1 今日からお人形
ふと意識が浮上した。
周りを警戒しながら、ゆっくりと目を開く。
柔らかな日差しが窓から差し込んでいる。
状況確認のため周りを見渡すと、途端に心が重くなった。深呼吸を数回した後、気鬱な気持ちでため息をつく。
「また、戻ってしまったのね」
私は今、とても広くて豪華な部屋のベッドに横たわっている。豪華すぎて嫌いだった自室のベッドに。
このベッドには希少価値のある木材を使った骨組を使用していて、毛布には上質なシルクを使っている。これだけで十分豪華だ。
それなのに、他にもこの部屋にある家具—―例えば珍しいリンゴの形をした本棚、窓にかかっているクリーム色のカーテン、宝石が埋め込まれた壁など、どれも職人が作った特注のものばかり。
その金額は一般国民が気絶しそうなほど。
この家具に使う金をもっと政治に生かせばいいものを。
この国の政治を理解している私にこの部屋は、胃が持たない。
きっとこれからまた死ぬまでの二年間、胃薬を常備する羽目になるのだろう。
毎度毎度、頭を抱えたくなる。現実逃避したい気分だ。
それでも反吐が出そうな現実を見るために、心の中で目の前の事実を確認する。
この部屋は、私が五歳の頃使っていた場所だ。
ということは、また死に戻りしたのだろう。
ベッドから降りてクローゼットを開けると、たくさんのドレスがずらりと並んでいる。それの配置場所も覚えてしまっているのだから、もう苦笑も出てこない。
ドレスの中から適当なものを選んでハンガーを取った。
もうすぐ朝食の知らせが来るから、それまでに着替えておかなければならない。
ネグリジェを脱ぎ、ドレスに袖を通しながら心の中でまたため息をつく。
死に戻り直後はいつも憂鬱だが、今回は特にやるせない。
だって、今回は死からの目覚めが千回目なのだから。
千回目、というと、生きることを諦める期限の日。
何回死に戻りが繰り返されても、今度こそは生き抜いてやろうという思いがどこかにあった私は、それを諦めるために期限を設けたのだ。終わりのない希望と絶望を繰り返すのは辛いから。
そして、それが千回死から目覚めた日…つまり今日。
今日は、生きることを諦める日なのだ。
千回繰り返されたということは、きっと私はどう頑張ったって死んで、また五歳に戻るのだろう。
ならばもう、すべてを流れに任せた方が楽だ。
絶望は、希望を抱くから湧く感情。
なら今度は生きれるかもしれないだなんて希望を抱かなければいいだけの話。そうすれば辛さから解放される。
ようやくそう吹っ切った私は、軽く頬を叩いた。今までの私から切り替わるために。
心のもやもやとした霧が、少しだけ濃くなったような気がした。
私、白雪五歳(?)は、今日、生きることを放棄した。
死んだ後、一定の時間まで戻ることを私は死に戻りと呼んでいる。
そして、なぜか私は死に戻りをする。そうなる原因は本当にわからないし、心当たりもない。
死んでも死んでも、五歳に戻ることの繰り返しなのだ。
初めて死んだときはわけも分からずただ恐怖に震えていたが、それも三回目ぐらいまで。
今はもう、慣れてしまった。
――というと、少し語弊があるので付け加えておこう。
死ぬことには慣れない。何度死んでも、動物的本能が働いているのか恐怖を感じる。
でも、死から目覚めた後に発狂したり、引きこもったりしなくなった。そうしても無駄だと悟ったから。
簡単に言えば、ショックが少なくなったということ。
まあ、そうならないと今頃精神崩壊している。
焦りと怯えに満ちた眼の猟師に射殺されても、お義母さまに首を絞められても、石に躓いて崖から落ちても、森にいた男の人達にナイフで刺されても、あーあ、で終わる。
永遠に終わることのない人生。
ある意味不老不死ともいえるが、決して羨ましいだなんて言ってもらいたくない。
死ねないことは、ある意味死ぬことよりも恐ろしいのだから。
今まで私は、生きることを目標に生きてきた…というと、少しおかしい気もするが本当にそうなのだ。
しかし、死に戻り千回目の今、願いはただ一つ。
ちゃんと死んで天国に行くこと。
私はもう人生を飽きるほど満喫した。だから、もうそろそろ終わりたい。
けどたぶん、これは永遠に繰り返される。
私の人生に終わりなんてない。終わってもすぐ始まるのは、終わらないのと同じだ。
だから、ただそこにいるだけの存在としていよう。
生きてるか死んでるかもよくわからない、存在として生活しよう。
希望を抱かないで、感情を押し殺してしまおう。
まるで人形のようで、とても生きているとは言い難いものになろう。
そしたらきっと、悲しくも苦しくもなくなる。辛いのはもう嫌。
生きることを放棄、とは、すなわちこういうことを指している。
* * *
「白雪様、朝食の準備が整いましたよ~」
「そう、ありがとう。今行くわ」
「え…あ、はい」
朝食の知らせに来たメイドが、戸惑った表情で訝し気に私を見た。
勿論それは失礼にあたる行為なので、すぐにその表情は消して返事をしたが、その後もメイドの視線は私の顔に注がれている。
メイドがこんな可笑しな反応なのは、きっと私が無表情だったから。
感情をなくす訓練は、もう始まっている。
しかし、この前まで子供らしい話し方だった五歳児が、あんな口調で受け答えをするのは驚きだろう。
ずっと前のことなのでよく覚えていないが、きっと五歳程度の年齢だった私はいつもニコニコとしていたと思う。何が面白いのか自分でもわからないが、とにかく常に笑っていた。
でも、感情をなくすと決めた以上、笑うこともやめて無表情の仮面をかぶるつもりだ。
そしたらいずれ自然と感情もなくなるだろう。
そんな私の決心を知らない周りは、私が突然笑わなくなった気味の悪い子供だと思うだろう。でも、構わない。それでいい。
表情をなくせ。
メイドに案内され、埃一つない磨かれた廊下を歩きだした。