代にこんな身分で生まれたんだ!僕だってやりたくてやってるわけじゃない!』
猟師の切羽詰まった顔。よろめいた拍子に足元の石が転がった。
秋なのに滴り落ちる汗は、暑さのせいじゃないから。
『嫌……やめて。お願い、嫌よ、死にたくない。お願い、助けて、殺さないで。ねえ、来ないで……いや!』
後ずさりすると、足に触れていた草が爽やかな音を立てた。こんな状況に似合わない、とてもすがすがしい音。
『君を殺さないと僕の家族が殺されるんだ!』
必死に懇願する私に、喘ぎとともに吐き出した告白は衝撃的なものだった。
恐怖が一瞬にして驚きに変わり、また恐怖に戻った。
『えっ、そんな……!誰が、貴方の家族を殺すの?』
『……僕に君を殺せと命令した人』
『それは誰?』
『……』
俯いて黙った猟師の表情は、わからなかった。
『ねえ、誰なの?教えて。私、何がいけなかったの?何か悪いことした?なんでこんな目に合わなくちゃいけないの?わかんないよ、なんで!?』
理不尽だと思った。酷いと思った。
今になって思うが、それは私だけじゃない。
『……もうすぐ死ぬ人に、言っても意味ないよ』
『え……?!』
『ごめんね』
猟師の表情を見て気づいた。彼も、同じだったことに。
――バン!
耳をつんざくような銃声がして、気がつけばまた、五歳の頃に戻っていた。
最後に見えた彼の顔は、苦悩、焦燥、罪悪感、自己嫌悪、色々な負の感情が混ざった顔だった。唇をきつく嚙み、一粒の涙を流していた。
今はそれと対照的に少し慌てた表情はしているものの、穏やかな顔をしている。
他にも、あの時と違って瞳にハイライトが宿っている。殺気は全く感じられない。
そう、あの時とは違う。
それに、彼だって殺したくて私を殺したわけじゃない。彼だってこの世の理不尽さに嘆いていた。
わかってる。悪いのは、彼に命令した誰かだ。彼が悪いわけじゃない。彼だって謝っていた。
それでも――怖い。
「ごめん、なさい」
震える声でそれだけ言うと、走り出した。彼の制止も聞かずに。
彼が怖くて、頭では大丈夫と分かっていても体が拒絶する。
彼の傍にいたくない。私を殺した人の近くにいたくない!
頭の中に危険信号のサイレンが鳴り響く。
自分の荒い吐息が耳を打つ。
人とぶつかるのも構わず走った。
怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
恐怖でどうにかなってしまいそうだ。
胸が締め付けられたように痛む。舌がどんどん乾いて、耳に膜が張ったような違和感を覚える。苦しい。苦しい。苦しい。
周りの人から視線が感じられる。嫌だ、私を見ないで。今のこんな私を見ないで!
足を縺れさせながら、それでも一心不乱に走り続けた。
それだけ走ったか分からないけど、町の外れに来たことは分かった。遠くに賑やかな大通りが見える。
傍に入口があった薄暗い路地裏に入ると、漸く足を止めた。
息を整えようと崩れるように壁にもたれかかる。
少し薄汚れていたが、今はそんなことを気にする余裕もない。
小人たちと生活していたころは、切り株に座ることもよくあったし、元々そこまで気にするような性格ではない。
静かな路地裏に、私の吐息交じりの嗚咽が響く。深呼吸しようとしても、思うように息を吸えない。
思わずしゃがみ込んでしまった。
私は本当に弱い人間だ。
未だ震える体を抱くと、必死にこらえてるのに出てきてしまった一筋の涙を服の袖で拭った。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
帰省により四日ごろまで更新はお休みさせていただきます。
それでは皆様、よいお年を。