転機
最終章スタートです。
とある日の昼下がり。便利屋アガットの一階にて。
俺はソファーに寝っ転がりながら、ネットサーフィンをしていた。網膜に投影されたホログラムウィンドウには、当たり障りのないニュース記事が映し出されている。
祈崎市中心の記事なので、強盗やら暴力団関係の事件が多い。この街は相変わらず犯罪の温床だ。
「殺人、強盗、強盗、誘拐、殺人、美人局、事故、放火、強盗、麻薬密売、誘拐、汚職、事故、エトセトラ、エトセトラ……よくもまあ飽きないもんだ」
ちなみに、ニュースを見ている理由は主に二つ。今後の任務に関係する内容があるかもしれないので、さらっと内容を頭に入れておきたかったのが一つ。もう一つは、記憶を失った原因が見つかるかもしれないという点だ。後者はかなり望み薄だが。
「ふあぁ……」
記事を下の方に自動スクロールさせながら、大きな欠伸を隠すこともなく天井に披露する。記憶操作のナノマシンを製造していたグループが、警察に逮捕された記事でもあれば眠気も吹き飛ぶのだが……。
「……アガットも和佳菜も居ないから暇だな」
横になりながら身体を伸ばし、周囲を見渡す。他に人が居ないだけで、場の空気が沈殿しているように感じられた。海底に沈められたような静寂と孤独が、じわじわと押し寄せる。
現在、便利屋アガットは俺一人で店番をしているような状況だ。二人は依頼(庭の草刈りという簡単なもの)で外に出ている。俺がここに居るのは、単にじゃんけんで勝っただけだ。
「こんなことなら、俺も行けばよかったかもな」
ホログラムウィンドウを消し去り、俺は眠気覚ましのコーヒーでも入れようと、ソファーに沈み込んだ全身を起こす。
ぼやける視界のまま、酔っぱらいのような千鳥足でアジトの中を移動する。第三者に見られれば、ゾンビにでも間違えられそうだ。
『マスター、メールよ』
「ん?」
ソフィアの声によって、コーヒーメーカーに伸ばしかけていた手を停止させる。俺の電脳にメールが届いたらしい。
「なんだよ……。いったい誰からだ? アガットが手伝いにでも呼んできたか?」
俺にメールする相手なんて、仕事仲間のアガットか和佳菜くらいだ。あとは通販の新商品のお知らせか、うんざりするようなスパムだ。
『それが……送り主は不明よ』
「不明? 電脳アドレスすらわからないのか?」
『ええ。特殊なプロテクトがかけられているの。イタズラかもしれないけど……どうする?』
暇人が作成した迷惑メールの可能性が高いが……どうにも胸騒ぎがするな。一応見るだけ見てみるか。
「……メールに画像か動画は含まれているか?」
『いいえ、テキストのみ。ウイルスが混入している可能性もなし。件名は――六道青葉の記憶について』
「――は?」
ソフィアの言葉をすぐに飲み込めずに、俺はその場に立ち尽くした。頭を後ろから殴られたような衝撃に、思わずふらつく。
「……どういうことだ? イタズラにしては、ずいぶん俺のことを把握しているじゃないか」
『そうね……。本文展開しましょうか?』
「…………頼む」
俺は目の前に表示されたメールの本文に、じっくりと目を通す。
『六道青葉へ
あなたの記憶を取り戻す方法を、私たちは所持しています。もし記憶の回復を望むのであれば、指定する住所まで来るように。
ただし、条件が二つ。一つ目は、一人で来ること。二つ目は、このことをアガット・ラングレーと赤穂和佳菜に伝えないこと。
あなたが賢い選択をするよう願ってます。
以上』
メールに目を通し終え、俺はただひたすらに戸惑っていた。今まで様々な事件に関わってきたが、さすがにこんなことは初めてだった。
「……ソフィア、どう思う?」
『判断が難しいわね……。マスターの情報を詳細に知りすぎていることから考えると、相手はただの一般人ではないと推測されるけど。――マスターが記憶喪失だと知っている人間は?』
「アガットと和佳菜……あとは診察を受けた医者くらいだ」
『ということは、あの二人がハックされたのか、医療機関からマスターのデータを引っこ抜いたのか……どちらにしても相手は相当なハッカーのようね』
「もしくは――送信主が俺の記憶を消した張本人か、だよな」
『そうね……どうするのマスター? 乗っかる?』
相手がどんな人物にしろ、なぜこのタイミングで接触を試みたのか……。不明瞭なことが多すぎて、どう行動するのが正解なのか見当も付かない。アガットと和佳菜を頼れないのも厳しい。
「いかにも罠っぽいよな……」
だが、俺が記憶を失ってから得た唯一の手がかりだ。この機を逃すと、自分の記憶は一生戻らないような気もする。慎重にいきたいところでもあるが、モタモタしているのも性に合わない。
いい結果になろうと、悪い結果になろうと、何らかの変化が訪れることは間違いないだろう。
座して平穏を保つか、動いて波乱を呼ぶか……。
「…………ソフィア」
『はい、マスター』
今までで一番AIらしい声を発し、ソフィアは俺の言葉を忠実に待つ。
「――上等だ。行ってやろうじゃないか。記憶を取り戻しに行くぞ」
『了解。マスターの意のままに』
錆び付いて動き出さなかった歯車に、俺は初めて油を差した。




