プロフェッサー
「ええと……いいんですか? やけにあっさり決断されましたけど」
「ええ。だってやらないと殺されるんでしょ? だったらやるわよ。私が死ぬのは人類の損失になるもの」
それが当然とばかりに、私は赤穂の脅しに屈した。リーフブルーを裏切ることに、躊躇いや抵抗は微塵も感じなかった。
「正直、この組織に未練なんてないし、ここに居るよりもあなたたちと祈崎市で生活した方が面白い物が見られそうだもの。それに――」
私は青葉の視界を通して眺めていたあの日常を思い返す。
青葉は誰がどう見ても人間になれたのではないだろうか。
AIという領域を乗り越えたのではないだろうか。
六道青葉という存在こそが、イヴ・フレインの終着点なのではないだろうか。
それなら――
「――私の目的はすでに達成したわ。もうリーフブルーに居る必要もないもの」
メイド・バイ・イヴのアンドロイドは、彼が最初で最後なのだろう。
これからは、彼女たちと共に新たな未知を探すのも悪くはない。
「な、なぜか腑に落ちない気もしますが……信用してもいいんですよね?」
「信用するかどうかはあなたたち次第よ。でも、私はここの社員だし、ある程度力になれると思うわ」
「……そうですね。わたしと師匠だけでどこまでやれるか心配だったので、助力してもらえるのはありがたいですけど……師匠、どうします?」
「ん? まあ、いいんじゃねぇの」
まるで、どう転ぼうが自分にはそれを解決するだけの力があるとでも言いたげな態度だった。事実、途中で私が裏切ったとしても、この全身義体はどうにか青葉を助け出して脱出してしまうかもしれない。
うちの警備員が総出で攻撃したとしても、ラングレーなら返り討ちにできるだろう。それは、近くで見てきた私だからこそよくわかる。アガット・ラングレーという女は、これまで見てきた誰よりも強いのだから。
「んで、何か策でもあるのかイヴ」
もうお前はあたしの仲間だ、とでも言外に匂わせるような、気さくな口調で話しかけてくる。そのことが少し、くすぐったい。
眺めるだけだった三人の輪に、初めて加われた気がした。
ここはこんなにも温かいのだ。
「そうね……こうしましょう――」
この二人なら、私の作戦に命をかけてくれる。そんな確信を感じながら、考え出した作戦を話し始めた。
非合法組織――リーフブルーの一階にて。
私とラングレーは、少し離れたところから赤穂を見守っていた。端から見ると、初めてお使いを頼んだ娘を見守る親のようだろう。
現在赤穂は、従業員が大勢居る作業エリア――の前でこちらの指示を待っている。私とラングレーはそこから少し離れた通路で、壁を背にして立っている状態だ。
「ホントに大丈夫なんだよな?」
「大丈夫よ。あそこに居る連中は赤穂の顔を知らないはずだしね」
大まかな作戦としてはこうだ。
まずは赤穂が陽動を行い、そのまま外に出て車をこちらに回してくる。その間に私とラングレーで青葉を連れて逃げ出す。そして、四人そろって車でクーロンシティを脱出……という内容だ。
私がこっそり青葉を外まで連れ出し、そのまま四人そろって脱出という案も出たが、ラングレーが居た方が不測の事態に備えられるということで、この案を採用した。シンプルだが、変に策を巡らせる時間も人員もない。
「それじゃあ、やるか?」
「ええ」
私は頷き、ラングレーが赤穂に作戦開始の指示を送った。それと同時に、私も行動に出る。
『――全従業員に通達! こちらはイヴ・フレイン。六道青葉に投与予定だったナノマシンが異常暴走! 対策は困難。総員避難! そちらに私専属の助手を送った! 彼女の指示に従って避難しろ!』
私は作業エリアに居る連中に通話をかけ、パニックを起こす。当然、全従業員に通達というのは嘘だ。とりあえずあのエリアさえ人払いできればいい。
「おーおー、慌てだした。ずいぶんと大がかりな……」
「どうせここには戻って来ないんだし、最後くらい引っかき回してやるわよ。あそこに人が居ると、青葉を連れ出すときに止められそうだもの」
「すさまじい精神してるな。まあ、嫌いじゃない」
「どうも。……どうでもいいけど、その精神鑑定ツールはしまいなさいよ」
「はいはい――っておい、なんであたしの視界を確かめられるんだ? あの部屋を出て八分しか経っていないのに、もうハックしたのか?」
「念のためね。大丈夫、変なことはしないから」
「恐ろしい小娘だな。まあ、青葉の異常なハック能力を考えれば、このくらいできるのか……あいつ、ハックはサポートAI任せだって言ってたし、要するにお前が全部やってたんだろ?」
「まあそうね。青葉のサポートAIやってたときは、ハックに特化したコンソールの中に居たってのもあるわ。もちろん、私の電脳だけでも、そこらの防壁十枚くらいなら楽に突破できるけれども」
「……お前だけは敵に回らないよう願うばかりだ」
そんな話をしているうちに、作業エリアの従業員は全員外へ退避していた。赤穂もその流れに乗っているはずだが……。
『師匠、イヴさん、こちらは無事に外へ脱出しました。今からこっそり抜け出して、師匠の車回してきます。一緒に逃げてきた人には、適当な嘘ついてどこかに足止めしておきます』
私とラングレーの電脳に、赤穂から成功の報告が入った。なんだかんだあの子も、こういった非常事態には強いのだろう。
「青葉は作業エリアの奥のはず。ラングレー、一応光学迷彩を起動しておいて。プロフェッサーに感づかれる前に行きましょう」
「はいよ」
ラングレーが姿を消し、私は急いで青葉の元へ走る。廊下と密接した作業エリアは、大学の講義でもできそうな程の広さがある。大型コンピュータやコンソールが複数置かれた部屋を走り抜け、電子ロックのかけられたメンテナンスルームの前で立ち止まる。すでに左腕の修理は終わり、今は制御ソフトのチェックを受けているはずだ。
本来私は整備部ではないので、ここに入るには誰かに開けてもらう必要がある。だが当然、そんな悠長なことをしている暇はない。
自分専用のカスタムハックツールを起動させ、扉のロックを解除する。元々セキュリティーキーは握っていたので、赤子の手を捻るよりも簡単な作業だ。
「行くわ。光学迷彩を起動したまま付いてきて」
扉が上にスライドし、中から白い光があふれ出す。光が飽和した世界へと、私は身を滑り込ませ、
「やあフレイン君。遅かったね。どうしたんだい、そんなに慌てて」
最悪のタイミングでプロフェッサーと鉢合わせた。
日頃の行いが悪いのは認めるけど、今日くらいは見逃してくれてもいいじゃない神様。
『おい、もしかしてこいつが?』
『ええ。ここの最高責任者よ』
そこまで広くない真っ白な部屋には、腕の修理が完了してコンソール内でメンテを行っている青葉と、見張りのように待ち構えていたプロフェッサーだけだった。青葉は眠っているようで、コンソールの中で身動き一つしない。
『どうするよ? あたしが仕掛けるか? 三秒あれば始末できるぞ』
『待って。もう少し様子を見ましょう。この男のことだもの、自分の心肺が停止した瞬間に、この建物が自爆する仕掛けがあってもおかしくはないわ。可能なら穏便にいきたいの』
ただの警備員ならまだしも、相手は私でも底が見通せない化け物のような男だ。慎重になりすぎて悪いことはない。
「プロフェッサー……こちらで何を?」
呼吸を一定に保ち、いつも通り、鉄の仮面で表情を包み隠す。大丈夫、動揺を顔に出さないことが、数少ない私の特技なのだから。
「いやなに、六道の様子を見ていただけだよ。もうアンドロイドだということは受け入れたと、四道からは連絡を受けていたが……再びパニックに陥る可能性もゼロではないだろう? 一応ここの長として、改めて説明しようとしただけだよ」
「……そうですか」
正直、この話も信じられない。もしかしたら、私が青葉と逃げ出すことを考慮して、ここで待機していた可能性だってある。相変わらず喰えない人だ。
「そんな親切を利かせるなんて、珍しいですね。いつもは他人そっちのけで研究一辺倒ですのに」
「耳が痛いが、フレイン君に言われたくはないな……。そっちだって同じようなものだろう?」
「まあ確かに……それより、青葉の電脳を私の方でチェックしますので、一度退室していただけますか?」
プロフェッサーの目の前で堂々と連れ出すワケにもいかない。ここは大人しく出て行ってもらえると助かるのだが。
「なぜだい? 僕に見られるとチェックできないとでも?」
「複雑な乙女心です。青葉と有線で接続している場面を他人に見られたくありません」
実際、異性との有線接続を恥ずかしがる人も居る。だが当然、私がそんなキャラかと問われれば答えはノーだ。そんなこと、この男なら百も承知のはず。さすがに無理があるだろうか……。
「ははは。フレイン君も女の子だしね……でも、その願いは聞けないかな。――背後に居る誰かさんが、六道をかっさらおうとしていそうだしね」
「…………」
頬が引きつらないようにと神に祈ったが、天の邪鬼な神様は言うことを聞いてくれないだろう。
『……イヴ、あたしの存在バレてるぞ』
『みたいね』
なぜラングレーの存在が判明している? 目にサーモグラフィー機能でも備わっているのだろうかこの男。
「……なんのことでしょうか?」
「誤魔化しても無駄さ。僕にはすべてお見通しだよ。君は知らないだろうけど、この部屋の入り口には感圧シートが埋め込まれていて、その情報は僕だけが閲覧可能だ。君が入って来たのと同時に、もう一人入っている。姿が見えない点と重量からして、全身義体だろうね」
そうか……私は比較的新参者だから詳しく知らされていなかったが、この建物を設計したのもプロフェッサーだったはず。彼にしかアクセスできない設備があっても不思議ではない。
「……バレてしまいましたか。色々と用意周到なんですねプロフェッサー。称賛はしませんが参考にはします」
こうなると、もう言い逃れはできないだろう。私は両手を挙げて、降参のポーズを取る。
「君はまだまだ詰めが甘い。――この組織を裏切る気かい?」
怒りを表している様子はない。むしろ、無邪気な子供が心から喜悦しているような表情で彼は笑う。
囚人を監視する看守のように、視線を外すことなくじっとこちらをにらみ続ける。底冷えしていく感覚を味わいながらも、声を震わせないように努める。
「ええ。青葉をあなたたちのおもちゃにするのは親として心苦しいので、私が保護します」
「それが君の主張か……背後の人間が協力者というわけだね? まずは姿を見せてもらおう」
プロフェッサーが指を鳴らすと同時に、後ろから僅かな電子ノイズ。振り返ると、迷彩を解除させられたラングレーが、困惑気味に立っていた。
「おいおい、あたしの電脳ってこんなにホイホイ入られるほど防壁少なくないはずなんだが……イヴといい、この組織の人間はこんなのばっかりかよ」
――ラングレーの電脳に侵入されている。……ということは、唯一の攻撃手段が、敵の手に渡ったことになる。
部屋に入ってから、まだ五分と経っていない。私よりも確実に短時間でハックしている。まるで魔術師だ。
「ほう、六道と一緒に働いていたアガット・ラングレーだね。ここに居ると言うことは、送り込んだ全身義体は返り討ちか」
「……やはり、全身義体を向かわせたのはあなたの指示ですか」
「ああ。君に頼むと、余計な情が湧くだろうと思ってね……結局失敗だったみたいだけど」
本当に、陰で色々と策を練るのが好きなお方だ。
『ラングレー、体は動かせる?』
『それがまったく。しかも視界まで封じられた。真っ暗で何も見えない。さすがに困った』
『そう……』
状況は最悪だった。この組織を――この男を私は侮りすぎた。
非合法の組織を何年も自己資産だけで存続させ、政府に気づかれることすら一度もなかったトップの手腕を……甘く見ていいはずがなかった。少しばかり研究に長けた小娘が、相手をできるわけがない。
「さすがに君の電脳に侵入するのは時間がかかりそうだ……まあいい」
ラングレーの左腕が変形し、再び銃器が顔を出す。それがゆっくりと、私の方へと向けられる。生身の自分では避けることも防ぐことも不可能だろう。
死神の鎌が、そっと首筋にそえられた。
「どうするフレイン君? 僕の指示一つで、君の頭は空気を入れすぎた風船のように吹き飛ぶよ?」
「……できれば助けていただきたいのですが」
「君のような、優秀な人材を失うのは惜しいよ」
それが返答だということだろう。一度反旗を翻した人間を置いておくほど、懐が深いはずもない。
天井から降り注ぐ蛍光灯の白い光に混じって、天使でも舞い降りてきそうな心境だった。
ラングレーは敵の傀儡、私にはこれと言った武器はなし、完全に八方塞がりだ。
ただそれでも、私はまだ諦めてなどいない。この程度の危機を乗り越えられないようなら、今後青葉と生きていくことなど到底不可能だろう。
「どうしたんだいフレイン君。もう諦めたのかい? 君が土下座して命乞いをするところが見たかったのだが……」
「いえ、さすがにそこまで生き恥を晒しはしません。ですが、このまま死ぬのも心残りなので、一つ尋ねてもいいでしょうか?」
「ああ。構わないよ。冥土の土産としておこう」
この男と会うのもこれが最後だろうから、訊きたいことは訊いておこう。私は昔から未知が嫌いなのだ。それが例えどんな小さなことでも。
「それでは――これまで一緒に仕事をしてきて、今更だとは思うのですが……あなたの目的はなんなのですか?」
「目的?」
「はい。あなたは進化させたAIで何をするつもりなのですか?」
「……なんだ、そんなことか。そういえば、君には話していなかったね。――僕の目的は単純だよ。人間の保存だ」
「人間の……保存?」
なんらかの形で金儲けでも考えているのだろうと思っていたのだが、予想外の答えが返ってきた。
「そう。僕は世界で一番人類を愛している。人間の築いた文明を、文明を築いた人間を、僕は心の底から称賛している。だからこそ、このまま破滅に突き進むのを見ているのは忍びないんだよ」
「それで『保存』ですか……で、今の話がAIとどう繋がるのでしょうか?」
「簡単な話だよ――AIに人間生を持たせ、ヒトと変わらないレベルまで押し上げる。そうすれば、AIはヒトに成り代わる。人間は肉体という檻にとらわれるが、AIはその限りではない」
「……では、人類がすべて消え去り、AIだけの世界をお望みと?」
「まあ最終的にはそうだね。もちろん、積極的に人類を滅ぼそうとか、そういった考えはないよ」
……むちゃくちゃだ。荒唐無稽すぎる。
「一応訊きますが、冗談ですよねプロフェッサー? 人間なくしてAIを運営できると思っているんですか? サーバーのメンテナンスは? 電気はどのように調達するのですか?」
「将来的には、それらすべてAIが自分たちで行うさ。場合によっては、アンドロイドのように、機械身体を活用するAIも出てくるだろう」
「……」
この男……本気だ。本気でそんなAIだけの世界が到来すると信じている。
「ふむ、あまり納得していない様子だねフレイン君……。では質問しよう、我々人間と、サイバークオリアを得たAIの大きな違いはなんだね?」
「人間とクオリアを得たAIの違い?」
質問の意図はわからないが、答えなら簡単だ。
「いくつか違いはありますが……繁殖欲求の有無、ですか?」
「その通りだ。やはり君は優秀だね。――プログラミングにより、擬似的な繁殖欲求は与えられるだろうが、基本的にAIが子を成すことはない。人間が手を加えない限り、AIはAIを生み出さない」
「まあ、基本的にはそうですが……」
「人間が滅びに向かっている理由はなんだね? 増えすぎたから、だろう? AIならそうはならない。人間がAIを作れば増え、削除すれば減る。それがAIだ。もし人間が居なければ、数量は常に一定となる」
「人のように、老いた者が死ぬことはなく、新たな者が生まれることもない……永遠に同じAIが、存在し続ける……」
「そうだ。それが僕の理想だよ。人間の滅びは免れない。それならばせめて、人間の思考だけでも残したいんだよ」
「思考?」
「そう。意思と言い換えてもいいね」
なるほど……。今気づいたが、この男、思考至上主義者だ。人の『意思・考え・所感』といったものを異常に重要視する人間……ごく稀に存在するとは聞いていたが、まさか自分の上司だったなんて。
「なんとも閉鎖的で独善的な世界ですね。永遠に進むことも戻ることもない、時が止まったような世界を作り上げて、一体どうするのですか?」
「別にどうもしないさ。ただその状態を維持できれば僕は満足なんだよ」
さすがは非合法組織のボス、いい具合に狂っている。
「プロフェッサー、あなたは人間というものを神格化しすぎています。AIに人間という役割を押しつけ、永遠に存続させるほど価値のあるものではありませんよ。滅ぶときは素直に滅ぶ方がいいんです」
「それは違う。人間は持てる力すべてを導入してでも、自らを保持する必要がある。……君こそ、人間を軽んじすぎてはいないかい?」
身長差から、こちらを見下ろすプロフェッサー。その視線を真っ向からにらみ返す。
「ふぅ……少ししゃべりすぎたね。そろそろ終わりにしようか。どうせこれ以上は平行線だ」
「そうですね。面白い話も聞けて満足です」
確かに、もう時間稼ぎは充分だろう。
「……ですが、最期に一言いいですか?」
「遺言かい? いいだろう。聞き届けよう」
なんてことはない、私は今まで通りでいい。AIのように、現状で最適だと思われる指示を下す。
「左腕を使いなさい」
きっと大丈夫。私のマスターはいつだって、こちらの言うことには忠実なのだから。




