レナータとレフ
「どうだ小娘? あたしのところに来るまでと比べると、格段に動くようになっただろう?」
「まあ、くやしーけどそれは認めてあげる」
薄汚い川を三人で眺めながら、近くの自動販売機で買ってきた紙パックのジュースをそれぞれ口に運ぶ。
「今はまだ付け焼き刃だが、もう少しすれば本物と遜色ないくらい動かせるようになる。一日でここまでやれば、あたしの仕事は終了だろう。案外チョロい任務だったな」
「わたしの飲み込みが早かったからよ」
「言うじゃないか小娘。ま、筋は悪くない。色々な義体を使い比べてみろ。今後は成長に合わせて義体を変える必要もあるしな。ただし、頑丈だからと重量級の義体はやめろ。右腕だけそんなもんつけたらバランスが取れないし、生身の骨格に影響するかもしれん」
アガットが他人を認めるなんて、珍しいこともあったもんだ。しかも相手は電脳化したばかりの子供なのだからなおさらだ。
「どうする? アジトに戻って、父親さんが迎えに来るまで待ってるか?」
「うーん……せっかくだからここで少し話をしてもいい?」
レナータも最初に比べると、口調の棘が取れてきたな。俺とアガットを少しは信頼してくれたようだ。
「別にいいが……なんだ?」
「えと、その……お父さんから聞いたんだけど、あなたって、全身が義体なんでしょう? サイ、ボーグ……って言うんだっけ?」
「そうだ。腕も足も胴体も、すべてが機械だ。肌は人工皮膚。当然、この真っ赤な髪の毛も偽物だ。それがどうかしたのか?」
「うんと……どんな気持ちなのかなって」
手にした紙パックを手中で弄びながら、視線を合わせずにそう尋ねるレナータ。その質問を受け取ったアガットは、顎に手を当ててしばし考え込む仕草を見せる。質問内容が漠然としているため、答えにくいのだろう。
「ふむ……。難しいことを訊くガキだな。逆に、お前は右腕を機械に置き換えてどう思った? あたしに遠慮しないで正直に言ってみろ」
「ええと……」
紙パックを義体である右手で握りつぶし、レナータは苦々しく本心をさらけ出す。
「――怖かった。人間じゃなくなったような気がした。思い通り腕が動かなくて、切り落としてやろうかと思った……。事故が起きてから、一回も学校に行けないの」
「どうしてだ?」
「だって……クラスで電脳化しているのわたしだけだし、それに義体なんて使っているのもわたしだけ……いじめられたりしそうで」
まあ確かに、クラスで一人だけそういった子が居ると、からかったり、ちょっかいかけたりするのが常だ。人はそういった、集団とは異なる存在を攻撃し、自分は集団に属しているのだという安心を得ようとする。孤立したくないが故に、集団にとっての『敵』を無理矢理にでも作り出す。さも集団を形成するのには、哀れな生け贄が必要なのだと言わんばかりに。……そういった傾向は、子供の方が顕著だろう。
「出る杭は打たれるわけだ……そんなやつが居たらぶん殴ってやれ。今のお前のパンチなら、小学生くらいなら一撃で沈められる。きっと痛快だぞ」
「物騒なことを教えるなよ。――レナータ、お父さんが迎えに来るまでまだ時間はある。もしよかったら学校の友達に会ってみないか?」
「でも……怖がられないかな?」
レナータのその呟きに、アガットが真っ先に口を開く。これを口にするのは、自分にしかできないことだと言うように。
「そりゃあ、怖がられるさ」
その発言に、レナータは顔を上げアガットを見つめる。その表情は『なぜ?』という疑問よりも『やっぱり?』という確認の意味合いが強いように感じられた。
「いいか小娘、生身の人間からしたら義体ってのは脅威だ。青葉みたいに特殊なやつも居るには居るが、当然怯えられる。あたしもそんな経験腐るほどしてきた。まるで化け物を見るかのような視線を何度も浴びた。親しい人間と袂を分かつことだってあるかもしれない。だから、お前が将来を危惧するのもよくわかる。――だがな、体が機械になろうともあたしは人間だ。生身だろうが、全身義体だろうが、アガット・ラングレーという人間に変わりはない」
アガットもレナータへ向き直る。師匠が弟子に免許皆伝を告げるかのように、厳粛な空気を作り出す。
「義体化ってのは人間をやめることじゃない。それを忘れるな。電脳化しようが義体化しようが、どこまで行ってもしょせんは人間でしかない。――人間であることは永久不変なんだ」
それがこの世の中の心理なのだと言いたげな言葉に、義体初心者の少女は力強く頷いた。
「あの……会いたい人が居るの。いい?」
日も沈み始めた頃、レナータが突然立ち上がり、俺たちに向かってそう告げた。
「俺はいいけど……誰なんだ? クラスの子?」
「うん。レフって男の子。家が近所で昔から仲がよかったの。でも、事故が起きてから一度も話をしていないから……話したい」
覚悟を決めた顔でレナータがそうお願いをしてきた。先ほどのアガットの話を聞いて、勇気を出してくれたらしい。
俺たちの任務は、レナータに義体の扱い方を教えることだけだ。だからといって、そこから先のことを知らんぷりできるほど、俺もアガットも人情を捨ててはいない。
「幼馴染みってやつだな。なんだ小娘、その歳でもう色気づいているのか? 末恐ろしいな」
「ち、違うよ、バカ! ただ、あいつ心配性だから……不安に思ってないかなって」
「ま、時間もあるしそのくらい大丈夫だろ。――今ってちょうど学校が終わったくらいの時間だよな? そいつが帰る順路とかわかるのか?」
「もちろん。毎日一緒に帰っていたから」
「了解した。特別に肩車してやる。案内しろ」
レナータを軽々と持ち上げ、自らの肩に乗せるアガット。本当に、こいつらしくないほど今日は優しい。ようやく慈愛の心に目覚めてくれたようだ。あとは少しでもその心を俺に向けてくれればいいんだが。
「わたしとレフが絶対に横切る公園があるの。時間的にまだそこは通っていないはず」
「そいつは重畳。そこに先回りするぞ。青葉、全力で走るから必死について来い」
「わかった」
レナータの案内に従い、俺とアガットは走り出す。子供を肩車しているとはいえ、さすがは全身義体、かなりの快足だ。
「小娘、そのレフとかいうガキに会ってどうするつもりだ?」
「……考え中」
「はぁ? なんだそれ」
「いいじゃん! とにかくあいつと話したくなったの!」
「まあいいが……なんなら、あたしが恋愛指導してやろうか?」
「えー。なんかあなた、今まで恋愛とかしたことなさそう」
「な!? 失礼な! これでも故郷には五十人もあたしの帰りを待つ男共が――」
「居るの?」
「居ないけども……これまで付き合ってきた男なら――」
「居るの?」
「居ないけども……なんか悲しくなってきたなちきしょう」
アガットとレナータがなにやら話しているが、走りながらなので聞き取りにくい。恋愛がどうとか聞こえたが、アガットに関してそれはないだろう。たぶん聞き間違いだ。
「気になる男の人とか居ないの?」
「うーん……昔からそういうのには縁がなかったからな……。友人が恋人とどうなったーとか、聞いててウンザリしていた思い出がある」
「そーゆーの、枯れてるって言うんじゃないの?」
「枯れとらんわ。失礼な」
「あなた結構綺麗なんだし、案外モテそうなのに……あ、全身義体ってやつなんだっけ? その顔も作り物なの?」
「作り物ではあるが、あたしの元々の顔を精巧に再現している特注品だ。変えているのは髪と瞳の色だけだな。やっぱり、まったく違う顔にするのは違和感があってな」
「じゃあ、生身の頃からすごい美人だったんじゃない。もったいないなー」
「やかましい。あたしの勝手だろ」
「今後ろを必死に付いてきている青葉とかいう男はどう?」
ん? なんか俺の名前が出た気がする。聞きたいようなあまり聞きたくないような……聞かないでおこう。
「どうって……なんだよ?」
「いや、仲よさそうだけど……付き合ったりしないの?」
「青葉は仕事仲間だ。一番身近に居る異性なのは間違いないが、それだけだ」
「もったいない。以外といい人そうなのに」
「悪い男とは言ってない」
「年下だからダメなの?」
「そう言うわけじゃ……むしろあたしは年下の方が……」
「年下の方が? なになに?」
「……っ! だぁもう! やかましい小娘! いいからしっかりつかまってろよ!」
「ちょっと、照れたからってそんな急に――わぁ!」
いきなり大声を上げ、スピードを上げるアガット。俺はわけがわからないまま、足の回転を速めるしかなかった。
人波を縫うように走り続け、目的地に到着。アガットはケロっとしているが、俺は膝が笑っている。
「ここか?」
「うん。間違いない」
そこは柵で囲われた小さな公園だった。ブランコや滑り台といった遊具が、夕焼けでオレンジ色に染められている。西側と東側に出入り口があり、通り抜けるには確かによさそうだ。
「もうすぐここを通るはず……なんとか間に合った」
「そうか……ふぅ、走ったかいがあった。んじゃあ、あたしとこいつは隠れてるから。うまくやれよ小娘」
「うん。ありがと」
ぜぇぜぇ言っている俺の首根っこをつかみ、近くの茂みに押し込む。インクの切れたボールペンを、ゴミ箱に放り投げるような乱雑さだった。
「……なあ、今回俺の扱いが雑じゃないか?」
「気のせいだろ。いいからおとなしくしていろ」
茂みの奥から公園を覗く。自分の尻尾を追い回す犬のように、後ろで手を組んでグルグルと回っているレナータ。緊張しているのが丸わかりだ。なんとも微笑ましい。
『いやぁ、若々しいわねぇ。マスターにもあんな時期があったのかしら』
『記憶ないんだからわかんねぇよ。記憶があっても、お前にだけは教えない』
『つれないわね。――でも、なんとかこの仕事も無事に終わりそうね』
『俺の出番はほとんどなかったがな……でもまあ、こんな日もたまには悪くない』
『そうね。私だって、ハックは得意だけども好きなわけじゃないんだし、こんな平和な一日もいいと思うわよ。――あ、あの子じゃない? 例のレフとかいう子』
ソフィアの声に、視覚を僅かに強化する。せまい視界の中で、レナータと見覚えのない男の子が立っていた。
男の子は驚き、レナータは恥ずかしそうにうつむいている。
「あの……久しぶりレフ。元気してた?」
風もない穏やかな気候ため、向こうの会話がなんとか耳に届く。
『なんか緊張するな青葉』
『いい歳なんだから落ち着けよ』
『失礼な。あたしはまだまだうら若き乙女だ』
『鋼鉄を砕く全身義体が何を言ってんだが――いいから大人しくしておけ』
アガットとの通話を切り、俺は再び茂みの奥へと傾注する。
「僕は元気にしてたよ。それよりもレナータは? 最近全然会えなくて心配してたんだ。家に行っても、おじさんが出てきて『心配いらない』って言うばかりだし。――怪我、したんだよね?」
「そう。それで、怪我が酷くて……義体化したの」
レナータはゆっくりと、後ろに隠していた右腕を前に持ってくる。
「そっか……その右腕がそうなの? やっぱり見た目は以前と変わらないね」
「うん……見た目は変わらないんだけど……でもやっぱりこの腕は偽物なの。――ね、レフはどう思う?」
「どうって? 義体化したレナータについてってこと?」
リスのように小さく頷いて、レナータは返答を待った。
俺たちにできることはもうなにもない。あとはあの少年を信じるだけだ。すべてを受け入れるか、忌避して遠ざけるか。
「そうだな……僕はうまいことが言えないから、もしかしたらキミを傷つけてしまいそうで怖いんだけど――特に変わりはないよ」
年齢に不釣り合いな口調と、年相応の笑みで、彼はレナータを受け入れた。
あの二人にそれだけの信頼関係があったのか、それとも少年が寛容だったのか、そのどちらもなのか……俺に判断することはできないが、そんなものは些事だろう。
僅か十年ちょっとしか生きていない彼は、体の一部を失った女の子を受け入れたのだ。非難することも、気味悪がることもなく。『キミの本質がその程度で変わることなんてない』とでも主張するように。
「ええと……ホントに?」
「もちろん。レナータはレナータだよ。右腕が機械になろうが、僕は気にしない。もしかして、義体化したから僕に嫌われたんじゃないか、とか考えてたの?」
「ばっ! ち、違うわよ! 別にあんたの感想とかどうでもいいし!」
「どう思うか訊いてきたのはそっちじゃないか……ホント、そんなところも変わらないね。相変わらず、わがままな幼馴染みだ。安心したよ」
「あーもう! レフのくせに生意気! わたしにはすっごく強い義体の師匠が居るんだからね! あんたなんて一発で倒しちゃうんだから!」
「あはは。それは怖いや。それじゃあ僕は、その人が来る前に帰るとしようかな」
「あ、ちょっと待ちなさいよレフ! この街には子供が知らない危険がいっぱいなのよ。あんた喧嘩弱いんだから、わたしが守ってあげるわ。わたしには師匠直伝の必殺パンチがあるから安心しなさい」
お姉さんぶって胸を張るレナータに、やれやれとばかりに笑っている少年。姉弟のような、友達のような、奇妙な距離感だった。長い時間をかけて築かれたであろうその距離感が、俺にはとても眩しく写った。
「それは心強いね。じゃあ、久しぶりに家まで一緒に帰ろうか」
そういって左手を差し出す少年。同じ方向を向いて帰るわけだから、レナータは当然、
「……仕方ないわね。付いてきなさい」
義体化した右手を出して、少年と手を繋いだ。
『レナータ、お父さんにはアジトに寄らず、直接家に帰るよう伝えておく。俺らのことは気にせず、さっきの男の子と仲良く家まで帰れ。報酬は後日受け取ることにするから』
『うん、ありがと……って、なんでわたし電脳アドレス知ってるのよ?』
『あー……アガットと特訓する前、義体の制御ソフトにバグがないか俺と有線接続しただろ? そのときに一応もらっておいた』
『ドロボーめ。ま、今日はいい気分だから許してあげるわ』
『そいつはどうも。んじゃあな』
『あ、ちょっと待って。あの……アガット、さんに……ありがとうって伝えておいて』
『……ああ、必ず』
レナータとの通話を打ち切り、茂みに隠れたままのアガットに声をかける。ちなみに、なぜか俺も未だ茂みの中だ。
「レナータがありがとう、だとさ。よかったな、将来有望な弟子ができて」
「けっ。弟子は和佳菜とお前だけで間に合ってるっての。んなことより、さっさと帰るぞ。腹減った」
立ち上がって体に付いた葉っぱを払ってから、アガットはどんどん先に進んでいく。
赤い髪に紛れてわかりにくかったが、彼女の頬は確実に赤くなっていた。高性能な義体を使っているから、そこらへんもしっかりフィードバックしてくれるようだ。
「待てよアガット。恋のキューピッド役になった気分はどうだ?」
「言うな! ガラじゃないとか考えてたんだから!」
「そうか? 案外似合ってたぞ? 他人に世話を焼くお前なんてなかなか見られないから、この依頼を受けてよかったと思うよ。――ホント、和佳菜が居なくて残念だ」
なかなかこんな機会ないので、ここぞとばかりにアガットをからかう。調子に乗った俺は、彼女の青筋が立ったことを見逃していたらしい。
「……いい度胸だ青葉。久々にお前にも特訓してやろう。小学生の女の子でさえ乗り越えたんだから、当然平気だよな?」
「……待て。光学迷彩は起動させるなって。マジで見えないんだからそれ」
その後、日が沈みきるまで俺とアガットの特訓は続いた。
透明人間相手のボクシングほど、無謀なものはないな。




