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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
第四章 義体と少女と全身義体
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河川敷での特訓

 アガットに先導されてやってきたのは、近所にある河川敷だった。ほとんど人はおらず、目の前には薄汚れた川が穏やかにオイル混じりの水を運んでいる。川上に不法投棄された機械(マシン)プレゼント(オイル)だろう。祈崎市ほど、美化という言葉が似合わない街はないだろうな。


「ここまで来たのはいいが、具体的に何するんだ?」

「まずは義体がうまく動かせない原因を探る。――青葉、悪いが小娘と有線してくれ」

「わかった。――いいかレナータ?」

「……勝手にわたしの電脳覗いたら、脳みそ焼き切ってやるんだから」

「覗かないって。それじゃ、接続するぞ」


 本来電脳化には小学校を卒業する必要がある。逆に言えば、小学校を卒業さえしていれば、どんな人間だって無償で電脳化することが可能だ。レナータのような特殊な例でもなければ、小学生と電脳でやりとりすることはできない。ある意味貴重な経験と言える。


「繋いだぞ、どうすればいいんだ?」

「小娘の中に義体の制御ソフトがあるだろ? それに外部からアクセスして、バグがないか確認してくれ。バグが動きを阻害しているパターンは割と多いんだよ。それと、二つ以上ソフトがインストールされていた場合、制御ソフト同士が競合していないかも確かめてくれ」

「はいよ。……ソフィア、頼む」

『わかったわ』

 ソフィアが瞬時にレナータの電脳をスキャンする。


『……解析結果は問題なし(オールグリーン)。電脳化したばかりだから余計なデータがなくて綺麗ね』

「わかった。――アガット、問題はなさそうだぞ」

 Dケーブルを取り外し、アガットにそう報告する。ソフィアがレナータの電脳から、あるものもついでにコピーしていたが、気にしないでおこう。


「となるとただ単に慣れていないだけだな。力の出し方がわからないんだろう。今までろくに義体を動かしてこなかったな?」

「うるさい。仕方ないじゃん、自分の体じゃないんだし……」

 うつむいて、地面に転がる石を蹴っ飛ばすレナータ。石は惹かれ合う恋人同士のように、川まで飛んでいった。


「……確かにそうだ。義体は自分の体じゃない。メーカーが作った既製品だ。血ではなくオイルが流れ、血管ではなく光ファイバーが通っている。血肉は存在せず、あるのは偽物の筋肉と金属骨格だけだ。もう二度と、まともな生活も恋愛もできないかもしれない。普通ならあり得ないような不幸が舞い込むかもしれない。――それでも操らなきゃいけないんだよ。幸福への道が閉ざされたからといって、それが足を止めていい理由にはならない。どんなに偽物の体が嫌でも、そうしなきゃここでは生きていけないんだ」

 過去の自分にも言い聞かせるような、切実な声と悲痛な面持ちで、アガットは小さな少女に語りかける。


「いいか、電脳化したばかりで、右腕の動かない子供なんて格好の的だ。悪党ってやつは目がいいからな、歩き方一つで腕の調子なんてすぐに見破られるぞ」

 脅すような口調ではなく、ただ淡々と事実を述べるように、無垢な子供に裏の現実を直面させる。

「じょ、冗談だよね?」

「そう思いたいならそう思うといい。あたしは仕事の関係上、表に出ない事件と関わることも多いが、被害者の半数は子供だ。それも電脳化したばかりのやつが多い」

 俺は祈崎市に来て日は浅いが、これが本当のことだというのは理解できる。理由は狩りと一緒だ。自分より小さく弱い獲物を狙う。ウサギがライオン相手に喧嘩を売ることはない。


「な、なんで? 子供よりお金いっぱい持ってる大人の方を狙えばいいじゃん。なんで子供を狙うのよ?」

「それだけ無防備だからだ。電脳に関する知識も少なく、防壁の構築もお粗末で穴だらけ。そしてなにより危機感が薄い。どうせ自分は大丈夫だという、根拠のない楽観がなぜできる? もしあたしが電脳ハックによる強盗をするならば、お前のような子供を狙うだろう。手間と時間はかかるだろうが、大金持ちの電脳を狙うよりリスクは少なく確実だ。せいぜい後ろ盾も親と教員くらい。その程度、なんの脅威にもならない」


 レナータは無言でうつむき、僅かに体を震わせている。恐怖と悔しさが半々といったところだろう。俺は慰めるべきかとも考えたが、黙って見守ることにした。アガットの話している内容は、紛れもない真実なのだから。


「自分が世間的に見て弱者であることを認識し、受け入れろ。いいか? 義体ってのはある意味で最高の暗器だ。見た目で生身か義体かの判別をつけるのはプロでも難しい。特にお前のようなガキが、右腕一本とはいえ義体化しているとは考えにくい。だから、いざというとき意表を突ける。下心満載で近づいてきた変態を、その右腕でぶん殴ってやれ。前歯と鼻を折るくらいの力はあるはずだ」

「……わかった。頑張ってみる」

 渋々といった様子ではあるが、なんとかやる気を出してくれたようだ。自分の身は自分で守る決心がついたのだろう。厳しいかもしれないが、祈崎市の治安を考えれば、自衛能力を得ることを避けては通れない。


『意外と面倒見いいのね、あの全身義体(サイボーグ)

「和佳菜を拾って六年間世話してるくらいだからな。――話はまとまったと思うが、これから何するんだ?」

「まずは……こいつだな」

 軍服の一番大きなポケットから取り出したのは、手のひらサイズのゴムボールだった。ピンクの蛍光色をしている。

「? キャッチボールでもするの?」

「もっと簡単だ。あたしがこれを投げるから、右腕だけで防ぐんだ。いいか、避けたり左腕を使うのはなしだ。ボールをつかむ必要もない。ただ義体化した部分にボールを当てろ。青葉は球拾いだ」

 右腕で体を庇う訓練ということだろう。レナータはこくこくと小さく頷き、俺は片手をあげて答えた。


 アガットとレナータが五メートルほど離れ、いよいよ特訓が開始された。

「んじゃいくぞ……せいっ」

 メジャーリーガー顔負けの綺麗な投球フォーム。そこから放たれたゴムボールは、矢のような勢いでレナータに襲いかかる。


「きゃぁ」

 当然、横にスライドして避けるレナータ。真後ろにいた俺の腹部にボールが直撃した。ゴムボールとはいえ、あの速度はかなり痛い。


「おい! 避けるな小娘! 訓練にならんだろ!」

「あんな早いの無理だよ!」

「なぁに、右腕で防げば痛くもかゆくもない。生身に当たっても少し(あと)ができるだけだ」

「スパルタだぁ……」

「当然だ。厳しくしなければ訓練の意味はない。やめてと言ってやめてくれる犯罪者などいないからな、覚えておけ。――そら青葉、早くボールを投げ返せ。今回の報酬ゼロにするぞ」

「……いや、ちょっとくらい俺の心配してくれてもいいんじゃないか?」

 僅かな恨みを込めながら、腹部にめり込んだボールをアガットに投げ返す。


 それからもこの訓練は続き、俺は野球部の一年生さながらの球拾いに励んだ。さすがに反省したのか、最初ほどのスピードは出さずボールを投げる。なんとかレナータでも対応できるくらいの速度のようで、躍起になってボールを防いでいる。

「いいぞ小娘。いざというときは右手を前に出す感覚を体に叩き込め。お前の右腕は武器であると同時に防具だ。刃物程度なら防げるだろう。強い衝撃が走れば、自動的に痛覚は遮断されるから心配するな」

「……相変わらず、偉そう」

「実際偉いんだよ。ほら、口動かさずに手を動かせ! ボールのスピード上げるからな!」


 とまあそんな感じで、ちょうど百球投げ終えるまでこの訓練は続いた。レナータはだいぶ疲れたようで、肩で息をしている。

「防いだのは約七割か……まあ合格としておこう」

「た、体育の授業より疲れた……」

「当たり前だ。あんな子供のお遊びと一緒にするな。あたしが行っているのは命を守る訓練だ。少し休んだら次だからな。――ほら」

 アガットが山なりにボールを放る。レナータはそれをぼんやりと右手でキャッチした。これまでの訓練のおかげか、パブロフの犬よろしく右腕を動かしたのだろう。


「静止したビー玉をつかむことすらできなかったのに、投げられたボールをつかめるようになったじゃないか」


 意地悪そうな笑みを浮かべるアガット。レナータは気まずそうな表情を浮かべて黙り込んだ。少しだけ口元が笑っていたことについては、見なかったフリをしておこう。




「さ、次は攻撃の訓練だ。ルールは簡単、全力であたしを殴れ。もちろん右腕でな」

「ホントに!? いいの!?」

「嬉しそうなのが腹立つな。まあ、いいから殴ってみろ――おい、殴れとは言ったが、石を拾えとは言ってない。捨てろ」

「ちっ、気づかれた」


 防御の次は攻撃ということだろう。レナータが義体化しているとはいえ、アガットが怪我をすることはないはずだ。……石とか使わなければ。

「よぉーし、今までの恨み!」

 勢いよく踏み込み、怒りを込めて全力で殴りかかる。身長差から、拳はアガットの腹部に突き刺さった。当然、アガットは眉一つ動かさず、後ずさることもない。

「おいおい、義体化していてこの程度か? こんな拳で砕けるのなんて豆腐くらいだぞ。悔しかったら、あたしを屈服させてみろ」

「こ、この!」

 それから何度も殴りかかるが、巨大な大仏のように不動を貫くアガット。象に襲いかかる蟻のような構図だ。


「はぁ……はぁ……なんで?」

 レナータは膝に手をつき、荒々しく息を吐く。全身を義体化したわけではないので、基礎体力は普通の子と変わらないのだろう。

「力の入れる点を間違えている。義体に力を入れるんじゃない。むしろ義体化していない生身の部分に力を込めろ。お前がどんなに力を込めても、義体が変形することはないし、硬質化することもない。重要なのは、いかにして義体を勢いよく相手に叩き込むかだ。どれだけ鋭いカタナを持っていても、亀のような動きでは相手を切ることはできない。それと一緒だ」

「う、うん」

 まるで学校の授業風景だった。生徒一人に教師一人という、マンツーマンの青空教室がここに誕生していた。授業内容はかなり物騒だが。


「義体に込める力は最低限でいいんだ。ブレないように、方向性も持たせるくらいで問題はない。攻撃の時だけは、義体は体の一部ではなく武器だと考えろ。お前のように一部だけを義体化している者は特にそうだ」

 アドバイスを受け、再び可愛らしくファイティングポーズを取る。

 そうして、何度も何度もレナータはアガットを殴る。少しずつだが、勢いが増しているようにも見える。


「マシにはなった。だが殴ることに集中しすぎて、相手を見ていないだろう。ほれ」

 レナータが殴ろうとした瞬間に、アガットが体をそらし攻撃をかわす。小さな拳は空を切り、つんのめるレナータ。そのまま勢いよく地面と熱いキスを交わした。


「敵は静物ではない。常に素早く動き回る狩人(ハンター)のようなものだ。相手の動きを予測し、避けられない攻撃を仕掛けろ。避けられないんだから絶対に当たる」

 倒れたレナータに向かって、むちゃくちゃな理論をぶつける。間違いではないが極論すぎる。


「おいおい、依頼者の娘なんだからあんまり手荒に扱うなよ。逆に金を取られても知らないぞ」

「うるさい男だな。あたしの教育方針にけちを付けるな。――どうした小娘? もう終わりか? これならオムツはいた乳飲み子の方がまだガッツあるぞ」


「……ぐぅう! 殺してやる! 爪を一枚一枚剥いで、目ん玉えぐってやるんだから!」

 恥ずかしさと悔しさからか、真っ赤な顔になったレナータが勢いを増して殴りかかる。それをひょいひょいと余裕の表情でかわすアガット。


「ははは。最近の小学生は物騒だな」

 なんだかんだ、楽しそうに河川敷を走り回る二人。散歩中の老人が訝しげな視線をこちらに向けていたが、構うものか。


『なんか、端から見ると遊んでいる親子に見えなくもないわね』

『せめて姉妹と言ってやれ』


 レナータが走り疲れて倒れるまで、俺はその様子を見守っていた。まるで世界が俺たち三人だけになったような気分で。

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