第8話 邂逅
少年の耳に最初に届いたのは小さな雑音だった。
それは次第に大きくなり、遂には聞き覚えのない男の低い呼び声に変わり、少年を呼び覚ます。
「誰だよこんな時間に大声出して・・・
近所迷惑だよ・・・」
「おお、少年! やっと呼びかけに応えてくれたな!」
眠そうに文句を言うが、男の声には喜びの感情が多分に含まれ、自重してはもらえなかったようだ。
「すんません。声が大きいんで、
もう少し抑えてもらえませんか?」
相手が大人のようだと判断したのだろう。少年の口調が少し丁寧なものへと変わる。
「ああ、すまない。年甲斐も無く些か興奮してしまったようだ。
私の名前はチャールズ・グリムと言う。
君の名前はリンネ・テンドゥで合っているかな?」
そう呼ばれた少年、輪廻は驚きと共に訝しげな視線を男に向ける。
「名前は多分合っていると思うけど、あんたは誰なんだ?
俺の知り合いにはチャールズなんて名前の知り合いはいないんだが・・・
グレイとしての知り合いか?
いや、輪廻 天道って言ったって事は、俺の前世を知ってるのか?」
男への返答と共に疑問を呈しつつ、現状を把握しようと考えているのだろう。途中から独り言のようにブツブツと口走る輪廻をチャールズは困ったような顔をして見詰めた後、輪廻に声をかけ、頭を下げる。
「今の状況を把握できてはいないだろうが、まずは謝罪させてもらおう。
リンネ・テンドゥ。君を巻き込んでしまい本当に申し訳ない」
そう言って頭を下げ、謝罪の意を示すチャールズに戸惑う輪廻。
「何を謝ってるのか、よくわからないんだってばよ?!」
大分テンパってきている輪廻にチャールズは落ち着いた声で話しかける。
「申し訳ない。 君には突然の事だっただろうからまずは説明をしなければいけないな」
「何の説明?」
「それはこれから話そう」
そう言うと頭を下げていたチャールズは顔を上げ、輪廻に今までの経緯を話し始めた。
「なるほどね、そう言う事だったのか・・・」
「本当に申し訳ない」
「いや、謝る必要は無いですよ。どちらかと言うと俺の命の恩人なんですから、こちらから『ありがとうございます』と言わせてください」
「いや、しかし・・・ それでもこれからの事を考えれば圧倒的に迷惑をかけるのだ。本当に申し訳ない」
そう言って謝罪するチャールズを輪廻はどうしたものかと眺めていた。
チャールズの話を聞いた輪廻は彼が謝罪する様な事はしていないと感じたからだ。
そもそも咄嗟に小学生を助けようと車に飛び出したのは俺だ。
本来ならそのまま死んでいたんだろう。それをチャールズさんが助けてくれた。
ただそれだけの話だ。
まぁ、その結果、大変な事に巻き込まれたようだが、命の借りを返せると思えば丁度良いか。
それより、俺が憑依しているグレイさんに申し訳ないと思っちゃうよ。 新婚なのに・・・ あんな綺麗な奥さんが居るのに下手をすると数か月もの間他人が自分の振りして接するなんて・・・ どうしよう。
そんな感じで転生ではなく憑依であったことを知った輪廻もまた罪悪感に悩まされていた。
そんな状況を変えたのはチャールズの一言だった。
「少年。君を巻き込んでおきながらこんな事を言うのは図々しいと承知してはいるのだが、私の世界を、人類を救う為に協力してくれないだろうか?
協力してもらえるのであれば私が出来得る限りの見返りを約束しよう。君が私の死を望むのであれば、世界を救った後、喜んで君に殺されよう」
悲壮なまでの決意を込めたチャールズの言葉に輪廻は慌てて応える。
「いやいやいや、別に死ぬ必要ないですから! それに協力はさせて貰いますよ! 俺からしたらチャールズさんは命の恩人なんですから!」
「そ、そうか。協力してくれるか、少年。ありがとう」
輪廻の協力を得られたチャールズは安堵し、表情を和らげる。
「それより、その『少年』って言うのやめて貰えませんか? そのぉ・・何か子供扱いされているようで落ち着かないんですよ」
「それはすまなかった。 では『リンネ』と呼ばせてもらうが、構わないか?」
「ええ、それでお願いします」
「それでは私の事も『チャールズさん』ではなく、『チャック』と呼んで貰えないか?」
「『チャック』ですか?」
「ああ、親しい友人からはそう呼ばれていたのだ」
懐かしそうに微笑むチャールズ・・いや、チャックを見て輪廻もそう呼ぶことを決める。
「わかりました。それじゃぁ、チャック。これからよろしくお願いします」
そう言って右手を差し出す輪廻。
「あぁ、よろしく頼む」
そう言って輪廻と握手を交わすチャック。
こうして世界を救う彼らの戦いが始まった。
「それでリンネ。単刀直入に聞くが、そっちは今どういった状況か教えて貰えないか?」
握手を交わした後、チャックが早々に輪廻の近況を心配する。
それに応える輪廻は思い出したように状況を語る。
「あー、そうだった。今、かなりやばい状況なんですけどね、実はですね、えーっと、アストレア王国のアーリアの森ってわかります?」
「なんだと! そこは人魔戦争で最初に滅んだ国じゃないか。 しかもアーリアの森は戦端が開かれた事で有名な魔の森だぞ?!」
チャックの剣幕に一瞬呆然となる輪廻であったが、なんとか続きを伝える。
「えーと、今俺、その森で絶賛迷子中でして・・・ モスクの街を目指して移動中なんですよ。 あ、それと、今俺グレイって呼ばれてます。『グレイ・サイクス』って、知ってます?」
「グ、グレイ・・・グレイ・サイクスだと?! 『亡国の復讐鬼』じゃないか!」
そう言ってチャックはグレイの素性を語る。
~グレイ・サイクス~
彼はチャックのいる現在では『亡国の復讐鬼』や『怒れる狂戦士』、『戦場の死神』とも言われていた。
人魔戦争・・・魔族や魔物との戦争の初期から中期にかけて活躍した人物で、彼は巨大な剣を振るい、その剣でドラゴンすら切り殺したと言う。
また、類稀な指揮能力も持っていた為、指揮官としても優秀で、戦力が倍以上いた魔王軍を翻弄し、勝利を収めた事も1度や2度ではなかった。
普通なら英雄と呼ばれるほどの戦果を上げてはいたが、彼はそう呼ばれることは無かった。
何故なら、彼は守る戦いを一切しなかったのだ。
と言うより、復讐を果たすことを第一とし、味方の被害を顧みなかった。
それどころか己自身の命すら顧みない戦い方を実践していた。
その為、熾烈な戦いが多く甚大な犠牲を出すことも珍しくなかった。
そんな彼の戦いぶりは魔族だけでなく味方すらも恐れさせたと言う。
そんな彼が復讐を誓った相手は五大魔人将と呼ばれる内の一人、炎魔人将『ラグナ・ディチ・ムーア』だ。
グレイは並々ならぬ憎悪を炎魔人将に向けていた。
理由を語ったことは無かったが、その憎悪の深さと激しさは常軌を逸していた。
そうして戦い続けていた彼はついに念願の復讐を果たす機会を得る事となる。
当時、ボロミア聖王国の最前線で指揮を執っていたグレイはサルーウィン平原で魔族を撃退し続けていた。
人魔戦争の最中では珍しい事に、サルーウィン平原ではボロミア聖王国が有利に戦局が進んでいたのだ。
指揮者がグレイであった為、損害も大きかったが、戦果は絶大で、僅かずつではあったが、戦線を押し戻し始めていたのだ。
そして、魔族側は戦線が押し戻されているのを忌々しく思っていたのだろう。
ついに五大魔人将の1人である『炎魔人将ラグナ・ディチ・ムーア』が投入され、後の世に『サルーウィンの決戦』と呼ばれる激しい戦いが始まった。
序盤はグレイの策が嵌り魔王軍に甚大な被害を与える事に成功したが、業を煮やした炎魔人将が前線に出て来ると戦局は一転した。
グレイの策は優れていたが、圧倒的な力を誇る炎魔人将はその策を力技で尽く潰していったのだ。
そして勢いを取り戻した魔王軍にボロミア聖王国側が徐々に押され始めたのだが、それも実はグレイの策の内だったのだ。
グレイは魔王軍を滅ぼすのではなく、炎魔人将ただ1人を討つ事を優先させたのだ。
炎魔人将を消耗させる。 この1点にのみ全力を尽くして策を弄したのだ。
そしてグレイの思惑通り炎魔人将は策を破る為に魔力を消耗した。
グレイは頃合を見計らい、自ら炎魔人将との一騎打ちを申し出る。そうして凄絶な一騎打ちが始まった。
結果だけを記すと、彼らは3日3晩戦い続けた後、グレイと炎魔人将は相打ちとなった。
そうして彼の最後は凄絶なものになったが、この出来事が人類にとっては大変な痛手になった。
グレイ・サイクスは確かに味方の被害を顧みる事は無かったが、被害に対して数倍から数十倍の戦果も上げていたのだ。
褒められた戦い方ではないが、『敵の排除』と言う意味において非常に優れた存在であったのだ。
『サルーウィンの決戦』までは幾つか国が滅んではいたが、まだ人類は戦線を維持することが出来ていた。
だが、優れた指揮官であったグレイが欠けたことでボロミア聖王国の戦線が徐々に押され、人類は北へと押し込まれ始めたのだ。
ボロミア聖王国は他国へ援軍を求めたが、その時代には各国が熾烈な戦いを強いられており、援軍を出す余力がある国など存在しなかった。
そして『サルーウィンの決戦』から1年も経たずにボロミア聖王国は滅んだ・・・
ボロミア聖王国が滅んだあとは、ボロミア聖王国を攻めていた魔王軍が隣国に侵攻。 そして戦線を支えきれなくなった隣国も滅び、後は連鎖的に国が滅んで行った。
そうやって人類は滅びの道を辿ることになったのだ。
「めちゃくちゃ重要人物じゃないか?!」
驚きの声を上げたのは話を静かに聞き続けていた輪廻だった。
「ああ、そうだ。だが、私の願いを叶えようとした場合、彼が転換点として選ばれるのは当然と言えよう」
チャックはそう語る。 確かにこれだけ戦局に大きく貢献した人物であれば、彼の過去を変える事で人類を救える可能性が出て来るのは間違いないだろう。
「確かにそうだけど・・・ でも、なんで戦場じゃないんだ?」
「ふむ、確か、今いるのはアストレア王国のモスクの街だったな?」
「えぇ、そうです。グレイはどうもそこの領地の貴族でした」
「ふむ」
そう一言漏らすと、チャックは何かを思い出すように思案に耽る。
「人魔戦争の始まりはアーリアの森からアストレア王国に魔王軍が侵攻した事から始まったんだ。リンネ、君がいるモスクの街とアーリアの森は近いのか?」
「近いですね。と言うか、アーリアの森に対する砦に作られた街なので隣接しているようなもんですよ」
「そんなに近いのか?」
「えぇ」
「ふーむ」
そうしてまた考え込むチャック。
人魔戦争の始まりはアーリアの森からの魔族の侵攻だ。
そしてグレイは貴族で、アーリアの森近郊の領主。
「あのー、チャック? 何を考えてるんですか?」
「いや、この第一の試練の成功条件を考えていたんだ」
「そんなの簡単じゃないですか、アーリアの森から魔王軍が侵攻して来たって事は、返り討ちにすることが条件と見るべきですよ」
「それはそうなんだが、従来の歴史では返り討ちにできなかったから人魔戦争が始まったんだよ。前回と同じ戦力じゃ負けるって事だよ。 それを打開する為の情報が欲しい所なんだが、リンネは今アーリアの森の中なんだろう?」
「え、えぇ・・・」
チャックの質問に暗い顔になりながら輪廻が答える。
「まぁ、まずは現状打破と行こうか。まずはアーリアの森からモスクの街に帰還するとしよう」
「お願いします!」
そう言って勢いよく頭を下げる輪廻。
「おっと、そうだ! 忘れるところだった。リンネ、申し訳ないが、精神経路を繋げてくれないか?」
そう言って手を差し出すチャック。
「パス?」
キョトンとした顔で聞き返すリンネに、チャックが説明する。
「あぁ、精神経路を繋げると、私と君が精神的に繋がれることになるんだ。簡単に説明すると、君が見たものや聞いたものを私も見れるようになるんだ」
チャックの説明に更に顔を顰める輪廻。
「どういう事ですか?」
「うーん。どう説明したらいいんだろうな・・・
えーと、簡単に言うと、君の近くに精神体になった私が存在することが出来るようになるんだよ」
その答えを聞き、輪廻は自分の中で噛み砕いて解釈する。
「それって、チャックの幽霊が近くに居るようになるって事ですか?」
「幽霊? まぁ、そんな様なものかな」
「なるほど、わかりました。それって何か制約とかあります?」
「あぁ、えーと、確か、
1.私は君以外には見えないし、私の声も君以外には聞こえない。勿論気配を感じる事もない。 仮に君が私に話しかけている所を見られると、奇妙な独り言を言っている様にしか見えないから注意が必要だ。
2.私は君以外に接触することが出来ない。君以外の人や物に触ることが出来ないって事だ。
3.私は君から30メートル以内にしか存在できない。移動しようとしても見えない壁に阻まれるようになっているそうだ。
4.私が寝ると、君から私を見ることが出来なくなる。
5.一旦精神経路を繋ぐと両者の合意が無い限り精神経路を切ることが出来ない。
6.私の魔法は大半は使えないが、回復や身体能力・防御に関する魔法は一部だけだが君にのみ作用するらしい。
この6つだったかな?」
思い出しながらチャックが説明する。
それを聞いた輪廻は少し嫌そうな顔をして考えていたが、意を決すると聞き返す。
「あのー、トイレやプライバシーは守って貰えるんですかね?」
「あ、あぁ、その時は言ってくれ、離れてるから」
「まぁ、それなら、お願いします」
そう言って輪廻はチャックの手を取り、精神経路を繋げた。
これにてストックが尽きました。
が、頑張って次話書きます。