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第九話 『夢の向こうの想い人』

『ユーゴ。私は常に、お前と共にある』


 俺の目の前に居るレイカは、心臓を指し示すように俺の胸に人差し指を突き立てそう言った。


 辺りを包み込むのはモノの境界線が曖昧な、ぼんやりとした真っ白な空間。

 視界に映る己の手や目の前に居る彼女は、霞んでいるような、ぼやけているような。まるで霧の中のようにはっきりしない状態だ。


『どんな形でも構わない、そう言ったのはお前だ。ふふ、前言撤回などさせんぞ?』


 彼女は悪戯っぽい笑顔を浮かべてそう言うと、俺の胸に顔を埋めて、その手を俺の背中へと回した。


 瞬間。突如として左の薬指に、万力のような力で思い切り握りしめられるような痛みを感じ、そちらへと視線を移す。


『私にも構ってくれないと嫉妬しちゃうよ~』


 そう言いながら、俺の左手の薬指を握るのはロゼによく似た姿を持つ赤い瞳の少女。

 姿は似ていても、全体的に白のイメージがあるロゼと違い、この少女は黒が連想される。


『おにーさんの一番は私なんだから。ね? おにーさん?』




────────

──────

────





「…………今のは」


 アラームの電子音が鳴り響く部屋。

 ベッドから飛び起きるように上体を起こした俺は、そんな言葉が口をついて出た。


「ん…………お腹すいた」


 同じベッドの隣で寝ていた少女ロゼは、俺より少し遅れて起き上がって早々に、そう呟くように言った。


 俺は少し締め付けられるように感じられる、左手の薬指に着けた蛇をモチーフにした指輪を擦りつつ、枕元の棚に置いてある花瓶に生けられた白い彼岸花へと視線を向ける。



 ────夢、か。







「そう言えばあんた、最近ずっとそれ着けてるわね。なに? 園芸に興味でも持ったの?」


 机を挟んだ目の前で弁当箱を広げて昼食をとっていたアリサが、俺の制服の胸ポケットに差されている白の彼岸花を指差し、唐突にそう言った。


 俺は彼女のそんな言葉に対して、それを否定するように首を左右に振って見せた。


 当然の如く、俺は園芸なんてものに触れた事もなければ、どういうものなのかすらもあまり詳しくは知らない。


「……じゃあ、誰かからの贈り物か何かっすかね?」


 アリサの隣、俺から見て斜め前の位置でサンドイッチを食べながら俺達の話を聞いていたリリカが、ふいに口を開いてそう言う。


「多分、そうかもしれないな」


 俺自身としては、誰かに花を贈られた記憶は無い。

 しかし、これは誰かからのプレゼントだと言う認識が、ぼんやりとだが頭の中にある。


「多分? はっきりしないわね……」


 そんな、俺の曖昧な様子にアリサは顔をしかめて言った。


「……正直なところ、これが何なのかあまりよくわからない。だが、とても大切なモノなんだ」


 俺は胸ポケットの白い彼岸花を軽く指で撫でながら、彼女へそう返答する。


 常に持ち歩いていないと、何か大切なモノを失うような喪失感に襲われるため、俺はこれを肌身離さずに持っている。


「……ふーん、そう」


 彼女は興味無さげにそう呟くと、止まっていた箸を動かして弁当の中のおかずを拾い上げて口へと運んだ。

 彼女の目は少し吊り上がっており、どこか不機嫌そうな様子が窺える。


「えーっと、白い彼岸花の花言葉は……っと」


 いつの間にか昼食を食べ終えていたリリカは、そんなことを呟きながらPSDを触っていた。

 どうやら、花言葉を調べているみたいだ。


 わざわざ調べなくてもアリサに聞けばよかったんじゃないか、という疑問が頭の中に浮かび上がる。しかし、それを口にするのは無粋というものだろう。


「なになに……ほぇ~、先輩はその誰かさんに随分と想われてるみたいっすね~」


 ニヤニヤと茶化すような笑みを浮かべながらそう言う彼女は、その手に持った薄っぺらい小さな端末の画面を見せびらかすようにこちらへと向けた。


 ────想うはあなた一人。


 画面に映っていたのはそんな文字。それと白い彼岸花の写真だ。


 ──随分と便利なものだ。


 俺は感心するようにため息を吐いて、その小さな画面から視線を外した。

 すると、どこか得意気な様子が見てとれる表情を浮かべてこちらを見つめているリリカが視界に映り込む。

 まあ、所謂どや顔と言われる表情だ。


 俺は別にお前に対して感心したわけじゃあない。


 そんなことを思ったが、彼女に構ってやるのもまた一興かと思い直し、親指を立てた右手を前へと突き出して少しの間見つめ合う。

 そんな俺達の様子に呆れた様子のアリサがやれやれ、とでも言うかのように首を振りつつ大きくため息を吐いて口を開いた。


「はぁ……、馬鹿ね。花言葉って言うのは一つだけじゃないのよ……。そうね、その花の場合は────」


 ────また会う日を楽しみに。


 彼女の口から語られた、もうひとつの花言葉。


「がーん……。り、リサーチ不足だったっす……」


 ──また会う日、か。


 その言葉から連想されて、俺はレイカの顔が頭に思い浮かべられた。


 何故だろうか。

 彼女と共にまた笑える日がいつかきっと、遠い未来に訪れる。そんな気がする。


 死んでしまえば終わり。

 ゲームのようにやり直しはきかない。

 ここは、そんな世界だ。


 ──いや。


 ──また会える。


 そして今度は全員で笑える日が────。


 ぼんやりと頭の中に浮かぶそんな言葉は、突如として鳴り響いた耳を刺すようなサイレンの音に掻き消された。


『学園内に魔女が出現しました。生徒の皆さんは教師の指示に従って、直ちに避難してください。繰り返します──』


 サイレンの音に続くように流れるアナウンスの声。

 一瞬の間を置いて食堂内には混乱の渦が巻き起こり、周囲に恐怖の波が広がっていく。

 喧騒に包まれたこの空間内では、必死に生徒へと呼び掛ける教師達の声も虚しく消え行くのみ。


「……最近多いわね」


 弁当箱をゆっくりと落ち着いた様子で片付けるアリサが、呟くようにそう言った。


 アリサの言う通り、学園内に魔女が発生する事件が最近多発している。


 本来なら、おそらく魔女を生み出していたであろう魔女の王(クイーン)を倒したのだから、もう少し魔女の数が減ってもおかしくはないはずだ。

 しかし魔女は減っていない所か、むしろ前にも増してその出没頻度が上がっている気がする。


 ──これらはつまり。


 魔女の王(クイーン)とは別の発生源が存在する。

 その事を指し示すのではないだろうか。


 風呂敷に包まれた小さな弁当箱を机に残して彼女は立ち上がり、俺の手を引いてこう言った。


「ほら、さっさと終わらせに行くわよ」








 あれからこっそりと食堂を抜け出した俺達は、魔女の居場所を探して学園内を探索していた。


 ちなみにリリカはサイレンがなった辺りでトイレに行くと言って席を立ったため、現在は俺とアリサの二人で行動している。

 おそらくトイレと言うのはただの口実で、面倒事から逃げたかったのだろう。と、俺もアリサもわかってはいたが、特に引き止めはしなかった。

 最近はリリカも奪還戦や仮名リヴァイアサン討滅戦等では何だかんだと言いながら頑張ってくれていた。だからたまには休んでも許されるだろう。


「……どうだ? 見つかったか?」


 アリサが能力を使って、学園全体を見下ろせるような上空の座標を指定して視界を取り、目を閉ざしてから十秒ほど。

 俺は彼女に対してそんな言葉を投げかけた。


「……っ、はぁっ。…………中庭よ。急ぎましょ」


 俺が声をかけて数秒後、彼女は肺の空気全てを吐き出すように大きく息を吐き、そして呼吸を整えるとそう言った。




 中庭にたどり着くと、半透明な黒い球体に包まれた女性のような形をしたモノが静かにその中央に佇んでいた。

 中の女性のような形をしたモノはそこだけを切り取られたかのように顔があるはずの位置にはぽっかりと穴が開いており、その向こうにはどうなっているのかが理解出来ないようなぐにゃぐにゃとした空間が広がっている。

 この特徴は前に戦った特異型魔女、魔女の王(クイーン)に見られたものに既視感を覚える。


そしてそんな魔女の傍らには、それを訝しげに眺めているアヤ姉さんの姿が見受けられた。


「……ん。やあ、調子はどうだい?」


 こちらに気付いた様子のアヤ姉さんは、視線をこちらに移して微笑みを浮かべながらそう言う。


「調子も何も……昨日の今日で何も変わりはしないさ」


 昨日の今日、と言うのも。昨日にも魔女による襲撃があり、その時の後始末に彼女と数人の女性が来た。

 つまり、討伐に当たった俺とアリサは、昨日にも同じような時間帯にアヤ姉さんと会っているのだ。


「……しかし、今日は随分と早いんだな。もしかすると、ある程度の予測はついていたのか?」


「いや、ボクは本来なら今日は休日なんだ。偶然ここの近くを歩いていたら、魔女が学園に現れたっていう通達が本部から来てね」


 アヤ姉さんは困ったような顔で頬をかきながらそう言った。

 休日だろうと、緊急事態であれば現場に急行しなければならない。軍人というのは大変だな。


「……それで、この魔女は一体何なのかしら。他の魔女と違って破壊行動を起こさないみたいだけど」


 アリサはそんな事を言いながら、様々な角度から球体の観察を行い始めた。


「……詳しくは後で他の者が来てから調査するけど、確かにこの魔女は他と違うよね。姿から判断するとおそらく特異型魔女なんだろうけど……」


 アヤ姉さんはそう言うと観察をしているアリサの隣に並び、ソレに向かってゆっくりと手を伸ばし。


 そして、触れた。


 瞬間、その球体の中に入っている女性のような形をした黒い影が己を守るように背を丸めて腕で足を掴み。所謂体育座りのような態勢で球体の中で宙に浮く形になり。

 そして半透明だった球体は徐々にその色を濃くしていき、やがて夜の闇よりも暗い、全てを拒絶するような黒へと変貌する。


 ──これは、まずい。


 直感的なモノを感じた俺は二人の元へと駆け寄り、両手を広げて二人の体を抱き寄せると、球体との間に己の身を挟み込んだ。


「い、一体何を……」


「なっ、何よ一体……」


 アヤ姉さんとアリサの、俺の行動への異議を申し立てるような言葉が重なった瞬間。

 大地を揺るがすような轟音と共にとてつもない衝撃が、俺達を球体から遠ざけるかのように、背後から襲いかかってきた。


 俺達は球体と反対方向へと、風を切るような速さで何か見えない壁のようなモノに押される。

 目前へと迫る魔法で強化されている硬化コンクリートで構成された校舎の壁。

 当然の如く、このまま進めば壁に激突する。


「……っ」


 俺は魔力に血液を乗せて血流を加速させ、己の足に風を纏わせると、二人を抱えたまま背後の見えない壁を蹴って駆け出す。

 次々と現れる障害物を回避しながら、迫りくる見えない壁よりも更に速く。

 背後からはガラスが割れる音や、建物が崩れるような轟音や風圧が絶え間なく感じられ。その衝撃により足元の地面は常に揺れている。



 球体があった位置から真っ直ぐおよそ一キロ離れた地点にて、やっと見えない壁の追跡が終わった。

 ここに辿り着くまで、時間にして約五秒。


「……ここまでは届かないみたいだな」


 俺は抱き抱えていた二人を降ろし、背後へと振り返る。

 そこにあったのは、元々は学園を形成する校舎だったであろう瓦礫の山が積み上げられていた。


「い、一体何が起こったのよ……。あんたにいきなり、だ、抱きしめられたと思ったら急に走り出して……」


 いまいち現状を理解出来ていない様子のアリサは、腰が抜けたのかその場に座ったまま瓦礫の山を見上げている。

 彼女の反応はまあ、当然と言えば当然だろう。

 一瞬の間に起こったことの規模があまりにも大きすぎる。


 俺は地面にぺたんと座っているアリサを背負い、いち早く状況を理解するために瓦礫の山の頂上へと向かったアヤ姉さんの元へと飛ぶ。


 瓦礫の山の頂上には、アヤ姉さんが先ほどのアリサと同じようにその場に座り込んでいた。

 そして、その向こう。

 学園都市を構成する内の、校舎が建ち並んでいたはずの広大な土地は。


 ──何もない、まっさらな更地へと変貌を遂げていた。


「……は、はは。君があまりにも簡単に倒すものだから忘れていたよ。特異型魔女は──人間が太刀打ちできるものではないと」


 半径およそ一キロほどの広大な更地の中心に、依然変わらず佇む球体。もとい特異型魔女を前に、瓦礫の山へと座り込んだアヤ姉さんは乾いた笑みを浮かべてそう言った。


「……大丈夫。そのために俺が居るんだ」


 俺は絶望感をどこか漂わせている彼女の前に立ち、顔だけを彼女の方へと振り返りそう言った。

 すると彼女は呆けたような表情を一瞬だけ見せた後、微笑みを浮かべて。


「……ああ、今回も君に任せるとするよ。……無理はしないでね」


「ああ、アヤ姉さんはここで待っていてくれ」


 俺も彼女と同じように微笑みを返す。

 目と目が合い、二人の間にはほんの少しの静寂が訪れる──。


「あー、もう! それ禁止よ! 禁止! って、とりあえず下ろしなさい!」


 ──なんてことは無かった。


 アリサが俺の背中をぺちぺちと叩き、そんな事を大声で訴え始めたからだ。

 何だか少し怒っているように見える。

 いや、少しばかり嫉妬の気が混ざっているような気がする。


 ──それ、とは一体何の事だろうか。


 そんな疑問を抱きつつも、アリサがいつも通りの様子に戻った事を確認できたので、そのままゆっくりと彼女を地面へ下ろす。


「……それで、どうやって半径一キロを吹き飛ばすような魔女を倒すつもりなのよ」


 彼女は服に付いた砂埃を軽く手で払い、右手を腰に当てるとそう言った。


 ──半径一キロを吹き飛ばした。


 果たして、彼女の放ったその言葉は正しいのだろうか。


 実際に直撃した俺の主観としては、何かの衝撃波と言うよりは見えない壁という表現に近かった覚えがある。

 もし、そう仮定するのならば。

 あの魔女は半径一キロを吹き飛ばしたわけではなく、ある一定の範囲内のモノ全てを範囲外へと押し出したにすぎないのだ。


 だとすると──。


 俺は特異型魔女が居る方向へと瓦礫の山の上を歩く。

 そして、そこから飛べば先ほど出来上がった更地へ降り立てる、と言った瓦礫の山の縁。足を踏み出そうとするも、何もないはずの空間に靴がぶつかり、それ以上先へは進めなかった。


 俺は手を伸ばし、何もない空間を確かめる。

 やはり、見えない壁は瓦礫の山と更地を分け隔てるように存在していた。


「……何してるの? 確かに上手だけど、パントマイムならまた今度やって頂戴」


 壁の位置や形状をはっきりと理解するために何度か触っていた所を、アリサに遊んでいると勘違いされたみたいだ。


「いや、別に遊んでいるわけじゃ──」


 俺は口を開き、説明を述べようと言葉を並べ始めたところでとある事を思いつき、口を閉ざした。


 ──こうした方が早いだろう。


 魔力を纏った拳を握りしめ、目の前の見えない壁へと勢いよく突き出す。

 接触と同時に辺りに響く巨大な衝突音。

 巻き起こる風により砂埃が宙に舞う。


「……けほっ、けほっ。何が言いたいのかなんとなく分かったけど、もっと他に何か無かったわけ?!」


 アリサは軽く咳き込みながら自身の服に付いた砂埃を手で払い、そう愚痴にも似た怒号を飛ばす。


「……これが一番わかりやすいだろ?」


 そう呟くように言い、再び見えない壁に視線を移してそっと手で触れる。

 小さな傷すら付いた様子はなく、依然として魔女と俺達とを隔絶するように立ちはだかっている。


 全力ではなかったとは言え、それなりの力を込めた一撃で傷一つ付かないほどの強度を持つ壁。

 似たようなモノに見覚えはある。しかし俺が知っているモノとはまた違う、別物だろう。


 ──いや、俺がそう信じたいだけかもしれない。


「少し確かめたい事がある。……アリサ、頼めるか?」


 後ろへ振り返ると、静かに頷くアリサの姿が窺えた。

 細かな説明はしていないが、俺の言う確かめたい事というものを彼女は正しく理解してくれているだろう。


 まばたきをした次の瞬間、視界に入ってくる景色が先ほどまで見ていたものと一変していた。

 周囲を円形状に高く積まれた瓦礫で囲まれている、全てが排除されたように何もないまっさらな更地。その中心に俺は移動しており、先ほどの魔女と対峙している。



 そんな光景も束の間、一瞬の間を置いて見えない壁のようなモノに押される衝撃と共に景色は流れていき、数秒後には再びアリサとアヤ姉さんが待つ瓦礫の上に辿り着いた。


「……これで確定した、か」


 俺は右拳を強く握りしめ、そう呟く。

 強く握りしめたせいか、血がぽたぽたと滴り落ちるのが感じられる。


 ──認めたくは無いが。


「……ええ。あの子以外……考えられないわね」


 アリサは苦虫を噛み潰したような顔で、俯き気味に呟く。


 ──あの特異型魔女は。


 ────リリカだ。


「……なあ、いつだ? さっき俺達と別れてからか? おかしいだろ。リリカが俺達と別れる前にあの魔女は出現していたはずだ。違うか?」


 俺はレイカだけでなく、リリカをも護れなかった自分の不甲斐なさに、足元の瓦礫を蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされた瓦礫は見えない壁に衝突し、粉々になって消えた。


「……落ち着きなさいよ! 取り乱すなんて、あんたらしくないわよ」


 ──そんなことはわかっているんだ。


「俺らしい? 俺らしいじゃ駄目なんだ。それだとまた誰かを失ってしまう」


 そんな言葉が口をついて溢れだした。


 ──違う。


 そして一度でも溢してしまえば、堰を切ったように抑えがきかず、次々と外に放たれる負の言葉。


「そもそも俺らしいってなんだ? 誰一人として大事な人間を護れないことか? 確かに俺らしいな」


 ──こんなのはただの八つ当たりだ。


 あまりにも大きな精神的負荷からか、いつも通りの冷静な判断が出来ない。考えがまとまらない。

 もはや辺りの状況も、ろくに視界に入ってこない。


「もう嫌なんだよ、仲間を失うのは……。そうだ。皆で父さんが残したシェルターにでも行こうか。今からでも遅くは──」


 あやふやな頭でそこまで言葉を紡ぐが、唐突に頬へ訪れた衝撃により中断される。


「あんたがしっかりしなくてどうするのよ! 私やアヤ姉さん。それに隊の人達も全員護るんでしょ!」


 そんな言葉と共に、ふわりと揺れるダークブラウンのツインテールが下を向いていた俺の視界に入り込む。

 視線をそのまま上に移動させると、いつもの見慣れた顔。


 どうやら、先ほど訪れた衝撃はアリサによるものだったようだ。

 状況からすると、俺は頬を彼女に叩かれたらしい。


 そう理解すると同時に、辺りの状況が脳内へと入ってくる。

 目の前にいるアリサは目尻をほんのり濡らしながら、いつものようなつり目でこちらを見つめており。

 その背後ではいつの間にか集まっていたアヤ姉さんの隊の女性達とアヤ姉さんが心配そうに見ている。


 ──そうだ。


 俺が護るべき人達はまだここに居る。

 シェルターなんて安全性が確実ではない選択肢など、選べるはずがない。

 俺が、全員を護らなければ。


 ──何が起ころうと立ち止まるわけにはいかない。


「……アリサ、協力してくれ。俺はリリカを──」


 特異型魔女として、俺達の前に立ち塞がるのなら。


 ──かつての仲間として。


 ────彼女を救う(殺す)








 俺の目の前に広がるのは、清々しいまでの青空。

 そしてはるか眼下には十円玉程度の大きさに見える先ほど出来上がった更地。

 その中央に位置する、米粒ほどもない特異型魔女リリカに向かって、俺は太陽に背を向けて真っ直ぐ降下している。


 あれから俺はアリサの能力によってはるか上空へと飛び、壁にぶつかりそうな瞬間に再び上空へと戻る。そんな動作を何度も繰返した。

 回数を重ねる度に速度は加速し、空気との摩擦により俺の服には火がつき、遠くから見れば流星のように見えるだろう。


 とてつもない高低差から産み出される落下の勢いを利用し、無理矢理に見えない壁を貫く。

 それが、特異型魔女リリカを倒すための作戦だ。


 俺は魔力と炎を纏った拳を真下に突き出す。

 急速に縮まっていく俺と、見えない壁との距離。


 そして遂には見えない壁へと衝突し、爆音と共に火花を散らして周囲に凄まじい風圧を起こす。

 少しの抵抗の後、壁はガラスのようにヒビが入り、音をたてて砕け散った。

 それも束の間、魔女から離れさせようと次々に反発する圧力と無数の見えない壁が立ち塞がる。

 しかしそんなものは最早抵抗にもならず、徐々に魔女本体との距離が縮まり。


 魔女を包む黒い球体に触れた──。






────────

──────

────





「おっ、先輩まだこれ着けててくれたんすね~。自分感激っすよ~」


 ふいに、声をかけられて俺は目を開く。

 目の前に広がるのはぼんやりとしたモノの境界線が曖昧な白い空間。

 そして視界の端に、俺の腕を掴んでいるリリカが映り込む。


「リリカ……?」


 俺は仰向けになった態勢から、慌てて上体を起こす。

 しかし、体を起こした時点で既に彼女はこちらに背を向けていたため、顔がよく確認出来なかった。


「……最後に、先輩に会えて良かったっす」


 そんな言葉を置き手紙に、遠ざかっていく彼女の後ろ姿。

 追い縋るために立ち上がろうとするも、立ち上がれない。

 感覚では何度も立ち上がっているのだが、何故か実際に動くことはかなわない。


「待ってくれ!」


 そう叫び手を伸ばすも、彼女の袖にすら届かない。



 俺は、徐々に遠退いていく彼女の小さな背中をただ見つめることしか出来なかった。




────────

──────

────





「……ユーゴ! 聞こえてるのなら返事をしなさい!」


「……アリ、サ……?」


 大きな声で叫ぶアリサによって、俺は気がついた。


 一体、どれほど時間が経ったのだろうか。


 俺は状況を把握するために辺りを見回す。

 ぼんやりとした視界に映るのは、先ほどまでと変わらない青い空に燦然と輝く太陽。

 そして、俺の傍らで覗き込むようにしゃがんでこちらを見つめているアリサ。その目尻には小さな涙が浮かんでいる。


 どうやら俺は倒れていたらしい。


 そう理解すると同時に俺は上半身を起こし、彼女と同じ目線になる。 


「どうしたのよ、魔女を倒したと思ったらいきなり倒れたりして。驚かせようとでも思ってたのかしら? ……心配したんだから」


 彼女は俺が上体を起こしたのを確認すると立ち上がり、冗談めかすようにそう言うと、目を擦りながら背後へと振り返った。 


「……悪かった。心配させてしまったみたいだな」


「……相変わらず、あんたって無駄に耳は良いのね。……それで、彼女は救えた?」


 そんなアリサの問いかけに、俺は一瞬言葉を詰まらせて頭を悩ませる。

 果たして、俺は彼女を救えたと言えるのだろうか。


「……多分、な」


 考えても答えを出せなかった俺は、曖昧な言葉を絞り出した。

 振り返った彼女はそんな俺を少し見つめると、軽いため息を吐いた後に俺へ対して左手を差し伸べる。


「あんたがそう言うなら、私はそう信じるわ。……ほら、帰るわよ!」


 彼女はそう言うと、照れ臭そうに顔を背けて早くしろとでも言わんばかりにひらひらと左手を振る。

 向こうの方に、こちらへ飛んできているアヤ姉さん達の姿が見えた。


「──ああ、そうだな」


 俺は頷き、差し出された彼女の左手を握った。







 ──その瞬間。


 彼女はその場に血溜まりと肉片を残して、俺が握っている左手以外の姿を消した。


「は……?」


 俺は突然の出来事にそんな気の抜けたような声を漏らしながら、手元に残った彼女の左手を見つめることしかでき────。


 ──いや、それじゃ駄目だ。


 俺は即座に立ち上がり、今しがた背後に降り立ったアヤ姉さんの命を狩り取らんとする桁外れな速度で迫る見えない何かを防ぐ。

 甲高い金属音と共に周囲には火花が散り、風圧が景色を揺らす。

 俺が触れた部分を起点としてぼんやりと何かが見えたがすぐにその姿は消え、うっすらと何者かの気配が遠ざかって行くのが感じられた。


「え、な、一体何が……」


「……敵は魔女だけじゃない。けどアヤ姉さん達は俺が護る」


 突然の事に理解が追いつかず、困惑している様子の彼女を抱きしめた。


 ──彼女達だけは、せめて。





「──ねぇ、お兄さん。どうして私の事は助けてくれなかったの? 夢の中で約束したのに」


 少しくすぐったい少女のような声で、背後に居る何かが耳元で囁く。


 すると、先ほどまで聞こえていた風が止み。

 全ての音が消え。

 まるで、世界の時が止まったような感覚が訪れた。


「────お兄さんも、私の事を愛してくれないんだね」


 そんな、少女のような可愛らしくもとてつもなく重く冷たい声が聞こえると同時に世界は再び動きだした。

 俺はすぐに背後へと振り返るが、そこには誰も居なかった。



 ────彼女、は。



 ────誰、だ?



 いや、俺はあの声を知っているはずだ。

 今、この瞬間初めて聞いたのは確かだが、耳に覚えがある。


 何か、大事な事を。


 忘れてはいけない事を。



 ──俺は。




 ────忘れているのかもしれない。

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