第八話 『私が想うはあなただけ』
「人類は魔女と戦う術として、魔法を使えるようになりました。しかし、全ての人が使えるわけではなく──────」
黒板に文字を刻む音のみが響き渡る静かな教室内。
柔らかな日の光が射し込んでくる窓から、外の景色をぼんやりと眺めていると。
俺の耳には、黒板の前に立って教鞭を取っている教師の話などほとんど入ってこなかった。
レイカが居なくなったあの日からおよそ一週間ほどの時が経過した。
しかし、俺は未だその事実を受け入れがたく、この一週間は心ここに在らずと言った感じで過ごしていた。
それもそのはず。
あの時のリリカの話では、レイカが死ぬ瞬間を見たわけではないとの事。
その上、付近を捜索してみたものの、レイカの死体と思われる代物は見付からなかったのだ。
一日の授業全てが終わった放課後。
特に何処へ向かうでもなく、ふらふらと歩いていた俺が辿り着いたのは、少し前にアヤ姉さんに連れられて訪れた軍の本部だった。
──何故こんな所に……?
俺がそう思うと同時に、本日の業務を終えたらしいアヤ姉さんがその入口から出てきた。
「……おや? もしかしてボクに会いにきてくれたのかい?」
彼女は冗談のように微笑みながら俺へと歩み寄ってきた。
「とまあ、冗談はここまでにしておこう。どうかしたのかい? すごく、くたびれた顔をしている。君にしては珍しい表情だ。何かあったんだろう?」
俯き気味になっている俺の顔を覗き込むように、彼女はその紫色の瞳をこちらへ向ける。
くたびれた顔……。
自分では確認することが出来ないが、どうやら相当顔に出てしまっていたらしい。
「話があるのなら聞くよ。それで君の気が楽になるなら喜んで、ね。勿論、無理に話す必要はないよ」
彼女は俺の頭を包み込むようにその胸に抱き、まるで幼子をあやすような優しい声でそう言った。
その瞬間。
俺は思わず涙を流した。
雫が頬を伝って下へと流れ落ちるのが感じられる。
──いや、泣いてなんかいられない。
俺はアヤ姉さんから少し離れると、濡れた目元を拭い、彼女を真っ直ぐに見つめる。
そして父さんが残した手記を懐から取り出し、それを手渡すと共に、アヤ姉さんが率いる隊と別れた後に何が起こったのか。その顛末を俺は語り始めた────。
「……あの子が敗れた。というのはにわかにはとても信じられない。けれど、状況から読み取る以上。彼女は、もう……」
俺からの情報を聞いた後、手記に目を通していたアヤ姉さんはそれをぱたりと閉じると、軍帽を目深くかぶり直してそう言う。
先ほどまでこの空を紅色に染め上げていた太陽は既にほとんど沈み、仄暗いアスファルトの街を点々と点在する街灯が弱々しく照らしていた。
──やはり、今回も駄目なのか。
レイカが死んだ。
その事実を改めて告げられた俺は少し俯きそうになるも、何とか持ち直し、アヤ姉さんに頷いて返す事が出来た。
そんな時、頭の中にそんな言葉が浮かんだ。
──まただ。
こんな、まるで遥か以前にも同じような事があったとでも言うかのような、明らかな違和感が生じる言葉が出てきたのは何も今回だけに限った話ではない。
仮名リヴァイアサンを倒した時や、魔女となった序列三位をこの手で殺した時だ。
何かがある度に思考の端に浮かぶこの言葉。
最早今となっては、特に違和感に思うことも無くなった。
「……そう言えば」
彼女はそう言い、己の目線辺りで右手の人差し指を立てた。
俺は思わず、その真上を向いた指先を目で追ってしまう。
「その件に関係あるのかはわからないけど、つい数日前にこんな事があったんだ」
彼女はそう前置きのような言葉を言い、つらつらと語り始めた。
つい数日前、雨が降った日があっただろう?
……覚えていないのかい?
まあ、いいや。
数日前の、雨が降った日の事だ。
その日は土砂降りというほどの雨じゃなくて、通り雨のようなものだったかな。
しとしとと降っていた雨が、ほんの数時間で止んだのを覚えているよ。
雨が降っていたほんの短い間に、とある地点を巡回していた五人ほどの班が、突如としてその信号を途絶したんだ。
最初は機器の故障か何かだと思っていたんだけど、数時間経っても何の連絡もなくてね。
次の日に、信号が途絶えた地点へ小隊を派兵したんだ。
そして小隊から受けた報告をまとめると、空地だったはずの場所にラベンダーが無数に咲いていて、その中央には血のように真っ赤な甲冑が立ち尽くしていたらしい。
「……まあ、つまりボクが言いたいことは。最近は色々と事件が多いから気をつけてね、って事さ。昨日も顔の無い変死体が……」
そんな話を締めるような言葉を言ったかと思えば、まだ話は終わらないようで、彼女は口を閉ざすことなく言葉を垂れ流していた。
ラベンダー畑に甲冑が云々について真偽のほどは定かではないが。おそらく、何処か放心状態だった俺を彼女なりに心配してくれているのだろう。
──顔の無い変死体。
顔の無い。と言うと、少し前に死闘を繰り広げた特異型魔女。魔女の王を頭に思い浮かべる。
あの、奥に宇宙空間のように暗闇が何処までも続いているかに見えた奇妙な穴は、忘れようと思って忘れられる代物ではない。
何か関連性があるのだろうか。
「アヤ姉さん。その、顔の無い変死体についてもう少し詳しく聞きたいんだが……」
俺の言葉に、頷いて了承の意を示した彼女の口から出てきた言葉は。
俺がクイーンの、その切り取られたような顔を見て心の内でそれを形容した言葉と何ら変わらないモノだった。
もしかするとクイーンも、その被害者も、同じ何者かによる攻撃を受けたのかもしれない。
そう仮定するならば、何故顔だけを切り取っていくのだろうか。
その理由や目的に関しては判断材料があまりにも少ないため、答えを出しかねる。
しかし、その行為自体は何らかの意思を持って行われている。それだけは明らかだろう。
──魔女ではない、何かがいる。
そんな言葉が脳裏に浮かび上がる。
敵は魔女のように分かりやすい相手だけではない。
感覚を研ぎ澄まさなければいけない。
もっと、鋭く。
大切な人を、これ以上失わないためにも。
「……おや、もうこんな時間だ。君と居る時は、時が経つのを随分と早く感じるよ」
アヤ姉さんは既に暗くなり、星が煌めいている夜空を見上げ、そう言った。
時の経過が早い、か。
彼女と居る時には、長話をする事が多いからだろうか。
俺は彼女の言葉に、頭を少し悩ませる。
「……いや、そんなに真剣に考える事でもないんだけどね」
彼女は何処か呆れたようにため息を吐き、そう言うと、やれやれと言った様子で首を小さく振る。
その目には、諦めのような色が見える。
「それじゃあ、今日はこの辺りで解散といこうか。……くれぐれも、気をつけて帰るんだよ」
アヤ姉さんは忠告するようにそう言うと俺に背を向けて、街灯が弱々しく照らし出すだけの仄暗いアスファルトの道へと足を踏み出した。
「…………待ってくれ!」
こちらを見ずに手をふりふりと小さく振り、徐々に離れていく彼女の背中に対して俺は叫んだ。
「それで~、ヴァイオレット軍曹──じゃなくて。しょーさは、雄護しゃんと、どういう関係なんれしゅかぁ~?」
酒気が入り、顔を赤くした女性が、呂律の回っていない言葉でアヤ姉さんに問いかける。
俺は現在、そんなに広くはないリビングのような部屋で、数人の酔っ払いに囲まれている。
──どうしてこうなった。
あの後、俺はアヤ姉さんを呼び止め、彼女が寝泊まりしているという軍の寮まで送っていった。
そして、少しだけ彼女の部屋に上がらせてもらうことにした。
アヤ姉さん曰く「明日は休日だし、少しくらい遅くなっても大丈夫さ」なのだそう。
その時の彼女は何処か早口で言葉を連ねていた気がする。
──ここまでは問題ないみたいだ。
その後、俺とアヤ姉さんの姿を見たと言う女性達。俺も面識がある、アヤ姉さんが軍曹だった時にその隊のメンバーだった人達だ。
彼女達が数人ほどで部屋に押し掛けてきて、色々とあって酔っ払いが出来上がった。
そして何故か俺はその内の一人にホールドされて、今に至る。
「そ、れ、で! 一体どうなんれすか!」
俺の首に腕を回してがっちりと掴んでいる女性が、ばんばんと木製の机を叩き、机を挟んで反対側に居るアヤ姉さんへと追及する。
今現在、この部屋で起きているのは俺と彼女とアヤ姉さんのみだ。
他の人達は既に酔い潰れた様子で、己の腕を枕にして机に突っ伏したり、地面に寝転んだりで眠りこけている。
「ん、まあ。その……、ね」
ほんのりと頬を赤く染めたアヤ姉さんは、何処かはっきりしない様子の返答と共に俺を見つめては目を逸らす。
その紫色の瞳は少し潤んでおり……。
いや、いつの間に飲んだこの人。
「ふ、ふえぇぇ~。そ、それでも私、負けませんから~……」
俺の首に回されていた手が緩んだかと思えば、掴んでいた本人は俺にもたれ掛かるように倒れ込み、俺の膝の上に頭を置いて寝息を立て始める。
──自由すぎる……。
酒に酔うとこんな事になるのか、と。俺は辺りを見回してそう思った。
「……こほん。それで、君はボクの事をどう思っているんだい?」
アヤ姉さんは小さく咳払いをすると、机を乗り出すように顔をこちらへと近付けてそう言った。
──どう思っているか。
その言葉は深く突き刺さる。
まず間違いなく嫌いではない。寧ろ、好きと言える部類だろう。
アリサやレイカ、リリカにあの少女も。仲間達は全員好きだ、そう断言出来る。
──しかし、レイカを守れなかった。
──俺は残った大切な仲間達を守れるのだろうか。
──俺は、好きな人を守る事が出来るのだろうか。
下を向いてそう考え込んでいた俺の耳に、どさり、と。何かが倒れたような音が入ってきた。
何事かと思い顔を上げる。
視界に映ったのは、机に突っ伏した女性の上にのし掛かるように眠ったアヤ姉さんの姿。
それが意味するところはつまり。
この部屋に居る人間の中で、起きているのは俺だけになったということだ。
「いや、えぇ……」
────────
──────
────
「────なんて事があってだな」
「ふーん……。だから昨日の土曜日、あんたの部屋に行っても誰も居なかったわけね」
「ああ。結局土曜日はアヤ姉さん達の介抱をして、帰ったのは夜だからな」
今日は日曜日。休日だ。
ショッピングモールをアリサと共に歩いている俺は、話題のひとつとして金曜日の夜にアヤ姉さんと会った話をした。
「ラベンダー、ね……。確か、『あなたを待っています』だったかしら」
隣を歩くアリサが、呟くようにそう言った。
花言葉。というモノだろうか。
生憎と、俺はそう言った類いのモノには疎い方なので、彼女の言葉に反応を示す事は出来ない。
それどころか、有名どころ以外の花は見分ける事すら出来ない。
「……そう言えば、一切話題に上がってないけど。その子は連れて行かなかったわけ?」
俺は彼女の問いかけに対して、それを肯定するように頷いて見せた。
現在、俺の服の裾を掴み、きょろきょろと辺りを見回しながら俺達に着いて来ている少女。
少女は基本的に俺の元を離れないため、行動を共にする事が多い。
しかし、極めて稀だが、ふらっと何処かに姿を消す時がある。
当然の如く、その間に少女が何をしているのかを俺は知らない。
「……あんたって意外と放任主義なのね。いつも一緒に居るものだからてっきり、過保護気味なのかと思ってたわ」
彼女はそう言うと、手で口元を隠してくすくすと笑い声をあげる。
少女は、俺に懐いているのかは知らないが何故か着いて来る。
だから一緒に暮らしているだけであり、そもそも俺の子供ではない。
つまり、だ。
放任主義だとか、そういう話ではないだろう。
俺はそんな旨を彼女に伝えてはみるが聞く耳持たずと言った様子で、彼女は微笑みを浮かべたままだ。
──いや、待てよ。
微笑んでいるように見えるアリサをよく見ると、俺をからかっている時の目をしている。
なるほど。今回はこのネタで俺をからかっているわけだ。
それなら俺の説明を聞き流し、微笑みのようなものを向け続けているのも理解できる。
そう事実確認をすると共に、俺は小さくため息を吐いた。
しかしまあ、こんなやり取りも。
────悪くない。
「ところで……、この子の名前ってまだわからないの?」
アリサは俺の背中で寝息を立てている少女に触れ、そう言った。
あれから色々な店を見て周り、休日を堪能した俺達は夕日が空を紅く染める中、寮までの道のりを歩いている。
長いこと歩き続けたため、歩き疲れたらしい少女がそれを主張したので俺は少女を背負った。所謂、おんぶと呼ばれる状態だ。
「ああ。今の所、少女が思い出した情報は特に無い」
「ふーん、そう……」
アリサは小さくそう呟くと、腕を己の胸の前辺りで組み、考えるような仕草を見せた。
そして少しの間を置いて、俺の前に立った彼女は何かを思いついたように口を開く。
「それなら、私達がこの子に名前をつけてあげるってのはどうかしら?」
彼女はその自己主張に乏しい胸を張り、得意げな顔でそう言う。
「……今、失礼なこと考えたでしょ」
突如、彼女は先ほどまでの表情と一転して、所謂ジト目と呼ばれるような目で見つめてくる。
「……いや、そんなことはないが」
「本当かしら? ……まあいいわ。それで、この子の名前、思いついた?」
──名前、か……。
そう言えば。
余程気に入ったのか、少女は俺が贈った白い薔薇の髪飾りを常に着けている。
俺が知る限りでは、外した所を見た事がない。
薔薇。
ローズ。
「……ロゼ。って言うのはどうだ?」
自分自身でもそれがとても安易なモノであることは理解している。が、まあ、少女が記憶を取り戻すまでだけの仮の名前であれば問題ないのではなかろうか。
それに、勿論少女本人が気に入らなければ即却下するつもりだ。
「……! こんな事もあるのね。私が考えた名前もあんたと同じよ」
驚いたような表情を見せたアリサはそう言う。
「子供の名前を考えて、お互いに出した案が偶然にも一致する。……まるで、夫婦の間に起きるような出来事だな」
俺はそう言い、少しの笑みを浮かべて彼女の顔を見つめる。
おそらく、微笑みを返してくれるだろう。と予想していたのだが、それは大きく外れた。
どういう事か俺の言葉を受けた彼女は、何かに動揺したように視線をあちらこちらと忙しなく移動させ、とても挙動不審な状態になっている。
「なっ、ちょ……! もう! 馬鹿!」
やっとの事で言葉を捻り出した様子の彼女はそう叫ぶと、顔を俺から見て左に向けて、視線を彼方へとやった。
おそらく夕焼けのせいで真っ赤に染まった彼女の横顔を見つめていると、恥ずかしいのか、隠すように左手を顔に当てる。
その薬指には彼女の瞳と同じく、みずみずしい若葉のような緑色を持つエメラルドが嵌められた銀の指輪が、光を受けて目映く輝いていた。
この指輪は先ほどショッピングモールを歩いている最中に見かけ、彼女へと贈った物だ。
何でも、エメラルドは魔除けや御守りのような効果を持つらしい。主な購入理由はこれだ。
俺としては、それが指輪である必要は特に無かった。
エメラルドが入ってさえいれば、ブレスレットやネックレスでも別に構わない。
しかし、指輪が良いと彼女が言ったために、それは指輪になったのだ。
──何故、指輪なのだろうか。
購入時にはそんな疑問を持ったが、今になって考えてみると。
おそらくネックレスやブレスレット等だと、戦闘において少しばかり不利を被るからだろう。
アリサの能力は戦闘に向いたものではない。
だからこそ、そういった部分で工夫をしているのだと思われる。
──アリサも色々と大変なんだな。
「ユーゴ! ……って、何よ。その妙に温かい視線は」
彼女は突然振り向き、俺の名前を呼ぶ。
どうやら、先ほどの考えが顔に出てしまっていたようだ。
俺は彼女に言われた言葉により、意識を顔に向けて表情を引き締め直す。
「……それで。どうしたんだ?」
「え……っと、その……。ううん」
俺の問いかけに彼女は口を開いて答えようとするが、言葉がつまったかのように口を開いたまま固まり、消えるような言葉と共に口を閉ざす。
そしてその数秒後に首を小さく左右に振り、再び口を開くとこう言った。
「やっぱり何でも無いわ、ただ呼んだだけよ。悪い? ……この鈍感」
──鈍感?
いやむしろ感覚は鋭いほうだ、と自負している。
見えない敵による、命を刈り取るような攻撃。
音をも切り裂くような鋭い刺突。
光すらをも越える速さで、暗闇の中を飛んでくる刃物のような連撃。
敵を挟んだ向こう側。完全に死角となる位置からの、当たれば即死の一撃。
様々な物に即対応出来る敏感さが無ければ、おそらく俺はここに至るまでに死んでいる。それは間違いないだろう。
つまり、結論として────。
「俺は鈍感じゃない。もしそうなら、特異型魔女達と渡り合うことは出来ていないはずだ」
「なっ、き、聞こえてたの……。って言うか! あんたが思ってる意味と全然違うわよ! この馬鹿!」
──意味が違う。
俺は、彼女の放ったそんな言葉に心底驚く。
他にどんな意味があるのだろうか。
「……なにハトが豆鉄砲くらったような顔してんのよ。って、そんなのどうでも良いでしょ! いちいち掘り返さないで!」
なんだか、最近はよく表情を指摘される事が多いように感じられる。
もしかすると、俺は顔に出やすい体質なのかもしれない。
いや、それとも精神的な疲労によるものだろうか。
と、そんな事を考えている俺の前に、手が差し出される。
「……ほら。さっさと帰りましょ」
俺はそう言った彼女に対し、同意するように頷いて見せると、その差し出された手を握────。
『──ユーゴ』
突如、頭の中に響いた声に、俺は動きを止める。
この声は────。
「……どうかしたの?」
俺の顔をどこか心配そうに見つめながら、彼女は首をかしげる。
「……いや、何でも無い」
────気のせいだろう。
俺はそう己の胸の中に先ほどの出来事を仕舞い、全てを忘れ去ってしまうように首を左右に振る。
もう、彼女は────。
────────
──────
────
「……およ? 先輩、今日はなんだか元気っすねー。先週まで死んだような顔だったのが嘘みたいっす」
俺から見て、弁当を広げた机を挟んだ向こう側の位置に座るリリカが、数秒ほど俺の顔をまじまじと見た後にそう言った。
今は時計の短針と長針が揃って真上を向いた昼時。
ざわざわと少し騒がしい食堂内で、俺達は昼食をとっていた。
──死んだような顔だった、か。
まあ先週末は色々とあって、レイカが死んだことへ対する、ある程度の踏ん切りがついたからだろう。
「……そう言えば。今日は夕方に通り雨が降るらしいわね」
「あっ、それ自分も見たっす! 確か昼過ぎだったような気が……?」
「お弁当……おいしい……」
──他愛ない話をしながら、俺達は昼休みを満喫した。
「……以上の事から、魔女が群れることは基本的にありません。ここまでで、何か質問はありますか?」
教壇に立っている黒スーツの女性は黒板に文字を刻む行為を止めて振り返ると、手に持つ開かれた教科書に落としていた視線を上げてそう言った。
本来なら、この授業は別の人。俺達のクラスの担任である、白衣が特徴の先生がやるはずなのだ。
しかし、少し前から彼女は行方をくらましており、現在この学園に居ないらしい。
「……では、次に進みましょう。教科書の────。今日はここまでです。それでは皆さん、さようなら」
特に手を挙げた生徒も居なかったため、授業を進行させようとした彼女の声は、授業の終わりを告げる鐘の音に阻まれる。
彼女は教卓の上に広げられた教科書を閉じ、その脇に抱えると、こちらへ一礼をして足早に教室を出ていった。
「……雨が降り始める前に帰るとするか」
俺が寮の部屋に着く頃には、空一面を灰色の雲が埋め尽くしているのが見えた。
時間に比例せずにうっすらと暗くなった街を見るに、いつ降りだしてもおかしくはない。
ぎりぎり、雨に降られずに済んだ、と言った所だろう。
「…………ふむ」
帰宅するなりすぐに本棚を物色し、本と共にベッドへと飛び込む少女ロゼ。
どうやら、最近は読書にはまっているらしい。
ベッドの上で足をぱたぱたと動かしながら本を読む少女を尻目に、俺はベッドの端に腰かける。
『──ユーゴ』
頭の中に、彼女の声が響いた。
俺は思わずベッドから立ち上がる。
これは幻聴なのだろうか。
俺は確かに、彼女の死を受け入れたはずだ。
しかし、彼女の声と共に懐かしい記憶が鮮明に浮かび上がる。
俺はまだ、受け入れる事ができていないと言うのだろうか。
俺は再びベッドの縁に腰を下ろし、頭を抱える。
『──ユーゴ、こっちだ』
またもや頭に響いた彼女の声で、俺は立ち上がる。
──彼女が呼んでいる。
──レイカが俺を、呼んでいる。
俺は声が聞こえる方へ向かうため、部屋を出ると駆け出した。
暫くの間走り続けてたどり着いたのは紫色の花が咲き乱れる花畑。
びゅうびゅうと吹き荒れる風に、無数の花弁が舞う。
そしてその中央には血のように真っ赤な、西洋の甲冑のようなモノが佇んでいた。
「……レイカ」
俺はソレへ対して、そう声をかける。
普通なら、ソレをレイカとは思わないだろうが、俺は何処か確信めいたものを抱いていた。
甲冑。いや、レイカは静かに頷き、こちらへと顔を向ける。
金属の仮面が覆っているため、その顔を見ることは叶わない。
彼女は、一体どんな表情を浮かべているのだろう。
「……レイカ、一緒に帰ろう。俺は、お前がどんな姿だろうと構わない」
俺は彼女へと近寄り、手を差し出す。
後は彼女が手を伸ばせば触れるような距離だ。
彼女は少しの間を置いて首を左右に振り、俺から一歩遠ざかる。
『私はもう、お前達と共に歩む事はできない』
彼女はそう言うと握られた手を開き、俺に見せるようにその手のひらをこちらへ向けた。
彼女の手は甲冑と同じく、血に染まっていた。
「……それでもかまわない。だから、一緒に帰ろう」
そんな俺の言葉に、再び首を振り拒否の意を示す彼女。
『もう……、駄目なんだ。こうして、血に染まっている時は正常に話すこともできるんだが……』
曇り空を一筋の閃光が迸り、辺りには雷鳴が轟いた。
それと同時に頭に感じる冷たいもの。
雨が降り始めたようだ。
『……お願いだ、ユーゴ……! 私を……、殺してくれ……!!』
甲冑にこびりついた血が雨によって流され、どんどんと赤色が薄くなっていく彼女は、苦しそうにそんな言葉を絞り出した。
やがて赤色が全て流された甲冑は白銀の表面をさらけ出し、その直後に全身を黒い靄のようなモノに覆われた。
「レイカ……!」
突如、俺に迫る黒い影。
風を切り裂いた黒い刃が頭上に振り下ろされる。
俺は後方に飛んでその斬撃を避けると、それを放った張本人を見据える。
俺の視線の先に佇むは、夜の闇よりも黒い甲冑。
同じく黒い刀を携えて、絶やすことなく花弁を散らしている鋭い剣先をこちらへと向けている。
その姿は、黒騎士と呼ぶに相応しいだろう。
「やるしかないのか……?」
俺は魔法で生み出した剣を右手に握り、彼女へと向き直る。
地面を蹴り、一気に距離を詰めてきた彼女の斬撃を、未だ迷いを残しつつも魔法の剣で受け止める。
金属音と共に辺りに飛び散る火花。
巻き起こる風に花弁が宙へと舞う。
『ユー……、ゴ』
彼女の苦しそうな思いが、剣を通して伝わってくる。
──俺が。
俺は地面を後ろ足に蹴り、受け止めている剣で思い切り彼女を押した。
たまらず、彼女は後退りをするように後方へと下がる。
「……わかった。レイカ、お前にこれ以上苦しい思いをさせたくない。だから、俺がお前を──」
俺は魔法の剣を構え、彼女を真っ直ぐに見据える。
今度はもう、迷いはしない。
──お前を殺す。
俺は足を踏み出し、彼女へ向かって駆け出す。
彼女も俺と同じようにこちらへ向かって走り出す。
二人の間にあった距離はすぐに縮まり、剣を振れば当たるといった位置で俺は地面を強く踏みしめて、勢いのままに魔法の剣を彼女へ向かって振った。
瞬間。とてつもなく重い金属同士を叩きつけ合うような轟音と共に火花が散り、俺達を中心とした空気の衝撃波が辺りに広がる。
辺り一面に咲く花は、その衝撃波に吹き飛びそうなほどに身を揺らして花弁を散らせる。
俺達に降り注ぐ雨粒は空気に散り、ほんの一瞬ではあるが雨が止まった。
そんな一撃を俺達はぶつけ合い、辺りには幾度となく衝撃波が起こる。
俺が持つ魔法の剣は彼女の刀に触れるたび、その表面を微粒子レベルで削られて花弁へと変性させられる。
そのため、俺は剣に対して絶えず魔力を流し続けて形を維持しなくてはならない。
しかしそれは、逆に言えば俺の魔力が続く限りこの剣は折れないという事を示す。
重い一撃を幾度となく交わし、そのダメージが徐々に蓄積されていった彼女の刀。
遂にはその形状を維持できなくなり、鍔から先の闇のように黒い刀身は砕け散った。
──チャンスだ。
彼女の刀は一度折れてしまえば、その鞘に刀身を納めるまで修復される事はなかったはずだ。
俺の記憶を元にした情報からそう思った俺は、さらに深く踏み込んで彼女へと急接近する。
しかし彼女はその刀身を失った柄を投げ捨て、何かを構えるような動きをする。
投げ捨てられたそれは地面へと落ちる途中で花弁へとその姿を変え、宙に舞う。
その様子に視線を奪われている隙に、気付けば彼女は怪しく光る黒い刃を持つナイフを俺の首筋へと近付けていた。
──まずい。
そう思った俺はそこから飛び退くように下がり、彼女との距離をとった。
すると彼女は再びそのナイフを投げ捨て。次の瞬間にはその手に弓矢が握られていた。
黒い靄を纏った矢が放たれる。
音速の壁を越えて接近するそれを俺は剣で真っ二つに斬り伏せて、彼女へと歩み寄る。
四本、五本、と。無数の矢が、黒い尾を引いて襲いくる。
俺は顔を剃らしては避け、剣で斬り捨てて、矢など無いに等しいと言うかのように彼女へと徐々に接近していく。
遂にはしびれを切らしたのか彼女はその弓と矢を無造作に放り出し、重装の騎士が携えているような巨大なランスを構えると、勢いをつけてこちらへと突き進んできた。
──決着をつけよう。
俺は剣を構えてその場で立ち止まり、水飛沫を上げて迫る彼女を待つ。
彼女と俺の距離が縮む毎に、彼女の速度は上がっていく。
「……来い!!」
────────
──────
────
「……ここは」
気付けば、辺り一面に花が咲き乱れる空間で俺は仰向けに倒れていた。
そんな俺の顔を覗きこむように見ている彼女の深紅の瞳が、視界の端に映り込む。
俺はゆっくりと立ち上がり、彼女の方へと向き直る。
頬を撫でる柔らかな風が、彼女の長い黒髪を軽く揺らし、辺りの草花をさざめかせる。
「……レイカ、一緒に帰ろう」
俺は右手を差し出し、先ほどにも言った言葉を彼女へ投げ掛ける。
彼女は少しの後、優しい笑みをその顔に浮かべると、無言のまま首を左右に振った。
「……何でだよ。今はもう、レイカは魔女じゃないだろ……!」
そんな俺の言葉に、彼女は依然として何も答えずに首を左右に振るだけだ。
──本当は自分でもわかっているさ。
彼女は魔女ではなくなった。それは確かな事実であり、間違いない。
しかしそれと同時に、彼女は現世に生きる『人』でもなくなってしまったのだ。
つまり、彼女はもう────。
もう何も言わなくなった俺に対し、彼女は優しく微笑み、自身が着けていた十字架のネックレスを外して俺の首に着ける。
そして再度微笑むと、彼女は俺に背を向けて遠ざかっていく。
「…………待ってくれ!」
俺は彼女の後ろ姿に追いすがり、その身体を抱きしめる。
──冷たい。
彼女の身体からは、もはや体温を感じることはできず。魂をも冷やしてしまう、凍りつくような冷たさだけが俺の身体に伝わる。
しかし、俺はそんなものは関係ないとばかりに彼女の身体を強く握りしめる。
──離してしまえば、何処かへ行ってしまいそうで。
呆然とした顔で振り向いた彼女の目には涙が浮かんでおり、彼女はそれを手で拭い、少しの間を置いて微笑みを浮かべる。
そして俺の手をその身体から離すとこちらへ向き、俺の胸に顔を埋めて目を閉じた。
────────
──────
────
気付くと俺はすっかり暗くなった中、花畑の中心に立ち尽くし、無数に降り注ぐ雨に打たれていた。
降りしきる雨は、涙や悲しみを全て洗い流してくれるようで。
俺は己の首にかけられた十字架のネックレスを、いつの間にか手に持っていた一輪の白い彼岸花と共に握りしめる。
────地面に叩きつけられる雨の音だけが、頭の中に五月蝿いぐらいに響いていた。