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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
第三章 アンドロイドは青空を見て何を想うのか
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凝り性な犯人

「ここだな」

 たどり着いたのは郊外にある二階建ての一軒家。僅かだが自然に囲まれたなかなかの好立地に思える。表札を確認すると「ジャック・ローン」の文字。隠れ家か何かだろうと思っていたが、まさか犯人の住宅に来るとは……。


『こんなことなら、アガット・ラングレーが手に入れた犯人の情報から、すぐにここへ来た方が早かったわね』

『ま、結果オーライだ』

 まだこの中に犯人が居ることを祈ろう。


「んで、どうする?」

「そうですね……また逃げられるかもしれませんし、二手に分かれましょう。わたしは裏庭から行きますので、青葉さんは正面からお願いします」

「おいおい、一人で大丈夫か?」

「心配しすぎです。青葉さんが来るまではわたし一人での仕事もあったんですから、大丈夫ですよ。何かあったらすぐに逃げますから」

「……本当だな?」

「誓います」

 すぐに逃げるという言葉を信用し、俺は和佳菜の案を採用した。プレゼントした十字架に、神の加護でも宿ることを期待しよう。


「何かあったらすぐに呼べ。絶対に駆けつける」

「はい。信頼してますから」

 一度和佳菜と別れてから、俺は再度家を見上げる。一人で住むには確実に大きいが、社員情報を見る限りジャックは独身だ。親兄弟と同居しているということもないらしい。


『もし男一人でここに住んでいるのだとしたら、相当寂しいでしょうね。セクサロイドなんてものに手を出したのも無理ないんじゃないかしら』

「犯罪者の心理分析はあとだ。まずは身柄を拘束する」

『はいはい。うちのマスターは縛るのがお好き、と』

「黙ってろ」


 俺はドアロックをソフィアに解除してもらい、こっそりと中へ入り込む。ホルスターから銃を抜き、両手で構える。引き金(トリガー)に指はかけず、銃口はやや下におろす。廊下に足をかけ、()り足をうまく使いながら進んでいく。

『現在、入ってすぐの廊下だ。これから隣接しているリビングに入る。そっちは?』

 和佳菜に通話をかけ、状況を交換し合う。

『裏庭を軽く探索しましたけど、何もありませんでした。これからわたしも中に入ります』

 相手に伝わらないとわかっていながらも小さく頷き、ゆっくりとリビングへ入る。電気はついておらず、カーテンも閉められているため真っ暗だ。


「……」 

 薄ぼんやりとテーブルやテレビといった家具が見える。物音一つせず、人の居る様子は見受けられない。

『誰も居ない、な』

『みたいね。どうするのマスター?』

『……もう少し探してみよう。広い家だし、どこかに隠れているかもしれない。……逃げられていなければ、な』


 網を張っていたのがバレて、ここからも逃げられた可能性を考え始めたとき――強い電流のようなものが全身を駆け巡った。


「うっ……がぁ……」

 俺はえずきながらも、呼吸だけはかろうじて確保する。ヒューヒューという、空気が漏れるような音が喉から聞こえる。


 感圧式のスタントラップか。油断したな……。


「あはは! まさかこんなところまで来るなんて、しつこい猟犬だねぇ。会社をクビになったときに警備室から盗んでおいたスタントラップが、まさか役に立つなんて思ってもみなかったよ」


 リビングの電気が仕事を始め、室内を照らし始める。悠々閑々と別室から出てきたのは、短パンにTシャツという極めて楽な格好の肥満男(デブ)だった。体重は優に百キロを超えているだろう。シャツが横に引っ張られ、プリントされていた文字を読み取ることすら困難だった。

 右手には暇つぶしなのか、ルービックキューブが握られている。ピザでも握っていた方がお似合いだぞ豚野郎。


「くっ」

 俺は恨めしそうに男――社員情報に載っていた写真よりも肥えているが、恐らく犯人のジャック・ローン本人だろう――をにらみつける。


「なんだ、男か。若い女の子だったら監禁して楽しもうと思っていたのに……男ならどうでもいいや、人身売買にでも出そう」

 悦に入った表情を一変させ、路傍の石ころでも見つめるような仏頂面で俺を見下す。トラップに引っかかったのが和佳菜じゃなくて本当によかった。


「…………ふぅ」

 小さく息を吐き、今取れる最善手を模索する。

 俺一人なら完全に詰みだっただろうが、今回は裏口から侵入した和佳菜が居る。まだ起死回生は可能だ。

 電脳の通話機能が生きていることを確認し、すぐさま和佳菜に通話をかける――が、一向に繋がらない。


「くっ……そ」

 ジャミングが張られている……な。


 基本的にジャミングが妨害するのは無線での通信だ。和佳菜まで通話が届かないのはそのためだろう。ネットにも今はアクセスできないはずだ。

 視線を移し、一面も揃っていないキューブを見つめる。その視線に気づいたジャックが得意げに鼻を鳴らす。その仕草がトリュフを探し当てた豚に見えた。


「ああ、これ? 趣向を凝らして自作した究極のジャマーさ。範囲はせまいけど、ありとあらゆる無線の電子通信を妨害するものでね……解除するには六面すべてそろえないとダメなんだよ。芸術的だろう? 僕って凝り性(アーティスト)だからさ」

 ああ、そいつは素晴らしい。ユーモアあふれる物を作ったな、快楽主義者(エピキュリアン)の豚野郎。


『ジャミングで和佳菜へ通話は不可能……ソフィア、どうする? ……ソフィア?』

 続いてソフィアに通話するも、こちらも同じく応答がない。ステータスを確認してみるが、エラーは起きていない。

『どういうことだ? おい、ソフィア!?』

 ソフィアは電脳の内部に存在している。そのため、ソフィアとの通話は脳内ナノマシンを利用し、脳神経を経由して行われる。ようするに、神経細胞(ニューロン)がDケーブルのような役割を果たしてくれるのだ。ジャミングを張られていても、ソフィアとの通話を妨害することは不可能のはずなのだが……。


『スタントラップのせいか? でもエラーは起きてないしな――おーい、ソフィア! 居たら返事しろ!』

 何度呼びかけるも、ソフィアからの返答(レスポンス)はなし。原因は不明だが、とりあえず今は諦めるしかないか。


「まったく……厄介な、ことを……してくれたな」

 何とか口が利けるまでには回復したが、体はまだ動きそうにない。和佳菜と連絡が取れない以上、俺に打開策はない。できることと言えば、精々しゃべって時間を稼ぐことくらいだ。

「あ、もうしゃべれるんだ。すごいねキミ。少し怖いくらいだ」

「お前こそ、しゃべる豚とはなんとも不気味(スプーキー)だよ」

「ウジ虫みたいに這いつくばっている分際で、よくもまあそんな口がきけるね。みっともなく命乞いをするなら、少しくらい温情を与えようと思ったけどやめた。さっさと電脳の中身見せてもらうね。奪える物を奪ったら適当に売り飛ばすからそのつもりで。――人肉嗜食(カニバリズム)と同性愛者ならどっちが高値で買い取ってくれるかな?」

 ジャマーであるルービックキューブを床に置き、テーブルの上に置いてあったDケーブルで、俺の人間型接続子(ヒューマン・ジャック)に接続しようとした瞬間、


『人間保護の原則に従い、拘束させていただきます』


 電子的な音声アナウンスと共に、背後から現れた女形のアンドロイドがジャックを羽交い締めにした。 


 ――SVシリーズのアンドロイドだ。


「な!? なんで動いてるんだよお前! 確かにスリープさせてただろうが!」

「その子ならわたしが起動させました」

 得意げな顔でも、勝ち誇った顔でもなく、どこまでも冷静で冷徹な、幽鬼じみた表情で和佳菜が現れた。


「和佳菜……」

「遅くなりました青葉さん。大丈夫ですか?」

「ああ……すまん、助かった。俺が捕まったこと知ってたのか?」

「リビングの方で物音がしたので、こっそり覗いていたんです。わたしが出て行っても逆にやられそうだったので、近くの倉庫にスリープしていたアンドロイドを起動したんです」

「アンドロイドの人間保護の原則……ロボット三原則の一つか」

「はい。人間への安全性、命令への服従、自己防衛を目的とした原則です」




 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。




 今や学校の教科書にも載っている、有名なルールだ。


 大きく息を吐き、俺は全身の力を抜いた。あとは痺れが自然に取れるのを待とう。


「くそっ、離せよ! お前の主人は僕だろう! なんで僕に牙を向ける!?」

『先ほども申しましたが、人間保護の原則に()るものです。ご主人様が他者に危害を加える可能性があると判断し、止めさせていただきました』

「ああ、くそっ、これだから融通の利かないアンドロイドは嫌なんだ。そもそも、こいつらは僕の家に不法侵入しているヤツらだぞ! まずはこいつらを捕まえろよ!」

『ご主人様の住宅情報がインプットされていません』

「ちっ、どうせ古いアンドロイドだから使わないと思って、僕の顔しか覚えさせなかったからか――まあいい」


 取り押さえられながらも、ジャックはニヤリと粘着質な笑みを浮かべる。

「SVシリーズなら僕は完全に操れる。ここまで来たのなら知っているだろう? 僕はハッカーでもあり、こいつらの設計者でもある」


 確かにそうだ。事件の発端である引ったくりをさせたのもこの男だ。SVシリーズに限りはするが、アンドロイドを完全な操り人形にすることはお手の物だろう。


 だが――


「『マリオネット』起動……さあ、さっさと離せよSV600」

 自分の力を誇示するようにそう告げるが、アンドロイドは微動だにしない。ロボットらしい忠実さで、未だに自分の仕事を遂行することだけを考えている。


「? おい、何してんだよ? こんな時に故障か?」


 ジャックの顔面が困惑色に染まったところで、和佳菜がにこりと笑う。天使のような悪魔の笑みだった。

「自分で用意しておいて忘れちゃったんですか? このルービックキューブ――ありとあらゆる、無線での電子通信を妨害するんですよね?」

 ジャックの顔がさっと青ざめる。アンドロイドを操るには電脳からアクセスする必要があるのだろうが、自らの用意したジャマーによってそれが行使できない。操るには有線接続するしかないが、今の状態では不可能だろう。


「すぐに警察が来ます。アンドロイドのお姉さん、それまでその男を押さえつけておいてください」


 和佳菜のお願いに、アンドロイドは人間そっくりの微笑で答えた。

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