二日目スタート
『おはようマスター。祈崎市の今日の天気は一日中快晴、洗濯指数は90みたいよ。よかったわね』
「……まったくだ。嬉しすぎて泣けてくる」
慣れてしまったAIの声によって目覚めると、目に入るのはボロボロの屋根と壁。記憶も相変わらず戻らぬままだ。部屋の壁に防音加工は施されていないようで、外からの喧噪がほぼダイレクトに届く。
「はぁ……」
ベッドの感触を背中で確かめながら、上体を起こす。目覚まし代わりだと言わんばかりに、スプリングが朝から嫌な音を立てる。
『記憶が戻ったりした?』
「それがまったく。難儀なもんだな」
軽く体を動かし、眠気を消し去る。薬品くさい水道水で喉を潤し、唯一の所持品であるDケーブルをポケットの中へ突っ込む。これで出発の準備は完了だ。
宿の主人に一言礼を言ってから、俺は外へと足を踏み出した。ソフィアの言う通り、天気はいい。容赦なく紫外線が肌を刺激する。
『これからどうするのマスター?』
「どうしようかね……日当もらえる仕事でも探してみるか?」
『プロフィールが穴だらけで、記憶喪失の男を雇ってくれるところがあるかしら』
「……現実ってのはつらいな」
『いつだってね』
本日も人でごった返す祈崎市を、たった一人で練り歩く。大人も子供も、男も女も、自分が生きるために精一杯活気をみなぎらせていた。
「しかし、本当に色々な物があるな……」
食品・日用雑貨・機械の部品・銃器・ナノマシン・新型の義手――路地裏を除けば、ホルマリン漬けにされた内臓まで売られている。瓶には持ち主の顔写真が貼られていた。
『この祈崎市、昔は物流の中心地だったらしいわね。今はそれほどでもないけれど、色々な物がそろうのはその頃の名残じゃないかしら。合法、非合法を問わずね』
「警察や政府が何か口出しをしたりはしないのか?」
『一応この祈崎市にも正規の警察機関は存在するらしいけど……形骸化しているみたいね』
ソフィアはそう言いながら、宿のパソコンの中にあったレポートを引っ張り出す。
「どれどれ……」
薄汚れたアパートの壁に背中を預け、目の前に現れたホログラムウィンドウを眺める。様々な項目の中から『警察について』を選択して展開。ざっと眺めてみる。
「ふぅん……後ろ暗い大企業のいくつかが、警察の上層部に資金を流しているのか……」
金を握らせてやるから、ちょっとした違法売買を見逃してくれってことだろう。警察としても、知らんぷりするだけで金が入り込んでくるのだから、いい儲け話なんだな。
「素晴らしく腐ってやがるな」
『こんなご時世だもの。みんな生きるのに必死なんでしょう』
この情報が本当かどうかの確証はないが、あまり警察はアテにしない方がよさそうだ。
レポートを閉じ、再び歩き出そうとしたそのとき、
「――っ!」
微かだが、遠くから悲鳴のようなものが聞こえた。確証はないが、動物なんかの鳴き声ではないだろう。
「……ソフィア、今の」
『声紋的に若い女性ね。方角は南西。距離はおよそ100メートル。……どうするのマスター』
「どうするって……警察は頼りにならない街なんだろ? だったら――」
GPSを素早く起動させ、方角を確認する。
「――助けに行こうじゃないか。お礼で金もらえるかもしれないしな」
最低の下心満載で、俺は薄汚れた小道を走り出した。