脱出
との指示だったので、俺は新たな左腕を早速試してみることにした。マニュアルはすでに電脳の中にインストールされているので、扱いに問題はない。
「じゃあなおっさん」
左手でプロフェッサーの後頭部をつかみ、最大出力でEMP――電磁パルスを手のひらに発生させる。
「がぁっ!」
短い叫びと共に、プロフェッサーはその場に倒れ込んだ。火花すら発生しない、なんとも呆気ない最期だった。
「……便利だなこの腕」
左手を握ったり開いたりしながら、新しい腕の感想を簡潔に述べる。
「義体番号Bの17番……腕の部分に組み込まれた装置で強力なEMPを発生させ、手から放出させる義体だそうよ。本来EMPは人体に対して無害だけれども、電脳者にとっては脳内のナノマシンにダメージを受けるから強力な兵器になる――覚えておきなさい青葉」
まるで教師のように、新兵器の説明をソフィアがしてくれた。自分の体が兵器になる感覚はまだ少し慣れないが、それも時間の問題だろう。
「従来の腕でもよかったのだけど、どうせアンドロイドだということは明かしたのだし、ちょっとくらい武器として使える腕にした方が便利かと思ったのよ。いい采配でしょ?」
「ああ、助かったよ」
本当に、AIだろうが人間だろうが、頼りになる存在だ。
「青葉……お前……」
ソフィアの後方には、見慣れた赤い髪と軍服の全身義体が、驚いた様子でこちらを見つめていた。まるで幽霊でも見かけたような、彼女にしてはレアな表情だ。
「おお、アガット。わざわざこんなところまで来てくれたんだな。心配かけたようで悪かった。それと、勝手に車借りてすまん」
できる限りいつも通りの振る舞いを心がけながら、アガットに屈託なく笑いかける。変に心配をかけたくはなかったからだ。
「まったく……わざわざ迎えに来たぞ」
「ありがとな。でも、どうしてここが?」
「詳しい話はあとだ。和佳菜が待ってる」
和佳菜までこんな物騒なとこに来てるのか。申し訳ないと同時に、嬉しいと感じてしまうのは、悪いことかもしれないな。
「ていうか俺、逃げてもいいのか?」
ソフィアの話では、ここで働き蟻の如く仕事させられるとのことだったが……事情が変わったのだろうか。
「私が逃がしてあげるのよ。そもそも、組織のトップにこんなことして、ここに居られるとでも思ってるの?」
俺の足下には、ぴくりとも動かないプロフェッサー。恐らく脳死しているだろう。
「……それもそうだな」
なぜアガットと和佳菜が居るのか、なぜソフィアが俺の逃亡に力を貸してくれているのか、わからないことは多いがまずは逃げよう。
――俺には帰る場所があるのだから。色々考えるのはあとでもいい。
「和佳菜が私の車をこっちまで運んできたはずだ。それに乗るぞ。――青葉、和佳菜に通話して合流地点を訊け」
「了解」
無事を知らせるために、わざと俺にその役目を押しつけたのだろうな。まあ、俺も和佳菜に通話しようとしていたしちょうどいい。
もう二度とかけることがないと思っていた電脳アドレスを呼び出し、少し緊張しながらコールする。アドレス帳が消されずに残っていたのは、ソフィアの配慮なのかもな。
『和佳菜、俺だ。心配をかけたみたいだな。今からそっちに行く』
『あ、青葉さんですか? 本物ですか?』
『本物だって。そっちは怪我とかないか?』
『はい……わたしは大丈夫ですけど……青葉さんこそ、どこかおかしくされてないですか?』
『あー……電磁パルスを発生できるようになったこと以外は以前のままだ』
『い、色々あったみたいですね。――あ、そうそう、車は東の方角に停めてあります。建物の東側にある出入り口から出て、左手です』
『東口から出て左だな。了解、すぐに行くから』
『はい……絶対に来てくださいね。何時間でも待ちますから』
和佳菜と通話を切り、指定された場所を二人に伝える。
「それじゃあ、あたしが先頭。道順に詳しいだろうし、イヴはその後ろからルートを指示してくれ。青葉は殿だ」
頷き合って、早速行動を開始する。プロフェッサーが起きてこないことを再度確認し、部屋を出る。そこからはソフィアの指示に従い、飾り気のない廊下を走り出す。なぜだか、不気味なほど人が居ない。この二人が何かしたようだ。
「ソフィア、お前っていかにも体力なさそうだけど走れるのか?」
「バカにしすぎよ。さすがにあなたたちほど速く走るのは無理だけど……これでも、時間を見つけて運動してるんだから。あなたが眠っている間とか」
「その割には肌白いよな」
「室内の運動場なのよ」
との話だが、腕や脚なんて折れてしまいそうなほど細い。ずっと俺のAIとして生活していたから、食事なんかもナノマシンでなんとかしていたのかもしれないな。ここを出たら、一緒にうまいものでも食べに行こう。
「おしゃべりはあとだ、警備員が居る」
アガットが速度をゆるめて立ち止まり、曲がり角の奥を顎で指し示す。目的の出口の前には、退屈そうな二人の見張り役。特殊部隊のような黒い防護服を着用している。
「アンドロイドが逃げないようにいつも見張っている連中ね……。どうするの? 一分くれれば、ハックして行動不能にできるけど」
「時間がもったいない、あたしが行く」
アガットが光学迷彩を起動し、足音もなく見張りに近づく。僅か三秒で二人の警備員は体を震わせながら気絶した。スタンキャンディでも使ったのだろう。
「乱暴ね」
「お前が言えた義理じゃないだろ。さ、行くぞソフィア」
倒れた警備員を跨ぎながら、俺とソフィアもアガットに続いて外に出る。
ずいぶんと久しぶりに感じる日光を堪能しながら、少し淀んだ空気を吸い込む。脱獄に成功したような開放感が全身を包んだ。
「自由とはいいものだったんだな……」
「なに感動してるんだが知らんがほどほどにな。――ええと……あったあった」
アガットは迷彩を解除し、人目をはばかるように停車しているオートマチック車へ。運転席には不安そうな和佳菜の姿。俺たちに気がついたようで、こちらに手を振っている。
「青葉さん! ご無事でなによりです!」
「和佳菜……心配かけたな。すまん」
泣きそうな顔で笑う和佳菜。その姿を見ると、帰ってきたのだという実感が湧く。こんなにも自分のことを心配してくれる誰かが居るというのは、どんなに幸福なのだろうか。
半ば成り行きで決まった便利屋稼業だったが、今ではアガットや和佳菜と一緒に仕事しないと落ち着かなくなってしまった。
「いえ……戻ってきてくれたので許しちゃいます。――それより、急いだ方がいいかもしれません。中の方が騒がしいです。気がつかれたかもしれません」
「了解。青葉とイヴは後部座席に。和佳菜、お前は助手席に移動しろ。運転席はあたしが」
四人全員が乗車したことを確認して、アガットがエンジンを入れる。ハンドルを握っているということは、自動運転ではなく手動運転だろう。
「イヴ、この地区から出るにはどう進むのがベストだ?」
「建物の正面から、大きな通りを行くのがいいわね。他の道は車で通るには少しせまいから」
「わたしもその道を通って来ました。でも、本来はその道も車で移動するのは禁止でしたよね?」
「ま、非常事態だ。見逃してもらおう」
車を発進させ、勢いよく加速。現在東口なので、まずは正面入り口まで回り込む必要がある。
「――マズイわね、嘘の情報を流したことがバレたみたい。さっきから私の電脳にコール鳴りっぱなしよ」
「んじゃあ急ぐか。全員、しっかりつかまれよ!」
アクセルを強く踏み、さらに車を加速させる。乱暴なハンドル捌きのおかげで、車内はジェットコースターのようにシェイクされる。文句の一つも言いたいが、舌をかみそうなのでやめておいた。アガットに免許を与えたやつを恨んでおこう。
「よし、あとはここを走り抜けるだけだ」
めちゃくちゃなドリフトをしながらも、何とか正面まで回り込み、車も通れる太い道路を直進する。
「青葉、バックを」
「あいよ」
追っ手がないかの確認のため、俺は視力を強化し後ろを振り返る。
「――おいおい」
タイミングよく、武器を携えた人間が、入り口からぞろぞろと出現し出した。ただの銃器だけではない。ロケット砲のような物まである。自動追尾機能でもあれば、車でかわすのは至難だ。
「ソフィア! 正面入り口から武装した人間がお出ましだぞ!」
「あー、傷痍軍人の全身義体小隊ね。行き場を失っていた彼らをウチが安く引き取ったらしいわよ」
「大盤振る舞いじゃないか。――イヴ、あいつらの電脳にハックできるか?」
「まあ、部署が違うとは言え、元々同じ組織の人間だしやりやすいとは思うけど――青葉、借りるわよ」
ソフィアは白衣のポケットから緑のDケーブルを取り出し、俺の人間型接続子――ある意味機械型接続子だろうか――に片方を接続。もう片方を自分の白いうなじに差し込んだ。
「なんで俺と接続したんだ?」
「青葉の電脳はAIであると同時に補助機能も備わってるのよ。専用のコンソールほどじゃないけど、少しは助力になるから。仮初めのアシスタントってところね」
「そうなのか……で、俺はどうすればいい? いきなり補助機能なんて言われても、俺にハックの知識はそれほどないぞ?」
「難しいことは考えなくていいわよ。いつも通り、マスターらしく私に指示をくれればいいわよ」
イタズラを思いついた子供のように、純粋で残忍な笑みを湛えるソフィア。
「……簡単だな」
ああ……姿があろうとなかろうと、こいつはいつだって頼もしい。
「優秀AIが居ると楽でしょう?」
「まったくだ」
なんてことはない、俺は今まで通りでいい。マスターとして、現状で最適だと思われる指示を下す。
「――ソフィア、後方からこちらを攻撃しようとしている全身義体をハックしろ。全員の動きを一時間ほど停止してくれ」
きっと大丈夫。俺のAIはいつだって、こちらの言うことには忠実なのだから。




