第6話 チャールズ・グリム 1
私の名はチャールズ・グリム。
世界を変える禁断の魔法《十二の試練》を実行した男だ。
しかし今、私は困惑を隠せない。
《十二の試練》は成功した。それは確信を持って言える。が、魔法が発動した瞬間。私の精神が肉体より抜け出る感覚に襲われた。
その感覚を説明するならば、精神系魔法の幽体離脱に近い感覚だろうか。起きたまま夢を見る様な、そんな不思議な感覚だ。 そんな感覚に襲われた直後、意識がかき乱され、視界が暗転したかと思うと、目の前には見知らぬ風景が広がっていたのだ。
そこは、何と言うか、ひどく現実感がない世界であった。 地面は硬い石のような、煉瓦のような人工物で覆われ、自然を拒絶しているようにも見える。
いや、所々に木々が散見できる・・・と言う事は、人工的に調和を図っているのだろうか・・・
建物も天に聳えるようなものが幾つも所狭しと建ち並び、とても人が作り出せる物とは思えない。
ここは神の世界なのだろうか? ならば運命神とでも言うべき存在を探せば良いのだろうか・・・
そんな事を考えていると、一人の少年が歩いているのが見えた。年の頃は十代半ばと言ったところだろうか、黒髪黒目に黒い上下の衣服を身に着け、全身黒ずくめ、何かの宗教服なのだろうか?
私はその人物の見た目の奇抜さも然ることながら、この世界の人物に好奇心を引かれ、引き寄せられるように少年に近付くと彼の正面に立ち声を掛けた。
「突然で申し訳ないが少年。少々聞きたい事がある」
そう声を掛けるが、彼は私を無視して更に近付いて来ると、私の前を素通りして行く。
見えていない? いや、聞こえてもいないのか?
私は試しに彼の肩に手を掛けるが、私の手は彼の肩を透過し、肩を掴むことが出来なかった。
そこで漸く思い出す。 私は精神体となっているのだ。普通の人間には見る事も触る事も出来ない。
すっかり忘れていたが、そうなるとどうする事も出来ないので、とりあえず興味を引かれた少年に付いて行く事に決めた。
どうしてかはわからないが、私の直感が告げていたのだ。 『その少年に何かある』と・・・
少年はその後、何と言うか、子供たちの遊び場とでも言うのか、遊具がある拓けた場所で子供とボール遊びに興じていた。
どうも手を使わず足でボールを蹴るのがルールのようだが、私にはよくわからない。
その中でも少年は曲芸師のように器用にボールを操っていたが、体力はあまり無いようで、少しすると、子供にボールを取られ負けてしまったようだった。
その後も少年は子供にせがまれる様にボールを使った曲芸を披露していたが、中々見ていて面白いものだった。 私もこんな状況でもなければ純粋に楽しめたかもしれない。
思いの外穏やかな時間に思えたが、事件は少年と子供の別れ際に起きた。
どうも子供が少年の真似をしようとボールで練習をしていたのだが、それが逸れてしまったようだ。
ボールを慌てて追いかける子供。 それに少し遅れて気付いた少年は慌てて追いかけ始める。 ふむ、どうしたのだ?
そう思い少年の視線の先を見ると、その理由に思い当たった。
馬の付いていない馬車の様な黒光りする金属の箱のようなものが物凄いスピードで今にも飛び出そうとしている子供に迫っていたのだ。
私も慌てて防護の魔法を唱えるが、それより先に少年が子供を突き飛ばし、金属の箱の進路上から遠ざける。だが今度は子供と入れ替わりになるように少年が飛び出していた。このままでは少年が危ない。
私は防護の魔法を少年へと掛けると、少年を守る様に薄っすらとした膜が少年を包む。
それを見て私は愕然とした。 普段の威力の百分の一もない、なんと弱々しい防壁なのか。 ありえない!
そして金属の箱が私の魔法を呆気なく弾き飛ばし、そのまま少年を跳ね飛ばす光景を見せつけられた。
それは、まるで私には世界を救うどころか、ただの少年一人を救う事さえできない。非力で矮小な存在であると、まざまざと見せつけられた気がした。
私は又、取り零してしまった。
何と無力なのだろうか。 世界を救わんと禁術にまで手を出した私が、少年一人も救えないなど、笑い話にもならない。
そうして自責の念に囚われている私の横に黒光りする金属の箱が止まると、中から頭の薄くなった男が慌てたように少年へと駆けよるのが見えた。
中年男が必死に何度も呼びかけると、少年から呻き声が漏れ聞こえた。
少年は生きている!
そう思った時には既に行動に移していた。
まだ救える! 間に合うかもしれない。いや、間に合わせる!
その思いと共に決して得意とは言えない回復魔法を少年に掛ける。
しかし結果は先程の防護の魔法と同じく、普段とは格段に威力が落ちている。その事実に先程と同じように打ちのめされそうになる。
だが、ここで少年を死なせてはいけない! そう私の心が訴えている。
ここで諦めてはいけない。私は世界を救うのだ。世界を救わんとする者が、少年一人救えないなど、あってはならない!
今、精神だけの存在である私でも、格段に威力は落ちていても、確実に魔法は使えているのだ。
一回でダメなら何度でも掛ければいい、治るまで掛け続ければいいのだ。例え魔力が尽きようと、魂をすり減らしてでも救うのだ!
そうしてどれだけの時間が経っただろうか・・・、気付くと先程の黒い金属の箱の横に今度は白い金属の箱が止まり、中から複数の白い服を着た男達が少年へ駆け寄り、見た事も無い道具を少年に取り付ける。
その光景を呆然と見ている内にも、彼らは少年を白い金属の箱の中に運びこむと、けたたましい音を立てながら白い箱が走り出す。
「ま、待ってくれぇぇぇぇぇ!」
私は慌てて追いかけるが、全く追いつけなかった。
それでも走り去ったであろう方角へと走り続ける。
それでも全く追いつけず、私の体力が限界を告げ、大地に突っ伏すと、私の上から声が聞こえた。
『相棒の獲得に成功。
これにより請願者としての資格を獲得しました。
これより請願者の望みを検索します』
そんな声が聞こえたかと思うと、世界は暗転した。
次に私が目を覚ますと、そこは奇妙な空間だった。
空間そのものは薄暗いが、薄く光っている記号だとか、何処とも知れない景色が切り取られたパネルのような何かとか、とにかくそう言ったものが彼方此方に飛び回り、辺りを照らしているので周りが確認できないというわけではない。
そう言った感じで目まぐるしく変わる周りの景色に暫し呆然としていたが、少し離れた場所に横たわる少年を見付けた。
私は少年に近寄ると、驚くことに少年の姿は半透明になっており、私同様、精神体の様な存在になっていた。
私は慌てて声を掛けようとすると、またしても声が聞こえた。
『検索終了。これより請願者の願望達成が可能な十二の転換点を検索します』
一体なんだと言うのか、これ程奇妙な魔法とは思わなかった。 これから私はどうすれば良いのか。
そう途方に暮れそうになったが、横たわる少年が視界に入ると、彼に声を掛ける事にした。
「少年、大丈夫か?」
暫らく様子を伺うが、少年からの返事は無い。と言うより起きる気配はない。
精神体であると言う事は、生死不明ではあるが、精神は、魂は残っていると言う事だ。
状況を少しでも把握する為に少年の覚醒を促したいが、精神体に干渉する魔法と言うのは、ほとんどがあまりよろしくない使い道のものばかりで、苦痛を与えるものや支配するもの。或いは魅了・幻惑するもの等、掛けられる方には堪ったものではない効果のものばかりだ。 それ以外で言うと伝心の魔法くらいだが、こちらは相手の許可がいるので今の少年には使えない。
伝心の魔法とは、お互いの精神を繋げる魔法で、相手が許可した場合、遠くに離れていても意思疎通が出来る。普通に会話ができない相手、例えるなら魔獣や精霊・幽霊であっても、この魔法を用いる事で意思疎通が出来るので、魔獣使いや精霊使い等、人ならざる者と係わる者達にとっては必須の魔法と言われている。
中々に便利な魔法ではあるのだが、この魔法には2つ。重大な欠点があるのだ。
1つ目は、この魔法による意思疎通では『嘘を吐くことが出来ない』と言うものだ。
その為、権謀術数渦巻く貴族社会や政治等ではこの魔法が忌避される。
2つ目は、この魔法で精神が深く繋がり過ぎると、精神の融合が起こる。
これはお互いの自我が混ざり合い、自他の認識が曖昧になってしまうのだ。 精神が完全に融合してしまうと一つの精神体になる為、2人の内、どちらかの肉体が制御できなくなり、死に至る。
また、融合した精神に対し、肉体が耐えられなくなるので、生き残った肉体も長く持たず、死んでしまう。
と言う事で、結局死んでしまうのだ。
この現象は未熟な者が起こし易い事故だが、熟練者でもそうならないとは言い切れない。危険な魔法でもあるのだ。
勿論、魔法を極めたと自負する私はそんな失敗はしないのだが。 少年に意識が無いので、結局この魔法も使えない。
さて、どうしたものか。そう考えていると、またもや声が降ってきた。
『検索終了。これより請願者の願望達成の為、転換点への介入を始めます。《十二の試練》が壱。発ど「ちょっと待ってくれ!」・・・請願者からの制止を確認。 制止の理由を求めます』
突然少年が光に包まれ始めたので、咄嗟に声を出したのだが、以外にも会話が成立し、少年からも光が消えた。 私は胸を撫で下ろしつつ質問をした。
「申し訳ない。突然の事だったので、咄嗟に止めてしまったのだが、これから何をするのか、出来れば具体的に教えて貰えないだろうか?」
『了解。 これから請願者である貴方の願望達成の為、《十二の試練》を発動します。』
「重ね重ね申し訳ないが、それだけではわからないので、もう少し詳しく説明して貰えないだろうか?」
『了解。 貴方の願望達成に必要な転換点を十二か所選別し、転換点へ介入する準備を整えました。なので貴方に選ばれたそこの少年。《天堂 輪廻》を転換点へと送り、過去の改変を促します』
「私が選んだ相棒?」
そう言われ、少年に視線を向けるが、少年は変わらず眠っている。 私は慌てて声の主に質問する。
「どういう事だ? 私は彼を選んだ覚えはないぞ!」
『質問の意味が分かりません。貴方はその少年を救う事で縁を結びました。よってその少年が選ばれたと判断』
私は絶句する。 まさか、少年を救う事で、私の試練に巻き込んでしまうとは・・・
「申し訳ないが、転換点に送るのは私にして貰えないだろうか?」
『不可能。 貴方では過去を改変できない』
「どういう事だ?」
『同じ世界に存在するものでは、あなたの望む未来へと過去を歪めることが出来ない。貴方が過去へ介入した瞬間。貴方の知る未来へと世界が突き進む。例え経路が変わろうと本筋は変わらない。それが世界の意志となる』
私では世界を変えられないと言う事か!? その言葉に絶望しつつも、他の手を考える。
「私にできないのであれば! 私の仲間ではどうか!?」
『貴方の時と同じ、結果は変わらない。あなたの望みは叶わない』
「ならば何故その少年なら変えられると言うのだ! 何の関わりもない。平和そうな世界で暮らしていた無関係の少年に!」
私は、怒りに震える声と怒声で唾を飛ばしながら絶叫する。
『解。 その少年は《異なる世界のもの》だから。こちらの世界には存在しないから。その少年が介入することで現在が揺らぐ、確定した現在を歪ませることが可能になる』
その言葉を聞き、自分の無力さに絶望する。
「では、私は・・・ 私には何も出来ず。 私が巻き込んでしまった少年に重荷だけを背負わせて。 その結果をのうのうと享受しろと言うのか・・・」
項垂れる私に声が届く。
『否定。貴方はその少年の補助を担う事になる』
その言葉に私は顔を上げ、声のする上を見上げる。
「何をすればいい? いや、何をするのだ?」
『請願者は己の願いが叶うよう、相棒に情報を提供、もしくは行動を提案する事が可能。ただし、実際に行動に移すのは相棒であるその少年。なので、請願者の思い通りに動くとは限らない』
「つまり、少年へ事情を説明して人類滅亡の危機を救えばいいと、そう言う事なのか?」
『肯定。 それでは実行に移ります。《十二の試練》が壱。は「待った!」・・・請願者からの制止を確認。 制止の理由を求めます』
「こんな重要な事を今までの、えーっと、請願者には説明していなかったのだろうか?」
そんな疑問を口にすると、無機質な声が回答する。
『否定。 通常は壱の試練発動後に請願者が落ち着いたのを確認し、説明を行います』
・・・そう言う事か、事態が推移している最中は何が起こったのかと混乱していても可笑しくない。そんな中で説明しても十全に理解する事は難しいだろう。
なので先に事を進めて、相手が落ち着くのを待ってから理解してもらうと言う事だったのか。
どうやら私がせっかちだったようだ。
「申し訳なかった。あと、その少年とはどうやってコンタクトを取れば良いのだろうか?」
『伝心の魔法と同じように相手に呼びかけ、相手が受諾した場合、意思疎通が可能となります』
「精神融合の可能性は?」
『ありません。また、嘘を吐く事も出来ません』
「ありがとう」
『それでは実行に移ります。《十二の試練》が壱。発動』
その声を最後に、少年の精神体はこの空間から消えた。