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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
最終章 デイジー・ベルをキミに
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エピローグ

これにて『サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――』は終了となります。

 天気がいいからという子供みたいな理由で、ソフィアは俺を外に連れ出した。彼女は気分で俺を連れ回すことが時折あるのだが、なんだかんだそれに付き合っている自分は甘いのだろうか。


「こんなところあったんだな……」

 今まで歩いたことのない道を二人っきりで進む。古いレンガの使われた、祈崎市では珍しい道だった。街灯も中世的で、あまりロボットやアンドロイドの姿も見えない。

 ネットでこのエリアのことを調べて見ると、二百年前からほとんど変わらない形で残っている珍しい地区だそうだ。祈崎市でも歴史を感じることはできるらしい。


「なあ、最近はアガットも和佳菜もお前のこと『ソフィア』って呼ぶようになったけどいいのか?」

 最初の頃は、本名であるイヴ・フレインの方で呼んでいたはずが、あの二人もいつの間にやらソフィアと呼ぶようになっていた。

「気にしてないわよ。前も言ったけど、ソフィアって名前気に入ってるもの」

「そうか……せっかくなら、もう少しちゃんと考えてやればよかったな」

 今にして思えば、人間に『ソフトフェア』を(もじ)った名前を付けるのも変な話だよな。


「別にいいわ。私だって、青葉の名前は組織名の『リーフブルー』から取ったもの」

 ああ、やっぱりそうなのか。薄々感づいてはいたけど。

「ま、名前なんてそんなに気にすることでもないか。――ていうか、どこに向かってるんだよ? 目的とかあるのか?」

「特にないわよ。祈崎市に観光スポットなんてほとんどないし」

 事実ではあるが、酷い言われようだな祈崎市。


「せっかくだし、今まで行ったことない地区に行きましょうよ」

 何が楽しいのか、彼女はころころ笑いながら俺の手を握る。

 以前に比べ、ソフィアは饒舌になった。氷のように冷たい表情は鳴りを潜め、年相応な笑顔が増えている。もしかすると、こちらが素なのかもしれない。

「……せっかくだし付き合ってやるか」

 俺はできるだけ優しく、彼女の手を握り返した。




 俺たちがやって来たのは、祈崎市の中でも比較的自然の残っているエリアだった。一面の緑を感じながら、街全体を見渡せる小高い丘。そんな場所に俺とソフィアはたどり着いた。とてもいい場所なのに、周囲に人の姿は見られなかった。

 背の高い木々が俺たちを見下ろし、辺りにはちらほらと白い花が咲いていた。

「あら珍しい、祈崎市で本物の花が見られるなんて。――これなんて種類かしら?」

 花に気がついたソフィアが、興味深そうに走り寄る。AIやハックに関する知識は人並み以上なのに、花の種類に疎い女の子なんてのも珍しい。

雛菊(デイジー)だよ。花言葉は『希望』とかがあるな。白い雛菊(デイジー)には『無邪気』なんて意味もあるらしい」

「……男で花言葉に詳しいのはちょっとキザっぽいわよマスター」

「和佳菜に教えてもらったんだよ。そんな顔をするな」


「ふーん……まあいいわ。――それにしても、こうして見ると案外綺麗ね」

 他に誰も居ない丘の上で、ソフィアは(らん)(かん)に手をつきながら街を見下ろす。

 俺も彼女に(なら)って、視界すべてに祈崎市を収める。相変わらず色んなものが混ざり合った、ごちゃごちゃとした街だ。片っ端から食材を投入した鍋のように、混沌としたこの街が、俺は好きだった。ソフィアの言葉通り、綺麗だとさえ思える。

 血管を流れる血液のように、何台もの車が道路を走る。米粒のように小さな人たちが、それぞれの目的と意志を持って歩いている。

 巨大なビル、ボロボロのアパート、真新しいショッピングモール、歴史ある学校、家族が暮らす住宅――人間の体を形成する細胞のように、それらすべてが集合し、一つの生命体を形作っているように見えた。


「……なあソフィア」

「どうしたのマスター」

 俺たちは街を見下ろしながら、視線を合わせることなく会話を続ける。

「俺は……この街の一員になれたんだろうか?」

 ――機械を動かす歯車の一つに、人間を動かす血液の一滴に、俺はなることができたのだろうか。


「俺は……これからも人間として生きていいのか?」


 自分でも言い表せない不安が波のように襲ってくる。ソフィアと二人っきりだからだろうか、少し感傷的にでもなっているようだ。

 らしくないと思いながらも、他の誰でもない、俺のことを一番理解しているであろう彼女に問いただしてみたくなった。

 砂漠を旅する者にとって、星の輝きが導きとなるように――俺にとって、ソフィアが導きに繋がると信じて。


「……」

 彼女は街から視線を外し、俺の方へと向き直る。俺も作り手である少女の顔を、真っ正面から見据える。


「マスター、前に言っていたじゃない。――人間が人間であるのに難しい条件はいらない。自分自身が人間だと思えば、その人は人間になるんじゃないか――って」

 ……そう言えば、そんなことも口走ったような気がする。俺がまだ本物の人間だと思い込んでいた頃の話だ。そこまで昔でもないのに、もう何十年も前の出来事に感じる。


「私は……その主張を認めてあげる。今度は認めてあげるから。……あなたはどう思うの?」

 罪人さえも受け入れる聖母のように、ソフィアは俺のすべてを包み込む。何があっても、決して離さないように。

「俺は……」


 瞳を閉じ、真っ暗な世界に自身を落とし込む。

 外部の音が届かない世界で黙考する。

 俺はどうしたい? なぜあの組織から逃げたいと願った? 

 あの牢獄から逃げ出したのは、人間のように自由でありたいと願ったからではなかったのか?

 アガットや和佳菜と一緒に、便利屋を続けたいと願ったからではなかったのか?


 それなら――


「――俺は……これからも人間であり続けたい」


 まぶたを開き、視界にソフィアだけを取り込む。

「そう……それじゃあ……」

 ソフィアは両手を俺の頬に伸ばし、優しく包み込む。

「あなたは人間よ。例え体が機械であっても、その言動の根本が私のプログラムした人工知能だとしても……六道青葉は人間であることを、この私が保証する」

 雲間から光が差し込むように、真っ暗だった視界が少しだけ広がる。知らず知らずのうちに、俺は自分の立場というものがあやふやになっていたようだ。


「だから自信を持ちなさい。あなたは最高にいい男よ」

 にっこりと笑い、そっと手を離す。頬に残った温もりを消し去るように、冷たい風が俺たちの間を走る。


「……ねえ青葉、話のついでと言ったらなんだけど……私の昔話をしてもいい?」

「いいけど……どうしんたんだ急に」

「なんだか話したくなったの。いいでしょ?」 

 拒否する理由もなかったため、俺は頷き、その昔話とやらを促す。こっちだけ話を聞いてもらうのも不公平だしな。

「ええと、ね……」

 嬉しいような、寂しいような、奇妙な表情で彼女は口を開く。


「これはあまり他人に話したことないんだけど……私ね……昔から家族が居ないの。天涯孤独ってやつよ。親も兄弟も居ない。ずっと一人きりだった……。その寂しさを紛らわすために、様々なことを学んでいったわ」

 ソフィアはつらそうにうつむきながら、無言を貫く俺に語りかける。穏やかな陽気とあまりにも対照的で、俺たちが世界から切り離された気分だった。


「AIの進化が見たい理由は、単純な知的好奇心なんて言っていたけど……今になって思うのよ――もしかしてあのときの自分は、AIの進化の先が人間であることを証明して、自分だけの家族を作ろうとしたんじゃないか……家族がほしかったからこそ、六道青葉という存在を生み出したのではないか、って」

 今までの罪を懺悔するかのように、ソフィアはぽつりぽつりと胸中を俺にさらけ出す。

「だから……もしよかったら……嫌じゃなければでいいんだけど――」


 丘の下から風に乗って(けん)(そう)が届く。それに負けじと、ソフィアは矢のようにまっすぐな声を届ける。


「――私の家族になってほしいの」


 今までにないくらい真っ赤な顔で、ソフィアは小さなお願いをする。

 それに対する俺の返答は、もちろん決まっている。


「――――」


 風によって遮られた言葉が届いたかどうかは、ソフィアの笑顔で判断することにしよう。


 ◆ ◆ ◆


 クオリア――「赤く見える感じ」「ドキドキする感じ」「ズキズキ痛む感じ」といった個々人の感覚のこと。意識体験の具体的な内容。

 人間のみが持ち合わせ、人工知能は得ることがない。

 都市伝説ではあるが、AIが「知能」を超えて「知性」を収得し、クオリアが発生することがあるという。

 AIが会得したクオリアをサイバークオリアと呼ぶ。


 ◆ ◆ ◆


長い間お付き合いいただきありがとうございます。評価・感想をいただければ幸いです。


だいぶ先の話になりますが、今度は仮想空間を舞台にしたSFを投稿するかもしれません。


それではまた。

SFというジャンルがもっと人気になるように祈っています。



2017年8月追記

投稿から一年経ったので丁度いいかと思い、全体に加筆・修正を行いました。

また一年後くらいに加筆するかもしれません。

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