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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
最終章 デイジー・ベルをキミに
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「っ……はぁ……!」

 一体どれだけの時間が流れたのだろうか。網膜内で時間を確認することすら忘れていた。

 止めていた呼吸を再開し、肺に溜まった空気を一気に吐き出す。


「動く……」

 拙いながらも長い時間をかけて、俺はようやく右腕のバグを取り除いた。昔、戦場で自らに麻酔を打ち、自分の足を手術した医者が居るとアガットが話していたが、そいつの気持ちが少しだけわかった。

「和佳菜からハックの手ほどきを受けてよかった」

 暇なときに和佳菜と共に行ったネット教材『猿でもわかるハック ~ハッカーを目指すあなたに~』が役に立った。


 俺は自由になった右腕を、赤子のようにブンブンと振り回す。体を動かせるだけで、これほど嬉しいと感じたことはない。

 千切れてしまった左腕は後回しでいいとしても、あと四ヶ所これと同じ作業をしなければならないのか……正直気が滅入るな。


「何かないのか?」

 次のハックに入る前に、俺は右腕を精一杯動かし周囲を探る。腕一本動くだけで、ある程度は体勢を変えられるので助かる。


「ええと……これって……」

 ベッドの脇に置いてあったキャスター付き作業台。その上に古ぼけたアイスピックが転がっていた。木製の柄には指の(あと)がついており、よほど使い込まれた代物のようだ。

 持っていた武器はすべて奪われているので、これが唯一の武器になる。


「なんでこんなところに……まあ、丸腰よりはマシか」

 アイスピックを拝借し、他にも何かないかを探ってみるが、手の届く範囲にはもう何もないようだ。

 アイスピックを腰の下に忍ばせ、俺は最初と同じ体勢を取る。誰かが入ってきた場合、動けるようになったことがバレないようにするためだ。


「次は……脚だな」

 流れる汗を手の甲で拭い、俺は再びハックツールを起動させる。地雷を撤去させるような慎重さで、バグの除去作業に舞い戻る。

「……」

 無駄なことを考えないように、ここを抜け出すことだけを夢想しながら作業に当たる。

 かつては勝手に動いていたホログラムウィンドウを、今は自分で動かしている。速度は雲泥の差だが、俺は自力でハックを行えている。子供っぽいとは思うが、俺はこのことをソフィアに褒めてほしかった。彼女を見返してやるために、俺はここまでやってきたというのに……。

「……いや、やめにしよう」

 雑念を振り払い、ただただ無心でハックを続ける。


 そのため――部屋の扉がスライドしたことに、気づくのがワンテンポ遅れた。


「おー、キミが六道青葉くんだね。もう目は覚めてるじゃん」

「っ!?」

 急に声をかけられ、俺は体を硬直させる。右腕をぴくりとも動かさなかったのは、我ながら褒めてやるべきだろう。


「……誰だ?」


 入ってきたのは若い女性だった。イヴではない。

 ショートパンツにぶかぶかのTシャツという、この部屋には似つかわしくない完全な部屋着だった。

 栗色の短い髪と、少し焼けた肌。アスリートかモデルのような、すらりとした体型だった。活発的……もしくはボーイッシュな女性というような印象だ。

「そんな怯えないでよ。ウチは()(どう)(あや)()。よろしくー」

「四道、彩音……」

 お気楽な顔して近づいて来る見知らぬ女。相手が誰であろうと、俺の敵であることに変わりはない。


 俺は腰下のアイスピックを素早く抜き出し、相手の顔面に向かって突き出す。遠慮なんて一切ない。殺す気で攻撃した。女は俺が右腕を動かせるようになったことを知らないはずだ。

 不意を突いたはずだったが――


「おっと」


 しかし、彼女は呑気な一言だけを発し、俺の手首をすさまじい速さと力でつかみ上げる。

「なっ!?」

「あれ? 右腕動いてるね。イヴせんせーの話なら、まだ体のロックはかかったままのはずなんだけど……もしかして自力で外したの?」

「てめぇ……」


 つかまれた右腕を振りほどこうと力を込めるが、万力にはさまれたようにビクともしない。反応速度といい、明らかに生身の人間ではないな。

「自分がアンドロイドだって説明はさっき受けたよね? それなのに体いじくって、ロック外して、ウチに攻撃して……すさまじい精神力してるね青葉くん。普通何もする気起きないよ。なかなかの逸材かも。――てかこれウチのアイスピックじゃん。プロフェッサーに隠れてお酒飲んでたときに置き忘れたのか。見つけてくれてありがとね」


 俺の手中から唯一の武器を取り上げ、西部劇に出てくるガンマンみたいにクルクルと回してから、腰ベルトの間にはさむ。あとに残ったのは、身動きの取れない非力な俺だけだ。


「はぁ……なんなんだよあんた……全身義体(サイボーグ)か?」

 俺は脱力し、抵抗をやめる。すると、あっけなく右腕は解放された。

「ああ、違う違う。青葉くんと同じ――ここで作られたアンドロイドだよ。ウチの方が先に作られたから、キミのお姉さんってところだね」


 どこまでもお気楽に、彼女は衝撃的な事実をもたらした。

「あんたも……アンドロイドなのか?」

 話し方があまりにも自然だったので、てっきり人間だと思っていたが……。

「そうだよ。きっと、青葉くんも色々混乱しているよね。だからウチが事情を説明するために来たんだ。同じアンドロイドの方が、落ち着いて話を聞いてくれるかと思って、自分からイヴせんせーに頼んだんだよ。――青葉くんお願い、話を聞いて。そして信じて。ウチはあなたの敵じゃないから」

 子供あやす親のように、そばに寄り添い目線を合わせる。


「……」

 まあ、詳しい説明がほしかったのは事実なので、ここは大人しくしておこう。信じるかどうかは後々判断すればいいさ。

「わかった、信じるよ。だから話してくれ、最初から」

「よしよし、物わかりのいい弟でよかったよ」

 俺の返答に満足したのか、花が咲くように笑い、彼女は話し始める。


「まず大前提として――キミは人間じゃない。アンドロイドだ。つらいかもしれないけど、そのことをまず理解してほしい」

「…………」

 頑なに遠ざけていた現実(リアル)が、俺を追いかける。逃げるための足は動いてくれない。忘却するには時間が足りない。


「俺の自意識の正体はAIってことか?」

「うん」

「これまでの思考や感情も、すべてプログラムが発生させた擬似的なものだと?」

「うん」

「俺のこれまでは、全部ただの実験だったと?」

「……うん」

 どんよりと、黒く濁った何かが胸の中からあふれ出す。俺はそれをとどめることができなかった。


「――本当……なんだよな?」

「うん……ウチも同じ経験あるから気持ちはわかるつもり。……話をする前に、そこを受け入れて。いい?」

「……」

 俺は再び、吹き飛んだままの左肘に視線を移す。機械の体が、俺をあざ笑うかのように光り輝いていた。

 一瞬のうちにイヴの話を(はん)(すう)させる。――そして、


「……そうだな……ああ、わかったよ。認める。――俺は人間じゃないんだな」


 心の中で、カチリと、何かが重なるような音が聞こえた。

「青葉くん……うん、ありがとう。――それじゃあ、順を追って、ウチの知る限りのことを話すよ。長い話になるけど寝ないでね」


 そんな前置きをしてから、俺より先に作られた姉は昔話を始めた。

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