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9 噓で彩る馬鹿の人生

 感情を封印したなんて噓。


 感情をなくすなんて、できない。どう頑張ってもできなかった。

 平常心を保とうとしても、心の底から湧き上がる歓喜を、恐怖を、抑えることはできなかった。

 それでも感情がないと思い込めば、いつかなくなるんじゃないかって期待してた。期待してる時点で、感情なんか消せるはずもないのに。


 死に戻ることに慣れたのも噓。


 毎回死ぬ瞬間に恐怖が沸き起こって、死を受け入れるなんてできなかった。それどころか、死にたくないという思いがどんどん強まっていった。

 五歳に戻ったベットの上で深呼吸して、早まった心臓を必死に宥めてた。泣き喚いてメイドを心配させていた。


 諦めたのも噓。


 心のどこかでまだ思ってる。本当は生きたいって。

 しわくちゃのお婆ちゃんになるまでまで生きたいって。

 生きて、普通に友達を作ったり、恋したい。幸せな家庭を築きたいって。


 全部全部噓。


 本当は、本当は――


「おい嬢ちゃん、こんなところでどうしたんだ?」


 はじかれたように顔を上げた。


 いつの間にか目の前に男が立っていた。男はしゃがんだ私を見下すように眺めている。

 背筋にぞわっとした悪寒が走った。なんだか落ち着かない。


 汚れた身なりで、生理的嫌悪を催す下品な笑いを顔に浮かべている目の前の男。

 直感的に理解した。この人は、悪い人だ。


 さっきまで熱かったお腹が底から急激に冷えていくような錯覚に陥った。


「迷子か?こっちにおいで。俺たちが案内してやるよ」


 目の前の男とは違う声が今度は話しかける。男の斜め後ろにいた。

 そこで漸く自分が取り囲まれていることに気がついた。


 私を取り囲んでいるのは、全員男。皆下品な笑いを浮かべ、にじり寄ってくる。


 これが、集団リンチ?いや、違う。


 とにかく護衛を呼ぼうとしたが、先ほど人に流されてしまったことを思い出す。

 その上大通りから外れたこんな場所へ来てしまったのだ。ここは人通りも少ない。


 きっと彼らはここまで来られないだろう。


 焦る。

 同時に、不安が胸をよぎった。


 このままこの人たちに捕まってしまったら、私はどうなるのだろう。


 集団リンチというのは殴られるだけらしいが、この人たちは恐らく人身売買の関係者だろう。

 お義母様から彼らの手口や身なり、特徴などを耳が痛くなるほど聞かされた。だからなんとなく目の前の男たちが身売りの関係者だと分かる。


 ならば、下手に抵抗すれば殺されてしまうかもしれない。

 しかし売られてもその先で過労死させられるだろう。


 ……ということは、どう頑張っても死ぬしかないの?

 

 今まで客観的に分析していた脳が、感情に支配される。底なしの恐怖という感情に。


 また……また殺されるの?こんなに長生きできたのに。せっかくここまで生きられたのに。今度はこんなに長生きできないかもしれない。

 まだ友達は一人も作れてないし、素敵な恋愛もしてないのだ。こんな未練たらたらの状態で、死ぬ?


 嫌だ。死にたくない。もう死ぬなんて御免だ。

 体も心も死を拒絶している。


「おい、こっちに来いって言ってるだろ!」


 初めに私に話しかけた、男性にしてはちょっと長めな髪を持つ男が苛立ったように怒鳴る。

 さっきまでフレンドリーに話しかけていたのに、化けの皮剝がれるのが早すぎて少しだけ驚く。


 恐怖が少しだけ薄れたので、何とか相手の眼を見て拒絶の言葉を放つことができた。


「……嫌です」


「ああ?」


「嫌です。どうせ私を売るなり殺すなりするんでしょう?」


 先ほどより声を張り上げて、けれど静かに問う。


 細めた眼に男たちの顔が映る。

 皆汚れた服を着て髭は伸び放題の、まともな生活が遅れていないことがよく分かる格好をしている。


「ほう、分かってるじゃねぇか。賢い女は嫌いじゃないぜ」


 今まで黙っていた一番体格のいい男性がにやりと口の端を上げた。

 おそらく彼がこの男たちのリーダーだろう。纏っている雰囲気からして他とは違う。


「それはどうも、そこを退いてください」


 それだけ言って路地裏から出ようと男を押しのける。しかしびくともしない。

 何か武術でも習っていればよかったと後悔するが、時すでに遅し。せめて毎日白中を歩き回るなりしていれば良かったのだろうが、今の私の体力は六十代のおばあちゃんレベルだ。


 それでも抵抗する意思を見せつけるために男たちを睨みつけた。


「退いてください。邪魔です」


「……もうちったぁ賢いと思ったんだがなあ」


 残念そうに呟き、ほかの男たちに目配せをした。すると、私の両腕を二人の男がそれぞれ掴んでこようとした。

 その手をはね退けるが、いかんせん数が多い。後ろから近付いてきた男にあっという間に行動を制限される。


「っ離して!」


 必死にもがいても、相手は男。この体格差じゃどうにもならない。

 けど、それは想定内だ。


「嫌!」


「おとなしくしてろ、その腕折るぞ」


「ぐっ……」


 悔しそうに歯噛みをして、震える拳を握り締めた。男たちのリーダーだと思われる男性をねめつけながら。

 が、暫くしてその手をだらりと下げた。諦めたように顔も俯ける。


 数人の乾いた笑い声が聞こえた。侮辱されたような気がして、静かな怒りが湧く。

 そのせいで体が震えてしまったが、それを悲しみのせいと勘違いしたのか同情的な視線も突き刺さった。


 きっと、彼らもこうして女の人を売ってお金を稼がないと、生活ができないのかもしれない。

 お腹をすかせた家族が待っているのかもしれない。


 でも、ごめんなさい。私だって、もう死にたくないの。


 長く伸びた黒髪の隙間から、大きなごつごつとした手がこちらに向かって伸びてくるのが見えた。


 ――今だ。


「きりすてごめん!」


 昔商人に教えてもらったよくわからない言葉とともに、ポケットに隠し持っていた鋏をその手に突き刺した。

 少量の血があたりに飛び散った。


「ぐあぁっ!」


 男性は痛ましい声を上げて手を抑えた。

 よろめいてバランスを崩し、その拍子にゴミ箱にぶつかった。

 ゴミ箱が倒れて蓋が光の先へ転がる。ゴミは路地裏中に散らばり、虫の羽音がして数匹のハエが集りだした。


 男の抑えた手から、零れた血が地面に滴り落ちる。


 男たちはリーダーのその姿に気を取られたようだ。


 今のうちに逃げて人を呼べば、助かるかもしれない。

 そんな微かな希望をもって路地裏の出口を目指して走り出した。


 しかし、私は忘れていた。


 自分の体力が、お義母様ほどではないが少ないことを。

 今日はたくさん歩いた上走り回ったことを。


「あ……」


 光に指先が触れる直前、限界を迎えた足から崩れて落ちた。

 足がつった上、がくがくと震えて立てる状態じゃなくなったのだ。


 これほど私の体力のなさを恨んだ事はないだろう。


「なんで、やだ、あともうちょっとじゃない。動いてよ……動いてよ、ねぇ」


 足を叩くが効果なし。腰も抜けてしまい、完全にここから逃げることが不可能となった。


 前に伸びた私の陰の後ろに、大きな影がいくつも見える。

 振り返ると案の定、凶器を持った男たち。


 大きく見開いた目から、何かが落ちた気がする。

 そんなこと気にならないぐらい、目の前の恐怖に怯えた。



 馬鹿だなぁ、私。また希望を持って絶望して。

 無理だと分かってても期待し続けるなんて、馬鹿の極みだ。


 あーあ、ゲームオーバーか。


 最後まで気づくことなく、目を閉じた。

あけましておめでとうございます。

本年もこの作品を宜しくお願い致します。


新年だからというわけではないのですが、今回もだいぶ長めになりました。

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