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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
最終章 デイジー・ベルをキミに
35/47

六道青葉

「…………」


 言葉が出なかった。何を言われているのか理解できなかった。

 思考が停止したわけではない。むしろ今までにないくらい働いている。それなのに言葉をうまく吸収できない。言葉という概念が、俺の中で異様な化学反応でも示しているようだった。


「いきなりで理解できないと思うけど、一つ一つ説明していくわ。よく聞きなさい」

 まるでソフィアのように偉そうな口調で、俺に話しかけるイヴ・フレインという女性。声だって俺のAIそっくりだが、どう見たって人間だ。


「あなたがサポートAIだと思っていたのは私。AIのフリをして、あなたの行動を監視していたの。特殊なコンソールに入ってね」


「…………」

 この女は何を言っているのだろうか。

 ソフィアがAIではなくて人間だった――なんて、まるでおとぎ話だ。そんな話を信じられるほど、俺は少女趣味をしてない。


『ソフィア! 早く出てこい! 状況を把握したい。この施設のハックを頼む!』

 確かにあいつは変に人間くさいところもあったが、間違いなく俺のサポートAIだ。記憶を奪った組織の人間であるはずがない。


「無駄よ。さっきから反応ないでしょ?」

 こいつ……盗み聞きしてるのか。考えたくなかったが、防壁をいつの間にか突破されていることになる。ソフィアの反応がないのはそのためだろう。

「この野郎……俺の電脳にハックしたな?」

 ホルスターから拳銃を抜き、イヴと名乗った目の前の女に突きつける。だというのに、怯えた様子はおくびにも出さず、悲しげにこちらを見つめるだけだ。世捨て人というわけでもないだろうが……少し妙だ。まるで、自分が撃たれることはないのだと確信しているように見える。


「はぁ……順を追って説明するわね。――その前に、その物騒な代物を下ろしなさい」

「断る。さっさとソフィアと俺の記憶を返してもらおう」

「強情ね……まあいいわ。どうせあなたには撃てないのだから」

 イヴは腕組んでため息を一つ。その仕草は、聞き分けのない息子に困っている母親のようだった。


「じゃあ、話を始めるわよ。色々と驚くことが多いと思うけど、しっかり聞きなさい」

 深呼吸を一つしたあとに、ゆっくりと、幼子に言い聞かせるように告げた。



「六道青葉……信じられないだろうけど……あなたはアンドロイドよ」



 ……今度こそ理解できなかった。わけがわからなかった。

 ただ一つだけわかったことがある。ここに居ても、俺の記憶は戻らないということだ。

「はっ、くだらねぇ。なんだそれ。バカじゃねぇのかよ」

 俺はいつも以上に口が悪くなっていることを自覚しつつも、止める気はなかった。

 確かにここの連中のハック能力はすさまじいかもしれないが、どう考えても正気じゃない。おおかた、どこかから手に入れた俺の情報を元に、イタズラであんなメールを送ってきたのだろう。遠路はるばるやって来たが、結局は空振りだったようだ。


「……ここに来たのは間違いだったようだ。帰らせてもらう」

 銃をホルスターに戻し、俺は(きびす)を返す。カルト集団からの()()に付き合っていられるほど暇ではない。

「申し訳ないけど、ここから逃がすわけにはいかないの」

 彼女のその言葉と同時に、


「――っ!?」


 俺の体は見えない縄に縛り付けられたかのように、動きを停止させた。

「なんで、だよ!?」

 周囲の空間が凝固したかのように、指先一つ動かすことができない。

 スタントラップでも作動されたか? いや、それにしては衝撃が弱すぎる。となると何だ? 新種のナノマシンでもいつの間にか打ち込まれたか?


俺の困惑などまるで意に介さず、イヴは話を進める。

「あなたを作ったのは私よ。体の自由を奪うことくらいは簡単にできるわ」

 電脳にハックされたとしても、体の動きを止めることは不可能なはずだ。アガットのように義体を使っているなら別だが、俺は生身だ。例えハックされてもデータと視界を奪われるくらいで、全身の動きを制限されるはずはない。


「特殊なAIを搭載したアンドロイドを人間社会に溶け込ませ、どのように思考し、行動するのか……それを観察し、データを蓄積させる。それが私たちの目的。――あなたは記憶喪失なんかじゃない。あの廃棄場で目覚めたときに生まれたようなもの。……つまり記憶なんてものは、喪失したんじゃなくて元から存在しないのよ」

「はぁ? 何言ってるんだがわけわかんねぇよ」

 雪のような髪を揺らしながら、イヴは俺に歩み寄る。今の自分は、蜘蛛の糸に捕らえられた蝶のようだなと、どうでもいいことを考えていた。


「データをこちらに提供してもらうわ。――大丈夫、私たちはあなたを尊重する。スクラップになんてしない。穏やかな余生が待っていることを約束する」

 正面まで移動し、俺の顔を見つめながら優しげにそう告げた。状況が違えば、まるで聖母か天使のように写っただろう。

 俺は大きなため息をじっくりと吐き出し、体の緊張をほどく。幸い、バランスを崩して転ぶようなことはなかった。


「さっきから黙って聞いていれば、べらべらと妄想垂れ流して……イヴとか言ったな? 可愛いのにもったいない。頭にウジでも飼っているみたいだな。カチ割って掃除してやろうか?」

 精一杯の強がりということは自分でもわかっていた。余裕のあるフリをして、状況が好転するとも思っていなかったが、このまま相手に流されるのだけは嫌だった。


 冷静に状況を振り返れ。現在は敵の本拠地。建物に入った瞬間から、ソフィアと連絡が取れず、なぜか全身が動かない。……要するに状況は奇妙かつ絶望的ということだ。だから俺は、せいぜい悪態をつくことくらいしかできそうにない。


「……話のわからない子ね。もう少し素直に設定しておけばよかったわ」

 イヴは俺のホルスターから拳銃を抜き出し、外見とは裏腹に慣れた手つきで構える。 狙いは――俺の左腕。

「荒療治よ。痛覚は遮断してあげるからしっかり見なさい」

 まるで躊躇(ちゅうちょ)のない動作で発砲。数発の弾丸が俺の左腕に突き刺さり、肘から下を吹き飛ばした。視界は紅く染まり、乾いた発砲音が耳の中で残響する。


「っ!」


 打たれたという恐怖と、自らの腕が離反したという喪失感を感じながら、俺は衝撃で後ろに倒れた。未だに動けないままなので、背中を強く打ち付ける。短い間、呼吸が止まった。


「あーあ、腕壊しちゃって……修理するのは任せるからね?」

「わかってますよ。――ほら青葉、痛みはないでしょう?」

 ――確かに、不気味なほど痛みも熱も感じない。麻酔でも打たれたかのように、全身の感覚がふわふわとどこかに飛んで行った気分だ。


「よく見なさい……これがあなたの体よ」

 イヴは吹き飛んだ腕を持ち上げ、俺に見せつける。だらりとした左腕。少し前までは自分の体にくっついていた部位。それが他人の手にあるというのは、とてつもない嫌悪感を湧き上がらせる。

「人工血液で少し見にくいでしょうけど……ほら」

 角度をずらし、断面をこちらに向ける。


「人工皮膚の下に、軽量型の金属骨格と光ファイバー。そして流れるオレンジ色のオイル……これが人間の体に見える?」


「……」

 俺はかろうじて動く首を持ち上げ、自らの左肘を見つめてみた。腕がない喪失感を再び感じると同時に、嫌でも目に入る。

 明らかに骨ではない鈍色の金属。整脈でも動脈でもない赤と青のチューブ。そのチューブに絡みついている緑のケーブル。

 目に映る映像が、脳に過負荷を与える。チリチリと神経細胞(ニューロン)が焼け焦げている気分だった。


「なんで……俺の体は義体になっているんだ? 生身のはずだろ?」

 声が震える。気力が湧いてこない。流れ出るオレンジ色の何かと一緒に、自分を形成していた根源的なものも流れ出ていくような錯覚に陥る。頭の奥底で警報が鳴り、危機感を増大させる。

「義体と表現するのは()(へい)があるわね。本来義体とは体を失った人間が、その部位の代わりとして使用するものよ。あなたの場合はもともと肉体なんてないのだから……強いて言うなれば、義体ではなくて機械(マシン)身体(ボディ)ね」

「肉体が……ない?」

 様々な情報が奔流し、脳内を蹂躙(じゅうりん)する。

 何かを言われている気がするが、まるで頭に入らない。イヴの言葉は空気のように軽く、ザルで水をすくうかのように捉えることができない。


 気分が悪い。吐き気がする。頭が痛いんだ。少しでいいから黙ってくれ。


「もう一度だけ言うわ。あなたは私が作り出した特殊なアンドロイド。肉体も他のアンドロイドに比べると人間に近い代物になっているわ。そして、あなたが電脳だと思い込んでいる物は、電脳ではなく私がプログラムした人工知能(AI)。他者と接続した場合に気づかれるとマズイから、電脳に見せかけてはいるけれども……偽物なのよ」


 偽物? AI? 誰が? 俺が?


 自分の足場が徐々に崩れ去るような光景が幻視される。深い奈落に沈み込んでいくような浮遊感が全身を包む。

「あとで詳しく説明がいくと思うけど、私たちはAIの研究を行っているの。次世代のAI……より人間に近く、高度な判断を可能とする人工知能。その試作としてあなたは作られた。――結果、十分なデータを集めてくれたわ。アンドロイドだと周囲に露見することもなく、自分は人間だと信じたまま、ここまでの活躍をしたのは素晴らしいことよ」


 あの廃棄場で目覚め、祈崎市で和佳菜やアガットと出会い、様々な仕事をした――これまでの出来事が、走馬燈のように脳裏を過ぎ去っていく。

 カメラのレンズが割れたように、切り取られた視界に大きな亀裂が走る。


 俺は死ぬのだろうか?

 まだ死にたくはないな、と……そんなことをぼんやりと考えていた。


「もういいの。ゆっくり休みなさい」


 優しい声と同時に、頭に強い電流が走る。俺は抵抗する言葉もなく、意識を失った。

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