アガットとの出会い
「大丈夫か?」
男二人が沈黙したことを改めて確認し、絡まれていた少女に声をかける。幼さの残る顔立ち。年齢は十五か十六くらいだろう。艶やかなセミロングの黒髪がビル風に揺れていた。
「は、はい……ありがとうございました」
透き通るような綺麗な声でお礼を述べる少女。まだ現実が信じられないのか、呆気にとられている。まあ、状況だけ見れば大昔の少女漫画みたいだしな。現実感がないのも無理はない。
「あの……お強いんですね」
「ん? あー……どうにもそうらしい」
記憶を失っているため、自分が強いのか弱いのかすらわからなかったが、ある程度は戦えるらしい。自然と体が動いたし、記憶を失う前の自分はこういった荒事に慣れていたのかもしれない。
「あの……もしよかったら、お名前を教えてもらえませんか?」
悪党から助けられた少女が口にする、テンプレートな台詞が紡がれる。ここで、名乗るほどの者ではない、とか言いながら立ち去れば、彼女と再会したときに恋愛ストーリーが展開しそうな気もするが……再会のときまで生きていられるかが怪しい身の上だ。ここは素直に名乗っておこう。
「青葉だ。六道青葉」
未だに馴染みのない名前を少女に告げる。
「青葉さんですね。わたしは赤穂和佳菜といいます。危ないところを助けていただいて本当にありがとうございます。何かお礼でも……」
「別にいい――と言いたいところだが、あいにく困っていることが多すぎる身でな……もしよかったら、力を貸してほしい」
それから俺は、自分が記憶喪失であること、所持金が底を突いて困っていることなどを端的に説明した。
一通り説明を聞き終えた少女――和佳菜が嬉しそうに一言。
「それならちょうどよかった! うちで仕事をしませんか? 師匠も人手がほしいと常日頃からぼやいていたんですよ!」
気絶した男二人を一応は警察に届けてから、俺は和佳菜の案内に従い、とある路地裏を歩く。表のメインストリートは無人の掃除ロボットが清掃をしているため、そこそこ清潔だったが、こんな小道までは手が届かないご様子。悪臭がするというほどではないが、ゴミが道を狭めている。時折、足裏に嫌なぬめりを感じる。
「もうすぐ着きますよ、青葉さん」
ネズミでも出そうな小汚い路地裏を、和佳菜は苦もなくすいすい進む。その姿から、かなり歩き慣れているのが見て取れるな。こう見えて、こういったスラムでの生活が長いのかもしれない。
『マスター、簡単について行っていいの?』
歩いているうちに、ソフィアが声を潜めながらそう話しかけてきた。別にそんなことしなくても誰かに聞かれる心配はないのだが……本当に、変なところで人間くさいAIだ。
『……完全に信用したわけじゃないが、悪い娘じゃなさそうだしな……一応仕事紹介してもらえるらしいし、いいんじゃないか? どうせ行くアテなんてないしな』
金も記憶もないんだ。これ以上失うものなんてそうそうない。
『まあ、マスターがそう言うなら、サポートAIの私は従いますよ』
『そりゃあどうも。いいAIの第一歩は従順になることだぞソフィア』
『第二歩はマスターを褒め称えていい気分にさせることかしら?』
『その通りだ。お前は将来いいAIになる』
『あらそう。嬉しすぎて泣いちゃいそう』
『俺の電脳をぬらすなよソフィア。壊れたら困る』
『どうせ頭は空っぽでしょうに』
『あんだと?』
『なによ?』
その後、ソフィアとの皮肉合戦は五分間続いた。
ソフィアと話しているうちに、どうやら目的地に着いたらしい。和佳菜はこちらに振り返り、とある雑居ビルを指さす。飲食店と思わしき看板が光り輝いていた。
「ここがわたしと師匠の仕事場です。一階が事務所、二階が倉庫、三階と四階が居住スペースとなってます」
それほど大きくないビルを見上げる。全部で四階建てだ。ということは、このビルすべての階を、この娘と『師匠』とやらが使用していることになる。
「あの看板は? テナントが入っているんじゃないのか?」
通路に突き出すよう設置された飲食店の看板を指さしながらそう尋ねる。
「ああ、あれはフェイクです。たまに警察の方がここを通るので、目立たないようにです。この看板じゃあ、色々と悪目立ちしますので」
そう言いながら、和佳菜は看板を見上げる。すると、看板の光は消え、別の光が灯り出す。おそらく彼女の電脳から、何かしらの信号を送ったのだろう。
看板に新しく浮かび上がってきたのは、
『便利屋アガット』
血のように真っ赤なネオンが、そう主張していた。
『いいセンスしてるじゃない。ここの主人とはいい友人になれそうよ、私』
『そりゃあよかったな』
俺は嫌な予感がしてきたよ。ここが地獄の入り口のような気さえしてきた。
「便利屋……確かに警察から目を付けられそうだ。それで看板を変えていたわけか。……だが、看板を変えると、ここを本当の飲食店だと勘違いして入って来る客も居るんじゃないか?」
「たまに居ますね。そういった方は『昨日閉店しました』とか適当な嘘で追い返しています」
案外いい加減な対処だった。
「逆に、本当のお客さんは、フェイクの方の看板も理解していることが多いです。常連さんとか、常連さんから教えてもらった新規のお客さんとかです」
「なるほど……んじゃ、入ってみますか」
「はい! きっと気に入りますよ」
後ろを振り返り、尾行がないことを確認。中に入る和佳菜を追い、とりあえずお邪魔することに。ヤバイ店だったら、早々に立ち去ろう。
「師匠ー、居ますかー?」
ビルの中は質素な作りだった。家具も横長のソファーが二つとテーブルくらいのもの。奥に小さな冷蔵庫とコーヒーメーカー。その脇には飾り気のない小皿とコーヒーカップが棚に収納されている。
リノリウム製の床は薄汚れており、部屋の広さは二十畳程度。採光という考えが建築家にはなかったのか、この部屋に窓はなく、少し圧迫感を感じる。
一階は事務所との説明だったはずだが、どちらかというと応接室に近い印象を受けるな。
「師匠ー?」
一階には居ないと判断したらしい和佳菜は、言葉尻を上げながら、階段に向かって声をかける。すると、少し経ってから鈍い足音が俺の耳に入ってきた。
「んだよ、客か?」
二階から現れたのは女性だった。
ダークグリーンの軍服を着崩した美女。人形のように整った顔立ちと、モデルのような抜群のスタイルも男としては目を引くが、一層目立つのは――炎のように真っ赤な髪の毛だろう。
『この女……義体だな』
『ええ。全身義体じゃないかしら。階段を下りる足音も不自然に大きかったしね』
明らかに作り物の髪を腰近くまで伸ばした彼女は、蛇のように鋭い目つきで俺をにらむ。人当たりのよさそうな和佳菜とは対照的に、なんとも不躾そうな女だ。
『軍服を着てるってことは軍人なのかこの女?』
『正規軍じゃなさそうだけどね……軍人崩れってやつじゃない? 一応軍のデータベースに参照かけてみる?』
『……やめとく。現役の頃とは顔を変えている可能性もありそうだしな』
まあ、このトマトみたいに真っ赤な女の正体は後々わかるだろう。
「師匠、この方はお客さんではなく、新たな仲間候補ですよ」
「仲間候補だぁ? 誰がそんなもん連れてこいって言ったよ。あたしがほしいのは、簡単な依頼で高額のゴールドを差し出すアホだよ。……カモとも言うがな」
『なんとも口の悪い女ね』
『お前といい勝負だよ』
正直すでに帰りたくなってきたが、逃げようとすると殺されそうなので大人しくしておく。
「それがですね師匠、ちょっと聞いてください」
それから和佳菜は、俺が全身義体の男二人を伸したことや、記憶を失っていることなどを端的に説明した。
「記憶喪失で? 腕が立って? 金に困っている若者ねぇ」
女が胡散くさそうに俺を見つめる。本物そっくりだが、あの深紅の眼球も紛いものだろう。
「懐疑的にならないでくださいよ。師匠も助手がほしいって言ってたじゃないですか」
「誰でもいいとは言っていないぞバカ弟子。ま、人手不足を感じていたのは確かだがな。――お前、名前くらいはわかるのか?」
少しは興味を示してくれたようで、ようやく俺の目を見て話し出す。相手をしっかりと見据え、努めて冷静に言葉を発する。こういうのは怯んだら負けだ。
「六道青葉だ。それ以外の詳しい情報はわからない」
「ふーん……義体化率はどの程度だ?」
「ボディステートを信じるならば0だ」
「生身か。それでよく全身義体を退けたものだ……確かに、面白い男かもしれないな。――和佳菜、二階からブラックボックスを取ってこい」
「了解です」
にっこりと嬉しそうに笑ったあと、和佳菜は奥の階段へと姿を消した。何かを取りに行かせたようだが、どんな物なのかは当然不明だ。
「よーっし、六道……青葉だったか? あたしのところで働きたいってのはホントか?」
別にここじゃなくてもいいんだが、本当のことを言うのも面倒だったので、適当に頷いておく。
「記憶と金がなく、食い扶持に困っている。生活に最低限必要な金がほしい……そうだな?」
特に異議もなかったので、再び頷く。
「ならば喜べ。あたしの店は住み込みで働くことが可能だ。安定した食事と安全な居住を確保しつつ、ある程度の貯蓄もできるはずだ。……どうよこの好条件。素晴らしいだろ?」
「まあ……確かに……」
この女の言う通り、ここに住まわせてもらえるのなら、金と住処の問題が同時に片づいて一石二鳥だが……。どうにも嫌な予感がする。異様に高額な壺を買わされそうになっている老人の気分だ。
「ただ――」
猛禽類を彷彿とさせる獰猛な笑みを浮かべ、ゆらりと近づいてくる義体女。
「――いくつかテストはさせてもらうぞ!」
俺の首に目がけて、高速のハイキックが飛び出す。樹齢五百年の巨木であろうと易々となぎ倒しそうな、刃物じみた一撃。
文句を言う暇もなく、俺はカチリと脳内でスイッチを入れる。すぐさま、身体と脳が戦闘用に上書きされる。
俺は小さく息を吸い込み、のけぞりながらそれを回避。風を切る音が耳から脳に伝わり、鳥肌が立つ。
反撃する選択肢が浮かぶ――が、俺は『逃げろ』という本能に従って距離を離す。
「このっ――いきなり何しやがる!? 直撃してたら最悪死ぬぞ!」
「今のを避けたか。なかなかやるな少年。では、次はこいつだ」
軍服を翻し、ボクサーのような拳を放つ。それらすべてを、すんでのところでかわす。見ただけでわかる、素早くて重い全身義体特有の拳。一撃一撃を避けるたびに、冷や汗が流れ出すのがわかる。
『この女、ボクサーのプログラムでも電脳に組み込んでいるのかしら。型がしっかりとした動きね。生身の頃にボクシングを習っていた可能性もあるけれど』
『冷静な分析をありがとうよ!』
主人が生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、AIはどこまでもクールだった。
「――まあ、いいだろう。戦闘面では合格だ」
そんな言葉と共に、いきなり攻撃の手が止まる。数えてはいないが、二十発は放たれただろう。
「はぁ……はぁ……合格?」
「そうだ。あたしの仕事は便利屋。雑用なんかもするが、戦闘や潜入任務なんてのもある。ある程度腕が立つようじゃなきゃ、すぐに死んじまうからな……それで簡単にテストさせてもらったわけだ。許せ」
「そうかよ……ずいぶんと心臓に悪いテストだな。今度からは一言ほしいもんだ」
「すまんな。『これから攻撃します』と公言する敵を、あたしは見たことがないもんでね」
相手をにらみながら、必死に息を整える。一日に何度も全身義体と戦うのは、これっきりにしてほしいものだ。
「悪かったよ少年。どうする? 田舎町にでも行って野菜でも育てるか? もしよければ斡旋してやるぞ」
「それも悪くないが、こうなったら意地でもここで働かせてもらうぞ」
呆れるように、ソフィアが電脳内で嘆息をもらした。
記憶を失っているとは言え、俺も男だ。ここまで小馬鹿にされて、引き下がるわけにはいかない。
『まったく、どうして男ってこう意地っ張りなのかしら』
呆れるように、ソフィアが電脳内で嘆息をもらした。
「いい心がけだな。では、第二のテストだ」
「また命の危険があるのか?」
「まあまあ、そんな嫌そうな顔をするな。これで最後だ」
そのとき、先ほど二階に何かを取りに行った和佳菜が戻ってきた。手には直方体の黒い箱のような物。大きさは野球ボールくらいだ。よく見ると機械型接続子が一つ。機械のようだ。電脳化していない人が電子マネーを入れておく『マネーボックス』に似ている。
「どうぞ、青葉さん」
「? ああ……爆弾とかじゃないよな?」
首を傾げながら、和佳菜から謎の物体をおっかなびっくり受け取る。マジシャンのタネを見破ってやろうとするように、全面をくまなく確かめる。
「さすがに違いますよ。そこに接続子がありますよね? 電脳とその機械を有線で接続してください。Dケーブルはお持ちですか?」
「ケーブルはあるが……どうしろってんだ?」
「なぁに、簡単な話よ。格闘の次は情報戦だ。その箱の中にあるデータを引き出せれば合格。晴れてあたしたちの仲間だ」
なるほど、どの程度電脳が扱えるかのテストってわけだ。便利屋には文武両道なマルチファイターが求められるらしい。そのうち帝王学でも覚えさせられそうな勢いだ。
「当然だが、ある程度の防壁はあるから覚悟しておけよ。制限時間は接続してから五分だ」
「防壁か……さすがに攻性防壁はないよな?」
「それは接続してみてからのお楽しみってやつだ」
「……そうかよ。そいつは楽しみだ」
俺は自分のDケーブルを取り出し、片方を自らの人間型接続子に接続。
『……サポート頼むぞソフィア』
『任せなさい。情報戦はAIの十八番よ』
ソフィアの言葉を信じ、自分とパンドラの箱をケーブルで繋いだ。
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防壁――自分の電脳や、コンピュータなどの通信機を、不正なアクセスから防ぐためのセキュリティープログラム。
一種類のみでは効果が弱く、様々な種類の防壁を組み合わせる必要がある。
攻性防壁――防壁の一種。ハックしてきた者を逆探知し、相手の電脳(またはハックに使用した機械)を焼き切る防壁。民間人の使用・販売・製造は禁止されている。使用が正式に認められているのは軍や警察組織など。
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