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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
最終章 デイジー・ベルをキミに
41/47

初めまして

 穏やかに眠る青葉の頭を、起こしてしまわないようにゆっくりと撫でる。

「それにしても、まるで子供ね、マスター」

 起きているときにこう呼ぶと嫌がるだろうから、今のうちに呼んでおこう。私は彼をこう呼ぶことが嫌いじゃなかったから。

「マスター、か……」

 今の立場を考えれば、どちらかと言うと私がマスターだ。それでも、青葉をマスターと呼びたかった。言い慣れているからか、あの頃の思い出に浸るためか……それとも青葉との繋がりが切れることを恐れているのか。

「私も大概みみっちいわね。フラれた恋人にいつまでもつきまとってるみたい」

 ……あながち、間違ってもいないか……。


「――フレイン教授! 至急お話ししたいことが!」

 物思いに(ふけ)っていたところに、大声と共に入ってきた中年の男性警備員。この部屋にはジャマーがあるから、わざわざ呼びに来たのだろう。

 仕事熱心なのは認めるが、私はそちらをにらみつけ、彼を黙らせる。


「見てわからない? 青葉が寝ているのよ。次大声を出せばあなたの命はないものと思いなさい」

「す、すみません」

 私の倍は生きているであろう警備員は、怯えながら口を閉ざした。

 実験を大成功させた青葉の制作者ということで、この組織内で私の地位は格段に高くなった。もちろん、ここで偉ぶりたかったから、こんなにも頑張ったわけではない。

 私は…………いや、今はやめてこう。頭を回し始めると、なかなか止まらなくなるのが私の悪い癖だから。


「ふぅ……で、話ってなに?」

「はっ――それが、例の二人組が組織まで来ております」

「例の二人?」

 警備員が知らせに来たということは、お仲間じゃないことは確かだ。


「六道青葉様の仕事仲間であるという、アガット・ラングレーと赤穂和佳菜です」


 思いがけない二つの名前が出たことにより、私は青葉を撫でていた手を停止させられた。瞬時に頭を切り換え、思考を加速させる。

「アガット・ラングレーに赤穂和佳菜……」

 どう考えてもおかしい。青葉が不在なことに気がついたとしても、ここがバレるには早すぎる。青葉があの二人にリーフブルーの所在地をメールしてないことは、ずっと一緒に居た私が保証できる。


「ちょっと……どういうこと? なんであの二人にここがバレてるのよ?」

「恐らく、差し向けた三人の全身義体(サイボーグ)が返り討ちにされ、我々の存在が明かされたのかと」

「なによそれ。聞いてないわよ」

 差し向けた全身義体(サイボーグ)? そんなものを指示した記憶は一切ない。こんなことを私の許可なしに行えるのなんて……一人居たわね。


「フレイン教授には連絡が行ってないのですか? プロフェッサーが私兵を派遣して、二人の記憶か存在を消してこいと……」

「初耳よ……。まったく、一度電脳焼き切ってやろうかしら」

 あの二人に対しては、何らかのアクションを起こさなければならないと考えていたが、勝手に事を運ばれるとイライラする。たかだか全身義体(サイボーグ)三人でラングレーを止められるはずがない。軍の一個中隊でも彼女一人を仕留めるのは困難だろう。あの女はそれほどの技量を我が物にしている。


「あの二人は私が対応するから。あなたは整備部に連絡して青葉の左腕を修理するように伝えておいて。使用するのは……Bの17でお願い」

「かしこまりました」

 起こさないように青葉の頬を数回つつき、私は後ろ髪を引かれながら立ち上がった。




 部屋を出ると、壁を背にした彩音が私を待っていた。こんなところでなにを? という疑問を投げかける前に、彩音がそれを制するように口を開く。

「や、イヴせんせー。青葉くんの調子はどう?」

「……問題ないわ。それより、ここで何してるの彩音。あなただって遊んでいていい立場じゃないでしょう?」

 リーフブルーが製造した四番目のアンドロイド――四道彩音。彼女は組織内でも奇妙な立ち位置に居る。立場的には観察対象だが、プロフェッサーのお気に入りということで、他の従業員は腫物扱いをしている。私としても、積極的に絡みたい相手ではない。


「ちょっとイヴせんせーと話してみたいと思ってね。気まぐれってやつだよ」

「気まぐれ、ねぇ……私急ぐんだけど?」

「少しだけだって。ね?」

 手を合わせてお願いする彩音。その姿は完全に人間そのものだった。恐らくは、私よりも。

「……わかったわよ。で、話って?」

 私が話を促すと、彩音は嬉しそうな表情で、


「サイバークオリア」


 と、聞き覚えのある単語を口にした。脈絡なく紡がれたその一単語が、接着剤のように脳裏へとへばりつく。

 サイバークオリア――電子によって発生した感覚質。科学(サイエンス)が進みすぎ、一週回って幻想(ファンタジー)へ到達した夢物語。本気にする者も居るし、一笑する者も居る。一昔前のSF小説のテーマでは、よく取り上げられていたらしい。あいにく娯楽には疎いので、具体的なタイトルは思い浮かばないが。


「聞いたことあるイヴせんせー? AIが得たクオリア……人間性の話」

「……うわさ低度ならね。で、それがなに?」

「ウチたまに思うんだけどさ……人間と人工知能の境界ってどこなんだろうね?」

「…………」

 彩音の問いに、私は答えることができなかった。自身の解釈と知識をここで延々と垂れ流すのも違う気がしたから。


「何をすれば人間なのかな? 何ができれば人間と認めてもらえるのかな? 人工知能はどこまで進化しても所詮はまがい物なのかな? 人の心を作り出すことは不可能なのかな?」

 誰かを責めるような、やるせなさを我慢しているような、そんな声で、


「人間は――無条件で人間なのかな?」


 ぽつりとAIの本音を()()した。

「……何が言いたいの彩音? 青葉の件で私を責めているの?」

「まさか。ウチにはそんな権利ないもの。ちょっと脱線しちゃったけど、ただ、サイバークオリアについて訊いてみたかったんだよ……存在するのか、否か、を……イヴせんせーはどう思う?」

「……私は……」

 サイバークオリア――AIが進化の果てに人間と並ぶ存在になる。そんなおとぎ話(メルヘン)


「私は――あると思うわよ。もしないなら、作り出してみせるわ」


 人と並び立つAI――それこそがイヴ・フレインの目的なのだから。

「……そっか。それを聞いて安心したよ。じゃ、頑張ってねイヴせんせー。きっといい選択をしてくれるって信じてるから」

 言いたいことは言い終えたようで、彩音は私の進行方向とは逆に向かって歩き出した。後ろで組んだ手が、犬の尻尾のようにゆれていた。


「努力して、苦悩して、間違えたりもするけど、最後は正しい選択をするのが人間だもの」




「初めまして、アガット・ラングレー、それに赤穂和佳菜」

 青葉がここに来たときのように、見慣れた人間に『初めまして』と声をかける。なんとも妙な気分だった。

 二人は五人の警備員に銃を突きつけられながらも、まるで怯むことなく堂々とした立ち振る舞いだった。


「全員下がっていいわ。私が対応するから」

「き、危険です。フレイン教授!」

「私の客よ。いいから銃を下ろしなさい。殺されたいの? 今の私は警備員を殺したとしても、始末書一枚で済むのよ。……この意味がわかる?」

「し、しかし! 部外者を社内に入れるわけには!」

「紙一枚と僅かなインクの価値しかないあなたの命をここで消し去りたいなら、この二人を撃てばいいわ」

「っ……」


 苦々しい顔の警備員を全員下がらせ、改めて二人に向き合う。青葉の目線ではなく、私の目線でこの二人を初めて見た。……少しも変わっていないことが、無性に嬉しかった。

「……ずいぶん小綺麗な小娘が出てきたな。お前が責任者なのか?」

「みたいなものよ。うちの私兵がそちらにお邪魔して(ろう)(ぜき)を働いたようね。その点はお詫びするわ。もし修理代が必要なら言って頂戴。ここまでの移動費も含めて支払うから」

「お、おう……ずいぶん丁寧な対応で少し驚くぞ。――まあ、そのことは別にいい。それより、六道青葉という男について知らないか? この近くに居るはずなんだ」

 この近くで青葉が勝手に借りたオートマチック車でも見つけたのか、ここに居ることを確信しているようだ。まあ、急に居なくなった青葉と、送り込まれた全身義体(サイボーグ)――関係があると考えるのは普通よね。


「……」

 (あご)に手を当てて少し考える。当然、今すぐにこの二人をハックして、電脳を焼き切ってしまうのが一番手っ取り早いのだが……どうにも気が乗らない。

 ここで知らないとシラを切って追い返しても、どうせ嗅ぎ回られるだろうし……いっそ事情を説明した方がいいかしら……。


「――あなたたちは私のことをまったく知らないでしょうけど、こっちはよく知っているのよ。マスターが色々お世話になったしね」

「マスター?」 

「こっちの話。……一応恩義は感じているし、特別に教えてあげる。どうぞこちらに」

 私も甘くなったものだ。この二人を殺すには、一緒に居る時間が長すぎたらしい。

「あのお人好しに感化されたかしら……」


 私は一階奥の応接室に向けて歩き出す。あそこなら落ち着いて話ができるだろう。

 二人は顔を見合わせてから、訝しげな表情のまま付いてきた。

「ここよ。防音はしっかりしているし、ジャミングも作動しているから安心して」

 普段はあまり使われない応接室にラングレーと赤穂を通す。黒い革の一人用ソファーが四つ。小綺麗なテーブルと観葉植物が置かれた、どこにでもある手狭な部屋だ。防音とジャミングが作動しているのは嘘ではないので、密談するには最適と言える。

 一応社員証を使って扉のロックをかける。私専用のロックをかけたので、プロフェッサー以外は入れないはずだ。


「さ、それじゃあ話を始めましょうか」

 本日二度目となる六道青葉の物語を、私はじっくりと語り始めた。

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