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宿探し

「あんた、なかなかいい度胸してるな」


 相手の第一声がそれだった。


 あれから、昼とほとんど変わらない人通りの多さに驚きつつ、俺は宿を探して練り歩いた。

 そうして見つけた小さな宿。ビルとビルの間にある古い宿という、なんともチグハグな建物だった。まるで時代の流れにたった一人だけ抗っているようにも思える。

 そんな古めかしい宿の主人に、タダで泊めてもらえないかというお願いをしたところが、あえなく却下されたところだ。


「確かにうちはボロさに定評のある宿屋だけどな、無償で人を泊めるほどの慈善事業やってないんだよ。わかるだろ? この街は物と金の坩堝(るつぼ)だ。人間の情もあるにはあるが、最終的には金がすべての街だ……わかったら帰んな」

 世知辛い現実を突きつけながら、主人は(あご)で出口を指し示す。

 にべもなし。渡る世間は鬼だらけ、だ。

『ま、そうなるわよね』

 ソフィアが相手に聞こえない声でそう呟く。無茶なことを言っているのはわかっているし、そこまで落胆はしていない。諦めて次の宿を探そう。最悪野宿になるだけだ。


「あー……でもちょっと待てよ……あんちゃん、機械の修理とか得意かい?」

 宿を出ようと(きびす)を返したそのとき、主人がそんな言葉を投げかけてきた。

「修理? 何か壊れたのか?」

「ああ。実は、前から使っていたラジオが昨日壊れちまってよ……年代物だから直せるヤツが少ないんだよ」

「ラジオって……電脳化していればすぐに聞けるし必要ないだろ?」

 電脳というものは、人の趣味嗜好によってカスタマイズされるのが常だ。インストールされているソフトも千差万別で、自己の色が濃く出るのが電脳という代物だ。

 ただ、すべての電脳に標準で備わっている機能もある。他人との通話ソフトやメールソフトなんかがそれだ。その中にはラジオを聞く機能もあったはずなので、電脳化しており、それが正常に働いているのなら、ラジオを聞くことができない人間は居ないはずだ。

 目の前の主人が電脳化済みなのは、鏡越しに見える彼の人間型接続子(ヒューマン・ジャック)を見れば確実と言える。


「まあ、そうなんだけどよ……俺は昔っからのラジオっ子でね。脳内に直接響き渡らせるよりも、耳から音を入れたいんだ。鼓膜が震えないと心も震えないんだよ。だからいつまでも、古い機械(マシン)をお払い箱にできないでいる」

 ――だそうだ。不便さを楽しむ人間ってのも居るらしいし、その気持ちがまったくわからないわけでもない。懐古を楽しむのも、人間の普遍的な(さが)なのだろう。


『ソフィア、一応訊くが……直せそうか?』

 エンジニアでもない俺は、早速に(さじ)を投げる。ダメ元ではあるが、一応我がサポートAIに声をかけてみる。

『見てみないとなんとも言えないけど……機械(マシン)関係はそこそこ心得があるわ。もしかしたら原因くらいはわかるかも』

『マジかよ……』

 予想外の返答が返ってきたことに、主人である俺すら驚く。ソフィアはオンリーワンAIらしいが、もしかしてオンリーワンはどいつもこんな感じなのだろうか。俺の中のAIという定義が揺らぎ始めた瞬間だった。


「――その……昔、小さい工場で機械をいじくっていた経験があるんだ……もしかしたら直せるかも」

 俺は迷った末に、未知数な電脳の共住者に乗っかってみることにした。成功すれば御の字、失敗したら即座に逃げよう。

「ホントか!? それじゃあ早速――」

 宿屋の主人は、カウンターの下から古めかしいラジオを取り出す。歴史の教科書に載っていそうな年代物だ。元々は白かったようだが、年月と共に黄ばんだのだろう……今やその純白の部分は存在しない。


『マスター、私の言う通りにラジオを解体してちょうだい』

『了解』


 完全に立場が逆な気もするが、気にしたら負けだ。

 いくつかの工具を借り、ソフィアの的確な指示に従ってラジオを分解検査(オーバーホール)する。専門知識のない俺からすれば、何がなにやら、わからないことだらけだ。

『なるほど』

『何かわかったのか?』

 宿の主人に見守られながら、俺はソフィアと通話する。怪しまれないように、適当に手は動かしておこう。

『たぶん直せるわ。手前の基板の奥……そう、そこ。そこの銅線を切断して――』

 ソフィアの操り人形となり、ごちゃごちゃと手を動かす。不安と期待が半々といった表情で俺を見つめている主人。俺も同じ気持ちだ。


『これでいいはず。さ、電源を入れてみて』

『わかった』

 どうやらこれで直ったらしい。外見はほとんど変化のないラジオの電源を入れる。すると、

『――やあ、みなさんこんにちは! フレンドリー・バスターのトークショーの始まりだ! 今回は記念すべき二千回目ということで、十時間ぶっ続けのトークを予定しているよ!』

 古ぼけたラジオからは、ノイズがかったハイテンションな声が鳴り響いた。本当に直っているのか俺自身も半信半疑だったので、これには驚愕せざるを得ない。


『直ってる……な……』

『当たり前じゃない。なによ、信じてなかったの?』

『正直、ここから逃げ出す準備をしていた』


 最近のAIの進化は目を見張るものがあるな。これなら近い将来、仕事のほとんどをAI任せにすることもできそうだ。

「おお、本当に直りやがった! すげぇなあんちゃん! ありがとよ」

「ど、どういたしまして……」

 本当は俺が直したわけではないのだが……ま、別にいいか。喜んでくれているみたいだし。


「またこいつの声が聞こえるとはな……感動だぜ。――ああ、そうそう、お礼に部屋は自由に使ってくれていいぜ。ボロいし食事も出ないが、そこは勘弁な」

 放り投げられた鍵(今時珍しい金属製)を空中でキャッチし、短く礼を述べる。

 薄汚れた通路を進み、部屋を目指す。壁に絵画が飾られていることもなく、観葉植物が置かれていることもなく、間接照明でムーディな空間が演出されていたりもしなかった。そのせいか、他の客と一度もすれ違わなかったが……やっていけてるのかこの宿。


「ええと……ここだな」

 鍵に書かれたナンバーと扉のナンバーが一致していることを確認。受け取った鍵を差し込み、ゆっくりと半回転させる。あのラジオといい、この鍵といい、ここの主人はレトロマニアなのかもしれないな。


「よし、開いた」

 扉を開き、部屋の中へ。床と壁はシンプルで監獄チックなコンクリート製。テーブルと椅子、ベッドなどの家具がぎゅうぎゅうに押し込められている。せまいが、不自由することはなさそうだ。

「人間の死体でも転がっていたらどうしようかと思ったが、安心した」

 俺はほっと胸をなで下ろし、室内を見回す。よく見ると、パソコンや冷蔵庫なんかもある。コンソールがあればありがたいのだが……さすがに無理か。雨風を防げるだけでもありがたいのだから、文句は言うまい。


「ふう……とにかく、ようやく人心地つけそうだ。ありがとなソフィア」

『どういたしまして。それより、これからどうするつもり?』

 固いベッドに腰掛けながら、ソフィアの質問に対する回答を導き出す。

「無駄かもしれないが、一応自分について調べてみるさ。何か思い出せるかもしれないからな」

 記憶を失った原因や、なぜあんな場所で目覚めたのか――気になることは山ほどあるが、自分の正体が不明瞭というのはどうにも気分が悪い。もしかしたら家族に心配をかけているかもしれないし、早いところ『自分』という存在を取り戻したい。


「問題となるのはその方法だが……頭に強い衝撃でも与えてみるか……?」

『やめときなさいバカマスター。最悪電脳がまともに機能しなくなるわよ。もしそうなったら治すお金どうするの? 祈崎市で電脳が使えなくなると、かなり不便になるわよ』

「ふむ……一理ある」

『一理どころか十理あるわよ』

 ソフィアのその言葉で、俺は考えを改める。そう簡単に電脳がイカれることはないが、もしそうなった場合はシャレにならない。特にこの祈崎市みたいに電脳化率の高い地域なら、かなりの制限を受けることになるだろう。当然電脳内の電子マネー機能も使えなくなるので、金を稼ぐことも使うこともできなくなる。物理的な金銭が使われている気配もないので、そうなるとかなり厳しい生活になる。……まあ、現状無一文なのでその状態と大して変わらないが。


「まずは手近なところから、か……とりあえず、自分の名前をネットで検索してみよう。なにかヒットするかもしれない」

 このご時世、ネットには真偽を問わず無数の情報があふれかえっている。時間をかけてじっくりと調べ上げれば、何らかの手がかりが発掘されるかもしれない。

『そう言えばまだしてなかったわね。犯罪歴とか出てきたりして。婦女暴行とか』

「ゾッとしないこと言うなよ。――せっかくだ、このパソコンを使わせてもらおう」

 腰掛けていたベッドから下り、部屋の隅に設置されていたパソコンと向き合う。小型のモニターに少し汚れたキーボード。年代物そうだが、少し検索するだけだし贅沢は言っていられない。


『自分の電脳でいいじゃない。なんでわざわざパソコンで検索を?』

「正体不明のオンリーワンAIがインストールされていたりと、俺の電脳は謎が多いからな。変にネット接続してウイルスにでも感染したら、記憶喪失以上の厄介ごとが舞い降りそうで怖いんだよ」

『あら、以外にチキンねマスター』

「慎重で堅実と言え。――さ、とにかく検索だ」


 スイッチを押し、パソコンの電源を入れる。モニターに光が走り、駆動音が聞こえてきた。何十年も前から存続しているメーカー名がモニターに表示される。見た目の割に、問題はなさそうだ。

 まずは自分の名前――六道青葉についてネットで調べてみる。

「――めぼしい情報は特にないな」

 ブラウザがはじき出したサイトを次々に巡るが、俺に繋がりそうな手がかりは存在しなかった。姓名判断を奨励されたりもしたが、そんなことをしている余裕はもちろんない。

 なんらかの団体や集団に属していた過去があるなら、ヒットしてもおかしくないのだが……記憶を失う前の俺は、ニートか引きこもりだったのかもな。それならアドレス帳が空っぽだったことにも納得がいく。


『表には出てこない裏組織の人間だったりして。それなら記憶がなくて、あんなところに放置されていてもおかしくないわよね?』

「……確かに」

 だが、もしソフィアの言う通りなら、わざわざ俺を生かしておいた意味がわからない。記憶を消してあんなところに放置したのは、何らかの理由があるのだろうか?


「そもそも、人間の記憶を消すことって容易にできることなのか?」

 ネットで調べるよりもソフィアに訊いた方が早いと判断し、AIにそう尋ねる。下手な学者より色々知っていそうだからな。

『難しいけど、できないことじゃないはずよ。電脳化している人間ならなおさら。……逆に、偽物の記憶――虚偽記憶を植え付けることも可能みたいね。もちろん法律で禁止されているけど』

「ふーん――ま、深く考えても仕方ない。もうちょっと自分について調べてみるさ」

 

 その後も、自分の情報をネットの海からサルベージしたが……結果は惨敗。

 数時間を使って得たものは、目の疲労と軽い絶望感だけだった。モニターとのにらめっこはしばらく遠慮したいところだ。

「疲れた……もう無理」

 素直に負けを認めた俺は、キーボードに走らせていた指を休める。自分の正体がわからないってのは、喉に小骨が刺さったような気分になるが、今は仕方ない。そのうち取れるだろう。

『すっきりしない顔してるわねマスター』

「サポートAIは(あるじ)の顔色までわかるのか?」

『そんな気がしただけ。――もういい時間よ。そろそろ休んだら?』

 網膜内で時間を確かめると、確かに遅い時間となっている。そうと知った途端に眠気が襲ってくるのだから、六道青葉という人間は単純な男なのだろう。


 まだ心配事はあるが、(こん)を詰めすぎてもいい結果には繋がらない。集中力も散漫になってきているし、今日はもう寝よう。

「収獲なかったなぁ」

 パソコンの電源を切ろうとしたそのとき、


「ん? なんだこれ」


 画面の右端に、小さなファイルが隠されていたのを発見した。ネット検索をしていたときはまったく気がつかなかったな……見落としていたようだ。

「……せっかくだし開いてみるか」

 ファイル名は『無題』。ますます気になってくる。

 俺は怖い物見たさでファイルを展開。グロテスクな画像が出てくるとか、古典的な嫌がらせはやめてくれよ。


「? テキストファイル……か?」

 中身は大量の文字と少しの画像で形成されていた。とりあえず表題を確認する。


「『祈崎市についての調査結果』……なんだこれ?」


 ファイルの内容を斜め読みしてみる。どうやらこの街――祈崎市についてのレポートみたいだ。

 闇医者の存在についてやら、暴力団の歴史についてやら、ネットには転がっていないであろう裏の情報がそこには記載されていた。恐らく、祈崎市に長いこと住んでいた者が作った代物だろう。

 親切な宿泊客が俺みたいなよそ者のために、このパソコンの中に眠らせておいたのだろうか……。


『なかなか面白そうな物を見つけたわねマスター。どうするの?』

 どうせ俺の電脳はすっからかんだし、もらえるものはもらっておこう。たいした容量じゃないしな。

「俺の電脳にコピーしておく。いつでも閲覧できるようにしておこう」

 Dケーブルを取り出し、パソコンと俺を有線で接続。目的のファイルを自分の電脳へ送信。ソフィアに頼んでチェックを行うが、ウイルスの類は出てこなかった。


「どこの誰だか知らないが感謝する」

 Dケーブルを取り外し、今度こそパソコンの電源を切る。マラソンを走り終えたランナーのように、冷却ファンが小さな息切れを起こし、完全に沈黙した。


「無一文だが、少しは希望が見えたな」

 用心のため、扉と窓にしっかりと鍵がかかっていることを確認し、俺はベッドに潜り込んだ。全身の筋肉を弛緩させ、一日の疲れをベッドに染みこませる。


 寝ている間に記憶が戻っていることを祈りつつ、俺は意識を手放した。


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