13 少しだけ、期待したい
――え、うぇ?
体が思うように動いていたら、そんな間抜けな声が出てしまっていたと思う。
しかし、今の私は時間が止まったかのように凍り付いていた。間抜けな声が出なかったのは良かったが、この状況は決して良いことではない。
脳が理解を拒絶して、反応ができなかった。それほどまでに私は焦っていた。ショックを受けていた。
自分でもわかるほど顔から血の気が引いている。
いくらなんでも気づくの早すぎよ。いきなり気づかれるなんて……。
どうして私の人生はこうも上手くいかないことばかりなのだろう。神という存在がこれほど恨めしく思ったのは久々だ。
期待した瞬間これだもの。
私の脳内に浮かび上がったのは絶望(特大サイズ)が手に持った希望(を抱いた私)を地面に叩きつけている様子だった。
そうだ。私はこのタグリス王国現国王の一人娘。エイル・アルヴィッタだ。
エイルとは、神話に出てくるヴァルキリーの名前。意味は慈悲や援助で、今私が一番欲しいものだ。無いもの強請りって、分かってるけど。
名は体を表すなんて言うけど、あれはただの迷信か何かだろう。
自分の名前を忘れているなんて少し特殊な感じがしていて悪くなかったのだが、まぁ思い出したほうがよかったのだろうし、カシオが名前を言ってくれたのはいい機会だった。
みんな私のことを白雪がお嬢様としか呼ばないため、みんなも忘れているのだろうけど。
とすれば、カシオは結構な博識となる。
みんなが忘れたエイルの名を覚えていたのだから。
それに、ただエイルの名を知っているだけでは私がそのエイルだとは気づかないだろう。
肖像画でも見たことがあれば話は別だが、この国では肖像画なんて貴族以外買えない。ので、白雪と呼ばれている事も頭に入っていなくてはならないのだ。
カシオに尊敬の目を向けそうになり、自分の今の状況を思い出した。
無駄なことばかり考えて、こんな状況なのに何をしているんだ私は。
いや、別に私がうろたえる必要性は全くないのだ。噓をついていたわけではない。責められることは何もない。後ろめたいことは何もないのだ。
言わなかっただけで、隠していたつもりも……ない、とは言い切れないが、それは聞かれなければ言わないつもりだったからであって、聞かれたらちゃんと答えるつもりだった。というのは、ただの言い訳だろうか。
一国の姫。貴族。ある人はそれを嫌い、ある人はゴマを擂って取り入ろうとし、ある人は恐れた存在。きっと彼らも、そんな認識に違いない。私を受け入れてくれたのは、ある小人だけだったもの。
だから言わなかったのだ。
折角、仲良くなれると思ったのに。
これ以上私を嫌いにならないで欲しかったのに!
「……だったら、何?」
どうやら突き放すしかないようだ。
絶対零度の眼で彼らを射貫き、見えない壁を作る。その纏っているオーラで相手に、暗に嫌いだと伝える。
悲しいかな、これで距離を置かなかった人間はいない。
まったく、どうしてこんないらない特技が身についてしまったものか。
突き放されるのは嫌。裏切られるのは嫌。嫌われるのは嫌。
なら、そうされる前に私がすればいいだけの話。
そうやって多くの人を嫌い、嫌われてきた。
もちろん、それが最低な護身方法だとはわかっている。でも、私が今まで突き放してきた人たちは、元々私が嫌いだった。ウィンウィン……とは少し違うかもしれないけど、そんなもの。
ならいいじゃない。
そう思う私は、きっと間違っている。
「――いや、白雪じゃなくてエイルって呼んだ方がいいんじゃねぇかと思って。あ、でもエイルはこの国の姫さんの名前かー。今のお前は姫さんじゃなくてただの女だもんなー」
「…………えっ」
声を上げたのは私ではなくフィリアルだった。
私といえば、放たれた言葉の意味が理解できず瞬きをしているだけ。だらしなく口も開けてしまっていた。
この人は、今、何を、言ったの?
「何テンプレ台詞言ってかっこつけてんの。わざとらしすぎてキモイの」
「酷いな!前から思ってたがお前俺に対して酷いよな!反抗期か!?あとテンプレなのはこのお姫さんの設定もだろ!」
て、てんぷれ?それになぜ私の話も出てくるの?
目をぱちくりとさせる。今の私の頭の周りには、疑問符が三つほど飛んでいるだろう。
しかし、相変わらず遠慮のないやり取りに、漸く私の思考は回路を走り出した。
もしかして、カシオは、私を一人の人間として見てくれている?嫌わないでいてくれる?
それは、どうして?
小人には貴族も何も、そもそも位というのが存在していなかったけれど、彼らは違う。
きっと、嫌な貴族も見てきただろうに。私の義母だって横暴な人だ。それなのにどうして軽蔑しないのか、わからない。全くもってわからない。
彼らが他国の貴族だというわけでもないだろう。貴族が商人をするなんて有り得ないし。
それなのに。
「どうして」という四文字が脳内を支配するが、そんなの私にわかるわけがない。私は考えるのを放棄した。
でも、純粋な嬉しさは消えることなく胸を温かくした。
それと同時に、冷たい目を向けてしまったことに罪悪感を覚えた。
彼らは嫌わないでいてくれた。それなのに、私は勝手に被害妄想をして、決めつけて、突き放そうとした。そんな汚い考えを持ってしまった。それが申し訳なかった。
彼らとなら、小人たちのように、くだらないことで一緒に笑えるだろうか。一度でいいから歯を見せて、お腹が痛くなるまで一緒に笑える笑い転げてみたいものだ。
もしかしたら、貴族なんて立場かなぐり捨てて、木に登ったりして遊んで、愚痴を垂れたり、屋台で買った食品を食べ歩けるかもしれない。
あーあ。何度も絶望を見てきたのに、また希望を持ってしまった。
でも、今は期待していたい。ちょっとだけ。今まで頑張ったのだから、ちょっとぐらい期待しても罰は当たらないだろう。
辛くても、苦しくても、自分で期待して、それで失望するなら、それでもいいと思った。
退化したのか、成長したのか、私にはわからない。